>>925
ああ、この場合は事情を知らないと判断できないかもね。
そもそも「辺野古移設反対」には、「じゃあ普天間はどうなるの?」という問題がくっついてる。普天間の基地を辺野古に引っ越す計画への賛否を投票するんだから。
で、引っ越し反対の意見の中には、「普天間から出て行け、でも辺野古にも来るな」(反対派の主流と思われるけど非現実的)と、「普天間のことは知らんからとにかく辺野古に来るな」(少数だろうけど反対したら結局こうなる)の2つの考え方が混じってるんだよ。
さらに「普天間から出て行け、辺野古にも来るな」派は、じゃあ日米同盟はどうなるのって問題になる。そこでも、「アメリカは日本から出て行け」派と「ほかの県に基地を作れ」派がある。ほかの県っていうのは、鳩山総理が必死になって探して結局みつからなかったわけだけど。
つまり「反対」にはいろんな意見が混じってるわけ。
たとえばさ、「消費税の増税に賛成か反対か」という国民投票をしたとするじゃん。
こんな国民投票したら絶対、賛成票より反対票のほうが圧倒的に多いに決まってる。
だって喜んで「消費税ぜひ増税して、大歓迎!」って国民なんて普通いないでしょ。増税に賛成する人も、本当は嫌だけど日本は借金まみれだから仕方ない…っていう人でしょ。そういう人は、積極的に投票に行かない。別に増税してほしいわけじゃないんだから。
増税絶対反対という人は投票に行くだろう。
まずそこで反対票のほうが多くなることが決まってる。
そして、増税反対の人には、いろんな意見が混じってる。増税しなければ、じゃあどうするの?ってことになる。
消費税は増税せず、かわりに所得税や法人税を増やせという人。
消費税もほかの税金も増やさず、このまま国債発行が増えて国の借金が増えてもいいという人。
消費税もほかの税金も増やさず、国債発行も抑えて、そのぶん福祉が減っても仕方がないという人。
消費税もほかの税金も増やさず、国債発行も抑えて、福祉も削るなという人(不可能な理想を求める人)。
増税「反対」には「じゃあどうするの?」という部分でいろんな意見があって、それが全部「反対票」になる。
「辺野古移設反対」にしても、「じゃあ普天間の基地はどうなるの?日米同盟はどうなるの?米軍は日本から出て行けなの?それとも他の県に引っ越せばいいの?」という問題でいろんな意見があって、それが全部「反対」という票になる。
「賛成」がひとつの意見(普天間を辺野古に移す)なのに対して、「反対」はいろんな意見の合計が票になる。仮に反対が民意としても、雑多な意見の合計と、単一の意見とを比較するのは公正じゃないんだよ。
安倍内閣支持率と同じだよね。「安倍を支持しない」派には、安倍じゃなければ誰を総理にするのかで雑多な意見がある。安倍がダメなら石破なのか。岸田なのか。枝野なのか。「安倍支持」は「このまま安倍に総理でいてほしい人」だけど、「安倍不支持」は石破と岸田と枝野とその他と、次を何も考えていない人の合計値になる。単一の意見と複数意見の合計値を比べて、合計値のほうが多くても、大した意味はない。
だから、辺野古移設に賛成か反対かなんて、そんな県民投票をすること自体に意味がない。移設の「不支持率」が高くても、政策は何も決まらないからだ。しかも増税と同じで「しかたなく受け入れる」人の考えは票にならない。だから半数弱が棄権したことが重要な事実になってくる。
「投票した人の7割が反対票でした」には、大した意味はない。実際の民意がどうであろうと、初めから反対票が上回ることが分かりきってる条件設定での投票なんだから。
だから、「数字は嘘をつかない」けど、「数字で嘘をつく」ことはできる、ってわけ。ある考え方の人を多く見せるマジックというか、誤魔化しというか。それを見抜けなければいけないんだけど、誤魔化される人が多い。