「自分たちだけが真実を知っている」系の人たちが一番困りもの
どんな理屈に対しても「お前は騙されているんだ」としか言わないもんね
時の流れに身を任せ、レットイットビー、ケセラセラですな
>>731
https://www.youtube.com/watch?v=VWfYtncHDko
この動画とかまさにそうですよ
眼が怖いもん
オウムはまだ彼らなりの理屈と信念があったわけだけど、それすらないという怖さ
新興宗教なんかよりよほど怖い
うーん、こいつがやばいのはもちろんだけど、この番組自体を私はどうかなーって感じる。
異端者を連れてきて、質問して、答える暇もなく次の質問をかぶせてって、叩くだけに終わってる。この人、顔見せてるだけでろくに何も言わないうちにどんどん「こいつヤバイ」という番組既定のシナリオが進行して行ってる。後半ちょっとは答えてたけど。
私に言わせるとこれはどっちもやばい。話を聞くまでもなく「こいつやばいですね」っていう既定の結論に走ってるだけの番組やん。吊し上げるだけが目的の。こういうことやってたら少数派の過激な連中はますます一般社会を敵視する方向に走っちゃう。
オウムの時の上祐は、どう答えるか自体がショーみたいになってたから、言いたいことは番組の中でたっぷり喋ってたんだよね。
地上波だと出してすらもらえないですよ・・・
見て見ぬふりするより、やばい奴はやばいということをちゃんと伝えるのは大事だと思いますぜ
https://www.youtube.com/watch?v=HTdNUuryS9c
同じテーマでQアノンの連中を呼んでいるけど、やっぱり聞けば聞くほどやばいっすよ・・彼らは
見て見ぬふりをするほうが一般社会と彼らを分離させてしまいかねない
ただの一個人の変な人程度で終わるならいいんですけど、Qアノンに関してはアメリカで社会現象化して、殺人事件にまで発展してますからね
確かにここまでQアノンに没入しているのは少数派かもしれないけれど、Qアノン的陰謀説を一部鵜呑みしている人は決して少なくないと思う
コロナ陰謀論やワクチン危険説はその最もたるもの
特にワクチン問題に関しては子宮頸がんワクチンという大きな前例ありますからね・・・
もちろん、存在そのものを見せずにいるよりは「こんな人たちがいますよ」って警笛を鳴らしたほうがいいだろう。
でも、出すなら出すで彼らにもちゃんと喋らせて、そのうえで「ほらここがおかしい」と矛盾を突いたほうがいいと思う。もちろん彼らはどっちにしても決して折れないだろう。でも喋らせないまま晒すよりも、喋らせてからしっかり論破したほうがいいと思う。
あの番組構成なら、たとえ正論を唱える人を呼んできても叩かれて終わる。相手がやばい奴であろうとまともな人であろうと、番組の思想を一方的に押しつけて終わる構成にしかなっていない。
二本目の動画は長いからまだ見てないけど。
ワクチンに関しては、正直私も不安がある。そもそも作用の仕方が新しいからアナフィラキシー以外の副作用で未知な部分がある。それでも確率論で「コロナとワクチンとどっちがより危険なの?」と合理的に考えるしかないんだろうけど、過去に発生した新型インフルのワクチンみたいに気楽にいかないのがネック。
Qアノンの人たち、Qのバッジで意思表示してるらしい。Quoraのアイコン見ると、Qアノンが想起されるの迷惑で笑う。
>>739
2本目はかなり喋らせてますよー
まあワクチンに関しては、国家による「生権力」をどこまで認めるのかとか、統計的エビデンスによる合理的解釈を個別的医療に持ち込んでもいいのかっていう深い議論はあるっちゃある
そういう深い議論の上で成り立つワクチン反対論は傾聴に値するけども、多くの反ワクチン論は荒唐無稽な陰謀論か無知からくる拒絶なんですよね
しかし、ワクチンを打たないという選択はこれは別に否定するものではありません
そこから怪しげに反ワクチン論に傾倒しなければ問題ないと思います
ワクチンを打たないなら打たないでどしっとしてればいいのです!
陰謀論だとか医学情報だとかエビデンスとか、そういう非日常的語彙に左右されるぐらいなら自分の勘に従った方がよっぽどマシですよ
私は飛行機がめちゃくちゃ苦手です。
もともと苦手だったのに、飛行中のエンジントラブルで引き返してから、ますます苦手になりました。
飛行機は最も安全な乗り物…それは知ってる。自動車には平気で乗るのに飛行機が怖いなんて矛盾してることも分かってる。でも、どんなに統計学的な数字を見せられても、頭では理解していても、やっぱり自動車は乗れても飛行機は乗れないのです!
コロナのワクチンも似たような感じの怖さかな~。打つ場合と打たない場合とどっちがリスクが小さいのか、だけでは語れない何かがある。
エンジントラブルといっても、結果的にはエンジンに異常はなくて、計器のほうが故障してたらしいんですけどね。
普段から整備不良による機体の不具合で欠航ばかりしてる貧乏ローカル航路だったんで怖かった…。
私はLINEやってないけど、別にLINEじゃなくてもネット通信は常に情報漏洩のリスクがあるんだよね。
結局、一番安全なのは書留郵便だと思ってる。書留が届かないなんてほとんどないし、届く限り中身を盗まれてる心配がない。古典的な方法が一番安全だったりね。
メールだって中身は解析されてるんだから似たようなもの…。可能な限り安全にするならプロトンメールでも使うか。アカウントの維持が面倒だから私は使ってないけど。
私は結局、一番大事なネット通信はプロバイダのメールを使ってる。これだって安全とは言い切れないんだけど、こういうのは不安を持ち始めたら何もできなくなっちゃうからなあ。
しかし赤ちゃんから後期高齢者まで含めた日本の総人口が1億2500万なのに、LINEの利用者数(アクティブユーザー)が8600万人ってどうなってんの?
複垢持ってる人だってTwitterみたいに1人でそんなに多くのアカウント駆使してる人ってLINEの性質上いない気がする。
自称「LINEやってません」の人は案外多いけど隠れユーザーなのかな。
ちなみに私は本当にやってないってかインストールさえしてない。
甲子園で京都国際が勝利。
リアルタイムでは見てなかったけど校歌が韓国語でテレビ画面でもハングルで書かれていて、日本語訳は「学校から提出されたものを使用」として、その中に「東の海」という言葉があったらしい。
「東の海」とは日本海のことだが、韓国では「東海(トンヘ)」と呼んで国際的な表記問題にしているもの。事情はよくわからんが学校側が「東の海」と表記したのは、韓国の主張からして日本海とは呼びたくない一方で、「東海」と書けば日本で波風を起こすと考えて妥協策をとったものだろう。
ネット上の意見はいろいろあるが…。「そんな学校を出場させるな」という意見も少なくなく。
いや校歌を理由に排除する根拠はなんなんだ。校歌の中に「独島は我が領土」と歌い込んでるわけでもあるまいに。
現実に出場して試合に勝って、選手たちは次の試合へコンディションを整える必要があるわけだし、問題があるとかないとか議論するとしてもそれは大会終了後にやるべきで、大会途中に選手にプレッシャーかけんなよ。
…みたいな主張をしたらネトウヨの反対をたくさん食らいました。
まあ韓国がスポーツの場で幼稚な反日行為に出るのは有名だが、日本人まで同レベル化してるようで怖い。しかも高校生に政治問題でヘイト食らわせてメンタル折って負かしたとしても、歴史と名誉ある甲子園大会に汚点を残すだけやん。
この問題に限らず、思想や主義主張の内容がどちら側の人間であっても、最近の日本は冷静さを失ってるぞ。というか情けない。
フィギュアスケートで羽生の調子が良かったみたいですね
羽生という字を見て「はにゅう」と読めばスケートファン、「はぶ」と読めば将棋ファン
「はにゅう」と聞いて「羽生」と思えば普通の人、「羽入」と思えばひぐらしファン
割とマジでインターネットだけで学校の勉強は何とかなるんじゃないかと思う。
色んなサイトのリンクをまとめて「塾や通信教育にお金払ってるあなたは損してますよ!」っていうのをそれらの会社の経営が傾くくらい広められないかな。
【本スレについておしらせ】
先日、「令和2年中に終わる」予定だったこのスレを「令和2年度中に終わる」と訂正したところですが、もともとこのスレは平成31年4月30日に作られてたので、スレ立てしてからちょうど2周年を迎える令和3年4月30日までとするほうがキリが良いと考えるに至りました。
よって、スレ2周年記念日の「4月30日まで」に期間を修正します。
ネットでの勉強は、情報をただ取捨選択し、固有名詞を摂取して、ただそれだけで賢くなったと思い込んでしまうという点においてあまりに致命的
知識をダウンロードしただけで、それがまるで自らの知だと思い込むことの浅ましさ・・・
残念ながら受験勉強はそういう浅ましい勉強で突破できてしまう
いくら高学歴でもそういう人たちからは知性を感じないよね
学歴でうんたら言う人はだいたいこの残念な人たちが多い
所詮勉強なんて知識の再現にすぎない
創造の前では再現なんて何ら価値はない
音楽・美術・文学を中心とする芸術は無から生み出すという点において、最強の営みだと思う
しかし、これまた残念なことに芸術分野は「役に立たない」とレッテルを貼られ、教育の現場では実に肩身の狭い思いをしている
ネットには物知り博士はたくさんいるけど、賢い人たちはほとんどいない
自戒の念も込めてだけど、物知りにはなるにつれて馬鹿になっていってるとすら思う
一方で、ネットにはすごい芸術家に出会える機会もあったりして、そういう点ではやはり素晴らしいのです
漢の創始者・劉邦が天下を取るのに軍事面で大活躍した将軍韓信に、有名な戦法「背水の陣」がある。
兵法書には、布陣するときは川を前にしろっていうルールがあるのに、韓信は真逆に川を背後に布陣することで、少数の兵で大軍を打ち破った。
このとき他の将軍達が「なぜ兵法の逆をやって勝てたのか」と不思議がって、韓信が「兵法書を丸暗記してその通りにやるだけではダメ、要は兵法をいかに応用するかだ」と答えた。
知識ってそんなものだと思う。
インプットしたものをそのままアウトプットするのは単なる物知りであって賢さではない。
インプットした知識を消化して、状況によって適切に応用する人が賢いのだと思う。
「背水の陣」という言葉が有名になったら、今度は何も考えずに、単純に逃げ道を捨てて突き進むしかない状況に自分を追い詰めれば成功するんだ、と勘違いする人が大勢出る。応用力で定石を打ち破ってイレギュラーな方法で大成功した例を見て、そのイレギュラーが成功への定石だと思ってしまう。それこそ背水の陣を理解してない、韓信が「これじゃダメ」と言った、知識をそそまま使うやり方そのもの。
知識は材料、賢さは腕前みたいなものだと思う。
どれだけ材木を集めても立派な家が建つわけじゃない。一方で、どんなに腕が良くても、材木がなければ家は建たない。
ネットや本で材料は集まる。受験もなんとかそれでクリアできるだろう。賢さは、材料を集めたうえで、それを適切に組み立てて素晴らしい家を建てる能力だと思う。
思うに、じぇいそんが「物知りにはなるにつれて馬鹿になっていってる」と感じるのは、材木(知識)を集めることしかしない人のことだろう。自戒の念とも言ってるけど、じぇいそんの場合は今、材木を集めるスピードが加工するスピードを上回ってるせいで、手つかずの材木やら丸太の量が増えていってるからだと思う。手つかずの材料が山積みになってたら、自分の加工能力が悪いように見えてしまう。
でも、知識が体系的になってくると、あっちの知識とこっちの知識がだんだん結びつきやすくなっていく。バラバラのものが、断片的な結びつきを経て、だんだん巨大なネットワークを構築する。そうすると、新規に入手した知識も、どこに配置すればいいのか分かりやすくなっていく。ジグソーパズルの組立てが進めば進むほど加速度的に作業効率が上がっていく、それに似てると思う。
私がときどきじぇいそんの意見をアテにするのは、情報量だけでなく応用力もアテにしてるからだよ。
芸術とか創造力以前にその知識のダウンロードすらままならない人が大勢いるから、まずそっちを嘆くべきじゃない?
ひろゆきがAbemaTVで古典不必要論を語ってたのと同じで、世の中には勉強しておくべきことがあるのに、それをそっちのけにして芸術なんかやってる今の教育の仕方はやはり問題がある思う。
ていうか創造力を鍛えたいんなら脳トレやった方がいいよ。
脳の前皮質が発達することは既に東北大学の川島教授が論文を出してるし。
そういえばこの間令和版マネーの虎でワーキングメモリーを鍛えることに特化した塾を全国に展開したいという人がマネー獲得してたんだよね。
全国にワーキングメモリーの有用性を広めるいいきっかけになればいいな。
自分に創造性があるのかわからない
少なくとも今のところ、芽が出てない
現代文や数学ができても創造性が凡人なやつはいっぱいいる
ほしいなあ創造性
>>763
情報量に対して処理能力が追い付かない問題は確かにありますよねー
処理能力の低さを棚に上げて、情報さえ蓄えれば賢くなったと思い込んでしまう人たちが多いのが残念なところ
セレロンレベルのCPUしかないのに、ひたすらハードにデータを保存しまくるのってマジで滑稽でしかない
パソコンの場合はCPUを交換すれば済むけど人間の場合はそうもいかない
人間のCPUを上げるのは、とっても難しい
時間かかるし、地道なことをし続けるしか処理能力は上がらない
みんなそんなことはやってられないって投げちゃって、実利に目がくらんでそっちに行っちゃう
実際にCPUを高めたところで、実益に結び付くかって言われたら微妙だしね
ひたすらしこしこHDDにデータを貯めまくる方が多分実用性はあるんでしょう
ただ、その先に待つのは堕落か、それとも奴隷になるか
別に創造力はなくてもいいんだけど、自分の頭でものを考えられるようにはなった方が良いよね
その究極の形が芸術家だと思うけど、彼らは残念ながら合理主義の力の前で敗北続きだからなあ
常に自分を疑い、自分の理解の範疇を超えるよくわからんものと格闘し続けることでしか、本当の意味で頭は鍛えられんと思う
例えば、ピカソとかマジで意味分からんし、何がすごいのかも分からんけど、それをどうにかしてあらゆる努力で理解しようとするその姿勢が必要
もちろん100%の理解なんてあり得ないから、常に結論は暫定的
それは、とても不安定な台の乗り続けるようなもので、楽ではない
でもそういうことをし続けることでしか、賢くならないと思う
科学の世界だって実益がないことを理由に基礎研究がどれだけ迫害されているか
実益を根拠に芸術の価値を認めないことは、結局は実益がないことを以てあらゆるものが否定されてしまう
一見すると無意味なことから新しい価値が生まれる、なんてことは歴史を見たら一目瞭然なのです
ネット上にはCPUがATOMでHDDを8TBくらい積んでる人をたびたび見かける。
何でも知ってる人をよくウォーキング・ディクショナリーというけどまさしく辞書が歩いてるだけっていうのか。
でもHDDが巨大な人のほうが社会でも評価される。知識量が多いこと自体は良いことだし、なまじCPUがあると自分で考えてしまって組織に疑問を持ってしまうからね。
最先端の科学の分野でも、すごい発明をする人は、単なる合理主義を超える創造性のある人だと思う。もちろん合理的でなければいけないけど、芸術と科学って相反するようであって実はかなり似た部分があると思う。
ピカソの絵なんてまったく理解できないけど、きっとそれは私が凡人の「合理的」な観察眼しか無いからであって、価値のわかる人は「なぜああなるのか」という非凡な合理性にもとづいているはずなんだよね。あれでなければ価値が生まれない必然性というのかな。
常に自分を疑う、…頭の固くなった老人には難しいことだなあ。自分の理解の範疇を超えるものは、どうにかして否定しようとする感情が生まれる。だから、理解できないまでも、否定しないようにしないとな。
いつの時代も似たようなもんだけど老人には若者の行動が理解できない、だから若者を否定したがる。
私は外交や安保で安倍さんを支持してたけど、安倍さんの罪は(目の前の)経済を最優先したためすぐに金にならない基礎研究をおろそかにした部分か。
女系天皇問題はまさに合理主義と伝統との対立の象徴ですよね
合理主義が恐ろしいところは、あらゆる分野で破壊的なパワーを持つところ
それに抵抗するのはかなりの力が必要となってしまう
合理的な説明をされたら人はついつい納得されてしまいますからね
伝統なんてものはそのパワーの前ではもはや破壊の対象でしかない
これに対して抵抗力を持つためという側面からも芸術ってやっぱり重要だなあと思う
例えば女系天皇反対論に関して言えば、よく根拠の一つとして出てくるのはY染色体ですね
女系天皇反対論にY染色体が云々みたいな科学的説明を加えるとなおさら、合理主義の餌食ですよ
染色体なんてただのDNAの集まりでそんなものに価値なんてあるわけない
もしそれが大事ならDNAを採取してきて、冷凍保存して崇めればいいって話になってしまう
日本の伝統ってそんな近代科学ごときで説明できる代物なの?
なら無くてもいいんじゃね?ってなるし、まったく逆効果
伝統って長く続いてるから意味があるんだろなあ。伝統に価値を感じる人から見れば、1200年男系で続いてるのってすごいこと。そしてそういう伝統主義者は、外国の政治家にもいる。宮中晩餐会とかで気分を良くしてもらって、外交がいくらか日本有利になれば…
そういうこと考えると伝統ってすごいよな
私もそこそこの歳なんで、これから生き方を変えろと言われると人生の半分以上が否定されてしまって辛いんですよ。だから自分を肯定してくれる根拠は欲するけど否定するような根拠は見たくない。
老人になればなるほどその傾向が強まって、老害化するんだろうなあ。
女系天皇については、「古代から男系で続いてきたから変えてはならない」だけでは容認論にとっては何の説得力もないわけで。古いからそのままにしろって言うなら原始時代のままで生きなきゃならんだろうがって話になる。
女系天皇容認の人も、みんな日本の伝統文化をどうでもいいと思ってるわけじゃなくて、伝統を守る価値を理解してる人が大勢いると思う。「観光客を呼び込めないなら伝統なんて要らん」という価値観の人とはそもそも話が通じないから、そういう人に訴えても無駄。女系反対は、伝統の価値はわかるけど男系にこだわる理由がわからない、という人に訴えるべきこと。
それが「古いから」だけでは説得にならない。伝統の価値を認める人も、古けりゃなんでもいいわけじゃないだろうから。
Y染色体の話は、私もSiphonとの議論で出したかもしれないけど、それは「男女の違い」ということなんだよね。Siphonは「アマテラスの血を引いてりゃいいじゃないか」という立場だった。「血を引く」という話の時点で、それはDNAの話になる。だから私は単純にDNAがつながってるだけではなくY染色体が受け継がれている、というつもりで言ったと思う。
でも、DNAにしろY染色体にしろ、古代の人間がそんなの知ってたわけじゃないし、「子孫であればいい」か「男系でなければならない」かを別の言葉に言い換えただけのこと。Y染色体は「男系の証拠」であって、染色体そのものに重要性があるわけじゃない。
実は私は、女系天皇には猛反対してるけど、天皇制廃止には、女系天皇ほど強い反対はしてない。もちろん天皇制廃止にも強く反対するけどね。私はあくまで男系天皇にこだわってるけど、もしも女系天皇が即位するならいっそ天皇制をやめたほうがマシだと思ってる。例えるなら、今から巨費を投じて安土城を建て直して、「これは信長が作りました」って言うことにどんな伝統があるのって話に似てるかな。女系天皇ってのは、天皇のレプリカにすぎない。だったらもう要らない。国家運営そのものは共和国でもやっていけるんだから。
原理主義に陥ってはいけないと思うんですよね
一切の変化を許さない、とすれば長くは続かないと思うんですよ
伝統は当然長く続いているから伝統なのであって、その歴史には当然変化はあったはずです
問題はその変化をどの程度まで許容するのかということ
女系天皇の容認は少なくとも現代に生きる我々にとっては許容範囲内に収まる話だと思いますよ?
ただ僕が危惧するのは、これを現代人だけで結論づけていいのかということです
つまり、この変化の許容範囲を判断する主体を我々現代人だけに限定していいのかという問いです
もしそれを認めてしまえば、共和制も天皇制だと言うことすらできてしまう
伝統というのは過去にそれを守ってきた人たちと、未来にこれからそれを守ろうとする人たちをも巻き込む議論なわけです
未来というのは難しくても、少なくとも過去というのは検討の余地があるわけですよね
過去の人たちが何を守ろうとしてきたのか、どこまで変化の許容範囲を認めてきたのか
先例という言葉にすると簡単ですが、そこには間違いなく歴史に生きた人々の判断の連鎖があったはずです
単にこれは古いから良い、続いているから良いというものじゃない(縄文時代の地層とか現代でも残っていますが、そんなものに価値はない)
1000年間守ってきた彼らがいたから続いているのであって、彼らの意志を無下に当然できないわけですよ
彼らの判断を尊重しないということはつまり、現代に生きる我々こそが伝統の価値が分かるんだという極めて傲慢な態度です
そして、間違いなく言えることは、その判断の連鎖の中には、女系天皇の容認は入り込まなかった
それを変えるということは過去1000年伝統を守ってきた彼らを納得させられるほどの理由がないといけません
しかし、残念ながら僕が見てきた女系天皇論の中にはそういう類のものは見たことがないですね
その程度の理由で変化を認めるなら、共和制でいいじゃんと思ってしまうものばかりです
まあでも、女系反対論の界隈ははっきり言って反吐が出るような思想の人たちが多くて辟易としてしまうし、あんなの見たらまともな人はほとんどが女系容認に傾くでしょう
一部の過激な男系固執派と理性的な女系容認派という図式になって、最終的におそらく女系容認へと進んでいくと思う
拙速になりすぎずに過去と未来とに責任が持てる変化になるように祈るしかないですね
伝統っていうのは知的財産のことだと思ってる。
別に何の役に立つわけでもないけど、テキストや映像に残すより実物が見れる状態の方が正確にその情報が伝達できるから天皇制とかがこんなにも長く続いてるんじゃないかと。
裏を返せば、わざわざそんなことをしなくても正確な情報が残せるのなら伝統なんて続ける必要はないわけだ。