非日常の哲学ばかりが横行して、日常の哲学が不足しているように感じる学者の世界は非日常の空間だから、彼らの言説が日常を支配するようになってるのは正直やばい非常識な議論をするのが学者の仕事で、それは思う存分してもらっていいのだけれど、日常に適用するのはまた別日常の世界にはまったく別の力学が働いているのだから目の前に広がる日常の世界があまりにもモノクロになり過ぎているせいで、中国ガ―とか自民党ガ―みたいな、やたらと主語が大きな非日常の議論がネット上で横行しているんだろうなあ、と思っちゃう