横断歩道渡る時最近車全く止まってくれなくて渡るのに5分かかるときある
どうもみたいな感じで会釈される時あるけどいやこっちは渡りたいねん!!って思ってる😢手挙げてるのに😢
でも赤信号で待ってる時どうぞどうぞってされたことあるからいや赤信号……赤信号だから私止まってるんですけど……って思った
最近の自動車学校だとそう教えてるのかな??
世界的にはむしろ交通ルールをみんな守る日本人のほうが少数らしい。
東日本大震災のときも小規模の事件はあっても大暴動にならなかったとか、炊き出しの順番を守るとかいろいろ感心されることが多い。
日本人は公共心があるってよく言われる。実際には一人一人の公共心よりは集団圧力、相互監視の風潮じゃないかと思うけどね。
ほぼ半年で300に到達。
らくえん全体が賑わってたころは代表的な過疎スレだったのに
全体が過疎化しても私のスレのペースは大して変わらなくて
相対的に進行の早いほうになってしまったような
https://www.vgchartz.com/article/451646/ps5-vs-ps3-sales-comparison-october-2021/
7万円以上もした初期型PS3と良い勝負してるってのは褒め言葉にはならんよ...。
最近はこの手の不満をよく見かける。
https://twitter.com/nao_p_on/status/1465100009062350852
私も小学2年生のころ、「かける数」と「かけられる数」の違いで誤答したことがある。
8×4でも4×8でも結果は同じ。だからどっちでもいいという意見もあるだろうが、案外これって重要なんじゃないかと思う。
例は違うけど、
「1個30円のお菓子を5個買えばいくらになるか」の式は30×5が正であって、5×30じゃない。30円が単価なのだから単価を基準にするのは頭の中ではとても大事なことだと思う。
ただその一方で、学校では数学の基礎として
A×B=B×A
ということを教えられる。かけ算は順番をどう入れ替えても同じ。これもまた重要な事実。
でも、かけ算は順番を入れ替えても同じというのは、純粋に「数の法則」なのであって、それは何の意味もない客観的事実である。ところが「算数の文章題」というのは、意味づけがされている。
意味のある現実を数式で「表現」する場合、やはり8×4でないといけない。それを実際に計算する場面にあっては、意味を取り除いて4×8で計算しても何も問題ないが、式を作る時点では意味がある。
…とは言っても、テストで×にするのはちょっと残酷な気もする。正答を得る手順としては間違ってないのだから△くらい(式の配点が5点なら3点くらい)あげても、と思うんだけどね。
いやどっちでもいいでしょ、という意見も必ずしも否定できないので難しいけど、私は文章題で式を立てるのは「現実を数式に表現する行為」だと思うので、順序がどうでもいいとは思わないなあ。
こういうのは定期的に話題になってますよねー
まず、ここで大切なのは単位とその数量の積がその総量になる、ということを理解させることだと思います。
南雲さんの例でいくと30円/1個×5個=150円、5個×30円/1個=150円ということです。
つまり単位さえ意識していれば順序そのものにはまったく意味がないんですよね。
おそらく単位を先に書かせるのは、単位を意識できてるか、というのを教師が確認するためなんだろうとは思う。が、もちろん算数や数学にそんなルールはないので誤りとするのに正当性妥当性はありません。
どうしても確認したいなら、予め順序や単位の明記を指定する必要がありますね。
要は教師サイドの出題ミスってことです。
この単位を意識するというのは後々、中学や高校で計算問題を解いたり、公式を理解する際に役立ったりする。
とても当たり前のことだが、意外とこの感覚が培われてない人は多いように思えます。
そういう意味で、順序を通して教えようというのはいい試みだとは思います。
しかし、世の中の学校には速度計算をはじき(?)などで機械的に教えるようなとこもあるみたい。
こういうのも見ると結局のところ、教える側がよく分かってないのでは、とさえ思ってしまいますねw
>>307
いや、単位もそうだけど、それ以前にかけ算のルール(定義)の話なのでは...。
「4×8」が4を8セット用意するという意味なのに対して、「8×4」は8を4セット用意するという意味なわけだよ。
前者を文章題の内容に当てはめると4人が8セットで32人が答えになってしまうよ。だから正しくは後者ってのは全然おかしくない。
32になるっていう答えさえ合っていればいいのであれば、「31+1」でも「2^5」でも「|-32|」でも「ln(e^32)」でも何でもいいってことになってしまう。
途中式を書かせる問題というのは_なぜその計算方法で答えが求まるのか、なぜその計算の仕方をしたのか、それを問われている問題でもあるから、当然何でもいいわけではない。それは中学でも高校でも大学でも同じ。
>>306のTwitterの画像の大問6が不正解にされてるとかなら分かるけどね。
その場合だと2×3でも3×2でも定義通りに説明できるから両方正解ってことでいいと思う。
リプ欄にも両方の意見が出てたけど、ここでも両方の意見が出たか。
ナチュラルの「4人が8セット」なら「32人」になるっていうのは私も理解しやすい説明だ。
8×4=32が正解なのは異論がないとして、4×8=32は「不正解」なのかどうか、私はどうにも「不正解とまでは言えないけど正解じゃない」みたいなビミョーな感じになってしまう。
学校では解を出せばいいだけじゃなくて、考え方を教えなきゃいけないから、4×8に素直に○はつけられないと思う(けど×もちょっとと感じる)。
あとは先生が「なぜ4×8がダメなのか」をちゃんと説明できなきゃね。子どもや保護者が納得するかどうかはともかく、論理的に説明できるのか。「そういう決まりだから」じゃ説明にならない。
小学校レベルの問題が解けるだけでは「プロの小学校教員」としてはダメだからね。「×」をつけたからには、しっかり説明できないと。
あ、4×8=32は正解なのか間違いなのか、というのは喧嘩のお題になるかな?(←余計なこと)
なるほどね
4×8=4+4+4+4+4+4+4+4
8×4=8+8+8+8
だから後者の方がより文章に合っているということか
でもここでは問題文で「4人」と「8枚/1人」という単位が与えられてるから
4人×8枚/1人=8枚/1人×4人=32枚
となりやはり可換だと俺は思ってしまうなあ
もしこれがテストではなく、あくまでも日常生活を便利に過ごすために行った計算であるならば順序なんて意識しなくてもいいと思うけどね。
だってそれはもう答えさえ分かればそれでいいもの。
ただこれは答えだけではなく、考え方・求め方も含めて問われている問題だし、それにかけ算は小学校で初めて習う分野でもあるから「なぜ?」を問うのは必要。
そうでないとかけ算の順序がどうこう以前に、まず何でかけ算を使って求めるのかが分からなくなるんじゃないかと思う。
そもそもなぜこの問題を見たときにかけ算すれば答えが求められると分かったのかと理屈を聞かれれば、「8個を4人分用意するということだから」となることは大人だって理解できているはずなんだよ。
それくらいの理屈が簡単に分かってしまう大人たちからすれば、積の順序の違いはただの表記の違いでしかないんだろうけど、初めてかけ算の概念に触れたばかりの小学生にも同じことができる前提で考えるのは良くない。
だからまずは理屈を学習させることが大事なわけで、その目的の上で順序を意識させることは無駄なことではないと思う。
それができるようになったら後はいくらでも順序を無視すればいい。
算数で習う掛け算と数学で習う積とでは似ているだけで本質的に概念が違うってことですよ
算数では、掛け算はかける数とかけられる数をかけることだから、順番を意識したほうが分かりやすくなる
一方で数学では単なる掛け算から積にヴァージョンアップして、乗数と被乗数ではなく因数と因数の掛け算になる
交換法則は算数では習わず、数学で初めて登場する法則(算数では入れ替えても結果は同じぐらいにしか言及されない)
んで算数のことなんてすっかり忘れて数学に染まった大人たちが議論するからごっちゃになっているだけ
一部の数学者がこの問題にケチ付けているけど、教育科目である算数に口出しするのはマジでお門違い
小学生に分かりやすく教えられる能力は数学者にはない
>>306のtwitterのリプ欄に出ている以下の画像で「乗数」と「非乗数」は1950年代に教育家が勝手に作り出したと書いてあるので調べてみた
https://pbs.twimg.com/media/FFaM7x1agAAbKDJ?format=jpg&name=small
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16
明治時代の教科書がこちら
ちゃんと乗数と被乗数という言葉が登場している!!
当時の歴史的背景を考えれば日本人が勝手に作り出したとも思えない
教育内容に関しては欧米に倣って作っているはずだから、欧米でも恐らく乗数と被乗数という概念は存在しているはず
twitterで出ていた画像本の著者である志村なんとかは数学者らしいが、こんなのが大学の教員とは世も末だなと思った
残念ながらこういう学者が偉そうに日本の算数教育を批判しているのである・・・
と思ったら志村って谷山志村予想の志村五郎か・・・
優秀な数学者がこういう言説を出版物として出しちゃうとはますます残念やね
学者の権威なんてその程度ということ・・・
偉い数学者でも興味がないから調べずに、どこかで聞いた1950年代からの話を鵜呑みにしちゃったんだなあ。
本人も「どうやら~らしい。それを正確に調べる意味もないと思うので~」と書いてある。
恐らく明治時代の数学者はかなり悩んだはずです
抽象的な数学という学問をどうやって具体的な日常と溶け込ませて小学生に教えるか
その中の工夫の一つとして、数学と算数をあえて分けた
そういう背景も何も知らずに、「正確に調べる意味もない」だとか「愚劣」だとかいうのは学者の態度としては最悪ですね
https://twitter.com/tomoyafujino/status/1466357374713667589
みんなに褒められてるけど私はこういう大人が大嫌い。
>「俺が社会を大変じゃないように変えといてやるよ」
それで、できるのか?
出来る見込みゼロの約束で子どもや若者に幻想を抱かせるなんて私はやらないしやりたくない。
鳩○元総理みたいに空手形を渡しといて幻想を抱かせて、幻滅するのは誰だと思ってるの。鳩○は政治家だったからまだしもそれに向けた努力くらいは可能な立場だったし、本人なりの努力はやったんだろう。でも一医者に社会を変える力なんてハナからあろうはずもない。
「変える努力をする」以上の約束はできない。
その場だけカッコイイこと言う無責任なんて私が最も嫌いな大人像だ。
私ははっきり言うよ。
社会に出たら大変だって。
本当に大変なのだから大変だとしか言いようがない。
加えて言うなら、「どれだけ役に立つかわからないが、何かあったらできるだけ支えになりたい」。
それが私に言える限界。できないと分かってる約束は、私はしない。
それが子どもや若者への誠意だと思うし、20代のころからずっとそういう姿勢をしてきたつもり。
「私はあなたの現実を変える力はない。できないことはやらないけど、でも、できることはやりたい」
って、リアルでもネットでも何人もの子どもや若い人たちに言ってきたよ。
自分自身を守りながら、同時に他人を、しかも一人じゃない複数の人の力になるなんて、できることに限度がありすぎるのが現実だから。
私があなたを必ず救い出してあげる、トラストミー。
なんて言っておいて「そのつもりだったけどできなかった。でも悪いのは俺じゃない、あいつが邪魔をしたから、社会が俺を認めなかったから…以下ぐだぐだ」
↑↑こんなに最低な奴にはなりたくない。
何もしてくれないのなら、最初から何もしないと言ってくれるほうがよっぽど誠実ってもんだ。
むしろ真面目な人に多いと思うんだけど。
理想を語って現実から完全に足が離れちゃってる人。
語るだけで何もしないか、行動しても何も実現できなくて「○○が悪い」と他責的になるか。
現実から離れた理想なんてただの空想で何の役にも立たんし、現実をただ受け入れて勝手に悟るのも何の役にも立たん。
大事なのは、しっかりと現実に根ざしたうえで、理想を持って次の一歩に進むための一手を考えることだ。
ぶっちゃけ生活保護前提のライフプランなら社会出ても大変ではない。
就労指導?
バイトの面接行って、「市が言うから仕方なく来ました」って正直に言えばok
年収400万とか人並みを目指すならそれなりに我慢しなきゃならんが
「社会に出たら大変」って文脈的に「大人になったら大変(おまえら中学生は楽してる)」って意味じゃない?だから大丈夫だと思う。
いや私は中学生が楽してるなんて言ってない。
中学生は中学生でめちゃくちゃ大変な人がたくさんいる。自殺する子もいるし死ななくても寸前の子もいるわけで、中学生が楽してるなんて思わない(別に大変じゃない子もいるだろうが人それぞれ)。
場合によっては逆に中学生が「大人になったらお金を好きなように使えるしお酒も飲めるしやりたい遊びが自由にできるから早く大人になって金を稼ぎたい」と思ってたりする場合もあるんだよ。
そうでない場合も、「中学生の大変さ」の内容と「社会人の大変さ」の内容とは違うから、社会人は大変だよ(中学生も大変だろうけど)、はちゃんと言っておく。
大体、このTwitterの主だって、「俺が社会を大変じゃないように変えといてやるよ」というのは、「おまえら生活保護を受けたら人生楽勝だぜ」という意味とは全然違うしそんな話はしていない。
三日月くんは「大人になっても生活保護を受けてわざと採用試験を落ち続ければいいから大人は楽勝」って子どもに教える?
いや南雲じゃなくて、元ツイートで言われてる「社会は大変」って一般論の話ね。一般論でそう言われる場合、「大人は大変」って意味になるでしょ。だから元ツイート主の話でもない。
あと大変か大変じゃないかの話であって、道徳的な話はしてないし、俺の個人的な人間への接し方とも無関係。
大変か大変じゃないかといえば、大人も中学生も大変っすよ。
一般的に「社会に出たら大変」というのが、「大人は大変だけどおまえら子どもは楽してる」という意味を内に孕んでるかどうかは言う人によって相当違うよね。
「中学生は楽でいいな~」みたいな意味が込められてたら、そりゃ違うよな。
こういう中身のない綺麗事に対抗するためには哲学が必要だとおもんだよね~
理想と現実の間を生きるためには日常の哲学を構築することが必要なんだけど、どうにも哲学は思想とか政治とか非日常方面に行ってしまいがち
そういう非日常の哲学は、アイロニカルで現状追認するだけのものか現実離れした理想主義的なもののどちらかになってしまう
中身のない綺麗事に比べればよっぽどマシだと思うけど
「大合奏バンドブラザーズP」という、歌を作曲することができるゲームソフトを買ったんだけど、音楽のことを勉強しないと何もできない(笑)
https://twitter.com/Mocherin/status/1467454505906479106?s=20
「ついに知らない世代が出てきたか...」みたいな反応の人多いけど、2000年生まれの俺ですら「八日目の蝉」でしか見たことないから、10年前からそこら中にいるよとしか思わん。
フラッシュを焚く度に一々電球を取り替えるタイプのカメラの方がまだ有名じゃねえの。
フィルム式カメラの世代でも、普通の人は写真屋さんに撮影済みフィルムを持って行って現像してもらってたから暗室を知らない人だって大勢いたと思う。
フラッシュはうん、私が小学生のころ初めて買ってもらった110ポケットカメラがそのタイプだった。