芸能人っていうのはただでさえ名前が売れてて狙われやすいわけで
ある程度のリスクがあるならやらないっていう選択肢もあるし、途中で引き返せる
そこで「なんで誹謗中傷する奴のために本人が我慢しなくちゃいけないの」って言ったらそりゃ狙われてるから、傷つけられるから、危険だからじゃないの?
SNSは生きていく上で必要なものじゃない
「誹謗中傷をやめようって話をしてる、なんで加害者が肯定されるのか」
→誹謗中傷なんてなくならないから
「いじめられるのが嫌なら学校行くなっていうのと一緒」
→いじめが止まらないなら不登校っていう選択肢は効果あると思うけど
もしくは転校って選択肢がある プラットフォームやアカウントを変えればいい
SNSが一般化しすぎて、皆現実と絡めすぎなんじゃないの?
みんな匿名っていう傘の下でタガが外れてるんだよ、現実とは違うでしょ
その治安の悪さが自然に形成されたもの(あるいはプライぺートなもの)ならまだ自己責任論も一理あるんだけど、今回は番組側の煽りによってある種人工的に形成された治安の悪さではあるから、そう単純化できない問題ではあると思う
しかも芸能人にとってのSNSってただのプラットフォーム以上の意味を持つ
人によっては宣伝手段の1つでもあるから、仕事道具の一つともいえると思う
そもそも何かが必要か否かっていうのは、主観性に依存する部分が大きい
SNSは彼女にとっては必要だったのでしょう
少なくとも彼女自身は必要と感じていた、だから辞めるという選択肢をとれなかった、多分ね
それを客観性に依拠して否定することはできない(その客観性って誰目線?って感じ)
テレビ番組の出演という「仕事」によって本人が害を受けてしまっているのなら、仕事を振った側(事務所か番組制作側)が本来出演者を守るのが妥当
彼女の周りの人間がたくさんいたはずなのに彼女を守ってあげられなかったことがやばいと思うし、それが彼女の最大の不幸だった
自己責任に任せたところで不幸な人は減らないだろうし、誹謗中傷を全部規制するのもそれはそれで極論なんだよね
誹謗中傷が起きるのは仕方ないとしても、それから守る防弾の環境があるかが重要
雇用契約の会社員はちゃんと守られているけど、委任契約の人って法的には守られていない
契約社員とか派遣社員の問題にもつながるんだけど、ここに現実的な解決の糸口があると思うんだよね
結局、今回のことでも制作側は番組閉じておしまいなわけだからなんだかなあという感じ
自己防衛しろっていうのは加害者視点というより自己防衛できるぐらいの力がある強者の視点ですな
>>969
腑に落ちません。
番組の煽りによる治安の悪さというのは、今回はじまったことではないです。テラスハウスは大分続いている作品ですし、もうテンプレートが定まっている。テラスハウスがどんな番組であるかということは本人も十分にわかっていたはずです。そしてその番組に出るリスクもわかっている…いやわかっていなくてはならない。もし知らずに出たなら番組側の説明不足と本人のリサーチ不足です。僕は、仕事を振った側が出演者を守るべきではないと思います。撮影中の安全確保とかそういったことはもちろん必要ですが、心のケアであるとか、誹謗中傷への対応は番組側の責任にはできない…と思ってます。テラスハウスは人気番組ですし、代わりはいくらでもいる。断れない仕事とは考えにくい。
SNSが仕事にかかせない宣伝道具だと言うなら、SNSを責めることはよりできないでしょう。彼女が必要と感じてSNSをやめなかったなら、それは彼女自身の選択です。そこに良いも悪いもありません、ただやめなかったから死んだ、それだけでしょう。やめた方が良かったのに、と言ってるわけでなくやめれば死ななかったね、というだけです。そこでSNSを責めるのは筋違いだと思うだけです。防弾の環境というのはすみませんがよくわかりません。
僕は、自己防衛できるぐらいの強者では別にないと思います。彼女と同じ状況になったらあっさり首をくくるかもしれません。でもそれはSNSのせいではないし、恨みません。自分は弱いなと思って死ぬだけです。
今回の件で普通に話してた人でも結構価値観違う人もいて、
自分が当たり前だと思ってることでも、
他の人は反対に受け取ることもあるということを実感した
尊重しつつ、バレないようにいきたいですね。。
>>971
今回の件でSNSを責めている人っているのかな?
多分多くの人はSNSを責めているのではなく、SNS上で発生する誹謗中傷を責めてるんじゃない?
誹謗中傷はいけないなんて小学生でもわかることを延々と言っている人たちが多い印象
それを連呼したところであまり意味ないっていうのはそうだと思うよ
辞めれば死ななかったのは多分事実だけど、それって単なる仮定で当然すぎて誰もそこには言及してないんじゃない?
関心の対象はその一歩先でなぜ辞められなかったのか、だと思います
その理屈でいくと全て自己責任で片付けられてしまうんだよね
例えば高所の作業員とかは、危険な仕事だと覚悟の上でやっているだろうけど、もし事故があれば、当然ながら会社側にも責任は発生する
だから会社は高所という危険環境でも作業員の安全を確保するために、高度な注意義務を有している
なぐの理屈だと、これすら会社は責任を負わなくていい、となってしまう
だって高所なんて危険な環境をあなたが選んだんだから、何があってもあなたの選択が招いた結果だよね、となってしまう
テラスハウスって番組見たことないから知らんのだけど、もし人を傷つけるというテンプレートが成り立っていたのだとしたら、それは番組側に責任はあるよねって話
そのテンプレートを作ったのは出演者個人ではなく番組のはず
番組側によって人工的な治安の悪さが形成されてしまったのは事実
防弾の環境とは、最大限の安全確保の努力をしたかってこと
TV局は誹謗中傷(弾)が容易に飛んでくる状況を作っておきながら、弾を浴びせられている出演者を見て見ぬふりしたわけ
その状況を本人が予期できたかはあまり関係ない、予期できたからといって守らない理屈にはならんよね
仕事を断れたかとかSNSを辞められたかとかって全部そのときの状況に依存する問題だから後からそこだけ切り出して議論したところでまったく意味ないんだよね
現実として仕事を引き受けて、SNSを続けてしまったわけだから
そりゃ何も知らない第三者から見たら、SNS辞めたらよかったやん、仕事変えたらよかったやん、という結論に至るんだけど、本人の視点が完全に抜け落ちちゃってて、微妙なんだよね
本人が死んじゃった以上、その仮定を突き詰めたところで真実は出てこないと思う
てかねー責任云々は置いといて、彼女を守るのってそんなに難しかったことなのかしらって思うよ
高所作業員の安全確保とかなら命綱とか何やらでコストもかかるし大変だけど、正直ネット上での誹謗中傷なんて簡単に守れるやん
もし周りの人間がその状況を知っていたら、いくらでも止めさせる手段あったはず
心のケアとかそんな難しいことしなくても自殺にまで至る前に何かしら方法あったんじゃないのかなあ
そこの反省を一切せずに、番組閉じて事件をなかったことにしてるのってどうなんっていう(番組閉じていること自体が自分たちに問題があったことを暗に認めているようなもんだけど)
ほとぼり冷めたらまた同じことやらかすよ
自己責任論を広めたところで彼女みたいな不幸な人たちは多分減らないと思うから、自己責任論の啓蒙よりも、そういう不幸な状況を作り出さないことにエネルギー注いだほうが合理的だと思う
それができるのって予算潤沢なテレビ局じゃないのって思うわけですよ
>>975
私の周りでは、「SNSが変わらないといけない」って主張してる人が結構いましたね。
高所作業員については、高所で作業してる時の安全管理は会社がきちんとするべきだと思います。
例えばロープが切れてしまうとか、悪天候の日に作業させるとか、そういったことはあってはならないです。
でも、例えば高所で作業してるときに風に揺られて、作業員がそれをトラウマとして感じたときに
そのトラウマが原因で高所を歩けなくなってしまった、とかそういうことは私は会社の安全管理には含まれないと思います。今回のテラスハウスでも、例えば撮影中に出演者が共演者に暴力を振るったり、撮影場所で火災が発生したらそれは番組側の責任だと考えます。でも、今回はそうではないので。それと、勿論高所での作業時に事故が起きれば会社も責任を負うべきですが、仕事の上でのリスクは仕事をする時点で考えておくべきだとは思います。
高所での仕事を選ぶなら、そういった可能性、危険性は考慮するべきだと思います。私は、もし家族が高所での作業をしていて事故で亡くなれば、会社側を100%恨めるかというと自信がありません。
弾とは言っても、この場合出演者を傷つけるだけではなかったと思います
例えるなら鉛玉じゃなくて金だとか銀の玉で、視線が向くということはその分認知度も上がったわけで
視線を浴びることと弾を受けることはほぼ同義だと思っています
誹謗中傷から守るということは、その分他人からの視線から隠すということだと考えますので
あとここまで書いて気づいたのですが、
意見を拝見して、この件で彼女を擁護する人と擁護しない人は本当に根から考え方が違うのだな・・・と思いました。。
私が当たり前に持っている考えからして、多分じぇいそん達とは全く違っていて
正直彼女は死にたかったなら死ねて良かったじゃんと思ってるから、こういった考えの相違が出てしまうんでしょうね。私は、それがどんな理由で生まれたものにしろ、死ぬほどつらい気持ちからは逃れられた方が良いと思ってますから。
彼女を守ろうと、守るべきだったと考える人、自殺は悪いことか正しいことかの話になってくるのかもしれません
番組制作側の道義的責任の話であれば、どの程度負ってるかなんて基本的には個人の価値観の問題だよね。
より倫理的であることを求めれば守るべきだけど、倫理を求め始めたら際限なく善意を求められ続けることになる。倫理的に最低レベルと最高レベルは連続的であって境界線がない。
それでも「違法でなければなんでもいいのか?」と社会では常に問われてるから、違法じゃなくても批判は浴びる。「こうすべきだった」と言われる。そういう番組を作っていて、大事件になったら逃げちゃった以上、制作側が批判を浴びるのも「制作側の自己責任」じゃないかな。なぐさん的には、リスキーな番組に出たのは本人の選択だって話だろうけど、リスキーな番組を作ったんだから制作側が批判を浴びるのも制作側の選択だろう。
誹謗中傷した人が悪いっていうのは当然なのでそこは置いといて、それ以外には「制作側も悪い」がじぇいそんで、「誰も悪くない」がなぐさんだと思う。たぶん一般常識に照らせばじぇいそん側の人が多いと思う。
ただ、>>976
>正直彼女は死にたかったなら死ねて良かったじゃんと思ってる
なぐさんのそういう感覚は、なぐさん自身の生き方じゃないかな。生命観と言ってもいいか。たぶん自分自身の経験から、死への親和性が高いんだと思う。そのせいで、社会に対しても諦めがあるのではないかと。