といって河野は脇が甘くて転けそうだし高市は暴走して事故りそうだし…
岸田が一番静かに尻すぼみしてくれそう(どれもダメやん)
そこを迷走せずに耐え抜けば、長期政権になりそうな気がする
一番最悪なのは派閥やら何やらのいろんな人の顔色伺って右往左往して国民から総スカン食らうってパターン
風邪の特効薬が無いように、こういうタイプの抗ウイルス薬ってあまりうまくいかないことが多いんですよねえ
だから治療薬頼みはリスキー
https://www.reversedfront.tw/product/46c60f8b-bbfb-4bc9-8db1-0a5f77ff71d2
中共政権を覆す!台湾発ゲーム『逆統戦:地と海の革命者へ』
YouTube見てたら面白い広告出てたw
台湾さんこんなん作って大丈夫なのかw
俺は買う気ないけど、Twitterとかでバズったらいいのになw
それ1か月くらい前に話題になってたから公式サイト?見たんだけど
コロナウイルスのことを武漢肺炎とかじゃなくて中国コロナウイルスって表記してて笑った
敵意しかない
トランプさんは「チャイニーズ・ウイルス」って呼んでたね。
そういうの幼稚だって評価することもできるけどそれくらい挑発してもいいと思う。
中国が喧嘩できない相手ってアメリカくらいだから。
日本も太平洋戦争のゲームではアメリカをやっつける内容になるけど
台湾でやっぱりそれは「売れる」テーマなんだろうな。
中国は本来ならそんな架空のモノにいろいろ言うわけない立場なんだろうけど中国なら言いかねないかも。
でも台湾は自由主義だから民間がそういうゲーム作ったって政府が口出しできないよね。
もしコロナが流行ってるうちに富士山の噴火と南海トラフ地震が同時に来たら、チャンスだと言わんばかりに中国が日本に侵攻してくるとかあんのかな?
https://daigaku-juken-hacker.net/column/new-math-curriculum-2022
数学C...そんなのあったのか.....。
数学活用とかもっと知らんわ...。
なんかもうよくわからん。
私の時代の「数学Ⅰ」「代数幾何」「基礎解析」「微分積分」「確率統計」の区分で問題あったのか?
なんやろ? 私の考えが時代遅れなのか? 最近気になったネット上の話。
・子どもを叱るな。やりたいことを止めるな。やりたくないことをやらせるな。
・会社を無断欠勤したら怒られた。好きで連絡しなかったんじゃない(鬱で電話できなかった)から上司は理解しろ。
・勤務中居眠りしたら怒られた。眠くなる薬の副作用だから仕方ないだろ。
やりたいことも必要に応じて我慢したり、やりたくないことも嫌々ながらでもやるってことを教えなくていいのかよ…。
体調だろうと精神的な問題だろうと目一杯努力してどうしても無理だったものは無理で仕方ないんだけど、その結果として怒られるのも仕方ないだろ。無断欠勤は懲罰対象だって就業規則に必ず書いてあるはず。
薬の副作用も同じ。眠くなる薬というのは自分の意志でどうにもできないレベルで眠くなることがある。強制的に眠らされる感じ。でもそれが勤務中なら「どうぞおやすみ」と上司は言わんぞ。
自分の全力でも出来なかったことはどうしようもないけどその結果は受け入れろよ。めちゃくちゃ勉強してもテストできなかったんだから大学入学させろって言うようなもんだろ。
私は外交や安保は右翼的だけど教育や労働に関しては寛容主義で通ってきたはず。
それが今や頭が固い部類なのか?
いやでもどう考えてもそれはおかしいと思う…。
うーんでもいろいろ問題あるのは若い人ばかりではない。
私よりもずっと年上の人が昔、「飲酒運転で警察につかまった警察はけしからん酒を飲むのも仕事のうちだ飲酒運転合法化しろ」と怒鳴ってたもんな。
今このタイミングで財政健全化をやるのは自殺行為だからできない。
でも国債の発行額が大きくなると円の信任が崩れて必ずインフレ率も上がる。インフレ率が上がった時、国債の償還財源も国債頼みである以上、国債の増発をやめることはできない。
今はインフレ率が低いから良いが、上がりだしたら雪だるま式に上がって止めることが出来なくなる。
日本政府が借りてるお金、それを貸してるのは国民。待っているのは果てしない円安と物価上昇のスパイラルだ。それは額面はそのままでも実質的に国民の財産を目減りさせて、物価上昇による国民生活の破綻を招く。
ギリシャが混乱した時、状況が全く異なる日本が「ギリシャと同じになる」と極端な悲観論で空騒ぎをしたかと思えば、今度は正反対に「お金は発行すれば無尽蔵にある」ような馬鹿な話。お札という紙切れや円という抽象的な数字を増やして何が豊かになると思ってるんだろう。
今は財政健全化なんて出来ない。先送りする以外にない。でもいつまでもは続けられない。今は世界じゅうが積極財政で金融緩和に走ってるから円が他の通貨と比べて相対的に下がらずにいるだけだ。
と言ってもね。第二次大戦の時も、信じたくない現実から目をそらして日本は勝てる(とまで本気で思わなくても精神論でどうにかなる)と思い続けた。バブル崩壊の直前も、危険性を叫ぶ人たちがたくさんいたが、聞く耳もたずに投機に走り続けた。
「見たくない危機は見ない」という悪癖はどうにもならない。
日本がいくら巨額の債権国であろうと、実際どれだけが「返ってくるお金」なのか。米国債なんかは安全資産だけどこれも自由に売れないんだよ。
国債を無尽蔵に出せるなら1人10万円なんてみみっちい話をせずに1人1億円ずつ配れよ。
日本人は全員億万長者やぞ。
そして現実に気づく。
…なんて言ってるが現況の経済情勢では10万円の再配布はやらなきゃいかんのかもね。
>>202
能力のない人間が「自由」を求めたらむしろ自分の首を絞めることになるんですけどね
めちゃくちゃ勉強してもテストできなかった人は案外素直で、勉強すらまともにしてないのにテストできなかったから他人に責任転嫁して文句を垂れるみたいな現象があちこちで見られます
親や環境のせいにするなんてよくある話
仮にそれが事実だったとしても、そこで自己への責任を回避したところで、同情してもらえるのはネット上だけで、日常における真の問題は何も解決しないんですよね
努力もできない、才能もない、そんな人間でも会社の言うとおりに従えばお金もらえて生活できるのがある意味日本の良いところ
それを捨てて自由を要求するということは、自分で責任を負わないといけなくなる
にも関わらず、みんな自分のせいにされたくないんですよね
親のせい、上司のせい、会社のせい、薬のせい・・・それは事実だとしても、100%丸々すべてを他人のせいにできるわけない
個人主義が悪い方向ばかりに進んでいって、自分と他人とがあまりに乖離しすぎてしまっている
弱者救済は総論として間違っていないのだけど、それは非日常的な政治の議論でしか成立しない
実際の日常では、傷のなめ合いしているだけ
覚悟を以て「個」として強くならないと、一生しんどいまま
非日常の哲学ばかりが横行して、日常の哲学が不足しているように感じる
学者の世界は非日常の空間だから、彼らの言説が日常を支配するようになってるのは正直やばい
非常識な議論をするのが学者の仕事で、それは思う存分してもらっていいのだけれど、日常に適用するのはまた別
日常の世界にはまったく別の力学が働いているのだから
目の前に広がる日常の世界があまりにもモノクロになり過ぎているせいで、中国ガ―とか自民党ガ―みたいな、やたらと主語が大きな非日常の議論がネット上で横行しているんだろうなあ、と思っちゃう
>>202
ここで言っても本人たちには届かないだろうけど...
○子どもを叱るな!
物事を教えるだけなら別に一々感情的になったり暴言を吐いたりして不快な想いをさせることまでは必要はないでしょってことなのかな?
んー、ケースバイケースじゃない?
勉強を教えてる際に理解できないからって一々怒ってるんなら、いやそれは必要性ないじゃんとは思うけど、してはいけないことをさせないために叱ることはあってもいいんじゃないの。
まぁ、その場合の「叱る」の意味は「なぜやってはいけないのかを理解させるため」というより「悪いことをしたら罰が下るってことを理解させて、自制心を植え付けることで被害を生まないようにする」って目的の方が比重が重いだろうから、より叱ることは望ましいのかなと。
もちろん叱り方は考えないといけないとは思うけどね?
それこそ命に関わるレベルの暴行とかは法律抜きにしても御法度だし。
○やりたいことを止めるな!やりたくないことをやらせるな!
これどういう論調で言ってるのか分からんなぁ。
四六時中ゲームさせるような極端なケースまで容認してるのか、それとも誰がどう見てもやりすぎだろってレベルで親に束縛を受けてるケースに批判してるのか。
まぁ、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だよね。
俺は「やりたいことをやるなとは言わん。けどやらないといけないことはちゃんとやりなさい」って言われて育ったので、親ガチャは普通に当たりです。
○会社を無断欠勤したら怒られた。好きで連絡しなかったんじゃない(鬱で電話できなかった)から上司は理解しろ。
怒ったところで問題は解決できないこともあるとか、事情も聞かずに第一声から怒号を飛ばすなって話なら理解できるけど、きちんと怒られないと行動しない人もいるから「怒る」ことそのものを否定しているのなら俺は理解しかねる。
解決したくばきちんと話し合って両者が納得いく策を頑張って見つけてくださいとしか。
>勤務中居眠りしたら怒られた
>眠くなる薬の副作用だから仕方ないだろ
要は眠ってしまわないようにしたいので、その為の方法として「怒る」ことが効果を発揮するのであれば、寧ろ喜んでいいんじゃないですかね。
眠気を覚ますのに何も不快な想いをする必要はないだろうというのであれば、それを色々相談して解決策を考えればいいと思います。
そうだねー。
自分の身の回りの問題は、自分だけのせいじゃない、会社だけのせいじゃない、日本社会だけのせいじゃない、政治家だけのせいじゃない。
それを自分だけのせいだと思って抱え込むのも、会社ばかりを恨むのも、政治だけのせいにするのも違う。
世の中は複雑に絡み合っているのだから責任の主体はファジーでいいと思う。
たとえば児童虐待があったとして、子どもに罪はないけど、親だけのせいにするのも違うし、行政だけのせいにするのも違う。親は親でめちゃめちゃストレスを抱えていて、他人が想像できないほど追い込まれていたのかもしれない。行政のサポートが手厚ければ避けられたかもしれない。その行政は児相も人手不足でとても1つ1つのケースを見きれず、保健所なんてコロナ禍で死にそうな状態。
だったら児相や保健所にもっと人手を回さない自治体が悪いかというと、自治体にそんな人を雇うお金がない。最終的に国になんとかしろと言いたいけど国だって各分野に問題山積でお金を回せる余裕がない。こっちの予算を増やそうとしたらあっちの予算を減らすことになるし、全部増やそうとすればそれこそ国債発行しまくりになるし、何をやっても必ず批判されるのが国。
一番悪いのは、「こいつさえやっつければ全部うまくいく」と物事を単純化して煽動することだと思う。誰をやっつければうまくいくのか、いろんな意見があると社会の分断と対立を生むし、意見がまとまるとそれこそヒトラーの「ユダヤ人をやっつければ全部うまくいく」みたいにもっと恐ろしいことになる。
逆に「自分さえいなければ…」と病む人も多くて痛々しい。
>>202
>その結果として怒られるのも仕方ないだろ。
怒ることでどんな結果になるのか、そういうことも考えないでただ闇雲に感情的になってる人に対して”だけ”は仕方ないとは思えないかな。
>でもそれが勤務中なら「どうぞおやすみ」と上司は言わんぞ。
「あ、そうなの?じゃあ俺が定期的に起こしてあげるよ」とか「こうすると眠気覚めるらしいよ?」とかのアドバイスの1つや2つはしてあげてもいいんじゃないのとは思うけど、それは求めすぎかな?
>自分の全力でも出来なかったことはどうしようもないけどその結果は受け入れろよ。
受け入れるのは当然として、その上で「できればこうしてほしい」と要望するくらいなら罰は当たらないと思うけどね。
誰が悪い悪くないとかってのも大事ではあるけどさ、それに拘りすぎて誰がどうすることで問題を解決できるかって考えられないのであれば、それは改めるべきだと思わない?
>>211
○子どもを叱るな!
叱りすぎが良くないのは分かる。大体、叱りすぎると「叱りのインフレーション」(私の造語)が起きて、叱る効果が薄れていくんだよね。だから叱り方が激しくなる一方になって、ついに虐待に至ったりする。
けど、ここ一番の時には叱ることも大事。自分や他人の命や安全にかかわる時だとか。私の考えでは、「めったに叱らないことで『叱る』という行為の価値を上げて、ここ一番の時に叱る」。私の実践してきたことは、叱ることで怖がらせるのではなく、「あの人が叱るなんて!」とビックリさせることで「これはいつもの悪いこととはレベルが違うんだ」と気づかせることだった。
○やりたいことを止めるな!やりたくないことをやらせるな!
これは、「無理強いをするのではなく、望ましいことをやりたくなるように誘導しろ」という意味で使われる。
望ましいことをやりたくなるように誘導するのが上手い人もいる。それはいいんだけど、いつも望ましいことばかりをやりたくなるように誘導するのはさすがに難しい。それができないとできない職員の力量がないせいだ!と怒られることがまず問題。「子どもが勉強しないのは先生のせいだ」と責めることになる。実際、責めたくなるくらい教え方が最悪な先生もいるんだけど、子どもが勉強しないのがすぐに「勉強したくなるような授業をしない教員が悪い」と言われるのは荷が重すぎる。
また、やりたくないことをやらせるとトラウマになるから無理強いするなということでもある。
でも、これが徹底されると、子どもはやりたいことだけをやって、やりたくないことはやらない、という経験しか残らない。それで急に社会人になって通用するわけがない。すっごい小さい頃はともかく、大きくなるにつれて段階的に「我慢」や「無理」も覚えないといけない。
無断欠勤については、上司はいきなり怒るんじゃなく理由を聞くべきだと思う。極端な例では、脳卒中で意識が無かったから連絡できなかったとか。さすがにこれが事実なら責められん。
けど、精神的に病んでたというのもあるけど「休むという電話をしづらかった、言いにくかった」ってことならそりゃ懲罰対象になる。言いにくくても最低限の責任でしょ。会社には会社の都合がある。体調不良は誰にでも起こり得るし、それは社員同士でフォローし合うのが大事だけど、会社のルールを守ると契約書にハンコを押して採用された以上、ルールを破ればこういう処罰があるよというルールも受けないといけない。
どうしても出来なかったら、出来なかったこと自体はやむを得ないとしても、出来なかったことで招いた結果は受け入れないといけない。
居眠りも似たような問題で、まあ一度や二度なら「こらあ!」と言われる程度で終われるだろうけど常習犯になると問題。
実は、急激に逆らえない眠気に襲われる病気もあるらしい。まあ一種のてんかんみたいな脳神経的な問題だったかな。そういう場合は怒られても仕方がないのでそれなりの治療を受けるべき。ただ、私の見たケースは薬の副作用。それなら医者と相談して薬の調整をしないといけない。
実は私もこれは有り得る。私は車酔いするから長時間車に乗る時には酔い止めが必要なんだけど、酔い止めのせいで起きる眠気にも耐性がない。これは困った問題で、でも眠っちゃ話にならないから酔ってでも薬を減らすしかない。「私は酔うから酔い止めを飲みます。だから勤務中に寝ます」はいくらなんでもありえない。私の常識では。
もちろん、その人だって気楽に寝てるわけじゃないだろうから、コーヒーとかドリンク剤とか眠気覚ましのガムとかを使ったうえでのことだろうけどね。
>>213
やらなければならないことをやらなかったらどういう結果になるかを当人が考えるべきであって、考えたうえでも出来ないのであれば、その結果は甘んじて受けるしか無い。怒るほうが怒ったらどうなるかを考えるのはその後の問題。上司は保護者じゃない。もちろん、「闇雲に怒る」のは上司としての資質が疑われる。
定期的に起こすってそれこそ上司は親かよ。大人同士だぞ…。まあ上司がそれくらいヒマならやってあげてもいいんだろうけど、勤務中に寝ないのは社員の義務だよ。ってそんなことまでわざわざ言わなきゃいけないんだろうか。
寝ずに済むような良い方法を上司が知ってたら教えてあげるべきだし、部下の管理責任があるから相談にも乗ってあげるべきだけどね。それは上司としての仕事。でも多分、薬で眠くなるのなら、起こしてもらってもまたすぐに寝るし、仮に起きててもフラフラで仕事内容はほとんど出来てないと思う。
「できればこうしてほしい」という要望するのはもちろん構わない。希望を言う権利はもちろんある。実現できるかどうかは別だけど。
解決策を上司と部下とで相談するのは大切なことだよね。
ただ私は、「無断欠勤しないこと」、「勤務中に居眠りしないこと」そんなことは当たり前のルールで怒られて上司を恨むのはお門違いってことを言いたかった。
しかし、勤務中に居眠りしてたらめちゃくそ怒られるけど、勤務中に外に出てタバコを吸ってても怒られないという明らかな矛盾があったりする。
薬の副作用で眠気を我慢できないから寝てますは許されなくて、ニコチン中毒だから我慢できなくてタバコを吸いに出ますが許されることに合理的な説明は出来ん…。
勤務中に居眠り連発して、業務に支障きたすレベルなら薬の管理に失敗してるから主治医と相談して薬の種類変えたり量を変えたりしないといけない
んで薬の管理は、基本的に本人の責任だから、言い訳にはならない
自己管理しようがないぐらいの薬漬け状態なら、そもそも休職しろって話
>>212
単純化したほうが分かりやすいし、敵も作りやすく、仲間も作りやすいですからね
しかも厄介なのは、そういう連中に限って、自分たちこそが世の中を俯瞰していて、世界の真理を知っているという態度を取りがち
分からないものに対する耐性が無いんだと思います
理解できる形に変えてしまわないと不安になる
だから、なんでもかんでも分かりやすさ重視になってしまう
本屋に行ったらバカでも分かるタイトルの本ばかりがトップに並んでますからね
自分には理解できないものとどう向き合っていくのか(例えば他人なんてその大きな例ですね)
その向き合い方のヒントをくれるのは哲学や思想などの人文科学なのだと思います(最近は理系に押されて軽視されがちですが)
文系学問が政治や経済や法律を語るためのツールになってしまっているのが非常に残念
大多数の自己啓発本がなぜ効果がないのかっていうと、著者自身が理解できるはずがないものを理解できる形にしちゃってるんですよね
だから読んだ瞬間はなんか世界が開けたような感じを受けても実際は全然何も変わらんわけです
童謡を読んでいるほうがよっぽどためになる
俺が小学校低学年くらいまでは
>知らない人に「お菓子あげるからこっちおいで」って言われてもついて行っちゃダメ!
って防犯のテンプレがあったんだけど、そんなことをする人もそれに引っかかる人も実在したのか未だに疑問。
ていうか今の時代でもこれはテンプレなんだろうか。
今ではSNSでのトラブルが絶えないし、時代時代によって変わるはずだよね。
昔はどうだったのかとかも気になる。
そのテンプレは私が子どもの頃からあったのでかなり古典的。
「お菓子をあげるからこっちおいで」は、昔の田舎には本当にお菓子をあげる人がいたんだよ。子どもが可愛いなーと思ったらお菓子をあげたりね。田舎じゃたいてい顔見知りだから、大人のほうはその子を知ってるけど、子どものほうはその大人を知らないこともある。
私も小さいころは近所の人とか父の仕事関係の人とかにお菓子をもらって、母の知らない間に食べてたらしい。もう覚えてないけど。
本当の善意でお菓子をあげるおじさん・おばさんが少なくなかったから、子どもも食べてた。私は「ついていく」ことまではなかったけど、「おじちゃんの家にお菓子食べにおいで」みたいなことって、普通に善意であったわけ。
だから、それが犯罪に使われてもおかしくないね。犯罪に使われるようになると、防犯のために親は「ついて行っちゃダメ」と教育する。
私が子どものころはネットなんて存在しなかったけど、アマチュア無線をやってる人は無線で友達を探して、そこからリアルの友達になったり文通をしたりすることがあった。手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』の中に「ハローCQ」ってお話がある。車椅子の少年が、アマチュア無線でニュージーランドに友達を作る。外国だからどうせバレないと思って、自分の足が悪いことを隠して、野球で活躍した話題なんかをデッチ上げてたわけ。で、その人から「一度会ってみたい」と言われて会うことになり、会えばウソがバレてしまう…さて困ったどうしよう、ってお話。
今ならそれって、ウソがバレる以前にセキュリティ的に危なくない?と言うだろうけど1970年代はあんま気にしてなかった。
話は違うけど昔「毒物コーラ事件」というのがあった。ある人が電話を使うために電話ボックスに入ったら、そこに開封済みのコーラが置いてあった。ちょうどノドがかわいていたので飲んだら、それに青酸カリか何か入ってたという事件。今なら、たまたま入った電話ボックスに置きっぱなしになってた開封済みのコーラを飲む人なんていないでしょ。昔はそれだけ警戒心がなかった。この事件以降、「置きっぱなしの飲食物は危険」と注意喚起されるようになった。
私は田舎育ちだから、同じ時期の都会よりも周囲の雰囲気が10年か20年は遅れてた感があって、おかげさまで昭和30年代レベルの経験ができたのかもしれない。今みたいに通信も交通も発達してないから都会と田舎の格差が大きかった。
話を戻して、実際に子どもにお菓子をくれるやさしいおじさんやおばさんが珍しくなかった以上、それを利用した犯罪者が出るのは自然な成り行きだったと思う。
そもそも私が、立憲支持者の多いような界隈に生きていて、なのに私自身が安保重視で軍拡的な考え方の持ち主だから、ストレスが溜まるんよな…。
周囲の人と政治思想が合わない。
>>219
単純化して物事がクリアに見えたほうが分かった気分になっちゃうんでしょうね。
残念ながら世の中は非常に複雑でとても真理なんて見えたもんじゃない…。
分からないものを分かりたいというのは人間の好奇心で非常に重要だと思うけど、短絡的にすぐに結論を求めようとするからとんでもない単純化が起きてしまうんだろうな。
バカでもわかるほど分かりやすいものなら読まなくても最初から分かりますわ。
サルでも分かるってタイトルもあるなぁ。読んでも分からなけりゃサル未満か。
難しいものを誰にでも分かるように解説するって実際にはものすごく深く理解してなきゃできないことなのに、簡単にやっちゃってる著者が多いのは理解してないんだろうね。
私は昔、親鸞をマジメに解説してる本を読もうと図書館でトライしたけど5ページで投げた。
そして親鸞を理解できなくてもいいから自分流に曲げて自分の哲学にすりゃいいやという結論になったので、私の考えてる「悪人正機」などは親鸞の悪人正機とは別物に仕上がってる。でも自分の中で役立ってりゃそれでいい。
「自己啓発」ってずいぶん前から流行ってて自己啓発のための研修会も職場で奨励されてるけど私はほとんど興味なく。最初はいくつか受けたんだけどその場でなんか納得したような気分になるだけで現実に活きたことなんてなかったんで。
といって私に講師やれって言われても結局あまり役立たないものしかできないんだろうな。だから講師を責める気はないが、役立たない研修のために予算使って「やってます感」を出すこと自体には疑問がある。