近しいかもしれない。
それに、想像に完全に入った状態と化して現実で今見えてる光景を認識しなくなって意識が飛んでる事もあるよ
自転車に乗ってる時が確実にそうだね。意識が無くなり無意識となってる。必ずと言っていい程そんな状態だけど、今迄で一度も事故った事がないんだ。無意識になってると錯覚してるだけ?と言われたら否定は出来ないが現実の光景は全く記憶にないんだよね。
ずっと想像してた事だけがちゃんと記憶に残ってるし
気づけば行き先に着いてると感じた瞬間に“無意識”になっていたと意識が入る感覚があるから、その前まで動いていた私は意識がなかったと私の中では察知している。
普段はどうなのかと聞かれたら普段も何もしてなくたってなる事はなる。定かではないが生まれながらにしてずっと所持しているペットボトルから未だに離していない状態を私はライナスの毛布と呼んでいる。
勝手に呼んでるだけだから実際のところこの症状は不明だ。ただ、肌身離さず持っていたいとか、持っていると安心感を得られるって訳じゃない。
私が想像に入りたい時に起こす動作の一つが“ペットボトルを揺らす”事だから、普段ペットボトルを所持しているって訳だ。外出時は太めのボールペンをペットボトルの代わりとしている。だが、ボールペンは太めでもペットボトルと違って想像し続ける事が安定しにくい。
だからボールペンはペットボトルが無い時の一時しのぎに過ぎない。因みにボールペンを所持している時は“ボールペンを弾く”動作を起こしている。
虫ケラと話してる時、母親事情を少し話した。私の母親は普通の人なら理解し認識する事が出来ない。遺伝なのか私もそれが引き継がれてしまっている。
例えば、暴力を「暴力」と判断する事が出来ないようにね。要は暴力という言葉自体は分かっていても暴力とする判断が出来ないって事だな。
脳トレして学びを得ても学び得た事を記憶してるだけで私が学び得た事を理解出来るとも限らないし理解出来なければ応用も出来ないよ。
保つ以前に、意識・動作/認識/判断力それぞれが機能していない事がある。
大会ね。トランプによるとあの頃がトランプの全盛期だと自分の武勇伝として語っていて優勝した事も誇っていたよw
当時、決勝戦の審査が総掛かりでされていた事だけは薄らと思い浮かべられるんだが如何せん内容が思い出せないな。ただ、本当にドロー寄りの僅差だったようだね。