よく炎上って言葉が使われるけど、例え人を殺して金を奪って、そのうえ罪をなすりつけるような極悪非道な人間がいたとしても、ひたすら叩きまくって二度と社会復帰させない行為も愚かしいと思う。一度犯した罪って例えどんなに小さかろうと、法律で裁かれないほどの些細なものだろうと、決して許されるべきではないと思うんだけど、それはあくまで、その罪を忘れずに、今後二度と同じ罪を犯さないように、また誰かが二の舞にならないように、今後よりよくしていくための取り組みなわけじゃん。
ちょっとスケールが大きくなるけど、人類がよりよい文明であるためには、個々が文明の一部として優れていることが望まれるけど、例えそれが難しくても、最低でも文明の発展を妨げる存在(例えば犯罪者)であってはいけないよね。でも現実は理想的通りにはいかないわけで、当然そんな存在が地球上にはあふれてる。
彼らに対してどのように対処すべきか。
ここが意見の別れ目になってるように思える。
このまま害悪なものとして社会から排除するか、
成長させてより優秀にさせるか。
今の世の中、社会的な制度とかは別として、世論で言えば前者に近い価値観が浸透してるように感じる。抗がん剤でガン細胞を死滅させるのと同じで、文明という体を守るために犯罪者というガン細胞を排除するのって、確かに合理的だと思う。ガン細胞を正常な細胞に戻すのってすごい時間も費用もかかるし、それだったらいっそのこと排除してしまうのが手っ取り早い。同じ結果になるのなら、当然楽な方を選びたがるもの。
そこで”人権”の登場。
守るべき文明に害を成す輩は排除されて当然だ!
一見筋の通った理論に見えるものの、よくよく考えると矛盾してるんだよね。
”守るべき文明”の中に、なぜか犯罪者等が
含 ま れ て い な い ....。
これこそが矛盾してると指摘されそうだが、そんなことないんだな~これが。
文明というのは、個々の人権が分子となって形作られている。つまり犯罪者は犯罪者である依然に人間なんだ。生まれてから完璧な人間なんていないし、いたこともないし、未来永劫生まれることもない。人間は備わっていない部分を補いながら、よりよい人間に育っていった。つまり成長してきたんだ。悪い部分を良い部分にしていくことが成長することの本質なら、犯罪者を更生させることも成長のはず。同種であることから道徳的な観点で人権という概念が生まれ、それを理由に成長の糧を与えられて生きてきたにもかかわらず、同じ人権が与えられているはずなのに、犯罪者というだけでそれが剥奪されてしまうのは差別ではないのか、と思うわけ。
でも、ここで1つ疑問が残る。
確かに犯罪者たちの対処法は確立できたものの、それによって傷つけられた人たちはどうなる?
犯罪者に人権なんて必要ねえ!
人としての権利を持つためには、それに相応しい能力を持ってることが前提なんだよ!
タダで人権がもらえると思うなよ!
大概の人は大体こんな考えだと思うんだけど、この考えを助緒させてるのは”恨み”という感情論が厄介。結局のところ、俺は感情に身を任せて、ハンムラビ法典の復讐法みたいなことを正当化するのは間違ってると考えている。んだけど、俺は今ここで行き詰まってるんだ。
理屈で言えばこうなるけど、恨みという感情はどうなるわけ?
被害者には泣き寝入りしろと?
なんて言われたら、俺はちゃんと言い返せない。心理学的にストレスを軽減させるとか、裁判で合法的に罰を与えるとか、そんなことで解決できないものが残ってしまう。もし俺の理屈がまかり通るなら、被害者たちのわがままってことになる。
いや、それよりも”罰”という概念の全否定になってしまう。
この結論にたどり着いた時、裁判によって下される裁きは、犯罪者たちの更生と、被害者たちに与えた傷の代償を払うための手続きだと思った。被害者たちから奪ったものを返すか、或いはそれと同等の価値を持ったものを払って、文字埋め合わせるためだと。
でも、それだけじゃなくて、被害者たちの恨みのためという意味合いも含まれてるとしたら....?
そもそも裁判って、いつそんな上品なものになったんだ....?
歴史を振り返れば、むしろ復讐法が原点になっているのでは....?
言ってる自分でも、なんだかポエムじみてて恥ずかしくなってくるけど、これでも大真面目なんだよ(´・ω・`)