>>916
冷めてる→冷静でもある、か。たしかに物は言いようというか短所と長所は表裏一体というか、別角度から見ればそうとも言える。
ただ私はここ数年すごく行き詰まってて苦しいんだよ。1年やそこらならスランプで片付けられるけど、とてもそうは言えなくて。昔の熱さを思い出さないと打開できないなあって思う。
もうひとつは、じぇいそんの言うとおりに熱いのは若者に任せとけばっていうのは正しいけど、私自身の気持ちが年齢に追いついてないこともあると思う。私って普段はヘナチョコだけどイザとなると熱血でぶつかってきた感じだから。それが出来ない、歳とったのを事実として認めきれないのかな。
「イザとなると熱血」が出来ない、そうなるとただのヘナチョコになってしまってる。
なんか今Wiki見たら「ポール死亡説」はビートルズ自身の演出じゃないような書き方になってる。
でも私が中学生の頃に聞いた話では、
・Blackbird の最後に「Paul is dead」のフレーズの逆回転がある
・アルバム「Abbey Road」のジャケットで左利きのはずのポールが不自然(替え玉かも)で、駐車している車のナンバーが「28IF」である(ポールがもしも生存していたら28歳の意味)
・Glass Onion の歌詞中、I am the Walrus の歌詞に言及して、「The Walrus was Paul」というフレーズがある
…といった感じで、アルバムのジャケットはともかく、歌詞に関してはビートルズ自身が意図しなければ出来ないことだから、わざと噂を助長したという話だったんだが。
前にも似たようなこと言ったけど、
○○大学の研究で△△する人は□□である傾向があることが分かりました。
みたいなのって、例え「○○」に「ハーバード」が入ってたとしても一寸たりとも当てにならないからね。何が何に対してどのように作用することでどんな結果得られるか、論理的に分析されない限りは科学でも何でもないので。
どれくらい馬鹿げてるかって、「今までテロを起こしたヤツが全員人間だから、人間はテロを起こす生き物だ!」って人類撲滅計画を立てるのと同じくらい馬鹿げてるよ。
ただ、そこにある相関図から「○○は□□なのでは?」と仮説を立てて検証する上では重要ではある。しかし、だからといってそれがあたかも事実であるかのように大袈裟に発表するのはいかがなものかと。ちゃんと証明してから言えってんだバーカ。
>>920
今はどうだか知らないけど、私が大学生のころは大学のキャンパス内で堂々と密売人が勧誘してた。
最近の話でも、その気になればMDMAとかすぐに手に入るらしいし。ただ芸能人の場合はつかまった時に報道が大きくなるだけかもしれんね。
>>921
相関関係が因果関係じゃないことくらい分かってる。
AとBに相関関係があるとき、Aが原因でBが結果なのか、Bが原因でAが結果なのか、それともCが原因でAもBも結果なのか分からない。特にマスコミ報道なんか相関関係を勝手に因果関係に仕立てて都合良く印象操作してるものをチラホラ見かける。
相関と因果の問題とはちょっと別だけど、最近の話題では沖縄の県民投票。
アレあたかも県民の7割が反対って印象で報道されてるけど、投票率が5割ちょっとしかなかった。つまり投票しなかった5割弱の人は、興味がないとか何とかで賛否が曖昧なんだよね。
「是非とも基地作ってくれ」という人はさすがに少数だろう。だから賛成票が少ない。でも「どっちでもいいや」と思ってる人はわざわざ投票に行かない。
しかも現実に工事が進行中だから賛成の人は今さら意思表示する必要性がない。「絶対反対」という人以外、そもそも投票行動する動機が生まれないような投票なんだよね。そういう設定で投票して、反対票が多く出るのは当たり前。県民投票を進めたのが反対派だったから、わざとそんなデータが出るように設定した可能性もあるけど、あれで客観的な民意が数値になると本気で思う人は社会調査のこと知らん人だよ。
まあ、データは注意して見ないとうっかり騙される。
誰かが「数字は嘘をつかない」と言ってたっけ。
たしかに数字"は"嘘をつかないけど、数字"で"嘘をつくことはできるからね。
安倍内閣の支持率が下がって不支持率のほうが上回ったなら、安倍は総理として不適格なのか。
まあ適格とは言えんだろう。だからと言って辞めろって話に直結させるのが野党なんだよね。まあ自民党が野党だった時代も言うことは似てたけど。
不支持が支持を上回った状態でも、誰かが総理をやらないといけない。誰がいいですか、ということで安倍とか石破とか岸田とか、あるいは枝野とかも含めて1人選べって話になると多分ダントツ安倍が多いだろう(石破がどこまで伸ばすかな)。安倍ひとりの支持・不支持を聞いたら不支持が多くても、じゃあもっと良い人物がいるかといえばいない。だったら消極的にでも安倍しかいないことになる。
ちなみに自民党が支持を失って民主党政権になり、その民主党も支持を失ってどうにもならなかった時代、「最も総理にふさわしい人物は?」というマスコミ調査で軒並みトップの人気を誇ったのが、当時自民党にいた舛添要一だった。
この人気に踊らされて舛添は自民党を飛び出して新党結成したんだけど、そうなると途端に見る影もなく人気が凋落。国政で手も足も出なくなったから都知事になったという経緯がある。まあ都知事でもコケたけど。
政権を失ってから自民党は離党者続出で崩壊寸前の危機にあった。ところが、「あの国民人気ナンバーワンの舛添」が離党・新党結成に大失敗してから、それからは誰も離党しなくなった。舛添ですらダメなら、他の誰が離党しても失敗することが分かったんだよ。
そういう意味で、舛添は実は自民党の救世主だったりする。
めっちゃバカバカしい話だけど、そんな時代に「誰が最も総理にふさわしいか」を政治家に限定せずに答えてもらったアンケート調査で、20代に最も人気の高かった総理候補は島田紳助だった。
SNSのフェイクニュースって、時々ニュースでも取り上げられるほどの規模になってるけど、俺はどんなニュースでも、まずそれが正しいとは限らないと疑うように心がけてるよ。否定するわけじゃなくて、嘘か本当かを考えてるって話。
○○の疑いで逮捕されました。
って報道されてても、冤罪かもしれないし、冤罪じゃなかったとしても何かしらそうせざるを得ない理由や、不慮の事故ではないかとか、色々勘ぐってしまうよ。Twitterでも、「こういうハラスメントに合いました」とか「こういうクズみたいなヤツがいました」とか、正義感のあまり信じてしまう人もいるけど、不確かな情報に踊らされてる時点で愚かすぎるよね。
この手の話って今さら言うまでもないことなんだけど、要は証明されてるかされてないかに重きを置いてねってことが言いたい。
未だに地球平面説を唱えてる人がいて、ネットで彼らをバカにする記事をたまに見るんだけど、彼らは彼らなりにそれを検証してるんだよ。地上300mまで上って地平線を目視してみるとか、4km先の的に向かってレーザーを当ててみるとか、やってること自体は突っ込みどころが多くてさすがに笑っちゃうけども、どんなに胡散臭い理論でも、それを自分で確かめようと実験したり検証したりしてる彼らは、世間が地球球体説を唱えてるのを鵜呑みにしてるだけの、自分で確かめようともしないでバカにしてるヤツなんかよりかは何億倍も立派だよ。
>>925
ああ、この場合は事情を知らないと判断できないかもね。
そもそも「辺野古移設反対」には、「じゃあ普天間はどうなるの?」という問題がくっついてる。普天間の基地を辺野古に引っ越す計画への賛否を投票するんだから。
で、引っ越し反対の意見の中には、「普天間から出て行け、でも辺野古にも来るな」(反対派の主流と思われるけど非現実的)と、「普天間のことは知らんからとにかく辺野古に来るな」(少数だろうけど反対したら結局こうなる)の2つの考え方が混じってるんだよ。
さらに「普天間から出て行け、辺野古にも来るな」派は、じゃあ日米同盟はどうなるのって問題になる。そこでも、「アメリカは日本から出て行け」派と「ほかの県に基地を作れ」派がある。ほかの県っていうのは、鳩山総理が必死になって探して結局みつからなかったわけだけど。
つまり「反対」にはいろんな意見が混じってるわけ。
たとえばさ、「消費税の増税に賛成か反対か」という国民投票をしたとするじゃん。
こんな国民投票したら絶対、賛成票より反対票のほうが圧倒的に多いに決まってる。
だって喜んで「消費税ぜひ増税して、大歓迎!」って国民なんて普通いないでしょ。増税に賛成する人も、本当は嫌だけど日本は借金まみれだから仕方ない…っていう人でしょ。そういう人は、積極的に投票に行かない。別に増税してほしいわけじゃないんだから。
増税絶対反対という人は投票に行くだろう。
まずそこで反対票のほうが多くなることが決まってる。
そして、増税反対の人には、いろんな意見が混じってる。増税しなければ、じゃあどうするの?ってことになる。
消費税は増税せず、かわりに所得税や法人税を増やせという人。
消費税もほかの税金も増やさず、このまま国債発行が増えて国の借金が増えてもいいという人。
消費税もほかの税金も増やさず、国債発行も抑えて、そのぶん福祉が減っても仕方がないという人。
消費税もほかの税金も増やさず、国債発行も抑えて、福祉も削るなという人(不可能な理想を求める人)。
増税「反対」には「じゃあどうするの?」という部分でいろんな意見があって、それが全部「反対票」になる。
「辺野古移設反対」にしても、「じゃあ普天間の基地はどうなるの?日米同盟はどうなるの?米軍は日本から出て行けなの?それとも他の県に引っ越せばいいの?」という問題でいろんな意見があって、それが全部「反対」という票になる。
「賛成」がひとつの意見(普天間を辺野古に移す)なのに対して、「反対」はいろんな意見の合計が票になる。仮に反対が民意としても、雑多な意見の合計と、単一の意見とを比較するのは公正じゃないんだよ。
安倍内閣支持率と同じだよね。「安倍を支持しない」派には、安倍じゃなければ誰を総理にするのかで雑多な意見がある。安倍がダメなら石破なのか。岸田なのか。枝野なのか。「安倍支持」は「このまま安倍に総理でいてほしい人」だけど、「安倍不支持」は石破と岸田と枝野とその他と、次を何も考えていない人の合計値になる。単一の意見と複数意見の合計値を比べて、合計値のほうが多くても、大した意味はない。
だから、辺野古移設に賛成か反対かなんて、そんな県民投票をすること自体に意味がない。移設の「不支持率」が高くても、政策は何も決まらないからだ。しかも増税と同じで「しかたなく受け入れる」人の考えは票にならない。だから半数弱が棄権したことが重要な事実になってくる。
「投票した人の7割が反対票でした」には、大した意味はない。実際の民意がどうであろうと、初めから反対票が上回ることが分かりきってる条件設定での投票なんだから。
だから、「数字は嘘をつかない」けど、「数字で嘘をつく」ことはできる、ってわけ。ある考え方の人を多く見せるマジックというか、誤魔化しというか。それを見抜けなければいけないんだけど、誤魔化される人が多い。
>>926
「○○の疑いで逮捕されました」
これは確かに「疑い」なのであって、まだ事実じゃない。日本人は警察を信頼してる人が多くて、それは良いことなんだけど、その信頼してる警察に逮捕されたら「犯人だ」と思い込んでしまうところは短所だよね。
司法は有罪が確定するまでは暫定的に無罪として扱う「推定無罪」が鉄則だけど、日本の世論は完全に「推定有罪」になってる。
たとえば私が何かの容疑で逮捕されたとする。その時点で、国民は私を犯人だと思い込む。あとで「あの逮捕は間違いでした、無実でした」という結果になっても、真犯人が逮捕されない限りは「どうせ犯人だろ」と疑われ続ける。
松本サリン事件が良い例だよ。あれ、事件直後にまったく無関係な人が逮捕されてひどい目にあった。あとで「実はオウムの仕業だった」ことが分かって真犯人が逮捕されたからその人の疑いは完全に晴れたけど、そうでなければあの人は一生、たとえ証拠不十分で無罪になっても世間からは犯人扱いされただろう。
だから、警察にしてもマスコミにしても他のものにしても、信頼するのはいいけど、盲信は禁物。常に「本当かな?」という疑問を持ちながら情報に接する態度は正解だよ。
そして信用できるかどうかを、どれだけ客観的証拠に基づいているかどうか、論理的に正当かどうかに求めるのもいいことだと思う。
私は根本的に、マスコミにはすごい不信を持ってる。ただ、情報源がマスコミしかないことが多いから、疑いつつもそれをアテにするしかないんだけどね。
私がマスコミに不信を持ってるのは、現実にどれだけ報道が嘘なのかを直接見ているから。怪しいマスコミでなく、私を含めてみんなが信用しているマスコミが、取材を受けた人の答えと全く違う内容を報道した。私は取材の初めから終わりまで全部をすぐ近くで聞いていたから、完全に嘘だと分かった。
取材を受けた人は「そんなこと言ってない」ともちろん抗議したけど、「言葉の解釈に差があったかもしれないが、当社は取材に基づいて報道しただけなので訂正しません」と突っぱねられた。
ある、もともと信用されてない怪しいマスコミなんかは、取材に来てもいないのに勝手に「○○によると××ということだ」って空想で書いてたし。
>>929
真面目な話ばかりしすぎて、気持ちよくないことばかり考えさせ過ぎちゃったかな。
11月ごろだったか、キャンパスカウンセリングを受けたことがある。妹の生活態度の悪さと、それに影響される両親や、何より俺の生活習慣にまで影響を及ぼすほどで、多分あれは鬱の一歩手前まで言ってたと思う。
症状としては、そわそわするというか、ドキドキするというか、不安感ともまた違うような、とにかくそういう今まで味わったことのない不快感のせいで全く眠れない日々が続いた。この症状が出たのは、妹が夜中に宿題を片づけている時に出る物音で叩き起こされることが原因。しかも日付が変わる頃(最も睡眠の質が問われる時間帯)だから、不眠で済むわけがない。
でも、もっと辛かったのが、ストレスに敏感になりすぎてたということ。
不眠による思考力の低下と度重なるストレスで、嫌なことばかりがちらついて、普通の人じゃ何とも思わないような些細なことにまで
苦しめられるようになっていた。自分なりにではあるけど、合理的に物事を分析する哲学的な思考を意識して過ごしてる俺が、もう考え方どうこうじゃどうしようもないところまで追い込まれてて、本当に危険を感じた。その危険を自覚して、すぐさま合理的に対処しようと思えたのはひねくれ者の俺だからこそ出来たことかもしれない。
そこでキャンパスカウンセリングのことを知った俺は迷わず受けることにした。カウンセリングというくらいだから、きっと心理学に長けた人が具体的な解決策をポンと出してくれるんだろうなと思ってたから、俺のストレスをどうにかするよりも、妹を心理学的にコントロールする方法を聞こうと思ってたんだけど、ストレスの原因を根本的に解決することが最も確実で効果的なのは間違いないけど、それはとても難しいことだし、それを解決するための方法を考えてる間にも心は蝕まれるから、だったら別のことををする方が一番だよって言われた。だから、俺が思ってたようにマインドフルネスとか脳トレとか、一方的に知識を語って方法論を導いてくれるんじゃなくて、日常生活の中でちょっといつもとは違う見方をして、新しい考え方を模索してみようっていうことの方が強かった。
そこで得た考え方っていうのが、日常生活の中であった「良いこと」を意識してみるというもの。今日一日に起こった「嫌なこと」を3つ挙げてくださいって言われたら簡単にできるけど、その逆で「良いこと」を3つ挙げてくださいって言われても難しい。カウンセラーいわく、これは俺が追いつめられてるからじゃなくて、そもそも現代人はこれが苦手で、普段「良いこと」よりも「悪いこと」ばかり意識しがちだから病んでしまう人が多いとのこと。この「良いこと」っていうのは、ご飯が美味しかったとか、そんな些細なことでもよくて、重要なのはそれを噛みしめて生きること。
この方法と、独自のストレス軽減策(マインドフルネス等)によって今ではすっかり元通りになった。
結論として、悪いことを意識すればそれだけ心も追いやられてしまうし、逆もしかりで良いことを意識すればそれだけ心も晴れるよっていう話。とはいえ慣れるまでに時間もかかるし、目の前に問題を抱えていながら「悪いこと」から逃れられないっていう根本的な問題もあるだろうけど、あくまで一つの考え方として参考にしてほしい。
カウンセリングで一番大事なことはアドバイスすることよりも傾聴することだから、そんな誰かの心理を操作するような話はないと思う。あと、こうすればいいというアドバイスも、押しつけになって相手の負担になったら意味がないので、比較的ハードルの低いことしか言わないと思う。
良いことを考えるっていうのは一種の認知療法なのかな。ポジティブ思考になるための。
私のストレスの大半は仕事関係。
過去にかなり活躍できて充実してたから、よけいに今うまくいかないのがツライ。
仕事って、労働の対価として給料をもらうためにやってるとドライに考えるなら、そこに問題が起きていないのに、内容的に自分が活躍できないってことで落ち込むのはある意味贅沢かもしれないけどね。
それでも、やり甲斐とか、自分がどれだけ役に立ってるかとか、考えてしまうわけ。
この仕事内容をこれだけの出来栄えでやれるのは自分しかいない、と思ってた頃は充実してた。
日本でとは言わないけど、九州の中ではこの仕事をさせたら自分はトップ数名に入るくらいの自信を持ってた。
でも今は、これやるの別に誰でもよくね?って思ってしまうからアカンのよね。
元々が、単純に書類を作って右から左に流すような事務作業なら、早さと正確さ以外が問題になるわけじゃないからこの種の悩みは発生しそうにないけど、私は事務員ではない。大いに事務もやるけどもっと幅広い能力が必要になる。
以前活躍できたころは、私が理系頭の文系人間というところや、議論も得意な平和主義者というところ、それに私自身のキャラクターが大いに役立ったんだけどな。今は、私の非常に苦手な、熟慮する時間のない瞬間的決断や、体力、フットワークの軽さ、課題の同時処理能力などが重要になるポジションだから全然だめ。
なんか私が愚痴ってるのが喧嘩板で誤解を招いてるから補足説明。
以前私は非常に得意な仕事を担当していて、おかげで大活躍していた。自信もついてたからかなり大胆なこともやっていた。
ところがその後、配置換えで、苦手な仕事を担当させられて参ってしまった。
以前の大活躍と今の役立たずのギャップが大きくて憂鬱だったけど、まぁそんなこともあるさ、とあまり悩まないようにして次の配置換えを待っていた。
ところが私の配置換え希望は毎回却下されて、4月からも相変わらず苦手なことを続けなければならない。もう若くないんだし、ずっと苦手なことばかりやらされてたんじゃ、せっかく得意なこともあるのにこれじゃ能無し同然じゃねーか。
ということでめっちゃ憂鬱なんです。
会話に参加するわけでもなく、ましてらくえんに書き込むこともしないで、向こうで一方的にコメントしてんの気色悪い。
死ねばいいのに。
学校だるいからさぼってあそんじゃえ!
ってことは私にはあったけど大人と仕事の世界ではそんなこと許されないんですかね
人生は仕事のためにあるわけではないと思うんだけれども
ひどい世の中
>>937
南雲さんの中では向いてない仕事かもしれないけど、他の人と相対的に見たら役に立つ人材じゃないんですかね
じゃなきゃ配属されないでしょうし・・・
>>938
好きかどうかに仕事の価値を見出すと、たぶんイチローぐらいの「好きさ」がないとやっていけない気がする
アドラー的世界観では他者貢献に価値を見出せれば幸せになるんだよと
仕事って要は社会貢献だからね、その対価としてお金をもらってるだけで
自分のための生きるとかよく聞くけど、実際よっぽど才能ないときつくなーい?と感じる
めちゃくちゃ自己中になれる傲慢さがあれば,そこまで才能なくてもそういう生き方できるかもしれないけど、大多数の日本人には多分きついよね
仕事なんて労働とお金のやりとりだけだと考えてるなー
社会貢献とかそういうことは考えたことないや
私はめちゃくちゃ自己中なのかもね、少し気をつけるべきかな?
まあまだ大学も卒業してない青二才だしこれから社会の現実をたっぷり思い知らされるだろうね
まだバイトもしたことないしさ
>>939
そうであればいいんだけど、私は出来ることと出来ないことの落差が大きいので、そうとも思えないんだよなあ。
それに加えてモチベーション下がる出来事もあったんだよね。熱くならなければって言ったけど、ますます気持ちが冷却するようなことが。具体的には書けないけど。
>>940
精神的にツライとか体力的にキツイとかがあっても、自分が何かに貢献できてる実感があれば力が湧くと思う。内容的あるいは能力的に貢献できなければ、力も出ない。仕事は「お金のため」が第一という現実はあっても、それだけではモチベーションを維持できない。もし月給100万あっても、人生を金に換える気はないから、やっぱり「やり甲斐」が必要になる。
具体的にやりたいことがなんにもないから仕事や勉強にやり甲斐ってのが感じないのかも
やりたいことを探さないとなあ
やりがいがあるというプラス要素があったとしても、精神的に弱いのならマイナス要素となり相殺されるだけでしょう。精神的に強ければ何をやっても卒なくこなせる。精神的に弱いというのは障害に対して対処出来ないからなので、やりがいがあっても障害に対処出来ないのなら、結局は同じ結果になるだけですよ。
自分の弱さを克服しようとせず、やりがいのあるものがないからと、外部のせいにしようとしてるだけではないですかね。
プラス要素>マイナス要素 ならば問題ないんだけどね。
精神的に強くなってマイナス要素が解消されれば、プラス要素が小さくてもプラス>マイナスが成立するけど、まあ現実そう簡単にいかないんで。
外的な要因と内的な要因の相互作用で起こることなので、内的要因をゼロにできれば解消されるけど、そりゃ言うは易く行うは難しだよ。
例えば今から小学校に入学したら何も不安はないだろう。クラス内では全てに関して万能になる。マイナス要素は一切無い。これは自分の能力が他を圧倒しているからだ。
現実世界でも、自分の能力が他を圧倒していれば何ら不安はない。勉強するだけで解決出来るものなのだから大して難しいものでもあるまい。
例えばプラス要素が10、マイナス要素が9とする。すると相殺されてプラスが1しかない。マイナス要素がなければ10倍の成果があるのに努力が結果と合致しない。能率からすれば問題が大きいと言わざるをえない。消極的事由を解消する事こそが問題解決の早道だろう。
具体的に勉強すればと言っているのでアドバイスにはなってますよ。
性格かー。自分を変える事が出来ないのなら、周囲を変えるしかあるまい。
周囲を変えさせるか、周囲を変えるか、変わるのを待つか。
医者はさ。治しこそすれ元に戻すわけじゃないから、完全な健康にさせるわけじゃないので全て賛同出来ないんだよね。手術をすれば傷跡になる。内視鏡技術であっても体を侵害する事に変わりはない。また、薬は必ず副作用がある。
最も優れた医術は自己治癒力で治させる、又は未病を治すものだと考えているので、西洋医学で万歳してるのだとしたら、考える余地はあると思うよ。医者を目指してるだろうけどいつか壁に当たるだろうね。
途中で変わるのめんどくさいからもう今年いっぱい平成31年でいいような気がしてきた。
…って、そういう面倒さがあるから、元号使う人が減ってみんな西暦を使うんだよね。
日本独自の年号を使うなら、皇紀(神武紀元)2679年を使おう。西暦との換算も660を加算減算すればいいから比較的計算しやすいし。
いまさらそうはならないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=zYgKAzOoNsQ
この歌けっこう好きなんだけど、昭和15年(1940年)の歌だけあって歌詞がめっちゃ右翼。
「明日は新元号の発表ですぞ大都督!」
「待てあわてるな、これは孔明の罠だ」
…というわけで、4月1日にとうとう新元号が発表されます。
菅官房長官「新元号は…『楽園』です! 出典は知りません!」
こうして、5月から「楽園元年5月1日」などに変わることが決まりましたが…
4月某日。
太郎君は、魔貫光殺砲の使用免許の更新手続きに行きました。
ところが…新しく受け取った魔貫光殺砲の免許証に、こう書いてあるではありませんか!
『有効期限 平成36年4月某日』
怒った太郎君。
「おいっ、平成36年なんて存在しねぇだろうがーっ! 新元号の楽園6年の免許をよこせ!」
「それが平成36年の免許しかお渡しできません」と、緑色の肌をした冷たい事務員。
「なにをっ、魔閃光ーっ!」
どっかーん!!
さて問題です。太郎君はなぜ魔貫光殺砲を使わなかったのでしょうか?
じゃない、
なぜ「楽園6年4月某日」が期限の免許証を発行できなかったんでしょうか?
はい、4月1日の新元号発表は、5月1日から「楽園」という元号になりますよ、というお知らせです。つまりこれは予言のようなもので、新元号「楽園」はこの世にまだ存在しません。この世に存在するようになるのは、今の天皇が退位し、皇太子が即位した瞬間であって、それまで「楽園」という元号は存在しません。
存在しない元号の有効期限で魔貫光殺砲の免許証を発行することはできないんです。
なので、4月の間は、次の元号が分かっていても「平成32年」、「平成33年」といった書き方をします。
…たぶん、そうなるはず。
いよいよ本日公表ですな。
平成が決まったとき、さんざん「違和感がある、昭和のほうが良かった-」と言ってた私も、いつの間にかすっかり平成に慣れてしまった。
どんな新元号が発表されても、「違和感がある、平成のほうが良かったー」って思うんだろうなぁ。
あとは…本日発表の新元号の「さらに次」まで、私が生きているかどうか。
皇太子より年下とはいえ、受ける医療の質が全然違うし、不摂生だからなー。
秋篠宮よりも年下なので、最大限、悠仁親王の元号まで見届けたくもある。悠仁親王の次はもう絶対不可能なので。
よく炎上って言葉が使われるけど、例え人を殺して金を奪って、そのうえ罪をなすりつけるような極悪非道な人間がいたとしても、ひたすら叩きまくって二度と社会復帰させない行為も愚かしいと思う。一度犯した罪って例えどんなに小さかろうと、法律で裁かれないほどの些細なものだろうと、決して許されるべきではないと思うんだけど、それはあくまで、その罪を忘れずに、今後二度と同じ罪を犯さないように、また誰かが二の舞にならないように、今後よりよくしていくための取り組みなわけじゃん。
ちょっとスケールが大きくなるけど、人類がよりよい文明であるためには、個々が文明の一部として優れていることが望まれるけど、例えそれが難しくても、最低でも文明の発展を妨げる存在(例えば犯罪者)であってはいけないよね。でも現実は理想的通りにはいかないわけで、当然そんな存在が地球上にはあふれてる。
彼らに対してどのように対処すべきか。
ここが意見の別れ目になってるように思える。
このまま害悪なものとして社会から排除するか、
成長させてより優秀にさせるか。
今の世の中、社会的な制度とかは別として、世論で言えば前者に近い価値観が浸透してるように感じる。抗がん剤でガン細胞を死滅させるのと同じで、文明という体を守るために犯罪者というガン細胞を排除するのって、確かに合理的だと思う。ガン細胞を正常な細胞に戻すのってすごい時間も費用もかかるし、それだったらいっそのこと排除してしまうのが手っ取り早い。同じ結果になるのなら、当然楽な方を選びたがるもの。
そこで”人権”の登場。
守るべき文明に害を成す輩は排除されて当然だ!
一見筋の通った理論に見えるものの、よくよく考えると矛盾してるんだよね。
”守るべき文明”の中に、なぜか犯罪者等が
含 ま れ て い な い ....。
これこそが矛盾してると指摘されそうだが、そんなことないんだな~これが。
文明というのは、個々の人権が分子となって形作られている。つまり犯罪者は犯罪者である依然に人間なんだ。生まれてから完璧な人間なんていないし、いたこともないし、未来永劫生まれることもない。人間は備わっていない部分を補いながら、よりよい人間に育っていった。つまり成長してきたんだ。悪い部分を良い部分にしていくことが成長することの本質なら、犯罪者を更生させることも成長のはず。同種であることから道徳的な観点で人権という概念が生まれ、それを理由に成長の糧を与えられて生きてきたにもかかわらず、同じ人権が与えられているはずなのに、犯罪者というだけでそれが剥奪されてしまうのは差別ではないのか、と思うわけ。
でも、ここで1つ疑問が残る。
確かに犯罪者たちの対処法は確立できたものの、それによって傷つけられた人たちはどうなる?
犯罪者に人権なんて必要ねえ!
人としての権利を持つためには、それに相応しい能力を持ってることが前提なんだよ!
タダで人権がもらえると思うなよ!
大概の人は大体こんな考えだと思うんだけど、この考えを助緒させてるのは”恨み”という感情論が厄介。結局のところ、俺は感情に身を任せて、ハンムラビ法典の復讐法みたいなことを正当化するのは間違ってると考えている。んだけど、俺は今ここで行き詰まってるんだ。
理屈で言えばこうなるけど、恨みという感情はどうなるわけ?
被害者には泣き寝入りしろと?
なんて言われたら、俺はちゃんと言い返せない。心理学的にストレスを軽減させるとか、裁判で合法的に罰を与えるとか、そんなことで解決できないものが残ってしまう。もし俺の理屈がまかり通るなら、被害者たちのわがままってことになる。
いや、それよりも”罰”という概念の全否定になってしまう。
この結論にたどり着いた時、裁判によって下される裁きは、犯罪者たちの更生と、被害者たちに与えた傷の代償を払うための手続きだと思った。被害者たちから奪ったものを返すか、或いはそれと同等の価値を持ったものを払って、文字埋め合わせるためだと。
でも、それだけじゃなくて、被害者たちの恨みのためという意味合いも含まれてるとしたら....?
そもそも裁判って、いつそんな上品なものになったんだ....?
歴史を振り返れば、むしろ復讐法が原点になっているのでは....?
言ってる自分でも、なんだかポエムじみてて恥ずかしくなってくるけど、これでも大真面目なんだよ(´・ω・`)
ネット上でよくある「炎上」なんて、ようするに「リンチ(私刑)」じゃん。ネット上で終わればまだしも、個人情報を特定してリアルを叩く場合もある。
その内容も、不謹慎だとかいうことで、個人の価値観の問題であって違法行為とは限らない。法的には言論の自由とかの範囲に収まってる場合も、一方的な道徳の押しつけで炎上させたりするよね。それは単なるスケープゴート、いじめでしかない。裁判起こしたら叩かれたほうが勝つだろうけど、民事なので警察が捜査してくれるわけじゃないし、相手を特定できずに訴訟は起こせない。それを見越しての炎上なんだよね。
完全に違法、しかも極悪非道な場合であっても、やはりそこは「法」で裁かれるべきだ。だからなおさら、法律の内容が重要になる。
>犯罪者に人権なんて必要ねえ!
>人としての権利を持つためには、それに相応しい能力を持ってることが前提なんだよ!
>タダで人権がもらえると思うなよ!
実際の世論がそうなのかどうかは知らないけど、「人権」は、生まれながらに全ての人間がタダで持っている権利のこと。タダでもらえる権利、というより誰に与えられなくても自動的に持ってる権利のことを人権というのに、タダでもらえると思うなって言うならそれは完全に矛盾。
このあたりのことは、比較的最近、議論板で死刑制度に関して主張してる。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=debate&mode=thread&no=9518
私のレスは21から先。
被害者感情というものは確かにある。被害者感情を優先させると、刑はただの復讐になってしまう。けど、たとえ加害者が更正可能としても、加害者に社会復帰の支援という「福祉」を与えるだけで終わると被害者に泣き寝入りを強いることになるから、復讐的な側面も不要とは言い切れないよね。
専制君主制での法は、君主のための法でよかった。治安維持も、被害者感情への配慮も、体制維持が究極的な目的で、その目的のためにどうするのが最も合理的かと考えればよかった。ある意味単純思考できた。
民主主義だと、国民のための国家で、国民のための体制で、国民のための法だから複雑になるよね。被害者も国民なら、加害者も国民(まあ片方または両方が外国人の場合もあるけど)。どっちも生まれながらには平等で、ただ加害・被害の事実を公平に評価しないといけない。じゃあ何が公平なんだっていうことになる。専制君主制の、人間が生まれつき不公平なのが前提の法なら、いくらでも不公平な制度を作れた。
それは本当に法律を考えるうえで大真面目で考えないといけない部分だと思う。
自身のIQが全人類の上位2%以内の者のみが入会できるMENSA....実際のところ、入会テストを受けた者が全人類の2%だけだった説。
普通にあり得そうじゃない?(笑)
ていうか、約75億分の2%、つまり1千5百万人なら、全人類が受けたわけでもないってことも考えると、さすがに今すぐは無理だろうけど、脳トレでもしとけば普通に入れるんじゃね?(笑)
全人類の2%だったら100人いたら2人入れるわけだから、上位には違いないけど別にステータスになるほどじゃないじゃん。
全人類と言ったら意識不明の重病人も認知症患者も含まれてる。
てかどういう基準なのか知らないけど、IQが普通に「精神年齢÷生活年齢×100」なら、ちょっと成長早めな幼児は簡単にすごく高い数字が出てしまうのだが。
全人類の2%も入会テスト受けないだろ…ってか全人類の2%もその存在を知らないだろ。
あと75億の2%なら1億5千万。
選挙カーってただただうるさくてただただ迷惑だよね。
選挙活動はいいこと、っていうか寧ろすべきことだとは思うけど、電子機器やメディアが多様化したこのご時世にわざわざアナログな手段使うメリットってどこにあるわけ。
例えば、それどれの党ごとにYouTubeでチャンネルを作って動画をアップロードするとかできるじゃん。
そうでなくたって、ネット自体20年も前からあったし、何ならテレビやラジオは半世紀以上前からあったわけじゃん。
それをフル活用しようともせず、未だに選挙カーってバカじゃねえの?w