私は政治的な意見は言うけど選挙運動はしないから、直接「ここに投票しよう」とか「ここに投票しちゃダメ」と選挙期間中に言わないことにしてる。
ただ常識的に考えてやばそうなところはあるよね。
その「常識」が人それぞれなのかもしれんけど。
今までの発言を見てると、ナチュラルは「どこに投票したらいいのか分からない」から「一生懸命いろいろ勉強しよう」としてるんだけど、結局どこを選ぶのが正しいのかを決める責任を感じて決断できないって感じなんだよね。
それだけマジメに考えた結論なら、どこだっていいよ。
私の考えが正しい保証もどこにもないんだし、それぞれが正しいと思う人(政党)に投票した結果が国民の選択なんだから。
ええかげんなノリで投票する人だって多い。それはやめてほしいけど、マジメに考えたうえで選ぶのなら、結果的に間違ってたってそれは仕方のないこと。
1990年代は私が人生で一番楽しかった時期にあたるから
私にとっては遠い過去だ…
あの若さはもう二度と手に入らない(儚げに夕日を見ながら)
ツイッターのトレンドに惑わされる人が少なからずいそうだから怖い
内容もほとんど煽りや中傷だし…
小学校の先生「ちかごろ小学校にあがってくる子どもが最低限のことがもできなくてつらい…社会生活のために保育園や幼稚園でここまではできるようにしてほしい」
保育園の先生「小学校の準備のために保育してるんじゃない。それは小学校で教えるべき」
両者の認識の違いが激しい…。
まあ幼稚園保育園は義務教育じゃないから、小学校でゼロから始められるようにするってのも一理だろうけど、そもそも自由保育一辺倒に賛成できない私は幼保で最低限のこと(何が最低限かはいろいろ考えがあるだろうけど)を教えておく必要があると思ってる。
「小学校のやり方のほうが間違ってる」という問題じゃなくて、現実問題として困るのは子ども本人だからね。それを困らないようにするのが小学校の先生の責任だろ、と言うのなら丸投げも甚だしい。
幼児教育ってのはほんと理想論者が多いんだよね。それじゃ将来社会でやってけないよ、って話をすると、「間違った社会に適応させるロボットを育ててるんじゃない」とすぐに返される。どっちが正しいも間違ってるも、現実の社会が変革してくれない限り困るのは本人なんだから…。で、本人が困ったら「社会が間違ってるのであって自分の育て方は間違ってない」と言うなら本当に無責任だよ。
社会が子どもに合わせて変革するまで、社会に合わない子どもを育て続けるんだろうか。
「子どもには無限の可能性がある」みたいなの、言葉としては美しいけど人間の可能性は有限なんだよ。…と、理想を求めるリアリストを自称する私は思うのであります。
古典的な保育の発想を持ってる人は、そこに時代の潮流にあわせて新しい保育方法を混ぜてハイブリッドにする余地があるけど、最初から新しい保育を信奉してる人には「座らせる?みんな一緒に行動?大人の都合で育てるつもりだ!古い!悪!」みたいなテンプレが出来てる人いるよ。
要するに「古い人」は自分の古さを知ってるだけに「少しは新しいものも取り入れないといかんなぁ」って発想ができるけど、スタート地点から最先端の人は「古いものは全部過去の遺物で間違い」と思いがち。
てか、保育士でも幼稚園教諭でも幼児教育の専門家でもない私が偉そうに言うのもアレだけどね。
教育問題を考えるとどんどん低年齢の話に突き進んで最後はそこにたどり着く。
教育者(保育者)というのは選択肢のひとつを提示してるに過ぎない。最終的に教育方針を選ぶのは親。教育者や保育者には、尊大にならないでほしい。たまたま自分の提供している教育方針が、この世のすべてではない。
それがまた難しいな~。
たしかに親の教育方針を尊重すべきだけど、デタラメな親もいるからな~。
かといって細かいところまで公権力が介入するのも望ましくないし…。
教育を公権力から独立させる目的のはずの教育委員会は、それ自体がおかしくなってるし。
子どもが伸びようとする方向に伸ばす(最近流行り)のは無秩序や対立を生むだけ。この主張をする人には、将棋の藤井三冠のように、レアな成功例を安易にみんなに適用する人が多い。
結局バランスが大事だとしか言えないが具体的に何がバランスの取れた教育・保育なのかは、それを判断する人の思想や主観によるわけだし。
私としては、自分の受けた昭和末期の教育をベースに、そこから体罰や根性論、差別容認なんかをなくせばちょうどいいかなと思う。
公教育の基本理念は教育内容じゃなくて教育の機会均等なのだから、政治家の皆さん方には個別具体的な内容の議論をする前にまずはプラットフォームをちゃんと整えて欲しいと思います
いくら良質な教育をしたところで、それを享受できる人が限られていては意味がない
家庭内での教育や個人の教育内容に関して他人がどうこうケチをつける話ではないと思う
教育の責任の主体が国家なのか、親なのか、はたまた本人なのかは置いとくとしても、個々の教育方針ともなれば無限のパターンがあるわけで、一般論をあてはめて「こうすべき」なんて言えるはずがない
機会均等はもちろん必要なこととして、教育内容や方法についてもなんでいいというわけじゃないから難しい。
…ってこの話題では難しい難しいばっかり言ってる気がするけど本当に難しい。
だから教育の内容は自由度の高い形で、しかし逸脱はできないようにしてほしい。
家庭内は本当に密室で極端なやり方をする親がいるからこれも放置はできないんだよね。
虐待的な親や反社会的な教育をする親。でも家庭はそんな極端な例だけ対応すればいいかもしれない。
子どもが幸せになるように育てるのが大人の責任(教育・保育に携わっていない人や自分の子どもがいない人にも一定の責任はある)であって、じゃあ何が幸せでどうすればそれに近づけるのかっていうのは分からないんだけど、正解はわからなくても明らかな不正解はわかる。
私が疑問をもつ自由教育自由保育(それ自体を否定するのではなくそれ一辺倒になることを否定する)の風潮は支持者が多いし専門家も勧めてるんで不正解ではないんだろうけど非常に危うさを感じる。
いや理念は良いと思う。子どもの潜在的な成長力を活かすという考え方は賛成できるんだけどね。
育てる側の考え方もそれぞれ、育てられる子どもの特性もそれぞれ、幸せの捉え方もそれぞれ、だから適切なやり方もそれぞれ。とはいえ学校なり保育園なり1カ所に集める以上、あるていど統一された方針は必要だし、その子が大人になったときの未来の世界は分からなくても現代の日本や世界をベースに推測される世界に適応できるように育てる必要がある。
「適応できるように育てる」なんて言い方をするとまた「大人の都合で型にはめるな」って苦情が出るんだけどね。私に言わせると子どもの成長を子ども自身に委ねるなんて幼児に人生の自己責任を負わせるのと同じだよ。正しかろうと間違っていようと社会で必要とされるスキルはある。人間社会も大自然もそんなに理想的に出来てはいない。
1990年代くらいだったかな…それくらい以降に「学級崩壊」が問題になった。ところが今じゃ「それは崩壊じゃなく正しい傾向」とすら言われたりする。
授業中、机に数分とついていられない→机につかなくていいじゃないか
学力が身につかない→学力より「生きる力」が大事だからそれでいい(じゃあ学力の代わりに生きる力とやらが身についてるのか)
授業がまったく成立しない→子どもがすすんで受けたくなる授業をやらない教員が悪い
本当にそれでいいのか?って言いたい。
こんなことを言いながら、また全然別のことを言うのもアレだけど、初等教育や保育に関して私が一番大きな問題だと思ってるのは実はそこじゃない。
保育について特に顕著だけど、今の保育園は子どものために存在するのではなく親のために存在するということ。そこが一番の問題。
子どもがどういう状態であろうが、親が預けたい時に預けたい時間だけ自由に預けられる。保育園が託児所化してるのが問題なんだよな。
旧児童福祉法では保育所について「保育に欠ける児童」が入所対象にされていた。これは、一義的には親が子どもを育てるべきだが、様々な事情でそれが十分にできないことがあるから市町村が支援するという考え方。ところが、新児童福祉法では「保育を必要とする児童」が対象に変更された。
これですごく拡大解釈ができるようになった。「欠けてなくても必要」というケースがある。誰が必要とするのか。親が子どもを遠ざけてのんびりしたいから必要、ということも可能になってしまった。
現実的に保育現場で何が起きてるかというと、それまでは「親御さんに余裕があるときは親子の時間も作ってくださいね」と園が(強めに)お願いすることができたが、それが非常に難しくなった。それで、いったん入所できたら月曜から土曜まで週6日、子どもが起きた直後から寝る前近くまで、預けっぱなしにできるようになった。子どものためでなく親のために。
子どもの利益と親の利益が一致するときは問題ないけど、対立した場合、親の利益が優先される状態。
それが今の子育て支援なんだよね。言い換えると、産みっぱなしでもなんでもいいからとにかく産んでくれという体制にしなければいけないほど、少子化が危機的ということでもある。
やっぱり投票止めようかなって話。
実写版カイジに出てた人が消費税廃止って言ってたのを見て「どうやって40兆円分の税収を賄うの?」って思ってたけど「法人税上げてお金持ちが負担するようにすればいいじゃん」みたいなこと言ってて妙に説得力があった。
でもそれが上手くいくのかなんて俺にはあまりにも知識がなさすぎて検証のしようがないし、そんなことを今さら勉強しようものなら時間がいくらあっても足りない。
そんな状況で投票するなんてルーレットでランダムに決めてるようなもんじゃん。運じゃん。じゃあしてもしなくても同じ”運”じゃね。
こういう話今まで何回もしてきたけど、どう頑張ってもまず賢くならないと意味ないだろって考えが拭えない。
・自分の考えと関係なく適当に入れれば、期待値的に平等で全体に悪い影響がない
・とりあえず20代の投票率が上がる。それは政治家にもわかる。政治家が20代にばかり負担を押し付ける政策をしにくくなる
投票、しよう!
法人税を上げすぎるデメリット
→日本企業の国際競争力が低くなる。グーグルのようなアメリカの会社はアメリカに本社があり、その本社はアメリカに税金を払っている。で、トヨタなど日本企業は日本に。日本の法人税がアメリカに比べて、めちゃくちゃ高くなると、日本企業が世界で活躍しにくくなる。
法人税を下げすぎるデメリット
→税収が少なくなる
法人税はちょうどよくするといい
法人税にしろ消費税にしろ税金は安いほうが経済には良いに決まってる。
でも税収全体をドカンと減らすわけにはいかないからどこから徴収するかが問題になる。
法人税を増やすってことは三日月くんも言ってるように日本企業の競争力が落ちるということ。日本企業の競争力が落ちればその企業の社員、下請け企業や孫請け企業の社員、その企業と取引のある関連企業の社員などが大勢リストラされたり給料を減らされたりして失業率が上がり庶民生活が破壊される。
一方で消費税を減らすことによって買い物がしやすくなって国内の消費が増える。消費が増えれば企業が儲かるわけだから上に書いたような企業への法人増税のデメリットが緩和される。
でもプラマイゼロにはならない。なぜかというと、法人増税は日本企業に打撃を与えるが、消費減税は日本企業・外国企業にかかわらずもれなく恩恵がある。さらに、消費減税したら消費喚起されるけどそれは一時的な現象にすぎない。モノが安くなったって、人は要らないものは買わないし、高くなっても要るものは買う。無理な節約をしなくて済むようになるぶん持続的に消費が増えるものの、消費減税は一時のお祭り騒ぎが通り過ぎれば消費喚起効果は徐々に下がる。それに比べて法人増税は長くなればなるほどボディブローのように企業の体力を奪っていく。
消費減税で庶民の暮らしがラクになるのは確かだけど、そのぶん失業したり給料が減ったりしたら結局ラクなのは一瞬だけで結局苦しくなる。消費税をゼロにして法人税を爆上げするなんて金持ちも貧乏人も全員総崩れになるだけよ。
基本的に、税収の総額をそのままにして税制を変えると、それで助かる人もいれば損する人もいる。損する人が潰れないようにしないといけない。つまり税制改革は損する人が新しい制度に適応できるように、少しずつ段階的に変えていくことが必要で、増税するのに突然の激増は絶対ダメ。社会の大混乱が起きて、かわりの減税効果なんて吹っ飛ぶくらいの不安による大不況になるだけだ。
私としては、今、コロナ禍で経済的に困窮してる人が増えている以上、これまでよりも少し「福祉国家化」にシフトするのはやむを得ないと思う。困窮してる人に手厚く、中間層にもある程度の負担減をする必要があって、そのために法人税をいくらか増やすのはアリだと思う。
現状では財政健全化なんてできないから、法人税をいくらか増やすことと、国債もやっぱりいくらか増やすことで財源確保するしかないと思う。
どうするのが本当に正しいのかなんて、専門家でもいろいろな意見があるし、本当の正解なんて誰にもわからない。
まして専門家でもない私の意見が正しいかどうかなんてなんの保証もない。
それでも私は、地方選挙はあまり行かないけど国政選挙はいつも行ってる。自分ひとりが投票してもしなくても結果は変わらないと分かってても投票してる。
私の考えが絶対に正しいなんて思ってないけどせめてもの自己主張のために投票する。
そして、後で振り返ってみて「あのときの投票は正しくなかったかも」と思うこともある。
それでも政治に「こうあってほしい」というものがあるかぎり投票する。
全ての政策で自分の意見と完全一致する政党なんて存在しないし、投票する政党に欠点があることも承知のうえで、それでも選択肢のなかから「選ぶとしたらこれ」というところを選んでる。
政治には一般の国民が知らない裏舞台や機密のやりとりがたくさんあるから、情報不足と言ってしまえば国民みんなが情報不足。情報が足りないのに本当に賢い選択なんて考えたら誰にもできないよ。政治家もマスコミもそれぞれ自分たちに都合のいい情報を選んで流すから、国民の手に入る情報やニュースは偏ったフィルターを通されたものばかり。真実なんて誰にも分からない。
それでもその限られた偏った情報を自分なりの考えで取捨選択したり自分なりに組み合わせたりして、「自分なりの結論」で投票する。すべては「自分なりに」でしかない。それで十分だし、それ以上の判断なんて不可能なんだから。
日本って昔法人税アホみたいに高かった気がする
別に法人税下げるのはいいけど同時に消費税上げるのはちょっとなあとは思う
別に埋め合わせのために増税してるわけじゃないんだろうけどちょっと損した気分になるよね
それで産業の空洞化が問題になった。
結局は直接税を下げたら間接税で埋め合わせないといけないのと、若者が減って高齢者が増えたせいで埋め合わせ以上をやらなければいけないのと。
そして若者に生活の余裕がなくなって子どもを育てる時間的経済的余裕がなくなってさらに少子化という負のスパイラル。
選挙の結果が出てから政治の報道をするな!選挙前にやれ!
…ってネットで騒いでる人がいるけど
選挙の結果が出てから選挙制度が悪いとか言うな!選挙前に言え!
…って言いたいわ
今の制度が正しいとは言わんけど制度がおかしいなら選挙前に騒げよ
最近物騒な事件ばかり報道されててやれジョーカーに影響されてるだの何だの言われてるけど、俺としてはこういう事件は全国的には普段から行われていて、ジョーカーの真似をしようとしたという例の事件をきっかけに、各マスメディアが「これをネタにすれば売れるんじゃね?w」ってノリで、普段なら報道すらされない事件を全国からかき集めて一気に報道してるんじゃないかと思ってる。
普段なら報道すらされないような小さな事件ってことはないと思うけど、報道のやり方は「売れる報道」をするよね。
ジョーカー事件の場合は犯人が仮装をしてたのは事実だし、ハロウィンだから目立たなかったのも事実だし。犯人がジョーカーに憧れた?ようなことも言ってたっけ。
でも「ジョーカー」という読者の興味を引くワードを最大限に利用してるのは確かだと思う。「ここを強調すれば売れるんじゃね?」は大いにありそう。映画のジョーカーというキャラが好きな人たちは迷惑かもね。マスコミがそこを強調するほど危険人物の印象を持たれかねない。特徴的な映画やアニメが好きな人はもともと偏見を持たれやすいもんね。
似たような事件も、ことさらジョーカー事件との関連性を強調することでセンセーショナルに演出してると思う。ある事件が起きて、その特徴を真似る模倣犯が出るなら、マスコミがその特徴をやたら強調して報道するのは模倣犯の出現を助長することになる。マスコミは記事や番組を売ってナンボの商売だから売れる報道をしなきゃ儲からないのは分かる。ゲームの制作会社はユーザーの健康に悪いと分かっていても、中毒性の高いゲームを作る。依存してくれないと儲からないから。その意味では同じかもしれない。
でも私は政治家の倫理を信用しない以上に、マスコミの倫理を信用できない。単に売れる記事を売ってるだけなのに、自分たちを常に正義に位置づけるからね。そしでマスコミは同業者の起こした不祥事にはサラリとしたものでろくに追及しない。
話は違うけど、私はもともと政治家に清廉さを要求してない。だから田沼意次が好きなんだよね。
何度かこの話はしてるけど。
景気を良くして日本人みんなを豊かにしてくれるけど裏で何億円かピンハネする政治家と、天使のように清廉潔白で高い理想に邁進してるけど無能で国を貧しくする政治家がいたら、どっちを選ぶか?
そりゃ最高なのは清廉かつ国民を幸せにする人に決まってるし、最悪なのは汚いうえに国民を不幸にする人。最悪はたくさんいるだろうけど最高はそう簡単にいない。
曹操は人材を求めるのに、「ただ才、これ挙げよ」と命令している。そして、「盗嫂受金」でも用いるとしている。「兄嫁と密通してワイロを受け取った」は漢の創始者劉邦を補佐した陳平のことで、劉邦も陳平がやってきたとき道義的に問題があるのを知って採用を迷ったが、信頼する参謀の張良に「殿は才能が必要なのですか、それとも道徳が必要なのですか」と言われて採用した。そして陳平がいなければ劉邦は項羽に負けたはず。
さらに言えば戦国時代の魏の文侯は呉起(呉子)を採用するにあたって「自分の立身出世のために嫁を殺した」という最悪の評判があるのを気にしなかった。その呉起のおかげで魏は戦国時代初期の最強国になった。そして呉起が陥れられて逃げ出したあとの魏は、秦に侵攻されて衰退した。
私はそんなふうに、政治家は才能が全てで倫理道徳は選ぶ基準にしていない。
社会人1年目や2年目の人たちのツイート見てると本当に大変そうだな。
私も大変だったよ。でも今とは大変さの内容が違ってるような…。
仕事を教えてもらえないのに出来ないことを責められるのは辛いな。
私の時代も「仕事のやり方は教えてもらうんじゃなくて先輩を見て自分で学び取れ」とは言われたけど結局なんだかんだで教えてもらってたからね。まあ教えられた内容が嘘だったり、教える人によって内容が違ってたりして混乱したけど。
この人はこう言う、あの人はああ言う、どっちに従っても従わなかった先輩に怒られる、ってのも辛いけど、それは多分何も教えてもらえないよりは精神的にマシだと思う。だって何も知らないのに自分で判断なんて出来ないから、誰かの教えを拠り所にできるだけマシだったのかもね。
新人の大変さの中身は職場によって違うだろうし新人を大切に育ててくれるところもあるだろう。
でもねー、なんかねー、私のころとは「何か時代が違うな」という感覚がある。
私の新人時代のように勤務が終わったあと上司に強制的に飲まされて何時間も説教食らうようなことが今あればパワハラになるんで、それは減ってるだろう。でも、あからさまなパワハラができなくなった分、新人のいじめ方が遠回しで陰湿になったというかね。大ざっぱに言えば「何かをする」いじめはパワハラとして訴えられるから、「何もしない」(教えないとか無視とか系)にシフトしてきたのかな。
そりゃね、若い人の言い分を聞いててイラッとすることはあるんだよ。
いや理屈はそれで正しいんだけどさ、現実的に無理なんだよ、って感じのがね。
その通りにしたら別のこういう問題が起きてこじれるから出来ないんだけどみたいな。
でも若いとその「現実」を見てないから理屈でしか思考できないし、理屈で正しければそうするべき!って考えるのも仕方のないことだろう。
何よりそういう人は少なくとも真面目ではあるから。
それと昔、同じ課にこういう新人がいた。
係長A「新人Bさん、あなたの書いてくれたこの書類だけど、このあたりの書き方を間違ってるからこんな感じで直してくれる?」
新人B「いいえ、これはこれで良いんです」
係長A「え、いや、さ…。ここはこんなふうにするのが決まりだから…ここのところを…」
新人B「私の書き方が気に入らなければ、係長が自分でやって下さい」
↑↑え~~~~こんな奴いるんだ、と驚きました。
ある日、Bさんが電話でクレームを言ってきた客を怒鳴ってたんだよね。内容的にはクレームのほうが理不尽だからムカつくのはわかる。私はすぐそばで聞いてたんで。
私「Bさん、理不尽な内容で腹が立つのはわかるけど、相手と喧嘩するんじゃなくてまず相手の言う内容を聞いてから怒鳴らないで普通の口調で説明したほうがいいと思うよ」
新人B「南雲さんは新人への教え方が悪いです。まず自分の教え方を反省してからモノを言ってください」
私「…。まあ私もぜんぜん立派じゃないけどさ~私の意見として聞いといてよ(ダメだこりゃ)」
ってこともあったし。
でもこの新人Bさんも5年後にはかなり常識的な人に成長した。
正直、こんな人でも常識人になるんだ…成長ってすげぇ…と思ったよ。
ようは新人は伸びしろがあるから長い目で見ましょうってこと。
ユルクヤル:大学教授「小児性愛者と呼ぶのは差別だからやめるべき、未成年者に恋しても道徳に反していないはずだ」→ 大炎上
俺は他人に迷惑をかけない限りは何事も許されるべき派の人間だからこの大学教授を擁護するよ。
どれだけ幼くても手出しさえしなければ卑猥な妄想の1つや2つ好きにすればいい。
それで誰が迷惑を被るんだという話。
それを許さないというのであれば最近話題になってる「温泉むすめ」とやらも許されないという理屈になってしまうけど、それでいいかな?(笑)
同じ会社の上司-部下関係はなんだかんだ切っても切れない関係だから、清濁併せのむみたいなところあるけど、最近は派遣先-派遣元みたいな本当に理不尽な要求と責任だけを新人に押し付けるような関係があるからなあ・・・
特にIT派遣なんてそれが日常茶飯時
入社してわずか半年の新人(派遣)が一人で顧客クレームを引き受けるなんてことが平気で行われてますからねえ
んで何かあったら全責任を派遣に押し付けて無かったことにする
派遣社員は新人だろうが何だろうが使い捨ての駒ぐらいにしか思われていない
>>271
うわぁ、他人事じゃないなコレ。
前にも言ったけど、ここで色々愚痴ることはあっても、それを社会に出てまでやろうとは思ってはいない。
百歩譲って反抗するにしても、どこまで反抗していいか線引きを見極めてからにするし、それを見極められるのも何年とかかるだろうなとも思ってる。
そこらへんはきちんと弁えてるつもり...ではあるけど、「だから安心して^^」とまでは言えないな。
社会に出たら理不尽以外何もないと高を括ってるけど、どんな理不尽があるかは知らんから、それをどこまで耐えられるかなんて自分でも分からない。
「いやいやいや、いくら何でもこれはやりすぎ。無理。我慢なんてしない」って思う可能性も決して低くない。
個人的には内容よりも人で選ぶのが良いと思う
信頼できる人が相手なら多少の理不尽は飲んでもいいだろうけど、自分を駒にしか思っていない人間には、自己防衛しておかないとしぬ
昭和のころと違って、自己責任の時代だからねえー
>>273
心の中を規制するのはダメ、行動を規制するのは内容に応じて必要、と大ざっぱに考えてる。
小児性愛者(ペドフィリア)という言葉は本来、性的嗜好を意味する言葉で道徳や価値の評価は付与されていない。
ただ差別的な意味でなくとも古典的な「成人の異性を性の対象にするのが正常で、それ以外は全部異常」という基準にもとづいてはいるから、その古典的な基準そのものが差別だ、という意味でなら教授の考え方もわかる。
それが行動になった時に許容できないから、現象を表す言葉にも否定的な価値が後付けされた感じやね。
社会的に許容できない行動への衝動は、内容によって治療の対象ではあり得るけど、無理やりつかまえて「真人間に戻す」というのはかなり危険な考え方でもある。それが政治的に利用されたら魔女狩りになるよ。たとえば北朝鮮では「将軍様の悪口を言う」のは性犯罪の百倍も社会的に許容できないだろうから、そんな思想を持つ輩はあらかじめ強制収容所にぶち込んで再教育するとかね。
まだ何もしていない小児性愛者に対して「キモイから排除する」という感情論と、犯罪に発展するリスクを考えてどうやって抑止するのかを冷静に検討するのとでは違うと思う。だから、「呼ぶこと」自体が直に差別にはつながらないと思う。そう呼んだうえで、次にどう対応するかによって、差別かどうか決まるんじゃないかと。
結論としては、「小児性愛者と呼ぶ」ことだけで差別というのなら、教授さんのほうが「差別の拡大解釈」をしてると思う。
同じ会社の上司部下でも、新人に無理な仕事を押しつけて、全部背負わせてメンタル病ませて退職させても次の求人を出せばいいやーみたいな上がいるよ。まあ比較すると、正社員(無期限雇用が前提)と契約社員(いつ居なくなるか分からない人)と派遣社員(初めからよそ者)の格差はあるだろうな。
私の上司にも昔、部下をつかまえて時には理不尽な内容でガミガミ激しく怒鳴りつけるタイプの人がいた。私もずいぶん怒鳴られた。「こんなことも分からんなら辞めてしまえ!」っていろんな部下に言うから、今の基準では即パワハラ認定される人。
でも私はこの人を「良い上司」として記憶してる。どうしてかというと、怒鳴り方は激しいけど、部下を見捨てたり切り捨てたりはしない人だったから。ひどいことを言う代わりに、「何か起きたら最後の責任は俺が取る」という感じ。いかにも昭和タイプの熱血上司だった。
この上司に受ける理不尽は「飲めた」し、この人の悪口を言う部下はいなかったよ。理不尽なことを言われた直後の不平不満はどんどん出てたけど、過去になってみると好意的な思い出ばかり語られるような上司だったよ。
マイクロソフト社が手がける、オープンワールド型のレーシゲームForza Horizon 5。
次世代機初のシリーズ作品として最近発売されたけど、もはや俺の持ってる端末じゃあフルHDが限界だからグラフィックの進化を体感できない...。
ゲームが3DCGを採用してから25年弱が経つわけだけど、もうほとんど実写と見分けがつかないレベルまで来ていて、PS1からPS2、PS2からPS3になったときほどグラフィックが大きく進化するということはなくなったように感じる。
恐らくは既にグラフィックをリアルにするための理論は完成しいて、今後はどれだけポリゴンを細かくできるか、どれだけテクスチャを細かくできるか、どれだけ光のシミュレートを細かくできるかなど、ゲーム機本体のスペックが課題になるのかなと。
今回で言えばパッと見の印象ではそこら辺の進化しか感じられなかったけど、テクスチャがより細かく鮮明になったのは結構良かったんじゃないかと思う。
例えば道路のテクスチャだけど、全部を真面目に描くとそれだけでデータ容量が膨れ上がってしまうから、普通はたった数平方メートルの道路のテクスチャをコピペすることで、ワールドマップ全体の数十・数百キロ平方メートルもの道路を描く。
でも模様のパターンがたった数メートルの感覚でループするとコピペってすぐに分かっちゃうし、違和感の原因になってしまうんだよ。だから模様の繋ぎ目にマンホールや道路のひび割れ、水溜まりのテクスチャを貼り付けて誤魔化すんだけど、それでも全部を誤魔化せられてるわけじゃない。やっぱり特定の瞬間に分かっちゃうんだよ。
だけどForza Horizon 5はゲーム機本体のスペックのおかげか、どれだけ細かく見てもそのテクスチャのコピペが見つからない。いくらスペックが進化してるとはいえ全くコピペをしてないというのはさすがにあり得ないだろうから、コピーできる道路の面積が広くなったとか、模様の繋ぎ目を隠すためのテクスチャのバリエーションが増えたとかで上手く隠してるんだろうな。
しかもそのテクスチャの解像度が滅茶苦茶細かくなってるのも驚いた。
このゲームにはフォトモードがあって、タイヤの空気を入れる出っ張りが画面いっぱいになるくらいまで、かなりズームすることができる。
で、そこまで拡大したところで驚いた。ブレーキパッドの傷が鮮明に描かれてるんだよ。
何が凄いかって、そんな細かいところまで描く?ってところ。そこまで拡大することなんてないし、拡大していてもほんの少しのスピードで走っているだけ見えなくなるようなものなのに、一切手を抜かずにきちんと描かれていたのが凄かった。
でもそこまで拡大するとポリゴンのカクカクが見えちゃったから、そこは残念だったな。こればっかりはデータ容量の問題だから仕方ないと言えば仕方ないんだけど、「あ、そういばこれ実写じゃなくてゲームだった」っていうのを一番感じさせる要素だから、何とかできるなら何とかしてほしいな...。
まぁ、そこまでして初めて感じるものだから大きな問題ではないけどね。
ツイッターのヲチばかりやってるみたいだけど。
教員なのに副業したらいけないだろと言われて、給料安くて割に合わないからやってるんだよみたいな集団がいました…。
え? いや教員が割に合わないのはわかる、けどさ…。
将来のために預金したいからってさ…。
職務専念義務違反してるのをそんなに堂々と開き直って声高に叫ぶ?
この人たち、生徒にどうやって「ルールは守れ」って教えてるんだろう…。
ちょっと怖いですよ。
教員という仕事自体が、労働法に違反しまくった無賃過重労働をさせられるんだから、自分たちのほうも規則を守る必要はないってね。
気持ちはわかるし教員の待遇は改善されなきゃいけないとは思う。
でも私は思う。こんな奴らはバレて懲戒されろ。
本当に過重労働に苦しんでる教員は、教員に加えてアルバイトする余力なんかすでに無いよ。
それをやってるってことは、余力を残すために同僚にいろいろ押しつけてるってことだよ。
特に平成後半から私がすごく危惧してる考え方がある。
それは「自分が理不尽な扱いを受けていたら、自分も理不尽なことをする権利がある」という考え方。
自分の中で勝手にプラマイゼロにする権利。
被害者が加害者に復讐する考えとはまた別の、被害者だから別の誰かに加害する権利があるみたいな。
それって、めちゃくそ周囲に迷惑かけるタイプになる人たちなんだよなー。
私がフォローしてる人にすごく良いことを言う人がいて、それでその人はフォロワーが多いんだけど、最近明らかに「何か良いことを言わなきゃ」みたいになって無理なきれいごとを並べるようになってきてる。
だんだん教訓じみたことばかり言うようになってきたな。
…でも10回のうち1回は「これいいな」と思うことを言うからずっとフォローしてる。
何か特別な魅力があってフォロワーを集めてる人は、魅力がなくなればフォロワーが減るから、それを恐れるようになる。
人気なんか関係なく好き勝手つぶやいてる人のほうが幸せだしそれが本来のような気がするけど、いったん万を数えるフォロワーを集めてしまうと失うのが怖くなるんだろうな。
私は総理(自民党総裁)が岸田になったのは妥当だと思ってる。
河野や高市のほうがキャラが目立ったかもしれない。しかし河野は軽すぎて、総理になったらきっと大きくしくじる。高市はどうか分からないが、保守傾向が鮮明すぎて穏健中道の票が逃げる。
岸田は地味だから就任直後の衆院選での集票力に不安があった。でも結果的には野党の失策で上々の結果で乗り切った。するとあとはキャラよりも安定性が重要になる。3人(野田は勝つ見込みが無かったので除外)の中では一番無難に運営できる力があるはず。
…なのに、給付金の問題でどうも軸足がブレるなあ。他人の意見に耳を貸すとか自己アピールしてたが言い換えると周囲の意見に流されるということでもある。公明党への配慮や、その場その場の気まぐれな世論にフラフラしていると結局誰にも支持されなくなるよ。といって完全に世論になびくわけでもない。
二階を切ったのは勇ましかった。安倍カラーを排除するのもいい。でもそれらは敵を作ることになる。敵を作るのは、小泉が上手かったように味方を増やす方便になるが、岸田は敵を作ることが味方を増やす方法としてあまり機能していない。
老獪な二階と党内最大勢力を率いる安倍を敵に回すならそれに対抗できる強力な味方が必要なのにそれが出来ていない。小泉は当時の世論を味方につけたが岸田はそれも出来ていない。
これ、岸田自民が支持を失ったらどうなるか。もはや立憲は枝野の後継者が誰になっても受け皿として機能しないだろう。参院選ではまた維新が伸びることになりそうだが、維新は期待される一方で毛嫌いもされる。維新も伸びるだろうが、維新ほど好き嫌いが極端にならない国民民主が伸びるかも。
たぶん、立憲民主の支持層は立憲民主を見放しても維新には流れない。自民離れした層は維新に行くかもしれないが立憲離れした層は国民民主のほうが抵抗感がなさそう。
私のイメージでは、維新よりも国民民主のほうが「惰弱だがカドが立たない」感じ。
>この人たち、生徒にどうやって「ルールは守れ」
教師の言行不一致なんてビッグバンからの伝統じゃないですか()
『種の起源』にもそう書いてある()
最近思うんだけど
教育・児童福祉の予算…未来を担う子どもたちに投資しない国に未来はない!もっと予算が必要!
老人福祉の予算…戦後の廃墟から今の日本を築き上げた人たちを見捨てるわけにはいかん。必要!
医療・障害福祉の予算…先天的な病気や障害に罪はない。同じように幸せになる権利がある。後天的な病気や障害は今健康な人がいつなるか分からない。病人や障害者になったら不幸になる社会では誰も思いきったチャレンジができない。必要!
国防予算…国防がなければ日本そのものの存在が危うい。軍事力は外交力の源で、それがなければ外国にどんな理不尽でも押しつけられる。防衛費は日本の要。必要!
経済対策の予算…あらゆる予算を産み出すのは健全な経済があってこそ。必要!
科学技術研究の予算…日本は技術立国。技術を捨てて日本は何で生きていけるのか。必要!
農林水産業の予算…第一次産業は人間が生きていく根幹。食わずに生きられる人間はいない。必要!
これじゃ予算を削れるところなんてない。
各論になると「ここの予算がもっと必要」という主張を私もするけどその予算はどっから持ってくるの。
経済が落ち目の今に増税なんてもっての外だし、国債増発はコロナ禍で当面は仕方なくてもあくまで当面の話。
全体をうまく回していける妙案はないものか。
今年は途中まで進撃の阪神とか思ってたけどヤクルトつええ
日本シリーズ勝つかどうかわからんけどパリーグと同等以上に戦えるセリーグ久しぶり感
てかこんなに僅差ゲームが続く日本シリーズも珍しいような