特に基礎研究は全然理解されない
日本の理系ポスドクとか高学歴なのにアルバイトしないと生活できないという・・・
勝ったといっても議会は少数派だし安哲秀に借りを作ったし政情不安定か。
日本と違って二大政党がうまく機能してるからなあ。
日本も民主党があんなにコケなければ可能性があったのに。
ただ韓国の大統領は悲惨な末路が約束されたようなポスト。
文在寅もそうなるだろうけど尹錫悦もまた革新系が政権とったら同じことになるのかな。
とあるレースゲームのオンライン対戦。自分の住んでる国の国旗が表示されるんだけど、日本サーバーに入ってくる香港の国旗プレイヤーがあからさまに妨害してくる。
国家レベルで睨み合ってるからかなぁと思ったけど、同じ香港プレイヤー同士で妨害し合ってるから多分そういう国柄よね。
北京オリンピックのスピードスケートとかでもそうだったけど、あの国って道徳の授業ないんかね(笑)
もちろんスポーツマンシップに則って最後まで潔いレースをしていた人もいたけどね。
その人は妨害しようと思えばいつでもすることができたっていう場面でも、ちゃんとブレーキ踏んで避けてくれたりしたよ。
ヤフーメール
新デザインになって読み込み遅くなった
旧のときは瞬時に画面変わってたのに数秒かかるのじれったい
あとせっかく新ドメイン作ってくれたんだから
新ドメインでもセーフティーアドレス使えればよかったのに
メアドに使える記号に「ー」が含まれるということは将来的にもそれはナシか
EU撤退したぶん国内に力を入れてくれる姿勢は良い
ゼレンスキー大統領がアメリカ議会での演説でパールハーバーを持ち出したことで日本人は多少不愉快になっているようだ。
まあ確かに愉快なことじゃないが、長年経験のある政治家でもこのへんを公平に見るのは難しい。また当時のアメリカで「リメンバー・パールハーバー」と言って反日を煽ったのも事実だからアメリカ向けの煽動メッセージとしては悪くない。本来政治に素人だったゼレンスキーがこの緊急事態においてきめ細かに相手の国民感情に配慮するのは難しいだろう。
何より、いま日本がロシアに対してウクライナに対して何をどこまでやるべきか、それはゼレンスキーの口先の失言で変わることじゃない。やるべきことはやるべき。やらないことはやらない。パールハーバー発言に機嫌を損ねてウクライナへの支援を考え直すべきとか感情論に走る人はよほどゼレンスキーが自由の守護者で正義の味方だと信じてたのかな。
ゼレンスキーはドイツには「こうなったのはお前らのせいだ、だから助けろ」的な論調だし、言い方に目くじらを立てる場面じゃないよ今は。
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1504282067114225668?s=20&t=cSPeVlVav3BF4frnJa_J2g
そうだよなwwロシアに失礼だよなwwww
ロシアは日本と違ってちゃんと宣戦布告したもんなwww
https://kaikore.blogspot.com/2022/03/16.html
多分死ぬまで俺がこの道路を使うことはないだろうけど、こういうのは本当リスペクトする。
日本はこういうのすごく早いね。
逆に言うとこれだけ早くないと苦情がすごいんだろうね。
修理する人もたぶん激務に苦しんでるだろうし、早く修理できなければ人流や物流が遅れて許されない人がたくさんいるんだろう。
ドイツの修理が遅いっていう話だけど、それでもちゃんと回っていく社会という面では日本より良いのかもしれない。
まあなんだかんだ言っても早く直るのはいいことだ(←結論で今までの話がひっくり返る)
日本は時給1000円のレジ打ちでもそれなりに声と顔つくってくるからなあ。
客側としては安心できる。でも社不はニートやってろってことでもある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9be26e7756526497af385f9634979860875791c
昔テレビで西日本と東日本で異なると言っていたのを見たな。別に鵜呑みにはしてないけど。
個人的には普通にかけて食べてはいる。
何なら麻婆豆腐もかけている。麻婆丼というものは存在するしね。
でも味噌汁はかけない。かけてた時もあった。冷や汁にするならかける。
ただ、これご飯と混ぜてもいいものと悪いものの境界線が曖昧なのが気になる。
シチューは個人的にかけてはいるものの、悪くないものだと胸を張って言えるほどの自信はない。強いて言うなら食事が早く終わることくらいかな。
仮にこれを許すならポトフもミネストローネも、汁物なら何をかけてもいいという話になる。
こういうのは好みの問題でもあるし育った環境でもあるし良い悪いの話じゃないと思う。
ちなみに私はご飯をかけないし、かけてる人を見たこともない(パンは何度か見たことある)。
食事の仕方で私が一番納得できないルールは給食の「三角食べ」強制。
私は一品ずつ食べる習慣なんだけど三角食べしないと(私の時代は何もなかったが食育が重視されるようになってからは)いろいろ指導されるようになってきてる。三角食べのほうがなんか体にいいという根拠はどっかにあるらしい。
極端な人になると、「三角食べをせず、一品ずつおかずを食べる人は、一つずつのおかずに執着しているから自閉症スペクトラムの疑いがある」とまで言ってた。
そもそもフォーマルな場では一品ずつ出るんだから一品ずつ食べるのがマナー違反なわけないだろと思う。
食事のやり方は人それぞれ。かけて美味しければかければいい。公式の場ならともかくプライベートであんまり気にすることないと思う。
昔、漫画のそういう食育みたいなのでひとつの物を食べながらほかの食べ物を食べるのはNGって書いてあったような記憶が🤔
三角食べエ……
孤食ならともかく、複数人でおかずを共有するタイプの食事で1品に集中されると「このおかずがなくなってしまう!」と焦ったりするので、満遍なく食べてほしいです。
https://twitter.com/gripen_ng/status/1506935546865917954?s=20&t=JcJdKsqbYNVg5d-qKCN62w
これ実は彼なりのクーデター説。
そうでも考えないと「そんな頭の悪い行為を本当に素でやってしまったのか?」という疑問が解決せず残ってしまう。
「もう限界、絶望しかない、死ぬしかない」というツイートに対して「大丈夫ですか?」ってリプする人は何考えてるんだろ。
本人の現実の状況は分からんけど少なくともツイート内容は大丈夫じゃないっていう意味以外に受け取れないじゃん。
「心配している」と直截的に言うと、「心配をかけている」という罪悪感が生まれやすいから「大丈夫ですか?」という遠回しな表現になるのでは……
声をかけたいけど良い言葉が思いつかないからとりあえず言っとこうみたいな雰囲気かな…。
「大丈夫ですか?」は「大丈夫です」と答えさせる圧を感じる、と言う人もいるから私は使わないようにしてる。
声をかけたいけどってそれは声をかけるだけでそこから進展がなく留まるのがほとんどだよね。
そんな程度だったら初めから声をかける事自体不必要ではないかと思う時はある。心配してるだけで助言をくれる事もなければ、声をかけて返答をもらったら「お大事になさって/ゆっくり休んでください」「(特に何かアドバイスがある訳じゃないけど)頑張ってください」の一言
言われてる側からしたら、力になってくれるのかと勘違いして余計なストレスにもなりかねない。
協調性があるならともかく
何か力になれる策(相手に乗ってあげられる言動)が思いついてる訳でもなく、ただ心配だからって理由で声をかける意味とは?と疑問には思うな。何も出来ない段階で声をかけたって状況は変わらないのだから
https://twitter.com/sivaprod/status/1507794827735277570?s=20&t=TvKA3RPNxZtp9Q4l57LTjg
何でこんなん作ったの?wwwwwwwwwwww
俺もそう思うwwwwwww
ホント何でこんなん作ったの?wwwwwwwwwwwwwww
>>535
例えばカウンセリングは、役に立つ助言をすることじゃなくて(役に立てれば一番いいけど大抵の相談内容はどうにもできない)、話を聞いて共感することが大事。だからここでも共感的な言葉をかけるのならいい。でも「大丈夫ですか?」という声かけは、思いっきり「大丈夫じゃない!」と叫んでる人にとっては否定されてるように感じることもある。受け取り方はそれぞれだけど。
>>536
その手の芸術家が何考えてるのかは私もわからん。
もしもその構造に「私でも理解できる意味があるとしたら」という仮定で考えると、人は「見えないけど何かがある」というものに心を惹かれる。たとえば山の向こうとか、子どもは絶対行けない場所だからこそ、何があるのか想像するし見てみたくなる。そういう好奇心が想像力や創造力を育てて、人類の発展にも貢献してきたと。
手の届かないところの本はどんな本なんだろう、と子どもたちが想像するところに意味がある。そしてまた、「実は大したものは何もなかった」と知ることもひとつの成長かもしれない。
…とはいえ実際には、どうせ作者は私の推測できる範囲とは全く別のことを考えてるんだろうな。
>>537
聞き上手なら不満は持たれにくいだろうけど、大抵の人は言葉選びが悪い例も耳にする事がある。
それも受け取り方は人によって異なるとは思うが、良い解釈に捉えられる方が少ないのに普通に口にしてる者が居たりする例だと
例えば「あなた以外にだって辛い人や苦しい人は沢山いるのよ」とのような事を発言、または近い言動/言行を聞いた経験がある人も少なくはないんじゃないだろうか。不快に思われてる経験者はよく目にしてたよ
私自身も、いやまったく知らない赤の他人の人生と比べるのは違うだろって思うけれどね。一般人が口にしても気に障る発言があるのだから医師やカウンセラーなら尚更言葉を選んで会話するようにしてほしいと思うがね。多少は仕方ないにしろ一般的に問題とされやすい悪く捉えられる発言は自覚して治すべきって話
それで共感するならするで、声をかけてお終いじゃなくて日々歩み寄り続けて話を聞いて共感し続けてこそ大事ではないのかな。
やっぱり、一度聞いただけで終わらせるのは話を聞いて何がしたかったのかが私には分かりかねる。
「つらいのはあなただけじゃない」「もっと苦しい人もいる」系は代表的な禁句ですね。
話を聞くのは、技術よりも気持ちだと思うんだけど、それでも技術的な面も大事。現実にやってみるとなかなか難しいんだけど、カウンセラーはあんまり多く喋っちゃダメらしい。なんとかしよう思うとどうしても助言めいたことを言いたくなる。でも努めてそれは控えめに。
共感は、相手の喋ったワードを反復するという方法がある。相手が「○○がつらい」と言えば「○○がつらいんだね」というように。何の解決にも導いてないんだけどそれで相手は「聞いてもらってる」という気持ちになる。
もちろん、声をかけて終わりじゃなくて日々の積み重ねで信頼関係を築くことが大事。ただ聞くほうだって仕事でやるわけじゃなければ、どれほど腰を据えてそれができるかって話になるよね。できなければ最初から声をかけないみたいなオール・オア・ナッシングじゃなくて、ちょっと同調するだけでもやらないよりは良い。Twitterならいいね押すだけでも何もないよりは良い。それだけで、共感する人が存在するという微力な援助にはなる。
問題なのは、自分の価値観の押しつけ。解決してあげたい気持ちが強すぎる時に陥りやすい失敗で、それをやっちゃうと相手をよけい追いつめてしまう。
相手が何を求めていて何を嫌っているのかは、あるていど交流してみないとわからないから、最初からこっちの口数が多いと地雷を踏んじゃう危険があるんだよね。
立ち入った助言は相手の状況をある程度把握してからになる。それまでは助言したいことがあってもなるべく抑えておいて、明確な解決策がない場合は相手の気持ちをまず肯定することに徹することになる。
でも私は最初はよくて途中でしくじることが多いんだよなあ。口数を抑えてる間はいいけど、だんだん多くを語るようになると私は失言癖があるので…。私は根がお喋り好きだから、仕事でもプライベートでも序盤の関係が良くて親しくなったあとでやらかして後悔する。
下手に同調してると死ぬしかない(自殺行為等)に驀地な感じがするんだが、危なくないかね。
共感する前に相手の言ってることをよく見極めておかないとそれこそ却って地雷を踏んでしまう気がしてならない。まぁ生憎、私にはそこまでの判断力はないが…
SNSで声かけちゃうタイプはほとんどが下心
声掛けしてる方が男でされている方が女というパターンばかり
メンタル弱っているならSNSなんて害の方が大きいからやらない方がよっぽど良い
本当に善意で相手のことを考えてくれる人にtwitterで遭遇できる確率なんて万に一つもないけ
いやいや、気持ちに共感するのと、行動に同調するのは全く別。
死にたいほどつらい気持ちには共感するけど自殺の行動化は全力で止める。
そこの分離ができなければ何もしないほうがいいかもしれないけど、共感することで意思疎通の歯車を噛み合わせるんだよね。噛み合ってない状態でいくら止めても無意味だから。校長先生が壇上からいくら「命の大切さ」を講釈しても誰にも何にも響かないのは歯車が全然噛み合ってないからなんだよ。
歯車が噛み合って初めてブレーキを利かせることができる。その歯車を噛み合わせることで相手のアクセルに巻き込まれないこと。そのためには自分のスタンスがはっきりしてることが必要。
そういう連中は、そんな深い考えなんてあるわけがなく、たまたまタイムラインで流れてきたメンヘラツイートに声かけしてるだけでしょ
既に関係性がある相手ならSNS以外で個人的に連絡とることができるはず
SNSでのつながりしかないということは結局その程度の関係性ということ
そんな薄っぺらいつながりで相手の行動や気持ちに干渉しようなんて傲慢でしかないし、相手にとっても迷惑なだけ
(>>542)これはそうだな。
男性は軽くあしらわれるか無視される。更に酷い場合は晒し者にされてネタにされてる事だってある。
何故かメンヘラな男性は需要がないと叩かれてる扱いもよく見られるケース
>>543
言葉で止められるのは本当に稀。大抵は卑屈やその他抱えてるマイナスな気質が治らなくてそのまま消えてプッツンと途絶える事の方が多々ある。
「ごめんなさい」とだけ兎に角謝り続けられて自分の事を何も話してくれないほど難題な関わりはなかった。そして、気持ちに共感してくだけで特に何もしてなかったら自虐な行為も余計に悪化していく。
どれだけ気持ちに共感してくれる人が複数集ってたってそこから進展がある訳じゃないから、気付いた頃には遺書的なメッセージが残っているかまたは何にもなくそのままさよならして消えてる。
SNSではよく見られる有り様だけど、リアルでも仲良かった友達や恋人の間にもそういう事はある。
気持ちに共感する以前に気持ちが死んでるのもざらにあるから技術がなければ中途半端な優しさで話を聞こうとはしない方がいいんじゃないかと私は思ってる。噛み合ったらそれは奇跡と呼んでいいね。
SNSをやる=ネット民と人間関係をやる
SNSをやらない=リアル民と人間関係をやる
クソ田舎に住んでる場合どっちがメンタルにいいかは微妙……