>>273
心の中を規制するのはダメ、行動を規制するのは内容に応じて必要、と大ざっぱに考えてる。
小児性愛者(ペドフィリア)という言葉は本来、性的嗜好を意味する言葉で道徳や価値の評価は付与されていない。
ただ差別的な意味でなくとも古典的な「成人の異性を性の対象にするのが正常で、それ以外は全部異常」という基準にもとづいてはいるから、その古典的な基準そのものが差別だ、という意味でなら教授の考え方もわかる。
それが行動になった時に許容できないから、現象を表す言葉にも否定的な価値が後付けされた感じやね。
社会的に許容できない行動への衝動は、内容によって治療の対象ではあり得るけど、無理やりつかまえて「真人間に戻す」というのはかなり危険な考え方でもある。それが政治的に利用されたら魔女狩りになるよ。たとえば北朝鮮では「将軍様の悪口を言う」のは性犯罪の百倍も社会的に許容できないだろうから、そんな思想を持つ輩はあらかじめ強制収容所にぶち込んで再教育するとかね。
まだ何もしていない小児性愛者に対して「キモイから排除する」という感情論と、犯罪に発展するリスクを考えてどうやって抑止するのかを冷静に検討するのとでは違うと思う。だから、「呼ぶこと」自体が直に差別にはつながらないと思う。そう呼んだうえで、次にどう対応するかによって、差別かどうか決まるんじゃないかと。
結論としては、「小児性愛者と呼ぶ」ことだけで差別というのなら、教授さんのほうが「差別の拡大解釈」をしてると思う。