noteはツイッタラー向けにあるようなものだと認知してる。noteを始めるならTwitterの利用も欠かせなさそうだ。
はてなブログは、無料版だと制限がありすぎるうえに有料化が高いって聞いた。有料プランの購入が一度きりで済むのなら問題ないけど、継続するのに定期的に支払いが必要になるのなら中々厳しいな。月の支払いともなれば尚の事
完全に初心でブログに触れる身だから、今後の為にも慎重に後悔のないように選択して続けていきたい所存。
使ってみた感想(あくまで個人の感想です)
【ライブドア】全体的に無難。1つのIDで10個ブログを作れるけどあっちとこっちで完全に別人にはなりきれない。PC閲覧は広告なし最高。スマホ閲覧が広告うざい。有料プランなし。
【FC2】改造できる自由度が高い。テンプレの数が多いが素人の投稿テンプレはゴミが多い。1つのIDで1ブログだがそれ以外のサービスも使える。会社のイメージ悪いけどブログは多機能で使いやすい。
【Seesaaブログ】FC2同様改造しやすい。1つのIDで5ブログ可能。アップロードできるファイル拡張子に制限がなく、ディレクトリごとにPASSかけられるので便利な時もある。操作が重い。
【gooブログ】NTT系列のブランド価値。機能は少なく不自由感。無料版はスタイルシートいじれない。初心者向け特化みたいな。カテゴリごとにPASSかけられるのは珍しい機能だけどあまり使わないかも。
【Amebaブログ】改造には不向き。ピグに興味なければ選ぶ理由あんまりなさそう。でも利用者数が多い。芸能人御用達。ちょっとクローズな世界かも。
【JUGEM】1つのブログを多人数で更新する時にはこれ以上に便利なブログはない。そこそこ多機能でもある。女の子向きな意味合いでオシャレ感あり。
完全に初心者から始めて慣れてきたらちょっといじってみて…を考えるなら、ライブドア、FC2、Seesaaあたりかと。あくまで私の使ってみた範囲です。
つい昨日・・・というか数時間前にPCにガタがきたっぽい。
動画を視聴してたら、いきなりギギギギビガー!!って雑音がヘッドフォン装着してた耳に衝撃を受けて更にはフリーズ…。強制的に再起動を行ったら電源が付こうとしたり消えたりの繰り返し状態となってた。
兄に見てもらったら寿命だと伝えられた。因みに私が使っていたPCは6.7年前から使ってたもの。
私はPC知識が皆無なので手を付ける手段も分からず思い留まってる現状。ライブドアにしようとブログを始める予定が妨害された気分だ。
詰んだな。どうすることも出来ない
時間を無駄にして過ごしたりせず、もっと今後の人間関係や自分の技術面とか慎重に考えて時間をかけてでも腕を磨くべきだった。今更後悔しても遅すぎたわ
スマホも画面にヒビが入ってるから正直不安が募る一方なんだが、考えを改めてみるしかないか。
スマホの方は、noteにちょっと触れたんだけど添付した画像のサイズとか位置変更とか基本操作が分からなすぎて手を止めてしまってる。本当何もかも初めてとする体験だから頭がパンクしそうだ。
3年ぶりの開催
『第4回加藤純一万博!!』
2019、1月~2021、11/30
全生放送(Youtube、ニコ生、Twitch)
ゲーム+フリートーク名シーン傑作選
(20:05~放送開始)
https://youtu.be/F4SKZ6bR7f0
今は正常にやれてるからいいものの
ゲームが起動しない問題云々で
Windows10より前にWindows8.1に戻して
DirectX最新版より前のDirectX9(古いバージョン)の方をWindows8.1に取り入れて漸く起動出来たが、どういう仕組みしてんの。
何で最新版でアプリケーションエラーが起こるの
h ttps://e.z-z.jp/thbbs.cgi?id=djmawhtpwjmadt&th=65703&style=1&name3=&num=all
また時間が空いた時に読む用にスレ番をメモ
46〜72を重視にメモしてこうかな。
親が子に教育するには親自身の考えで子に教育し学びを与えるべきだと私は考えてたけど、そう考えてた私は馬鹿だったか…。
また割く時間が出来たら改めて読むとしよう。
んー
やはり叱責する程の拙い発言をしてしまったのか自分自身じゃ考え難いな。思えばどう発展して行き着いたんだったか…。
確か、第二回目の楽園論争大会のトランプとスカーサ(ナチュラル)の力VS技の議論がトランプの話題から蒸し返った辺りから話が始まったんだったかなぁ
最近、何かしようと動作する度「何しようとしたんだっけ私」ってなる事が頻繁に起こって記憶も真っ白になる事がよくあるから記憶力危ういんだよな。
学生時代よりも記憶力が急激に低下してる気がしてならない。
ブレインロック現象というものがあるけど、そういうことでは...ない?
まぁ、脳トレしてワーキングメモリーを鍛えるとか、健康的な生活を心掛けてパフォーマンス(特に脳の)を保つとかするしかないんじゃないかな。
それはそうと、昨日ログ見返してたんだけど、第二回論争大会って俺決勝まで進んでたんだな(笑)
もう全然記憶なかったよ(笑)
近しいかもしれない。
それに、想像に完全に入った状態と化して現実で今見えてる光景を認識しなくなって意識が飛んでる事もあるよ
自転車に乗ってる時が確実にそうだね。意識が無くなり無意識となってる。必ずと言っていい程そんな状態だけど、今迄で一度も事故った事がないんだ。無意識になってると錯覚してるだけ?と言われたら否定は出来ないが現実の光景は全く記憶にないんだよね。
ずっと想像してた事だけがちゃんと記憶に残ってるし
気づけば行き先に着いてると感じた瞬間に“無意識”になっていたと意識が入る感覚があるから、その前まで動いていた私は意識がなかったと私の中では察知している。
普段はどうなのかと聞かれたら普段も何もしてなくたってなる事はなる。定かではないが生まれながらにしてずっと所持しているペットボトルから未だに離していない状態を私はライナスの毛布と呼んでいる。
勝手に呼んでるだけだから実際のところこの症状は不明だ。ただ、肌身離さず持っていたいとか、持っていると安心感を得られるって訳じゃない。
私が想像に入りたい時に起こす動作の一つが“ペットボトルを揺らす”事だから、普段ペットボトルを所持しているって訳だ。外出時は太めのボールペンをペットボトルの代わりとしている。だが、ボールペンは太めでもペットボトルと違って想像し続ける事が安定しにくい。
だからボールペンはペットボトルが無い時の一時しのぎに過ぎない。因みにボールペンを所持している時は“ボールペンを弾く”動作を起こしている。
虫ケラと話してる時、母親事情を少し話した。私の母親は普通の人なら理解し認識する事が出来ない。遺伝なのか私もそれが引き継がれてしまっている。
例えば、暴力を「暴力」と判断する事が出来ないようにね。要は暴力という言葉自体は分かっていても暴力とする判断が出来ないって事だな。
脳トレして学びを得ても学び得た事を記憶してるだけで私が学び得た事を理解出来るとも限らないし理解出来なければ応用も出来ないよ。
保つ以前に、意識・動作/認識/判断力それぞれが機能していない事がある。
大会ね。トランプによるとあの頃がトランプの全盛期だと自分の武勇伝として語っていて優勝した事も誇っていたよw
当時、決勝戦の審査が総掛かりでされていた事だけは薄らと思い浮かべられるんだが如何せん内容が思い出せないな。ただ、本当にドロー寄りの僅差だったようだね。
別に何も悪いことしてなくて言葉使いが悪い訳でもないのに
その場に居るだけ
喋ったりするだけ
等でウザがられたり嫌われる奴って居るよね。これ本当に何?
リアルに限らずネットでも居るようだから見た目が原因というケースのみではなさそうだな。
あるねえ
悪い奴じゃないのに一緒にいると疲れる人
そういうタイプの人は無意識で人からエネルギー奪っちゃってるんだよ
単なる見た目というより、些細な所作の積み重ねかなあ
一つ一つは小さなことでも、それが積み重なるとその人の存在そのものが他人に不快感を与えてしまうことすらありえる
逆に言うと自分の一挙一動作に意識が向いている人って相手も気持ち良い
だからホストやキャバクラみたいな接客のプロはそこが上手いんだろなあと思う
沢山の人と関われてる人は大変そうだけど羨ましく思う気持ちもある。
でも、所作を常に意識するのは疲れるし気が抜けやすいしそこまで学ぶ機会もそんなになかったね。
別にプロになりたい訳じゃないけど、良い意味で意識が向けられる人間となって良好的な社会的ネットワークで保っていたいよ。
嫌悪感抱かれるだけならまだしもぶつけられるのはさすがに身体的にも精神的にも持ち堪えられない。
一方的に自分が気を遣ってばかりだと疲れるけど、理想的にはお互いにうまく循環できれば良いんだよね
自戒を込めて言うと、コミュニケーっションが苦手な人ってベクトルが極端に偏っている傾向がある・・・つまり、自分か他人に意識が向き過ぎている
いろんな要素がうまく調和して、良好なコミュニケーションが成立していると思うんだけど、うまい人はいちいち意識しなくても車の運転みたいにそれが自然とできてしまう
下手な人はあぶなかっしい運転してしまう
あぶなかっしいだけで、決してルール違反しているわけでもないんだけど、その不自然さが他人に不快感を与えてしまっていることは往々にしてある
でも結局は数をこなさないとどうしようもない
車や自転車も最初はひとつひとつ意識を向けて練習したように、コミュニケーションもそれと同じだと思うんだよなあ
コミュニケーションでありがちなのが年の離れた相手だと返答が「はい」と続いてしまいがち←他に返せる対応が思い付かなくて昔からの悩み
気を軽くして話す事も私は出来ない。腰を低くして会話するのが自分の中では当たり前のように染み付いてしまってるので繋がりが持ちにくい
他には主体性が備わっていない等々、思い当たる節は欠点だらけだね。
でも誰に対してでもそういう訳じゃなくてたまに会話が進む事もあるから
あれ?コミュニケーション取るの上手くなって上達したんじゃないか自分?と錯覚に陥る事があるよ。車の運転慣れてきたと思ったら後になってまた不慣れな状態に戻るんで、ただの錯覚だった事に気付くんだよね。
年の離れた相手にとりあえず遠慮ぎみに接しておくのは実生活では必要だと思う。
相手を見ながら大丈夫だと思えば近づけばいい。それを許さない相手には距離を置いたままで。
年上年下かかわらずコミュニケーション取れない相手はいるよ。私の場合は年下と話せるかどうかが課題だけど話しかけると無駄に「年上だからって威張るなよ」オーラを出しまくる若者もいる。そんな人の周囲にはきっと威張る年上が多くて、「年上は圧をかける会話しかしない」という警戒心が染みついちゃってるんだろうなあ。
あとは単純に相性の問題とか。
だからと言って何でも「はい」と応えるのは社会で生きるのに後々苦しくなってくると思うんだよね。
オーラだって大事じゃない?逆になよなよしすぎると周囲から嘗められて「こいつなら〜」って他人にとって何の問題にもならないだろうと思われ、都合のいいように扱き使われてしまう事だって充分にあり得る訳だしさ
とはいえ、警戒心が強めだと今度は浮いてしまいがちでその場で一人過ごしてると虚無感に襲われるんだわ。これがまた個人的には調整がとても難しくてね。
ところで昨晩、大きな地震なかった?棚が開いて皿が何枚か割れてるんだけど
謙虚であることと自分に自信がないことは違うからなあ
後者はコミュニケーションのテクニカルな問題ではなくて、もっと根本的な問題だから、まったく別のアプローチが必要だと思う
コミュニケーション自体も周囲を見てる自分視点では、どこからそんな話題を収集してるんだって思わせられる事があるが
もっと別で考えて見直すとするなら、自分のバリエーションを増やせたら改善の余地がありそうな気がしなくもないかな。
しかし、心当たりあるのが「何考えてるのか分からない」とのような事を言われる事はよくあったね(※一個人ではないよ)。それはお互い意思疎通を取っていなければ当たり前のことでは?って疑問に思うけどなぁ
ようやく見つけた。
私が小学四年生の頃に学校の授業で見せられたビデオ
うん、段々と思い出してきたぞ。
拉致の目的は、日本語教師を確保する事で
拉致被害者(当時、日本人である女子中学生)は、北朝鮮の内部事情を知ってしまったから外へ解放する事が許されなくなったっていう胸糞悪い内容だったかな。
私はこの話が衝撃的すぎてすっかり頭の中にこびり付いちまってるんだ。一度見た事ある人もはっきりと見覚えがあるんじゃなかろうか
北朝鮮による日本人拉致問題啓発アニメ「めぐみ」
https://www.rachi.go.jp/jp/megumi/gaiyou.html
政府インターネットテレビ「動画」
https://nettv.gov-online.go.jp/mobile/prg.php?p=1754
私は学校で北朝鮮の行いや巧妙な手口を実話を基づいて制作されたビデオ(アニメ)を視聴して横田めぐみさんの拉致問題を知って今も尚覚えているから現状を知れたけど
40年以上、年が経過して母である横田早紀江さんも取材に応じて記者会見に出続けてるにも拘わらず、この話題あまり表沙汰に出てないのは問題ありすぎでは???
偽物の遺骨を渡して拉致問題の話を終わらせようとしたとも聞いた事があったけど、ひょっとしなくても政治家はこの話自体を蔑ろにしようとしてるのかな。
蔑ろにしてるわけじゃないけど、この問題は金正恩が首をタテに振るか北朝鮮の現体制が潰れるかどっちかしないと解決しないわけで。
今はそれよりコロナ対策が優先、今はそれよりウクライナ問題が優先、北朝鮮では核とミサイルのほうが怖い、とか言ってるうちに優先順位が下げられ続けていることは事実。
警察庁の推測だと800人以上とされていて
政府が認定したのは17人だけ
ごく一部しか取り上げられず表沙汰にしてないのを見ると、もしも自分が拉致されていたらって思念しちゃうよね。
https://twitter.com/7hiroyuki9/status/1509915824806457347?t=An8JCqQHr8URiqfq2IQOaQ&s=09
高校の頃
英語授業担当の女性教師が、私のクラスだと至って普通の授業なのにいつも凄く楽しそうだったので気にはなってた。
他の同級生も疑問に思ってたらしく、直接聞いてみると教師はにこやかな表情のまま訳を話してくれてた。
聞いた話に拠れば、下の子(後輩の)クラスの方だと授業中にYouTube開いて音楽聴いたり、お弁当出して食べ始める子も居たんだそう。
私のクラスの場合は、他クラスと比べればそこまで荒れてはいなかったものの人嫌いが激しかったから私のクラスでも英語の教師の事を嫌ってる人は多数居た。
けれど、どう生徒からキツく当たられる事があってもいつものように優しい笑顔で対応して何一つ表情を崩す事がなかったな…。
私だったら耐えられずに逃げ出してしまいそうだけど、あの時期どんな気持ちを抱えて過ごしていたのだろうか。
私は学校教員でも塾講師でもないけど仕事で授業なるものを数年やってたことがある。
最初の2年くらいは完全に学級崩壊状態で、授業中に生徒に殴られたことも2~3度はあった。
けどその時はその状態がデフォルトってくらい荒れてて誰の手にも負えなかったし、授業以前の状況だったからそれほど気にせずできることをやっていた。怒ることもあったけど基本ニコニコしてたと思う。実はけっこう楽しかった。
心が折れかけたのは最後の1年。
この時の状態は前よりもずっとマシだった。でも、結果を求められたし、私の担当は最高学年。一番良い結果を求められる立場だった。そのうえ以前と違って職場内の人間関係が悪かった。
学級崩壊そのもので心が折れるというよりは、そのクラスに何を求められるかということで折れるんだと思う。
たとえば高校では、もともとガラが悪くて崩壊が当たり前になってるところならむしろ教員はダメージが少なくて、そこそこの学校なら崩壊の度合いがそれほどでなくても辛いと思う。
周囲からかけられる重圧次第だな。
学級崩壊ってフィクションの中だけだというイメージがどうしても拭えない。理屈ではそんなことはないというのは分かるんだけど、それくらい少数派なんじゃないかとは思ってるんだよね。
それはたまたま育ちが良かっただけで、むしろ学級崩壊してるところの方が多いレベルでは?
圏内の公立中学がどこもやばいから、私立に行かせるなんてのはよくある話
校区の公立中がやばかったから私立に行った私←
なのに仕事で学級崩壊を経験するとは思わなかった
中学校以上の学級崩壊と小学校低学年のはたぶん質が違う
前者はいい子にしてるのがかっこ悪くて粋がってる人が中心だけど後者は大人しくしたくてもできない
前者は一過性だけど後者のほうが根深いと思う
確かに小学校の学級崩壊はやばそう・・・
学校の教員って本当にいろんなところから板挟みになってて可哀想
でもこれって生徒の責任じゃないし、ましてや生徒を罰するなんてもってのほか
小学生なんて特にそうだけど
担任一人だけにあまりに負担がかかってしまっている労働環境の問題であり、そういう子供を放置させてしまっている家庭環境の問題(あくまで環境全体の問題で、これも親に責任を負わせればいいって問題ではない)
すぐみんな誰かに責任を負わせたがるけど、そんな単純な話じゃなねー!!
知らなきゃ現実的に信じ難いことはあるよね。
例えば
いじめはあっても、性的ないじめはそんなに多くはありませんよねって実際目にしてないからと主観で推し量っちゃうタイプの人
まぁ育った環境が違えば分かり合えなくて当然なんだけどね。
でも、もし自分が言われる側の経験者の立場だったら( 共有出来る力さえあれば )ちゃんと実際に起こっていることだと証明したい。
今日、昼の最高気温24度で父は春日和だと言っていたけど
私は春早々に真夏の海にいたかのような真っ黒日焼け状態ですよっと…。
学級崩壊で思う事があるんだけど、学校内で犯罪行為が起こっていた場合って学校外で起こす犯罪よりも捕まりにくかったりするのかな。
いじめの行為が度を越していても問題として取り上げられてる話題をこれまで読んできたものの、大抵被害者が他界された後だったり(もうちょっと早めに問題を取り扱わないのかと疑問)
特に中学は問題事が多かった時期だけど、数人の生徒が犯罪紛いなことを行っていたことが多々あっても強いて軽い注意喚起があったぐらいで目を瞑られることがよくあった。
学校の評判/自分の身分・地位で保身に走っている教員と生徒に協調性を持って取り組んで守ってる教員とではどれくらい比率が起きてるんだろうね。
明らかな犯罪行為なら捕まるけど、いじめみたいなものはそもそも問題が発覚しにくいと思う
大人は誰も認識しておらず、生徒は見て見ぬふりをしていることが多い
親はまさか自分の子供がいじめられっ子になっているとは夢にも思わない
知らなかった、認識してないだけならまだしも
学校側が隠蔽したりする仕打ちが分からんし
教師や保護者がいじめへの理解度が低い話もよく耳にするし
実際に経験してる側として本当にモヤモヤが残ってるのはいじめられる側に非があるように責められることだね。
実は見て見ぬふりされる方がまだマシだったぐらいに更に追い詰められてたことがあったりして、そこから歯車が狂ったのか好きだった勉強に手を付けられなくなってったな。
叱る対象の矛先がいじめっ子よりもいじめられっ子に行きがちな現象は何なんだろう。
閉鎖的な環境にあるほど「いじめ」という犯罪行為は発覚しにくい。
街の真ん中でやったらすぐに発覚する。
それに比べて学校という空間なら発覚しにくい。
入所施設の中なら親子の接点も極めて少ないからなおさら発覚しにくい。
入所施設よりも里親家庭のほうがもっと発覚しにくい。
そして実の家庭内のことが最も発覚しにくい。いじめというより虐待の話になっていくけど。
>>66
「いじめ」という単語に含まれる意味があまりに多すぎるんよね
各人が抱いているいじめのイメージが統一されていないから、いじめ問題の議論は噛み合わないことが多い
無限の例が存在し、各ケースごとに実情は異なっており、一般論でいじめを語ること自体が実は危険とすら思う
という前置きをした上で、あえて語るならば、いじめは被害者と加害者という単純な個人間の関係に終始しないことの方が多いのでは?
自分が見聞したケースでしか語れないけど、加害者が明白なものは少なくて、その多くは無視や仲間外れなどの「ライトないじめ」だった
こういういじめの場合、個人と個人の関係というより、クラス全体の空気が生み出していることが多い
そしていじめに限らずだけど、クラスの空気や秩序を作り出すのは常に社会的強者で、スクールカースト上位層だったりする
彼らは、生徒からも信頼され、大人からの評判も良いことが多い
それで問題は、どういう子がターゲットになりやすいか
それは強者が作ったクラスの空気をぶち壊しかねない子
クラスの秩序を乱してしまう子
つまり、空気が読めない子
余計な一言を言って周りの雰囲気を凍らせる人っているじゃん?ああいう子はターゲットになりやすい
一人一人の感情は「あいつうざいな」程度の些細なネガティブ感情なんだけど、集まるとその力は計り知れない
この場合、多くの子がいじめられっ子に対してネガティブな感情を持っているから、教師が事情聴取したときも生徒の多数感情に誘導されてしまう
結果的に、「おまえにも原因がある」という言葉に還元されていく
少し話がずれるけど、自分がいじめのターゲットにならないために仕方なくいじめに加担するケース、をよく聞くじゃん?
フィクションでもよくあるけど、あれってかなり利発な子に限ったケースで実際は少ないと思うんだよねー
本当は嫌だけど仕方なくいじめに加担するって、想像力豊かで根が優しくないとできない
実際は軽いノリやクラスの空気で、いじめをいじめと認識せずに、相手を苦しめてしまっているパターンが多いと思うし、だからこそ、いじめ問題は複雑で難しい
「いじめ」のイメージって、ジャイアンみたいなリーダーがいて、スネ夫みたいな腰巾着が複数いて…っていう形に限らないんだよね。
間違いなく被害者が存在していても、主導するジャイアンがいない。特に積極的な数人がいたりもするけど、その数人が固定的じゃなくて流動的だったりする。
そういう場合は被害者がいても加害者が漠として掴みづらい。だから被害者に原因を求めてしまう。
あとは職員室の闇もある。職員室の中でも同じようにいじめ構造がある。
それは学校に限った話じゃない。本当に胸糞悪い大人のいじめをいくつも見てきた。
学校のいじめも同じだと思うけど職場内でよくないことは起きてほしくなくて、起きなかったことにしたい。そして、起きたものを起きたと言う人は、じぇいそんの言うところの「空気をぶち壊す」「秩序を乱す」存在になる。
たぶん職員室の中でも「これは無かった」という空気が支配しちゃうと組織をあげて隠蔽に走らなければ逸脱した先生がいじめられるんだろう。
隠蔽して何になるの?っていうと、ただでさえクソ忙しいのにもっと忙しくなるとか、校長のその後の出世の道が絶たれるとか、そういう歪んだ組織防衛のためだろうな。
ちなみに参考にはならないけど私は小中学生の間、いじめに微塵も加担したことはない。見て見ぬふりはしたことがあるのでそれも加担のうちと言われれば加担になるけど…大体、私は被害者に肩入れするほうだった。不思議なもので被害者に肩入れしても私が一緒にいじめられることはなかった。たまに、持ち物を隠されるくらいの被害は受けたけど、それは誰でも受けていたあくまで単発の嫌がらせ。
小中でみんなと違うことをやってもいじめられなかったから、空気を読む能力が身につかなくて、高校でよもや教師にいじめられることになった。社会人になっても私が基本的にKYなのは変わらない。かなり激烈にいじめられることもあるし、まったく許容されることもある。
ヒエラルキーの上位に居る人って必ずしも単純に運動能力に優れていたりとか頭が良いとかそういう訳じゃないよね。
個人個人に対し、それぞれ相手の素性に合わせた距離の縮め方がよく出来ていて周囲を手駒にする過程を作り上げたのが鉄壁に仕上がってるって感じ
且つ標的として付け込んだ者を填めて陥れて、輪から外し居場所を無くさせる手口迄が巧妙で上手いとばかり圧倒される。
そして更に上手いと思わされるのが、張本人は明らかな敵意を見せずに
陥れた側には「自分の味方になってくれている」と思わせて弱りきってるメンタルに敢えて優しく触れている事。これが意外にも裏に気付けない行為だったりする
理不尽な抑圧からの救済処置の提示をする事で相手を篭絡し、自分にとって都合いい存在にするよう扱う人心掌握術・人心操作術に長けていると言ったところか。
これはまた異なる事例となるが、いじめにも王的立ち位置が居る謂わばリーダー的存在な奴って異常な空気を放っていながらも何故か乱れないよな。どころか周囲も乗っかって圧力をかけてくる
同じKYに感じるのに違いは何なんだと、自分とは何が違うんだと微かに疑問になる子も居るとは思うんだよね。
それにしてもいじめってのは不思議なもんだな。
いじめる側が無自覚なパターンもあれば意図的にいじめる子も結構居て、男女何方にもある話であり性別は限られていない。
況してや、根まで悪い子じゃなさそうな子までもが、いじめっ子側の陣地に付いてるのだからいじめる側が皆完全に悪人って訳でもないのかな。
一人だけみにくいアヒルの子がその場に居るだけでそんな周囲を悪く変化させられてしまうもんなのだろうか。
今季視聴してるアニメを話してく(一応グリム氏と話した続きとなってる)
「パリピ孔明」
一見、出落ちギャグアニメと見せかけてその中身は智略を駆使して歌姫をプロデュースするガチが入った内容となってる。
要するに
現代に蘇った孔明が智略の限りを尽くして1人のシンガーをなりあがらせる話
孔明(三国志)って神様みたいな知謀で誠実な人柄で人気が高いからか、ときどき子どもの名前になってるんだけど…
名付ける親は「過労死するほど無理を重ねても夢を叶えられなかった人」という孔明の最期を考えてるのだろうか
ちなみに私は進研ゼミやってた時にペンネームに仲達を使ってた
なんだかんだで「最後に勝つ」という意味で
私理解するのに時間掛かるタイプだから初め読んだ時は分からなかったけど、キラキラネームの話か。
私が名付けるのに意味を齎すなら「知恵だけでなく経験も豊富に積む」ことを教えるね。