わんばんこ!なぐです。
なんと前スレが4年の月日を経て終了しました・・・
次は立てようかどうか迷ったのですが、
どこに書き込もうか迷ってしまうのでたてますね。
2024年までには終わるといいなあ。
何卒気を抜いていきましょう~
好きな歌詞を書くだけのスレ↓
https://rakuen.jeison.biz/bbs/read.php?mode=list&no=127&res=n20
今日は映画を2本見ました。
「おんなのこきらい」と「ピースオブケイク」です。面白かった。
俗に言う単館系が好きだなあと気づいたので、そこら辺を見たいなあ
火曜日に私の家政夫ナギサさんを見てANN聞いて
水曜日にフリースタイルティーチャーを見てWREPを聞いて
木曜日にアンサング・シンデレラを見て匿名ラジオを聞いて
金曜日にMIU404を聞いて
土曜日にイマラジオを聞いて
日曜日に麒麟が来る(休止してるけど)と半沢直樹を見ている
あと本当に貪るみたいに本読んでる ほぼ小説だけど
目が滑ってるわけじゃないのに、なんか流しそうめんの端で口を開けて、
ながれてくる文字をひたすら飲み込んでるみたいな・・・
楽しいけど、勿体ないな~
今日ね、今日ね、一時間目の授業で
「元気度を10段階で表してください」って言われたんです
僕は夜に好きなドラマがあるし、二度寝したからめちゃめちゃ元気
だけどみんな5ぐらいだろうし、10にしたら浮くかもしれないから
まあ8ぐらいにしとこうとチャットで打ち込んだんです
これから夏休みなのに、このままだとオンライン授業の延長でグダグダ過ごしてしまいそう
だから、何か「一日一個これやります」っていうのやりたいねぇ
友達が欲しいと思っては、そんなもの居ても疲れるだけだとも思う
何かをしてやりたいと思っては、何もしてやれないだろうと思う
結局のところ音楽を聴いて、写真を撮って、本を読み、自分自身に埋没することが一番楽しかったりもする まさに自閉!
でも、頻繁に話すわけではない友達から、「今日カラオケに行った」「お前に似てる奴を見た」というLINEが来ると、何故かとても嬉しいのだ
誰かにとって、他愛ない話ができる相手でありたいな
女の子の友達、絵文字の数とか、既読の速さとか、返信の速さとか、伸ばし棒の数とか、予定の提案が多すぎてもだめだったり少なすぎるとやる気がなく見えたり、考える事が多すぎて、結局長くは続かない
今残っている一人は、正直無理をして付き合っている
僕の周りの女の子というのは、常に「友達であり続けなくてはならない」ように感じる
既読は速すぎず、でも絶妙なタイミングで返信をしなくてはならない
それに対してすごく疲れてしまう
だから今の所、唯一一緒に居て楽しい女の子は、姉ちゃんだけだ
でも姉を女と思ったことはないから、女の子とはいえないのだと思う
歌詞スレにも書いたけど
およそこの世のものとは思え「ない」「佇まい」
その手掴んだら二度と話す「まい」
君のい「ない」朝はまだ「暗い」
そこは「危ない」からこっちに「来ない」か
君の気持ちは一生「わからない」
俺の気持ちもきっと「伝わらない」
一生じゃ「足りない」じっとしちゃ「いられない」
ずっと一緒に「いたい」とか「めでたい」
この「ai」で踏み続けてるの良いよな~!!「愛」なんですよまさしく・・・
「ドラマとかでそんな楽しめるの良いね~!そんなつまんないので笑えるの羨ましいwwwww」みたいなこと言ってくる人、たまに苛々して仕方がなくなる
じゃあなんですか、こっちが「いつか死ねることだけが楽しみ」とか「ODだけが生きがい」とか言っても引かないでくれるんですか?
「折れた腰椎が未だに痛むんですよねw」とか「薬の副作用で呂律が回りません」とか「フラッシュバックで吐きました」とか言ったら、それこそ「なんか気晴らししたほうがいいよ、TVとか漫画とか見て楽しいこと考えなよ」って言い出しますよね?それでいざこっちが束の間にエンタメ楽しんでると「気楽そうでいいねw」とか言い出すでしょ?なんなんですか?勘弁してくれ
結局こんなこと言いながら、「かわいい動物見てれば癒される」とか言ってる人のことを見ると「気楽そうでいいな」なんて思っちゃう自分が一番嫌なんですよ そんなわけないんだよ、みんなそんなものじゃ解決できない悩みがある だけどそんなこと気にしてたって仕方がないからそれを忘れたふりしてなんとかやり過ごしてる それができない人間が気が狂うだけ お前だけですよ~人と比べて自分の方が不幸せだと思ってる奴
結果として、先生に言われたことで救われてる自分が居る それが一番嫌 あの人の言う事なんてみんなおかしかった 頭のおかしい僕らと一緒にいるから頭がおかしくなったとしか思えない じゃなきゃあんなこと言えないし、あんなことがあって平然としていられない あの人は多少頭がおかしかった だけどあの人に自分は救われる あの人の言う事は僕には受け入れられない でもあの人の言う事は正しかった なんなんだあの人 人の未来にまで干渉してくるな 過去の存在のくせして
落ちてくると先生の言葉がフラッシュバックして、僕の事を支える
でもそのたびにまた先生の言葉で打ちのめされることになる
そのくせして先生の言葉たちを後生大事に覚えてるんだから何も言えない
あ~また結局無駄にした一日を取り戻すために夜更かしして、虚ろな意識で何か大事なことを考え始めて、また落ち込んで次の日を無駄にする・・・
負のスパイラル、抜け出さないと・・・
マジで最近落ち込んだり病んだりしてることが多いけど、構ってほしいわけじゃないし心配してほしいわけじゃないので気にしないでほしい 今更自分が落ち込もうが自分はどうも思ってない 期末で課題が山積みだからか 季節が夏だからか 湿気が苦手だからか 些細な事で死にたくなるし 実際に僕は死にたい どうも思っていない 自分が死んだとしても 自分の存在を消したいとか 自分が居ない方が世の為になるとか そんな高尚なことは思っていない ただただ楽になりたい その気持ちでいっぱい
鎮静剤を打って死んでるか生きてるかわからないような日々
こんなものに果たしてどれだけの価値があるのか 次の瞬間にはパソコンを投げて本棚を倒して家を飛び出していきたい それをしないための頓服 命をつなぎ留めるための頓服 お守りなんて言うけどこれはただの呪いだ 先生を恨んでいる
先生に言われたこと それを守ってるから偉い 僕は偉い 僕は何故先生に従うのか あんなもの無視してしまえばただの妄言だ なのに僕は未だにあの人の言うことを聞いてる 結局逃れられないのだという諦観を持っている 諦めて過去の先生に従っている それは結局、本当に先生が真実だと理解しているからだ
先生は正しい。ぼくには理解できない理論を振りかざしてくるけど、それを敬う人間は多数いる。皆が引くような言葉を投げかけるけど、それに支えられる僕もいる。
最近やけに先生のことを思い出すし、ふとした瞬間に後ろで囁かれているように思う。呪いだろこれ、なんなんだ。あなたの幻聴みたいなもんですよ。
先生だのあの人だのと 意味の分からない内輪ネタばっかり言ってすみません
でも鉛筆を握ることも面倒だし twitterで言えるような話でもないし 誰かには口止めされていることでもあるし 結局ここでぐちゃぐちゃ言ってしまうんですよね
ごめんなさい。先生は僕の主治医です。
ぼくしかわからないんじゃ内輪ネタですらないか
僕は先生が言うようにろくな人間じゃない
崇高な理由で死ぬこともなく、やむを得ない理由で生きられないわけでもなく、ドラマみたいな悲劇があるわけでもない だから僕は
僕は本当に典型的な自閉で、知能検査でも優れている一点があった
それは明らかに飛びぬけているし、自分でもそれはわかってた
でも他は本当に全くダメ。普通の人よりすごく劣ってる。
僕はその一点を傘として、低い能力を様々なことから守ってた
身近な人からは、「何か優れてることがあるっていいじゃない」「得意なことがあるのは素晴らしい」みたいな風に言われることもある
だけどそれは、たいていのことが普通にこなせるから出てくる言葉だ
ほとんどの事が出来ないなら、突出したもので得することなんてほとんどない
実際気が狂ってたわけだし
才能が要らないっていうのは言い過ぎた 長所はあればあるほどいい
けど、あまりに短所がひどすぎるって話をしてる
その才能がないために夢をあきらめた人もいるかもしれない
でも僕だって自分がめちゃくちゃになってる ぼやくぐらい許してほしい
こんなことを実際に言ったら自慢だぜいたくな悩みだなんて言われるんだろ
同じような境遇の人間が居ないから 相談できる人もいないし
実際幼いときから障害が分かってれば もっと人生生きやすかったんだろうか
密閉するものだから重いけど、その重みに安心を感じてしまう
無意識にネックレスを触る癖があったから、触る度にも安心する
とてもきれいなネックレスを買ったばかりだったから、武骨なこれを付けるのはもったいないようにも思う。だけどどれだけきれいなペンダントトップより、僕を救うのはこれなんだろう
「君ほどやさしい人は居なかった」と初めて言われた
他人にとって優しい人になれて安心した
大切な友達に優しくできていたなら嬉しい
「胸糞悪い」「人として信じられない」
というツイートだらけだ
本当にそうならどれだけいいだろう
「実際障害者と共に何かをする時に 大抵の奴は差別するんだろう」
という斜に構えたツイートに
「しません。大抵の人は差別ではなく配慮をします」
と言ったこのリプ
これが今回の悲劇のすべてだよ
差別と配慮っていうのは本当に紙一重だ
例えば腕の無い人を見たとき、顔つきの違う人を見たとき
「じろじろ見てはいけない」という配慮から「不自然に顔をそむける」という行為が出る それは確かに思いやりだよ でもやられた方からすれば苦しい
結局目が潰されでもしない限り 顔つきや身体の違いに対する条件反射は出る
耳が潰されない限り 叫び声は届いてしまう
だからって差別していいわけじゃない
広げていくしかない 当たり前になるまで
当たり前じゃないから行き過ぎた配慮が差別になる
もしかしたら今回の自治体の人間だって「配慮のつもり」だったかもしれない
田舎のコミュニティはうざったいし面倒なところがある
特別扱いをすると不満を言う人は確かにいるんだよ
都会の人にはわからないかもしれないが みんなで「せーの」でやめられたらいいのにね
自分の配慮が差別になっていないかも考えてほしい
前に看護師が
「俺はこういう職業だから、普通だけど」
って言ってたのを聞いたことがある 自分の排泄物を処理できない人の話のときだ
僕も看護師も共同生活をしてるから普通にできた
けどそれを健常者が見れば、顔をしかめるのは当然なんだよ
そこで笑顔で受け入れられると、そういう過度な自信を抱かないでほしい
それは仕方のないことだ 知らない、普段みない世界の話だし
だから広げていかないといけない 確かにそこにある世界の話にしないといけない
歌詞スレにびーびーさんと南雲さんが書き込んでくれたのめちゃめちゃ嬉しいな
あのスレは人の好きな歌詞も知りたかったので…みんなぜひどんどん…
死んだ方がマシだとかそういうわけじゃない
生きるというそのもの自体が辛いという前提だから、生きる理由自体がないと生きようと思わない
病院で「発作の症状」を見つけることが出来て、その症状が出ると調子が悪くなってるなあってわかるんだけど、わかったところで別に治したくもないしそのまま衝動に任せてる
前は笑い声を聞くとイライラが抑えられなくなることがあったんだけど、それは笑い声を聞くととにかく傷ついてたから
今は大人になったので、イライラするのは自分が悪いからだとわかる
だから笑い声にひたすら殴られるがままになる 偉いから
すごい死にたくなるし、多分死んだ方が楽だし、生きてるだけで辛いし、こんなのが何年にも渡って発作としてで続けるならほんとに死んだ方が良いですよね
何したって言うんだわたしが
調子が悪すぎる
頓服を飲んでもいいぐらいだけど、頓服って効くのを待つ間が「もう少し我慢できたんじゃないか」とか考えちゃって地獄なんだよなあ…
なぐさんこんにちは( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
最近親のいうことにめっちゃイライラしちゃって、まぁその言葉が、なんていうか、間違い探しとかあるじゃないですか、それでみんながみんな得意なわけじゃないから見つけるのだって人によっては分からないときもあるし、、でその時親がいったのが、そんな人いるの?っていわれて
え??って思った
あと最近店員さんに遠くから悪口みたいのいったり(これは本当に心が痛い)
こういうのが最近本当に多くて、他人にもイライライライラしちゃって( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
なんか最近差別的な言葉?がおおくて、本当に心が痛くて( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
あの人オタクっぽいし車でスマホいじってるから絶対リズムゲームやってるよねとか今日本当にまじでいったのでこいつ本当になんなんん??って思いました( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
私もすごくすごく死にたい( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
>>86
蘭子さんこんばんは!
簡単に言うべきではないのかもしれませんが、蘭子さんの気持ちは理解できます
「なんでそんな事言うの」って思いますよね。自分が信頼している(そうは思いたくないけど)、頼らなくてはならない存在である親から、そういう言葉を聞くのが1番苛つくんですよねえ…なんでなんでしょうね。どこまでも「あの人は理由があるかもしれないよ」とか論破したくなるけど、そんなの同じことの繰り返しにもなりかねないし…
私の親も堂々と差別発言をすることがあって、「そういうことを言うな」と言うと「冗談じゃん」「聞こえてないし」「身内だけだからいいと思って」とかいうんです。でもそれを聞くこっちの身になって欲しいですよね。。こちらは嫌でも受け取ってしまうから、嫌な気持ちだけ取り残されて…
親はスッキリするのかもしれないけど、こっちに嫌な気持ち押し付けてるだけじゃないですか。
だけど、相手を変えることはできないんですよね…。ある意味親を親と思わずに、「この人はこう言う、嫌な人間だ」と思うしかないんですかね。どうしたらいいんだろう…
死ねば喜んでくれるのか? とか思っちゃいますよね
みんな生きてるのがすごく楽しそうに見えて、羨ましいくせに「そんなことして何になるの」なんて斜に構えてみてしまう自分がいる
ドラマ見るために生きるとか、そんなことで楽しそうで羨ましいなんて言われるけど、じゃあ何が楽しいんだ?
気がつくとTwitterとかで愚痴を言いそうになって、結局こちらに逃げてくる なんでみんな楽しい話しかしないでいられるんだろう すごいなあ
みんな辛いことは辛いって言ってくれればいいのに
みんなが辛いって言わないから、僕だけ辛いみたいじゃん
そんなわけないのに
僕だけが辛いわけないのに
コルセットをしてると、身体が楽になるだけじゃなくて「制限されてる」というかんかくがつよくなる
動きも緩慢になるし、思ったように体が動かないから、死ぬ元気はなくなる
はぁ〜何をやっても上手くいかない
周りの近しい人はみんな大切な人がいて、僕はその誰の1番でもない
僕とのプリクラをアイコンにする人はいない
僕にも「俺にはこいつがいるぜ」みたいな人が欲しい
けどどこで見つけるのかすらわからないし、実際にいたら縛られたくなくて逃げ出す気もする
しかし、実際のところみんな自分のことが一番だから、誰かの1番だと思い込んでいるだけで実はそうじゃなかったりすることも多いと思うのであります
麒麟が来る最終話を見たあと、Twitterでタグで調べてザーッと見てたら
たまたまほんとにたまたま南雲さんのtweetを見かけてびっくりした
>>108
そんな人は幻想な気がする・・・
実際多くのカップルは別れてるし
まずそういう人を欲している時点で自分の欲望が先行していて、結局自分が一番ってことになる気がする
自分がどう思われるかは度外視して、自分よりも優先できると思える人がいるかどうかですねえ
その人が世界のすべてだと思えたら、自分が別に一番じゃなくてもいいという考えに至るわけで
それが行き過ぎると徹底的な自己犠牲に陥るわけだけど
いずれにせよ、優先順位決めると結局しんどいんだよなあ
自分を優先しても他人を優先しても結局うまくいかん
優先順位を決めずにフラットに考えるのが一番幸せなんだけど、なかなかそれが難しい
つまり恋人も家族も友人も自分も第三者もすべてがフラットになれば、一人の個人と個人として接することができるはずなのに、みんな優先順位を決めたがるからねえ
突き詰めれば誰しも自分が一番ってことになると思う。
たとえば、自分よりも大切と思う誰かがいて、その人のために尽くすとしても、本当の目的は尽くすという行為を通じて自分が満足することだと思うんだよね。どんな自己犠牲も、それで自分の何らかの欲望が満たされることが最終目的になってると思う。
自分よりも他人を優先させること自体が、自己満足のための方便だと。
とは言っても、私はそんなことを言って、自己犠牲的な行動を貶めるつもりはないんだけどね。むしろ動機は何であっても良いことをすれば良いと思ってる。
そのうえで、私も「誰かの一番」になりたいけど、見込みがなさそうだから複数の人に少しずつ大切に思われるだけでいいと思ってる。まあ「この人には特に大切に思われたい」ってのはある。でも一番は難しいことを痛感してきてるし。
私自身は、時に自分よりも優先する人がいたこともあるけど、やっぱり自分が一番大切かな。自分以外の人たちについては、かなりはっきり優先する人を決めます。仕事ではやっちゃダメだけどプライベートでは肩入れする人とそうでない人がいても別にいいと思ってるから。みんなをある水準以上に大切にすれば、ということで。
>>109
まじすか…麒麟について投稿数多いだろうにビックリ…。
>>110
やっぱり幻想ですねぇ…
その人が世界の全てかぁ、そんな人でも良いです
むしろそっちの方が良いのかもしれません、104みたいに実際にいたら苦しくなるだけなのかもしれないし
まあこんなことを言いつつ、
俺にはこいつがいる、という人も、互いに一番だと思い合う人も、世界の全てみたいな人も、むしろ他人の人生の登場人物になれてるかすらわからない
とどのつまり、気兼ねなくメッセージを送れる人がいないという自分が、全て自業自得ながら、ひどくさみしく感じられるときが、たまにあるんですよねぇ。。
ぜーーーんぶ、身から出た錆なので、一人で抱え込むしかないんですけどね。
>>111
自分が1番大切だからこそ、「大切な自分を犠牲にしても良い人」を欲するのかもしれませんね。
複数の人に大事に思われることができるか不安で、ただ1人に依存してしまいたい欲があるのかもしれません。
特に大切に思われたい人か…
私にはそれがいないんだと思います。今は思いつかない、彼らに大切な人が既にいるから、というわけでなく、フラットな状態からでも
誰かに特に大切に思われたい人って思われてたら、そんな嬉しいことは無いです
うん、そうですよね。
不快にさせず、迷惑をかけないなら、何を想っても咎められる言われはないですよね。
麒麟は最終回割と好きでした。
染谷将太が好きでしたね…
気軽にLINEできる人がいないの、自分で言いながら悲しくなった
LINEして返ってこないことも、どんなふうに思われるのかも、親しくなるのも怖い
もう人と交わることが怖い
遊びになんて誘えないし
部屋でぼーっとテレビでもYoutubeでも見ていたら楽だし
遊びに誘って楽しませられる自信もない
どこからが楽しくてどこからが楽しくないのかわからない
どこからが美味しいもので、どこからがまずいのかわからない
毎回遊んだ後にシビアに採点して欲しい
今日のお前はつまらなかったとか、いつもより気が利いたとか
曖昧なものならない方がいい
僕を面白いという人は居るけど、それはどのくらい?どの枠組みで?
私はあまり器量が良くないから、割と粗雑な扱いを受けることもあるんだけど、スーッと頭数から減らされたり、いない前提で話を勧められたり、私を下げてFさんを上げたり、
私を下げてFさんを、あげることから、私よりFさんの方が器量が良くて、好かれるのはわかるんだけど、
そういう時どう言う反応をしていいのかわからなくて、卑屈になるのはまたどういう反応を返せばいいか迷わせるからダメだってわかるんだけど、じゃあ堂々としていたらつまらないのかな、とか、色々考えてしまって
僕はその、生まれ持った障害として曖昧なものが苦手なのはわかるんだけど、
「僕のこと好きか?」とか「僕を大切に思ってる?」とか、本当は聞いて確認したいぐらいなのかもしれなくて、それはすっごく浅ましい愚かな行いだってわかるから、とどまってはいられるんだけど
互いに1番の人が欲しいのは、きっと1番なら揺らがないと思ってるからなんだと思う
2番や3番は裁量で変わっても、1番なんてものはなかなか貰えないから
誰かの1番になれたら、それはその人から好かれてる証拠になるって思ってたのだ
でもそういう訳じゃないか
まず1番も揺らぐし、
そんなものはないし
僕は障害からなのか鬱からなのか知らないけど、すっごい0:100の思考で
1番の人が絶対に無理なら、友達なんてゼロでいい
みんな知り合い みんな他人
みんな大切じゃない って風が良いように感じてしまって
そんなわけはなくて、100の中には98の曖昧な人がいるはずなのに
そんなふうに暮らしてきたのに、たまにどうしようもなく寂しくなって、またこんなことを言って、
また1人でも大丈夫になるまで、ただただ泣いたり落ち込んだりして耐えるしかなくて、本当にこんな愚痴? 文句ばっかりごめんなさい
こんな夜中だから泣いても許されるのではないか、なんてメソメソしてしまって
いや一人なんだから別に怒る人もいないだろって話なんですけど
怒られることも許されることもなくって、それがすごくさみしくて
ただたださみしくて、眠るのも嫌で耐えられないようなこんな日があって、ごめん
結局悪いのは全部自分です。
卑屈でもなんでもなく。
当たり前のように、今の私があるのは過去の私の行いによるもので
思い当たるフシしかないし
だから責任はとらないといけない
15分くらいの遅刻なら良いんだけど、1時間とか、それ以上待たされると、自分が蔑ろにされているような、取るに足らない存在だとあなどられたような気分になる
私がすごく小さくなったような気分になる
なんでかわからないけど、最近景気への不安感が大きい
先行きが見えない不安なのか、不景気だからか、物価があがりつつあるのに賃金は上がらないからか、逆に物価が他国に比べ上がらないからか、すごく怖くなった
買い物に出ても値段ばかり気にしてしまって、何も楽しくないし、他人が自分に何か買ってくれても、値段が怖くて素直に喜べない
今日明日のご飯に困ってるわけじゃないのに、怖くて仕方がない
確か、チョコレートが値段は変わらないのに、75gから50gになっているってツイートを見てからだと思う。
別に適応するしかないのに、怖くて仕方がない
何が怖いんだろう、なんか漠然と怖いんだよ
子供が欲しいとか、就活してるとか、そういうわけでは全くないのに
なんか怖くてさ
私が大学生のころ、友達とその妹さん(小学生)と人生ゲームをやってた時に、未来は今より良くなるか悪くなるかみたいな話が出て、妹さんが「絶対悪くなる」と答えた。
それ聞いて私はビックリした。自分が小学生のころ、未来といえば手塚治虫が描くような超近代都市で夢あふれる世界だと思ってた(米ソの核戦争さえなければ)。それが、今の小学生はこんなに未来を悲観してるのか、って驚いた。
悲観的な未来像に驚いていたのも昔の話。今では、未来は暗いのが当たり前のようになってしまった。
人間、今の生活が苦しくても、明日は今日より良くなると思ううちは頑張れるんだよね。
年寄りが言うように最近の若者が根性なしになったのではなく、努力しても未来に希望が持てないから気力が湧かないんだろうな…と思う。
カントリーマウムとか露骨に小さくなってて笑うんですよ
あと私はシーチキンが好きなんですけどシーチキンも小さくなってるんですよねえ本当に困る
褒められるようなことではないしひねくれているけど最悪死ねばいいしの思考で生きると楽になれます
まあ未来は暗いものなんだろうと思ってるけど別に苦しければ死ねばいいやって考えてるので未来なんてどうでもいいです、もし楽しければそのまま生きればいいし
私は今のところまあ生きてて楽しいってわけではないですが苦しいわけではないのでだらだら生きてます
問題は世間の大人からは甘ったれとか根性なしとか言われるところですかね・・・まあそれはその通りなんですけどそんなのどうでもいいんですよね
あとツイッターを見て不安になるならツイッターを見るのをやめるといいと思います
私はツイッターよく見ますけどミュートワードで政治、社会関連の話題を見ないようにしていますこれおすすめ
テレビも見ないようにしてます、周りからの情報を遮断すると不安を生み出す要素を減らせるので楽になれるんですよね
世間知らずな人間になってしまう問題もあるし、私は大学生である以上ニュースは確認しておくべきなんですが・・・
なんというかなぐさんはもっと無責任になっていいんじゃないかなと、なんでもかんでも自分のせいにしてません?
友達でテストの赤点が毎回10個以上あって6者面談(校長、教頭、担任、その他)とかになってもノーダメでへらへらしてる奴がいましたし
大学生でパチンカスだったり高校生なのにジュースのみすぎで糖尿病だったりバイト初日にバックれたりするのもいます
私はよく謝らなきゃいけない人間なんですけど「申し訳ございません」(うっせ死ねバーカ!)くらいの勢いで生きています
こんな身勝手な奴らがいたらもっと自由に適当に生きていいと思いません?赤点10個以上とか恥ずかしすぎて私なら自殺します
死ねばいいやとは思ってますが実際に死のうとはあまりしません(一時期2日に1回寝る生活が続いたときはガチで死のうと思ってマンションに行った)
ただこれからアルティメット不景気になって路頭に迷うような状況になったら死ねばいいやって思ってます
でもそうなる前に仕事はいくらでもあるし仕事がクソだったらすぐにやめればいいです、そうすれば結局だらだら生き続けることになるんですけどそれでいいんじゃないですかね
くそったれの世の中に対しての逃げ道の考え方がしねばいいやです、実際には死にませんよ
なんか駄文垂れ流してすみません
未来に対する不安にちょっと共感しちゃっていろいろ書いちゃいました
こんなろくでなしもいるんだなーくらいの気持ちで読んでください
ちなみに私が大学生になってから新しくできた友達は0人です(笑)
>>125
やっぱりそうなんですね。。
何もかもから目を逸らしたいのに、否応なく情報が飛び込んできて、現実を知ってしまいます。
Twitterは見ない方がいいですね…。。 嬉しいことも辛いことも、全部主観の意見だから、事実と異なって受け取ることも多いですし
最近新聞を読み始めたので、ある程度ネット以外の情報源は確保したいところです
すごい、とっても割り切っているというか、さっぱりした考え方ですね。尊敬しかないです。。
昔は死ねばいい、って思えてたはずなのに、何故か最近そう思えなくなってしまって
考えなくていい事まで考えて、結局だめになってしまう
だらだら生きることは、きっと何より尊いことです。私は憧れますね、だらだら。
>>127
ろくでなしなんかじゃないですよ。少し支えられました、助かりました…。
自分のせいにというか、自意識過剰なんです。。 目の前で嫌なことがあったり、辛いことがあったら、もっとなにか出来なかったのかとか、まだ出来ることがあるんじゃないかとか、そんな風に考えてしまって
でも実際は自分の力じゃ何も出来なくて
すっごい無力感にいつも襲われてて
私一人、というか人間ひとりが出来ることなんて限られてるのに。何かできたかもしれないって言う方が、おこがましいのは分かってるんですけど。
バイト初日でバックれる人とかは、かっこいいなって思います(笑)
自分がやることの影響とか(バイトバックれてもそんなに大したことにはならない)、そういうのちゃんと把握出来てるんだろうなって
ちっぱさんがその時死ななくて良かったです ちょっと救われたので
いざとなれば死んだら良いんですよね。胸に、ちゃんと刻んでおこうと思います。
ちなみにですが、私も大学生になって友達は1人もできていません(笑)
友達が、LINEを気軽に送れてた友達が、何人かいた。数人。
だけどみんな生活があって、ほかの友達の話とかを聞くと、ほかの友達と同じぐらい、彼らを楽しませられてるのかって不安になって
なんとなく、LINEしてて、話してて、今そんな楽しくなさそうだなって人が、他の人との楽しかった話とかしてると、むしろ時間を使わせて申し訳ない気持ちになって
誰も誘えなくなった
相手から誘われたり、LINEが来れば、「僕と」話したいって意思表示ってわかるけど
僕から誘ったり、LINEをしていた人は、仕方なく付き合ってるのかもしれないから
それは申し訳なくて
相手の人生に、僕は要らないのだと思って
他人と比べることは下らないって言われたらそうだけど、人生は有限で
自分がどれだけつまらなくて、情けない人間かはわかってるから
相手に必要とされてないなら、大人しく静かにしてるべきだと思ってて
なんか書いてて泣けてきちゃうけどさ
だからLINEをしなくなったり、誘わなくなった人は、僕が幸せになって欲しい人とも言えるのだ
僕の知らないところで幸せになって欲しい、みんな
僕からLINEしていた人が、一切話しかけてくれない時、この人との関係性は終わったんだな、と寂しくなりつつ、やっぱり僕は必要なかったのだと、納得にも似た気持ちになる
要らないって言われたくないから、僕は要らないかもしれない、と少しでも思ったら、先回りして消える
今のところ予想は100%的中している
僕はそんなに必要とされてない
必要としていたのは僕だけか、ってさみしいね
だからこそ、掲示板ってツールが大好き
僕は特定の誰かに向けて書き込んでいるわけじゃないから、誰かに返信の義務を背負わせることは無い
僕を必要としていない人は、僕に関わらずに生きていける
その事実がすごくありがたい
>>129
出来ることなら、情報源は複数持ったほうがいい。
私がニュースで一番信頼してるのはNHKです。受信料問題でいろいろあるけど、NHKが一番中立に近い無難な情報を流してくれる。ただやっぱり盲信できないし、NHKはあえて問題に深入りせずに、表面的な事実しか報じない傾向にあるなあ。その中でクローズアップ現代みたいに掘り下げてくれる番組は貴重。
民放や新聞もいいけど、放送局や新聞社の思想が強く表に出る。新聞では、毎日新聞や朝日新聞は左寄りだし、産経新聞や読売新聞は右寄り。新聞の場合は2つも3つも購読しないから、新聞をアテにすると新聞社の思想に染められてしまう。
最も幅広い情報を得られるのはもちろんネット。いろんな思想、視点からの情報が手軽にたくさん得られるので、多角的視点から物事を見ることができる。ただし情報は玉石混交だし個々に見ると物凄く偏った視点や事実かどうかも怪しい情報がたくさんあるので、そのへんに転がっている情報をそのままアテにはできん。
でもたとえば、ネットでは新聞社の配信しているニュースも見られるので、あるていどしっかりした情報源の中から、毎日や朝日あたりの記事と産経や読売あたりの記事を両方見たら、バランスが取れると思う。ひとつのニュースや問題でも、複数のソースからの情報を読むといいですよ。
ちなみに、Twitterでトレンド入りしている情報はそのまま信じないこと。Twitterは、何か事件が起きたらすぐにトレンド入りするので「速さ」はあるけど正確さは全くアテにできん。わざとショッキングな情報を流して煽ったりトレンド入りを目指したりする人もいるので、Twitterのトレンドはあくまで「話題」としておいて、「本当か嘘か」は別の情報源で確認しないと判断できないねー。
注意してほしいのは、ネットで偏向した情報を流す人は、ちゃんとした情報源で確認されると「嘘」だということがバレるので、陰謀論を利用することが多いということ。よくあるのは、「政府と役所、大手メディアが利権のために結びついて嘘をついている。こっちの情報こそが権力者にとって『不都合な真実』だ」という暴露情報っぽいニュースです。それが全部嘘とは言わないけどほとんど嘘と思っていいでしょう。この手の話は、最近ではコロナ関係とか、以前は原発事故関係とか、みんなが不安に思っている話題を取り扱うことが多い。不安を煽って疑心暗鬼にしてパニック状況を生み出すことができれば、一部に得をする連中がいるんですな。
結局、情報量が多くなればなるほど、自分で選ぶ力が要求されてきます。
>>128
まあ現代がそんなに満ち足りた社会だとは思えないけど、昔よりは貧困層に優しい世界になってます。
私の個人的な考えだけど、経済成長していた時代には>>123でも言ったように「明日は今日より豊かになる」とか、「努力すれば報われる」という希望があったんだよね。でも、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1980年頃からバブル時代をピークにして、その後は悲観的な未来ばかり描かれるようになった。バブル崩壊での大手企業の倒産、リストラの嵐で、努力すれば報われるという未来観が一気に崩れ去ったんだよね。それに加えて襲ってくる少子高齢化社会。一度は経済成長とともに充実したはずの社会保障も先細りだし。
あと、私よりもかなり古い世代になるけど、中卒で集団就職してた時代は、現実には努力しても報われないことが多かった。でも、みんな、「今の自分」よりも「未来の自分」が少しでも豊かになれるなら、と頑張ってたんだよね。ところが現代は、「今の自分」と「今の他人」を比べるようになった。いつの時代でも社会は不平等で、自由主義社会は「結果の不平等」を容認する社会でもある。ただ、「機会の不平等」はやっぱり是正されるべき問題。昔は、それでも「機会の不平等」も含めて「世の中そんなものだ」と諦める人が多かった。
それを是正されるべき問題として訴える人が増えたこと自体は良い変化だと思う。でも「機会の不平等」もそう簡単に解消されない。すると、矛盾に気づいてしまっただけに、それが不満になる。
金持ちの家庭の子どもと貧乏な家庭の子ども、スタートラインが圧倒的に違う社会を「そんなものだ」と思ってた人たちが、「それはおかしい」と気づいた。気づいたからって解決できない。富裕層の数が少ない以上、大半の人が、これまで気づかなかった理不尽な不幸に気づいて、希望を持てなくなった。そういう面もあると思う。
>>136
NHKが問題に深入りしないというのは、何となくわかる気がします。
うーん、確かに新聞は情報量が多い分、どんどんそっちの思考に固まってしまいますね。新聞という情報源を盲信していましたが、あまり良くないですね。。
陰謀論とかいう人って、「当たり前でしょ、そんなことも知らないの?」ってスタンスで来るじゃないですか?
あれ怖いですよね笑
僕は割と、そう言われると「そうなんだろうか」「本当にそうなのかも…」と考え込んでしまうタイプなので、よく南雲さんの言葉を心に刻みたいと思います。。
自分で選ぶ力がなくて不安…と思っても、情報源を見なければ鍛えることも出来ないですもんね。
もっとちゃんと色々勉強したいです
>>137
グローバル化、ネットの発達で、理不尽が浮き彫りになったというのは、本当にありますよね。。
情報が多くなって、マルチタスクも当たり前で、ある意味自分の人生に集中するのが難しいのかもしれませんね。
経済的に豊かになったのに、若者が希望を失ったというのは、なんとも皮肉です
なるようにしかならないって思えば気が楽になるのに、成功例を見ることで「もしかしたらなんとか出来るのかも」と自意識過剰になりすぎた面もあるのかもしれません。
出世とかそういうスケールじゃなくて、人気者になりたいとか、桁違いの年収とか、そういう意味で
なんか極端な時代になってしまった気もしますね
すみません、徒然に書いているので文章おかしいかもしれない
なるようにしかならないし、ただ流されていくだけ、と思えば気は楽になるけど、
ずっとこの気分でいられるかといわれれば、全くそう言う訳ではなくて
後は野となれ山となれ、とかそういう言葉を刻んでいきたいな
木を見るとずっと注視してしまって、葉っぱの葉脈までかぞえてしまうので
ちゃんと森も見ていきたい
今日すっごくたくさん花植えたんだけどね、花植える度に「これがマイクラだったら、掘って植えるだけで良いのになあ」ってすごい思った
この世界はマイクラではないので、花を植えるために深く掘って、肥料もまいて、時間を気にして水もやってやらないといけない
しかも虫が出る
マイクラじゃないから
今やってる映画で面白かったもの
・すばらしき世界
役所広司の演技は圧巻だし、仲野太賀の演技もすばらしい。社会派な映画が好きな人はおすすめ
個人的に推しの田村健太郎が出てるのでみんな見てほしい
・まともじゃないのは君も一緒
ギャグだけどそれだけじゃなく、恋愛だけどそれだけじゃなく、ヒューマンや青春ではない感じ。成田凌は安定してるし、清原果耶のフレッシュだけど確実な演技も超良い。
小泉孝太郎が進次郎みたいなキャラしてる。倫理感が気になる人にはすすめられないかも…?
今「しにたい」ってぽやって口に出したら、全部芋づる式にしにたさが溢れてしまう気がして、マーライオンみたいにぶぁーってなって、死んでしまう気もするので、口にはしないし、できないけど、しにた
バイト先 カップルが多くて気が滅入る
一緒に働く側としてはきついけど、一歩引いて他人としてみれば、良いですねえと笑いかけてあげられる
人と人が付き合うことは、素晴らしいよねえ
案外「調子が悪いから」って誘いを断れる人のほうが仲が良かったりして
嘘付いて誘い断るとほんとはバレてんじゃないかって不安になったりして
ホントに好きなものは人に言えない
馬鹿にされるんじゃないかって不安だから
中学の時からずっと人間不信
勿論悪いのは私なので怒らないで
大学に入って、できるだけ、いろんなことを、みんなに秘密にしてる
別に口に出しても変わらないし、周りがわかってくれなくても、「知らないんだからわからなくて当然」って思える
ちいさくなりたい とにかく
近くにいると「なんで気づいてくれないの😡 こんなに辛いのに😡って意味のわからないキレ方してしまいそうだから、人と必死に距離取ってる
ろくなやつじゃないんだ 僕は
昨日見た映画で
「身体じゃなくて中身が 取り返しつかないぐらいボロボロなのに なんでまだ生きようとするのかな」
ってセリフがあって
ほんとにそうだね と染み染み思った
なんか秋って人肌恋しいですねえ
世界にほーんと一人ぼっちって感じがして、まるで外に出たら誰も僕を知らない気がする
ラインの友達もインスタのフォロワーも、みんな今どこかで誰かと夢の中で、僕がふらっと通りかかったら「誰ですか」なんて聞いてくるんじゃないか
友達が誰かと一緒にいたって嫉妬しないけど、本当ならうらやましいところを無理に押さえつけている気もする
あー僕があの子だったらって思うことはたくさんあるのに、あの子は僕になりたいなんて思ってないんだろうな
大好きな友達には、話しているときに楽しいなって言ったとしても離れてるときは何も言わないようにして
ラインだってスタンプで返す
続けたそうに思われないように
絶対に重いなんて思われないように、冷たいぐらいに接しようと
彼が彼女を好きだとか、彼女が彼を振ったとか、そういうことに疎くて鈍くて、ほんとうに無邪気に邪魔をしてしまうことがある
自分がそういうことに疎いということも、空気を読めていないということも、誰もかれも僕以外はそれに気づいていたというのも辛くていやになる
自分で思う程、僕は思いやりのある人間ではないのかな
でもスマートフォンが自由に使えることとか、食べたいものを食べたいときに食べられることとか、そういうことが、不思議でたまらなくなることはまだまだある
自由に外を歩けることの素晴らしさ
広い場所に行けること、新鮮な空気を吸えること、僕にそれが許されていることが不思議になる
僕があの子だったら
僕があの子みたいに可愛ければ、努力すれば、才能があれば、良い家に生まれていれば、そんなおびただしい数の嫉妬
まだまだ誰かと自分を比べては自分を再確認して嫌になって
でも比べることなんかホントは意味がないんだ
だからああ比べてるも思えばその都度、立ち止まらなくちゃいけないのだ
自分が嫌いだったり、すごく気に入らなかったり、腹立たしいとさえ思えるものを、大好きな誰かがいるかもいれないことを、忘れちゃいけない
イカゲームと今際の国のアリスについて考えると、日本のエンタメに足りないのは圧倒的な財力だと思う
漫画とアニメがこれだけ飽和状態の中で、制約がなければ素晴らしいものを作り出せるクリエイターはたくさんいると思うんだけど…
結局何もかも諦めることが楽だから、楽な方へ楽な方へと流れていってしまう
例えば友達にもやっとしたときも、その場で不快だと打ち明けて、どうしたら良いかを話し合うべきなんだ
だけどそれを言うのは面倒だし、気まずいのも嫌だし、どうでもいいやと思ってへらへらしてしまう
その結果自分だけが知っている「君の嫌なところ」貯金が溜まっていって、満杯になって溢れると、ばっさり縁を切ってしまう
不誠実だなあって思う
自分を大切にしていないから、他人を大切にできない
他人に真剣に向き合ってないから、真剣に向き合ってもらえない
卵が先か鶏が先か
アンガーマネジメント学ばないとやばい
ある程度予想できた苛つく出来事には無になれるのに、不意に来られると頭にすぐ血が上る
僕はとても衝動的な人間で、突発的な感情を受け流すことが苦手だから、克服していかないといけない
僕の大切な友達にクソみたいな恋人ができたらどうしよう
恋の力はすごいみたいだから、僕が止めても聞き入れられなかったら悲しいな
捕らぬ狸の皮算用じゃなくて 捕らぬ狸の心配してる
良い加減「僕は友達がいないので…」って保険かけるのやめたい
相手から友達と思われていなくたって、僕が友達と言えば向こうだって受け入れてくれるかもしれない
なのに否定されるのが、自分だけなのが怖いからって保険をかけるのはダサいよな
…でも小さい頃から、割と「え、あれ本気にしたんだ?w」みたいな返しをされることがあって
例えば僕がある子と遊ぶのが楽しみでワクワクして用意してたら、実は相手は適当に言った社交辞令だったみたいで、マジで恥ずかしくて情けなくて無様で惨めに感じて、死にたくなったことがある
他にも信頼してた人とかからぽーんと捨てられたことが何度かあって
ヒットアンドトライのうちに嫌になったというか 人間不信になってるんだとは思うけど
そんなことしてたら本当の友達なんて永遠にできない気がするし
勿論保険かけてるだけで、みんなのことを友達だと思ってる からこれで少しでも遠ざけられたら海より深く落ち込む自信がある
ホント文字にすればするほどめんどくさい人間だ
こんなクズに優しくしてくれる人は大切にしないとなのに 僕が筋金入りの屑だから 蔑ろにしてる
だからほんとは、僕みたいなクズは大人しく一人で遊んでればいいし 友達なんて向いてないのに
バカみたいに寂しがりやで 横柄で自己中心的だから 孤独感ばかり膨らんで それをもてあましてる
一人友達と遊べば二人友達が欲しいと言い出す
信頼できる人は数人いるだけでとても幸福なことなのに
結局僕は花火が上がったあとの暗闇に耐えられないと駄々をこねているだけだ
暗闇があるから花火はきれいなのに
それも忘れて花火を上げろと駄々をこねているのと一緒
一晩寝て整理したので、またよく考えてみる
なぜ僕は異常に寂しさに弱いのか
・生き急いでるから(今会えなきゃ二度と会えない気がする)
・他人と比較しやすいから(誰か楽しそうな人を見て嫉妬している)
・少ない友達に依存しているから(他の拠り所がないために、落差が激しすぎる)
・そもそも人間生活への理想が高すぎる(みんなこんなもんだということに気づいてない)
可能性
難しい まだある気もするし
あ、いちばん大事なのを忘れてた
多分これが最大手
ただ単に僕が暇だから
暇だからどうでもいいことをグチグチとかんがえる
余白にばかり目が向いてそれを埋めたくなる
密になればそれだけ息苦しいのに
喉元過ぎれば熱さ忘れる
なんか、ずっと誰とも深く関わらずに、誰の記憶にも残らない程度に生きていこうと思ってここ1、2年はやってきたのに、気づけば周りの人とか大事になってる
失いたくないし傷つけたくない
そう言うのが嫌だったのに
医学部とか看護師とか、介護とか調理師とか、そういう実践的なこと勉強してる人を見ると、社会学なんていう一見なんの役に立つかわからないようなものを勉強してる自分は将来どうなるんだろうか…と
でも面白いんだから仕方ないよねえ
その面白いってのが大事
手に職系の勉強のほうが実践的だけど
一見すぐに役立たないような社会学とかのほうが人生豊かになると思う
もちろんただ単位を取ってくだけじゃ意味なくて、興味を持って勉強すればの話ね
私が仕事上で尊敬してる先輩は大学の専門が哲学だったらしい
別に小難しい理屈を言うわけじゃないけど人生的にも仕事上でもバックグラウンドで役立ってる
哲学なんて実用から一番遠い場所にありそうなのに実用してる
僕2022年一回も書き込んでなかったのか……
あけましておめでとうございますm(_ _)m
今年もよろしくお願いしますねぇ
バイト先のマネージャー、25,6ぐらいの若い人が二人いて
でも二人とも休みの日何してるか聞いたら「寝る」「家に引きこもって映画とかネトフリみる」「漫画読み返す」って言ってて、いつもず~~~~っと残業しているから本当にかわいそう
一人は関西の都心部から来たから、免許を持っていなかったみたいでどこにも行けず必然的にひきこもるしかないみたい
補助がでるような職種でもないし 困ったなあ
私は生まれてからずっと群馬に住んだことしかないから、免許を取らないという選択があるのが不思議
群馬ではほとんど、高校三年で免許をとるし、大学生から車を持つ
どんなお店でも駐車場がなければ流行らないし、駐車場があっても入りづらければ潰れる
友達と遊ぶ時も全員が車を持っているから車だしで争ったことがない(大学の他県の人はまた違うのかもしれないけど)
田舎はみんなそうだと思うけど、群馬は特に顕著な車社会だから
車がないと生きていけない
前のマネージャーも東京からきて、免許も車も持っていなかったから家に引きこもりがちになって辞めた
東京に行ってからはいきいきしてる
群馬のバスはみんな空で走ってる だからどんどん本数が減って、また車に頼るしかなくなる
一番栄えてる駅でも最終のバスが22:00前じゃどこにも行けない
電車は0時を超えてもあるんだから、ほぼタクシー前提
なんか自分で言うのもなんだけどバイト先ではうまくやれてると思っていて、仲が悪い人もいないし「全員とほんのり仲が良い」みたいな状態を築けてると思う
だけど逆に大学では全くで、LINEに大学の人は二人しかいない(それも研究室のグループワークで強制的に交換した)
それがコロナによるものなのか、ただ自分が消極的だったからなのか
もちろん、私の世代はそういった人が爆発的に増えたのは確実だろうけど
あと前回書き込みしてから変わったことといえば、友達が一人死んだ
20歳で、急に死んだ 自殺ではなく
高校の時の友達だったから、それで高校時代の友達とはちょっと距離をとってる
会えば思い出す/思い出させてしまうし、何話しててもやっぱ
荼毘にふす前に会いに行ったんだけど、本当に死んでてびっくりした
僕たち全員が微妙に、自分の目で見るまでは信じてなかったんだと思う
海に行ったときに撮った友達の写真を印刷して持っていったんだけど、海の前で手を広げている写真とか、ひどくさみしげなものになってしまってかなしかった
友達から電話で聞いたとき、僕は大学にいた
二時間目から五時間目までしっかり講義のある日だった
二時間目の前とかに聞いて、戻れたのは五時間目だった
きっとこんな話ありふれているんだろうけど、みんな、自分にはまさかってたかをくくっているところがあると思う
わたしはそうだった
というか、こういうことがあるまで、想像したこと自体がなかった
電話をくれた友達が、小さく「○○やお前じゃなくてよかった」とつぶやいた
最大級に不謹慎な言葉だけど、何も言えなかった
わたしにとっての故人より、友達にとっての故人の方が大きかったことを知っていたから、そうやって逃がしてるんだろうと思った
何か悪いことが起こっても、最悪の事態は免れたって自分を落ち着かせることしかできないことが、たぶん人生にはたくさんあるんだと思う
旅ってほんと楽しい
この帰りたくないような、楽しい時間が終わってほしくないような感覚と、でも寂しくて早く帰りたい二律背反がたまらない
僕空きコマ結構好き
空きコマ嫌いって人多いけど、わざと作りたいぐらいには好き
今もただただ時間つぶしてる人とか、机に突っ伏してる人とか、見てるの好き
網戸のむこうから夏のような湿度の高い匂いがして、小学生の頃の夏休み、いつもとめてもらっていた親戚の家を思い出した
そこは海が近かったし、山ばかりなこの土地とにおいが似ているとは思えないんだけど
すごく悲しくなってしまって墓参りに行ったら墓石がひどく汚れていてまた泣きたくなった
いつも飲みに行ってる飲み屋で昨日、東京から出張で来たという人が「僕村上春樹好きなんです」と言っていて
あからさまに村上春樹好きそうな見た目だったので少し面白かった
そういえばGWに義経堂と中尊寺をみてきたんだけど、
鎌倉殿の「帰ってきた義経」で出ててとても嬉しかった
中尊寺の弁慶堂には弁慶が彫った木像も置いてあって、静かで落ち着いた場所だった
弁慶が立ち往生したのは…確か衣川だったと思うんだけど…義経堂からその川が見えて、今も見ているのかと少し思った
金色堂もホント綺麗だった
やっぱりああいう、教科書でずっと見ていたようなモノを見るとひとしおの感動がある
細部まで異常に美しくって、宇治の平等院とか奈良の中宮寺も「この世のものではない」雰囲気を感じるんだけど、ガラス越しなのに金色堂からもそれを感じた
でも「帰ってきた義経」はホント辛かったな…
頼朝が首桶にしがみついて泣いたのも辛いし
義時が完全に割り切ってしまったことも辛いし
静御前ももう「言うな! 言うな!」と心のなかで祈ってしまった…
義経が嬉しそうに鎌倉攻めの勘案を義時のももう、最期まで義経は義経でしかなくって、戦がないと、戰場でしか生きていけないんだと思うと悲しかった
上総介が死んだときウケるとか言ってた義経の非情さを思い出して心を収めます
お
なぐも鎌倉殿視聴者か!
全体的に女性陣が味出てて良いよね
頼朝は敢えて心に鬼を飼っていて、それでも一人になると人の心を捨てられないのに対して、義時は徐々に心まで鬼になりつつありそうな印象
鎌倉初期の歴史を考慮すれば、まだまだ悲劇はこれからって感じだが・・・
副流煙の吸いすぎて頭痛いよ〜
時代が変わっても飲み屋の中に入れば、吸う前に確認取る人なんて一人もいないよな…
実際聞かれたらどうぞどうぞって言っちゃう(言わざるを得ない)だろうけど…
この前ワインバーに行ったんだけど、若い世代からしたらダサいと言われるような超地方都市で、ワインバーなんてやる人が居るのかあとちょっと意外で面白かった
ワインは美味しかったんだと思う
よく覚えてないけど
本当に心が弱い人間なので、煙草始めたら一生辞められないと思うし、パチンコ始めたら財産すべてつっこんでしまうと思うので絶対にやらない(近づかない)ようにしている
だけど最近お酒飲むことが増えてヤバい
正直お酒大好きだから飲む機会あるとほいほいついていってしまう
というかお酒飲む機会をいつも虎視眈々と狙っているともいえる ヤバい 生活を滅ぼす
初めて掲示板に来たときは小学五年生だったのに……
今では酒について書き込んでいる……感慨深い……
ちなみに舌が馬鹿なのでアルコールだったらなんでも飲みます
炭酸は飲めないからビールとサワーは飲めないけど
こだわりないからとりあえずウーロンハイとお茶ハイを永遠に飲んでるんだけど、10杯ぐらいが一番丁度良いテンションな気がする
11杯目からは楽しいけどやっぱり多少覚えが悪い、というか飲み込んで理解してないんだと思う
後で思い出して楽しかったな、って思えるのが10~15くらい
煙草がかっこいいものじゃなくなってから久しいと思うんだけど、周りの学生とか見ているとまだ酒は強い方がカッコイイみたいな風潮が残ってる気がする
二日酔いで大学とかバイトくることがちょっと渋いみたいな
まあ煙草は香害問題とかもあるので酒の方が良いとは思うけど
僕は好きだから飲むけど 酒好きな人のためには車出してやりたいとは思うが
確かに、あの小さい缶一本でそれなりに自分の機嫌をとれるのヤバい
やっぱりなんだかんだで人間、才能みたいな…生まれつきのなにかが好きですよね
ピアス(今のところ)最後のあけた
全治何ヶ月の怪我もしたことがあるのに、めちゃめちゃゴネてしまって恥ずかしかった
初めて開けたときより痛くない気がする
初めて開けたときはそんなにゴネなかったんだけど、それは単純に初めてのピアスで「どれだけ痛いのか」ってことを知らなかったから
普通に痛いんだと知ってしまってからは流石に躊躇してしまうようになった
耳たぶは全然平気だと思います
軟骨は普通に痛い 骨だし
もしかして鬱病と飲酒って相性悪い?
酒飲むと強制的に躁状態になるから必然的にその後鬱になってしまう?
断酒したほうが良いのかな…
性自認がめちゃくちゃだからか恋愛対象がめちゃくちゃだからかわからないけど、顔の良い役者とか見ても「なりたい」って感情しかわかなくて付き合いたいとかは一切思わないんだよな
社会科学ってちゃんとした科学として存在している/するべきものだけど、
やっぱりどうしても現象とか、それ自体が人に及ぼすものがすごくパーソナルな部分だから、質的調査って本当難しい
自分の精神的な弱さ、脆さ、そういったものを考え続けてきたにも関わらず、いや考えてきたからこそか、本当は自分が何に苛立っているのか、何に腹を立てているのか、何が許せないのかが分からなくなってきている
今はただ、結局自分のことが許せない
まあただ疲れているだけっていうのもあるんだろうとは思うんだけど
疲れで他人に当たるのは最も下らなくて無益で薄ら寒い行為だ
僕は…
小学生の頃から掲示版にいるけど、やっぱりスマホだと長い文章はかけない
キーボードで打つと思考の早さに合わせて文字が作り上げられるんだけど、フリックではもたついてしまうし、予測変換がうざったい
今日普通に色んな人と話して、笑って、お酒を飲んで、とても楽しい一日だったのに、
たまたま見かけたツイートで他殺で死んだ身内のことを思い出して悲しくなってしまった
酒は好きだし、人に合わせられるぐらいは飲めるから、よく飲みに行くんだけど、
やっぱり強制的にテンションをあげるものではあるわけで
思考力を下げてブレーキの効きを悪くするものではあるわけで
今も語彙力とか、漢字の変換とか、文の構成とか(あらためて考えるものではないけれど)、そういう無意識に使えていたはずのものが馬鹿になっているのを感じる
最近他人と一緒にいる時間が長かったから、一人旅とかの間さみしくて耐えられないのではないかと予期不安がある
僕は旅行が好きでよくいくんだけども、誘う人が居ない場合はいつも一人でも行っていて、一週間から二週間ぐらいはずっと一人で過ごしている
この前三重県の大雲取越・小雲取越に行ってきた
大雲取越っていうのは熊野三山のうちの熊野那智大社から熊野本宮大社の間の古道のこと
なんとなく何か書きたい気分なのでこの大雲と小雲の話をここに残しておこうと思う
アメリカンハニーうまい!と思ってちびちび飲んでたんだけど、検索してみたらワイルドターキーっつーかウイスキーなんだ…飲みやすすぎて注意ですね…
割と飲める方だからか、飲み方指定しないと自動でロックで出されてしまう(アメリカンハニーは割るようなお酒ではないが、他のリキュールとかでも)けど、35度あるのか………悪酔い……
勿論アルコール!って感じはするんだけど、味はとっても甘くて飲みやすいので普通に飲める人ならおすすめです、アメリカンハニー
風邪のときにのむシロップの味がします
これは飲める自慢でもなんでもなく、飲めない人には不快に思われるかもしれず恐縮なのですが、酒はほどほどに弱いほうが楽しいと思う
2杯とか3杯で酔えたらめちゃくちゃコスパ良いし
私は成人歴だけ長いけどアルコールは弱いからよくわからん
学生時代に仲間がアルコール度数95%のロシアの酒とか持ってきててみんなで燃やして遊んだ
水で薄めると手指消毒もできるしそのままでも燃料になるのでオススメ←
てかほぼただのエタノール
酒の話ばかりして絵に描いたようなイキリ大学生と思われているかもしれませんが(実際そうかも)、他のSNSにはこういうくだまくような内容は書きづらくてついここに書いてしまいます…
でろでろして痛々しいやつだと笑ってください……
僕は炭酸が苦手なのでほろ酔いもサワーもビールもハイボールも全く飲めません…
もし炭酸飲める人間だったら、永遠にハイボール飲んでたんだろうなと思う
なのでウイスキーもストレートか、1:1ぐらいで水で割る
飲み放題では永遠にウーロンハイとかジャスミンハイ飲んでます
若い子が飲むお酒としてカシオレとカルーアミルクがよくネタにされるけど、私は圧倒的にレゲエパンチを推しています
レゲエパンチはピーチのウーロン割っていうのは前も書いた気がするけど、何故かウーロン要素が薄まってピーチティーみたいになってすごい飲みやすい
あと「ウーロン茶だし多少は体に良いのでは」という思い込みもできる
私の周りがバカ学生ばっかなだけかもしれないですけどね……(^-^)頭いい方は頭いいお酒飲んでそう(何それ?)
感想言うネ…
・ワイルドターキー→めっちゃ甘い!ハイボールとか好きな人なら好きそう〜!ロックと炭酸割りを試してみたんだけどめっちゃ酔える味をしてました!
姉が気に入ったみたいでほぼ全部飲まれました!()
・レゲエパンチ→今日飲んだやつはかなり烏龍茶の味が強くて「ピーチ風味のするお茶」って感じだったので半分くらい一気にゴクゴク行ってしまった…。
なんか今までに飲んだことないタイプのお酒だったので不思議な感じでした〜!
今日マリブ初めて飲んだんだけどめっっっちゃうまい!!!
牛乳で割ってもらったのですが、ココナッツだけどどこか杏仁豆腐みたいな味がして甘くて美味しかった…大好きになってしまった…
今日は、仲良い人が僕より先に帰ったのにこれから僕が飲む分まで少し多く払っていったり、側にいる人の「なにか飲む?」に甘え続けた結果千円しか払わなかったので、自分が何倍飲んだかということも忘れた
でも杯数でいったらめちゃくちゃ飲んでるのに、親と飲んでいるときと比べて酔い方が全然おとなしい気がする
無意識のうちに、親となら限界まで(記憶飛ばしたり、吐いたりするまで)飲んで良いと思っていて、友達とは少し気にしていなくちゃいかないとどこか気を張っているのかもしれない
特に、酒癖の悪い友人の前だとそうだ
今まであんまり話したことのなかった人を、初めて飲みに誘った。
受けてくれるかすら不安だったけど良いよって言ってくれて
「俺今修行してるんだよね〜今スト缶二本飲めるようになった」
と続けて、まだ若者の間で「お酒は量飲めるほうがかっこ良い」っていう考え方は強い力を持っているんだと感じた
その後別の子に「らしいよ」って言ったら「かわいすぎ🤣」って返されたので首を傾げておいた。
疎遠になりつつある友達がいる。
その子とは(というかその子を含む数人のグループは)最早家族みたいなもので、離れていても不安にはならないし久しぶりに会っても気まずくならない
「何を話そうか」と考えたこともない
だけどその中のひとりは、前はかなりの頻度で遊んでいたのに最近はめったに会わない
何故かといえば、端的に言うと私が誘わないからだ
>>364
だけど彼女はたまに連絡をすると(やはりむこうからはあまり来ない)誘ってほしいと言うし、実際にSNSですこし病んだツイートをすることもあるし、彼女が僕と遊びたい/誘われたいと思っているのは真実だと思う
つまり、彼女が社交辞令でそう言っているのではないと思う
共通の友人に話すと、「あいつは自分から誘うタイプじゃないからね」って言うけど「誘うタイプ」ってなんだ?
ポケモンみたいに生まれつき決まっているもの? そんなわけがないんだから、結局のところ面倒なだけなのだ
誘われるのを待っているだけの人って、僕はちょっとだけ嫌いだ
誘ってくれる人を誘いたいと思うし、大切にしたいと思う
家族みたいな友達だけど、いや家族みたいだからこそなのか、段々と疎遠になっていくばかりだ
僕酒飲むとすぐ他人とライン交換しちゃう癖があるんだけど、
ひと月前ぐらいに一回だけ会って酔って交換した人から「○日飲み出るけど来るー?」ってLINEがきて、
「おぼえてたんだ…!」と衝撃を受けてしまった
僕を誘うということは僕にたかられる覚悟があるということだろうか!?
この前マリブめちゃくちゃたかったし、たかってた分値段知らん
愛媛に来て数日経ちましたが、公園でタバコ吸ってるおばあさんや、バスの運転手がみんなタメ口なところ、飲食店でも普通に店員さんがピアスしているところなど、ここが好きになりました。
なんかお店ってチェーン店とかはすっごい厳しいけど個人店はめっちゃ自由な気がします、、、、私も飲食店だけど髪色ネイルピアス全部自由です、、、
西日本最高峰石槌山登ったよ〜
と同時に、最高峰で2000m超えてないって、どれだけ長野とか北海道が化け物揃いかよくわかる…
大学生のうちに47都道府県全部行きたいなあと思ってたんだけど、数えたらあと17だったので案外目の前に来てるんだなと驚き
山登ってて本当にキツいとき、なんでこんなところ来ちゃったんだろう、もう降りたい、二度と来ない、来ると決めた過去の自分をぶん殴りたいといつも思う
それなのに喉元過ぎれば熱さを忘れるのまま、頂上からの景色とか達成感とか、そういったものしか思い出せない
あ、あとリップメイベリンのステイマットインクもよく使ってる
保湿しないor塗る前にリップ拭ってから使うとほんっっとに落ちない クレンジングでも落ちない
色偏ってるし海外!って感じのどマットだけどめちゃかわいい
しゃねるい!い!な!
ラキちゃんもシャネルのハイライターずっと欲しくて買おうとしてるのに毎回買うの思い出した時金欠だから未だに買ってない
好きな監督のインスタ見てたら、中学で同じクラスだったヤツが何故かタグ付けまでされててハァ? って遡ったら普通に俳優になってて普通に売れてて普通に今までも目に入ってた
数年前からこいつ似てんなとは思ってたけど本人だとは思わなかった
今なら香川照之とかの暴露した人間の気持ちわかる
ここまで嫌いな人間が成功してるとほんとに「アイツはそんなやつじゃないんです!!! クズなんですよクズ!!!」って拡声器か選挙カーで練り歩きたくなる
こうした醜い人間の心がキャンセルカルチャーを引き起こす…
寂しい気持ちもあるけど、山奥でインターネットだけ繋いで自給自足しながらサブスクのみ見て暮らすような生活が僕にとっての桃源郷
「面白いね」って言われるのと同時に「目死んでるね」ってよく言われるんだけど、負のオーラ出てるんだろうか?
薬漬時代の写真見ると自分でもウワッてなるほど目が死んでるんだけど、他人から見ればあまり変わらない?
なんか世の中に起きてるほとんどのことに興味がなくて、財産も大きな家もブランド物も何もかもどうでも良い
6畳の部屋でひたすら本読んで、ひたすらサブスク見て、定期的に山登れれば他に何も望むものがない
山で自給自足して暮らしたい
漱石が「20世紀の人間はみんな探偵になる」って言っているけど、21世紀はその傾向が強すぎる
誰もが探偵になってしまって疑いの目を向けることになんの疑問も抱いていない
少しでも彼らの矮小な想像力の中から外れれば大罪人のように扱われる
社会って本当になんの意味もない
一回読んだものだって時が経てば全く違う顔が見えてくるから、何度だって読み直したくて仕方がないし
そうでなくともその中の一節を思い出せばふとまた会いに行きたくなるものであって
だけどいま刻一刻と作られているエンターテインメントがそれらに劣るか(今生きている私にとって)といえば、それは決してそうではない
遺らないかもしれないけど、遺るものだけが素晴らしいわけじゃない
今消えてしまう一つの風景でも、それを目にした人の一生の一助になることは往々にしてあると思う
みんな世界遺産とか海外の絶景が、本当に自分の半径50kmの範囲にあるものより素晴らしいと信じてるんだろうか?
どうして遠くを見ることは褒められるのに近くをじっと見ることは凡庸で無欲でつまらないと思われるんだろう
スマートフォンは望遠鏡の役目ばかり果たして虫眼鏡として認識する人なんてあまりいない
1を一生追いかけることがたくさんの100を見て回ることにどうして勝るんだろう
もう詳しい内容は忘れたけど私は10代のころ漱石の『行人』が好きだった。
特に終盤の一郎のセリフが大好きだった。「僕は明かに絶対の境地を認めている」というセリフ。
それに照らしてみると私自身が地理を調査する人で、山河を跋渉する人じゃない。ところが私は地理を調査しながら山河を跋渉する両方の仕事を選んだ。
幸いなことに私は一郎ほど理屈一辺倒じゃなかったし、理屈でいくら絶対の境地を解説できてもそこに到達するには不連続的な跳躍というのか、そんな何かが必要なんだなと思った。
そんな漱石をちょっとかじったうえで、学生時代に親鸞に詳しい人と知り合ったり、大学の授業で神秘主義のエックハルトの話を聞いたりしてると、なんか全部つながって見えた。
ただ、私は20代まではすごく成長したと思うんだけど、そのあと成長した気がしない。向上することよりも現状肯定する人生を指向してしまったもので。
哲学者なぐやな
最近社会に”役に立つ”ことばかりを勉強しているけど、昔より頭悪くなったなと感じる
何の疑いもなくそれが善いことだと信じている人たちが圧倒的多数派で、その中にどっぷり浸かっていると、中枢神経まで浸食されている感覚がある
そんな状態で、社会のためという名目で身を削っていると抵抗する思考力すら奪われていく
変に抵抗せずに社会の海に沈んだ方がよっぽど楽なんだろうけど、一度その海がゴミで濁っていると知ってしまった以上もう本能的にできないんだよね
僕は「絶対の境地」と「則天去私」はおそらく同じものじゃないかと思う。
そしてすごく分不相応な考えだけど、僕は世間より少しだけ、その境地に近いんじゃないかと思う。
一郎の目指す「絶対の境地にいる人」と「世間にいる平凡な人」の間には、一郎のように頭の良すぎる人の他にも、世間から押し出されてしまった人間が揺れ動いているように思う。
要するに、世間で言うところの無敵の人のこと。
気が狂ったと世間には認識されているであろう無敵の人だけど、僕は少し理解できる。要するに一郎が百合や向こうの山を「僕の所有だ」といったように、他人というものと自分、森羅万象との境目がなくなってしまうから、傷つけることに抵抗がないんだと思います(というか、傷つけることも自然に組み込まれてしまう)。心の動きもまた、全て自然なことだから。
大学の教授に今言ったようなこととか、自分自身の経験を話したとき、
「でも(無敵の人と呼ばれる人の)全員が全員、大量殺人やその他の犯罪に走るわけじゃないから不思議ですね」って言っていた。
確かにそれはそうで、僕や彼らのような人間は見えている(姿を表す)何倍も潜在していると思うんだけど、それにしては顕在する数が少ないよね
どこがその境目だったんだろう
別に実際に恨みをぶつける対象がいるかいないか、ってことはそんなに重要じゃないと思う(京アニの件みたいに、何もないところからそれを創り出すことは全く難しくないと思うから)。
なんか既視感あるなと思って過去ログ漁ってみたら、2015年に南雲さんと行人について話してましたwww
7年前も同じ話してたんだと思うと感慨深いなあ
一郎の言う「絶対の境地」と親鸞の言う「自然法爾」とエックハルトの言う「離脱」が同じなんじゃないかと思って前のレスを書いた。
それは老子の「無為自然」にも通じると思う。
無為自然であれば大量殺人をすることもないし、止めることもないと思う。
我々と同じ人しかわからないと思うんだけど、無敵の人は無敵の人同士でなんとなく「同類だな」ってわかる。
今日同じような人と話したとき、「初めて会ったときから気づいてた」って言われた。
死ねない人も、気が狂えない人も、
案外淡々と暮らしている。
そうでない人には本当に頭がおかしいと思われるかもしれないけど、本当に僕らは同類を嗅ぎ分けることができる。
要するに、社会学で言うところの逸脱だ。
逸脱したものは逸脱したものを簡単に見つけられる。
この世界の何もかもがどうでもよいという態度、諦念の滲んだ目、差し障りのない口調が、それらのすべてが、僕らにそれを伝えるのだ。
逸脱者は逸脱者同士のほうが幸せになれるのだろうか。
逸脱者同士の恋というのは、ぼくが先述したような不思議な第六感に伴って生まれたもので、人間の本能から自然に生まれたものではないんじゃないだろうか。
それでも片方がそれを真実として捉えたとき、その恋はどうやって収拾をつけたら良いのだろう。
知り合ったばかりとか、友達の彼氏とか、そういう人に親しい友達リストに入れられてると嬉しいような疑うような気持ちになる
グループLINEって緊張するからいつもおじさん構文で話してたら、いつもどう話していたのか忘れてしまった
変にオタクっぽいと思われるんじゃないかとか、冷たく思われないかとか気にしてしまう
研究室の人と少しだけ話すようになったんだけど、それから大学で見かけたときに挨拶するべきなのかすごい迷ってしまうようになった
挨拶してもスンッで感じだと「しないほうが良かったのかな」って不安になる
本当は全員とグータッチぐらいしたい
全く化粧しないで、適当な服で常に歩いていたんだけど、知り合いができると誰似合うでもなくても化粧したくなる
格好だってテキトウなので会ったらすこし恥ずかしくもなる
これが…社会性…(?)
知り合いが誰もいないとき(僕はこれを、教習所のようだと感じた)はどんな格好で行ってもなんとも思わなかった
スウェットで登校したし髪も取り敢えずくくるぐらいだった
まず歩くときに、誰も僕のことを知っている人がいない前提で歩いてた
だからすれ違う人の顔なんて見もしないし、人間として見ないで景色の一部だった
その景色の中から急に一部分が動き出して、くり抜かれるようにしてこちらに話しかけてくるから、少しびっくりする
でも知り合いが増えるということは、帰属意識を少しは満たしてくれているのかな…
大学では世界とか、グローバル化とか、成長するアジア経済とか言うけどさ
僕の周りでは親さえ正月に帰ってこないとか、部活でのいじめのトラウマから逃げられないとか、めちゃくちゃな借金を返すとか、そういうことにみんな悩んてるのに、そんなこと言われても全く現実もないし、想像もつかないんだよ
といいつつ、年末コロナになりまして、ひたすら自宅謹慎の最中です
バイト先で年明けを迎えるはずが家でのんびり紅白を見ました。
正月もアルバイトのはずがずっと自宅でサブスクとにらめっこしています
年末年始、年中行事らしいことは何一つせず、社会を出れば大晦日だろうが正月だろうが昨日と地続きの今日なのだと感じるばかりです
40度になると頭がぐつぐつ煮えているような気がしてきて、自分の身体に熱源が収まっているんじゃないかって思えた
熱は程なくして下がったんだけども、今になって味覚が消えてしまった
何を食べても熱い冷たい柔らかい固いの区別しかつかなくて、少し面白い
僕は食に興味がない方だけど、味がなくなると本当に食欲がなくなる
興味がない興味がない言っていても、味はちゃんと楽しんでいたんだなと思った
あけましておめでとうございます
やっぱりコロナは大変ですね…
熱が下がってもそれで終わってくれない
味覚障害はオミクロン株になってからあまり特徴的な症状としては言われなくなってきてますが
やっぱりあるんですね…
どうかお大事にして下さい
有り難う御座います!🙌✨
そう言えば、
なぐさんのキャップの
『則天去私(そくてんきょし)』
って、
かの夏目漱石が
晩年に到達した文学観を表す語と
某サイトに書いてありましたが、
何とも深い四字熟語なんですね~😮
この間新宿の漱石山房記念館に行ってきた。
思ったより住宅街で、こんなところに漱石が住んでいたんだと意外に思う
漱石はあんなに最期神経衰弱が進んでいたようなのに、自殺じゃないっていうのが面白い
「変身」のカフカも同じようにひどい絶望を抱えていたのに、自分から死ぬことは選ばなかった。「一生を自殺への誘惑を払いのけることに費やした」とまで言ったのに死ななかった。確か、「死ぬということは、今いる棺桶から別の棺桶に移るようなものだ」とも言っていた気がする。夏目漱石の「則天去私」もそういうことなんだと思う。
結局のところ受け入れるというか、ただそこに存在するということ以外に救われる道がない
そういえば先日誕生日でした
人との関わりが多少増えたから、今までにないぐらいの人に祝ってもらって嬉しかった
姉はシャネルのNo.19をくれた。シャネルの誕生日が8/19だったことにちなんでこの名前らしい。シャネルが私生活で使っていたから、しばらくは発売されなかったとか。
それを聞いて姉はNo.19を僕にあげたいって思ったらしい。これが本当に上品な香りで、形ないものなのに美しいと思える。だからこそ、本当に自分が持つべきものなのか、というかこんなものが似合う人間になれるのか、と不安にさえなる。
シャネルといえばchanceが有名だけど、嗅いだことのある人ならわかるだろうがピンクの瓶のものとかは本当に可愛らしい匂いをしている 形容するときに「良い女の匂い」とか言われるのも合点がいく
No.19はそれよりも凛としてて、嗅いだ瞬間「これだ」ってなるのに思い出すことがあまりできない
夏目漱石と田山花袋どっちも好きなんだけど、自然主義代表と反自然主義代表みたいな二人が好きなの結局どうなの???となる
ただとにかく抽象、絵空事だとしてもその構造とか成り立ちが現実と等しくなることなんてざらだと思う
授業と授業の間に誕生日プレゼントとして一升瓶の酒渡されたせいで、酒傍らに授業受けてるみたいになってしまった
カバンにも入らないので終わっている
ずっと恋愛相談聞いてた友達が、好きな子と付き合えたらしい
それからひたすら惚気を聞かせられている
そのお礼として「魔王」を貰ったんで今飲んでるんだけど、美味しくて色んなやる気がなくなってしまう
僕は炭酸が飲めないので大体焼酎を飲んでいるんだが、一番飲んでる! って感じがして芋が好き
布団の近くに積読本と個人的殿堂入りの本を入れておく本棚を置いているんだけど、そろそろいっぱいになってしまいそうで消化しないとやばい
読書も広く浅くしか読んでないんで、今は人から「絶対好きそう」って言われ続けていた細雪を読んでいる
最初は一文が長くて読みづらって思ったんだけど、案外すぐ慣れてしかも読みやすく感じるようになってきた
とりあえず優先度高いのは
細雪(兄弟が次読むから)蜜蜂と遠雷かがみの孤城家族ゲーム…きんぴかと孤高の人も早く読みたい…春休みはひたすら本読も〜
最近RRR見てきたんですけど、面白かった〜
溝口監督の西鶴一代女とか、ラストエンペラーとか、RRRとか、最近は面白い映画ばっかり見たせいで映画に対するハードル上がっちゃうよ〜
西鶴一代女、なんとなくで見たのにめちゃくちゃ面白くて、あんな白黒で音声も悪いような時代なのにこんなに面白いものが作れるんだって衝撃だった
初めの、主人公の後ろ姿からのカメラワークで、BGMも何も殆どないのに何故か主人公の顔が見たくてたまらなくなるような感覚
田中絹代の演技もだし、カメラワークも演出もすごいな〜ってただただ感動した
青春18切符で関東から山陰の三泊四日の旅行してるんですが、ギリギリで生活してるので交通費+宿代で約15000円でした
新幹線だったら片道にもならないな…
来年で47都道府県制覇(全県で観光)しようと思ってるんですが、あと12県になりました
北海道と沖縄行ってなくて、青森秋田山形、山口と九州(福岡除く)、そして何故か富山に行ったことがない…(氷見は少し歩いたけど)。
北海道と沖縄はそれぞれ単独で、東北・九州も単独でとすると最低あと4回…余裕を持つと5.6回一人旅する計算になる。いくら切り詰めた旅行だとはいえ、お金貯めないとなー
訪れてから「ここ世界遺産だったんだ!」ってなることが多々あったので、「これもしかして制覇できるのでは?」と思って数えたら25個中12…半分か…
この前親が精神科で働く看護師だと言う子に、精神科の実情みたいなものを長く語られて、僕のほうが多分詳しいのにと思いつつ黙って聞いていた
ウチには借金もなく、現代はサブスクが発達しているから映画やドラマ、アニメなんかも、月1000円程度で見きれないほどに見られて、インターネットが発達したことで中古の本なんかも格安で手に入るようになって、芸術とか、文学とか、そういったものに触れ合うだけなら、昔から考えればすごく僅かなお金しか必要なくなって
本当に世の中とか社会に属そうという気がなくなったら、働こうという気がずっと湧かないのではないか
・登山
・絵
・ピアノ
・読書(積読多数)
・ドラマをみる
・映画を見る
・ガーデニング
・裁縫
・旅行
・写真
このへん全部等しくめっちゃ好きな趣味だから、本当に時間が足りない
しかもこの上に他人と遊びたいってなるとパンクしてしまう
でも趣味が合う友達はそんなにいない
どれも好きでちびちびやってるから、結局それぞれのその道一筋みたいな人には気後れしてしまう…
人間というか、世の中の、世間一般の、すべてのものから距離をおいて暮らしたい
過去の芸術とか、文学とか、そういったものを少しずつ舐めて、土を触って生きていきたい けど、もうそれは完全なる余生だな…
酒もそんな飲まないし車にもあまり乗らないし
疲れてるからか生活が穏やかだからか、静かで、次の分のクレジット請求1万もいってない
外から来た人が病んでしまうぐらいの田舎に住んでるんだけど、やっぱり時間がゆっくり流れてるし、人間社会? 世間? との間に若干距離があり 山とか、空とか、自然との距離がすごく近くて ここから出たいって人も多いけど、社会不適合者の私からすると、こっちのほうがずっと住みやすい
田舎には田舎のムラ社会があるって意見に対しては、私の住んでいる場所の場合、新しい人が多くて既にそういったものは破壊されて跡形もない 新しい人も古い人も、また新たな村社会を形成するほどの活気も人口もいないので、このまま空き家街になっていくんだと思う
チャップリンの独裁者のスピーチ、なんとなく毎日聞いている
人間が克服しなくちゃいけないのは自然より逸脱より貪欲なんだと深くおもう
あ!みやちゃん私もすき
今なんか日本の事務所?入りましたよね〜インスタもしてるし姿みれてよかった🥹
なんか出前隠して食べるとかきくもんね、、、、こえ〜
ダイエット頑張ってるんですが、最近お菓子とかファストフードとか暴飲暴食する夢をよく見て、朝目が覚めた時『夢で良かった』ってすごく安心する
「なぐは一人でも生きていけるよね」「人間の進化系だね」「アセクシャルでしょ?」ってすごく言われるんだけど
確かに、私は一人でも生きていけると思う(社会というのが一人では成り立たない、一人で生きている人間などいないとかそういう話は最早前提として)
何かきれいなモノを見て「きれいだね」って言う人が居なくても、そのきれいな記憶を焼きつけることができる
(誰かに話した方が記憶はより鮮明になるのかもしれない)
悲しいことがあったとしても、誰かに話さずとも悲しみが過ぎ去るのを待つことができる
(誰かに話した方が楽にはなれるのかもしれない)
だけど一人でいても、いや一人でいたほうが、思考は前向きになることが多い
でもそれが、たまにすごく悲しく思えることがある
ずっとAZULのブーツ買おうか迷ってたけど、バイト中も調べたりして日常生活に支障が出たのでとうとう夜のテンションに任せて買ってしまった
身長盛るぞー
トリートメント何がいいかめちゃくちゃ迷って、結局なんとなくTSUBAKIにした
小さい頃からCM見ててなんとなく憧れてたので…
おすすめあったら教えてください
「〇〇してるの写真撮っていい?」って言われること多いんだけど(お酒を飲む、煙草を吸うなど)、あれはどういう心理なんだろう
送ってくれるのもうれしいんだけど、送ってくれない人に関してはその写真どうするんだろうという疑問が
要るか? その写真
バイトとかちょっとした外出とか、今まで日焼け止め、眉、アイシャドウ、リップしかしてなかったんだけど(時間がかからないから。10分ぐらいで出来る)
最近はマスカラもやっぱり大事だなと思ってまつげあげるようにしている そして遅刻する
メイク自分にとって重要な順は(日焼け止めはマストとして)
アイシャドウ→眉→リップ→まつ毛→下地→ファンデーション→シェーディング→チーク→ハイライト
チークとハイライトはしないことも多いっていうか、未だに正解がわからない
カラコンは目が乾いて思考力が半減する気がするのでたまにしかつけない
本以外にあんまりものを持たない方、というかそう努めているんだけど、たまに断捨離とか掃除とかすると、自分の物の多さにびっくりする
そしてこんなに無駄遣いしてたんだ…とショックを受ける
無駄遣いというか、買ったものを無駄にしているんだ、というショック
でも最近、丁度大きいソファーを貰って
あまりに大きいから処分しようかと迷ったんだけど、あまりに座り心地が良いので、他のものを捨ててまで設置した
見るたびに驚く大きさだけど、座るたびに包まれている感じがしていい
昔から空を見ると、あれに座れたらどれだけ良いかと考えていたんだが、それを実現している気分になる
ドラえもんでも雲がためスプレーの回が好きだった
今髪伸ばしてるんだけど、人からすごい褒められるから、今までの人生のツーブロックはなんだったんだろう…と悲しくなっている
と同時に、髪乾かすのが本当に大変なのでロングヘアの女の子に対する尊敬の念が…
いや、僕ももうかなり伸ばしたけど、ここからまたさらに伸ばすのかと思うと流石に気が遠くなる
知り合いのシーシャバーを手伝ってるんだけど、キッチンで4つぐらいのシーシャがんがん吸ってる時(味の確認のために)「これほんとに合法か?」と不安になった
「就職とかするんですか?」って聞かれるたび「いやーしないです!」って答えると、じゃあ何するんですかって続くんだけど、いつも困ってしまって
「いや〜何するんですかね」ってしどろもどろで答えてるが、ほんとに何をするんだろう
やりたいことはたくさんあるけど、それをお金にしたいかって言われるとさぁって感じ
武者小路実篤の短編で「いつか人生の総決算のときに、できるだけプラスを増やしたいと思ってるんですが」みたいなセリフがあった気がするけど、そのぐらいで生きてる
景気が悪化している、ガソリン代が苦しい
ミクロで見てもマクロで見ても、禍福は糾える縄の如しで、いつかの昔に美味しい思いをした人がいる分、今苦しんでいる人がいる
逆に言えば今苦しんでいる人…我々がいるから、未来の誰かは大喜びなのかもしれないね
つーか景気の悪化とか経済の停滞と学力低下とか、みんなずっと前から起こっているわけだけど
こんな状況になると荒んでくるのも仕方がないね
髪色暗くしたいんですよね、アッシュっぽいブラウンにしたいんですよね、っていったら「色落ち見越して濃いめに入れたほうが良いですね」って言われほぼ黒になった
黒は黒でも地毛の黒より何かきれいな色になっててすごい(光に透けると灰色に見える)
が、鏡見るたび見慣れなさすぎてびっくりする かなり明るい茶色だったので
茶色自体は馴染むから、色落ちした髪でもそのままにしちゃっていたんだけど、染め直すと汚い髪色になってたんだなーってよくわかる
やっぱり赤くなってきちゃうし、というか明るすぎるの似合わなかったな
個人的に楽器ってめとゃくちゃコスパ良い趣味だと思う、少ない金額でどれだけ楽しめるかっていう面で
確かに初期投資として楽器を買うっていうところがあるけど、中古でいくらでも買えるし他の趣味に比べて特別高いとはあまり思わない
一回買ってしまえばあとは楽譜代しかかからない
そして一曲を仕上げるのにかかる時間と労力が桁違いな気がする
創作なんかは例えば絵ならより良い機材、より良いデッサン人形、ポーズ集ってなるし、登山やスポーツも備品とか交通費が馬鹿にならない
本も読むのがめっちゃ遅い人なら良いけどさくさく読める人は案外コスパ悪いし場所もとる 電子書籍は場所を取らないけど古本価格がない図書館が近くにある人ならいいけど交通手段が必要だし読みたい本がかならずあるとは限らない もちろん登山なんかは体力がつくし本は勉強になる度合いが凄まじいけど
まあ散歩、俳句や詩、Youtubeを見る、サブスクを見つくすとかもあるけど…
それ以前にお金気にしないで好きなだけ趣味に没頭できれば良いんだけど😩
ここに書き込んで送信ボタンを押した瞬間に、なんだかめちゃくちゃ泣いてしまっている
生きてきて「死にたい」って一言言えるのがここしかないってどうなの
あるだけマシかあ
スレってほんとに良い
LINEで誰かに送ると構ってちゃんなのかとか、壁に向かって言ってろって話になるけど、自分のスレに書き込むんなら誰に言ってる訳でもないし、構ってほしいアピールにもならなくて、ほんとに良い
構ってほしくない訳じゃない、けど構ってちゃんだって思われるのが何よりも怖い
そんな間柄じゃないとか、相手の気分を害する(気分を落ち込ませる、のも含め)とか、それがほんとに怖い
世界中の誰もが僕に何の価値も感じず、僕に何の興味も持っていないんだってことが恐ろしい
当たり前のことなのに
みんな僕を置いていく(連れて行かない)ということが本当に怖い
自分が着いていって良いのかもわからない
着いて来て良いんだよって言ってもらわないと、そうすることも怖い
なんか普通に、誰にも悩みを言えないことって、かなりストレスだな
僕が周りの人を信頼してないから、悩みを言わないだけだと思うけど でもストレスだな
誕生日からずっと鬱、って書き込んでからしばらく経っていた。
あれから旅行とかふらふらして、僕はまともに就職もせずフリーターです。
だけど、今日は少し機嫌が良い!
良いことがあった訳じゃない。別に何も状況が好転した訳でもない。
恋人もできない、自分の性的アイデンティティも確立できてない。自信がない。生きていくビジョンが見えない。
だけど、面倒くさいときもあったけど、細く続けてきた友達付き合いが、僕の支えになってるんだなあって思う
僕を友達だと思ってくれている人に報いたい、みたいな立派な過度な精神じゃないけど(それは不健全だと思う)
ただ僕の好きな人たちが、僕といて楽しいと思ってくれるなら、自分がちょっと好きになれたというか?
ちょっと調子乗っちゃおうかな、なんて思う 自覚的に
嫌いな人にどう思われようとどうでも良いんだよねきっと
本当はみんなに好かれたいけど、でも嫌いな人に好かれたって仕方がない
僕は僕を好きな人が好きだし
「モンハンアイスボーン/ソロハンマーで
黒龍(ミラボレアス)をシバく。
アイボ編初日」
(9:12~)
https://twitch.tv/kato_junichi0817
また顔を出してくれるとは・・・
てっきりもう黒歴史として封印されたのかと思ってた
掲示板はほとんど惰性で続けていたけれど辞めなくてよかったと思う
今壁紙の張り替えをしていて、結構これが時間かかるので絵の仕事進捗悪く少し疲れてしまいました
世の中の在宅の人は大変だなあ