だいぶスレが盛り上がってて話が遡ってしまいますが失礼します(((
盛り上がるのはいいことですからね!
>>91
カナメ氏も喧嘩の、自由な言葉遊び的な側面や哲学など学問に通ずる議論なんかに魅力を感じてましたね。
反面、今のキャスフィもそうですが喧嘩板の荒らし的な側面を嫌ってました。
それもあってzawazawa喧嘩界ができた時はキャスフィは荒れに荒れていたんです。
ただ、彼が私と異なるのは、彼は喧嘩や議論の質を上げることで一般受けをめざしたところです。
彼はもともと議論コミュニティを作ったことがあったので、喧嘩でそれをめざしたんでしょう。
簡単にいうと、勝ち負けだけじゃなくて、そこで話されてる内容や話術なんかに誰でも興味をもてるような喧嘩をするといった感じでしょうか。
だからあえて喧嘩を定義せず、喧嘩の持つポテンシャルを最大限に発揮することを望んだ。
喧嘩という、なんでもOKな環境だからこそできる、そのワードや話題にセンスや新規性みたいな、一般的な面白さを求めたという訳です。
ただ、それを理解してやれたのはごく一部の利用者だけで、結局は喧嘩というワードへの先入観から荒れの方向に進む人が多く
最終的には喧嘩や喧嘩界というワードを捨て、RoundTableと名称を改め、喧嘩界隈から距離を置くことで新しいコミュニティを作ろうとした感じですね。
その時あたりにはカナメ氏も運営に飽きてきたらしく、目立った活動自体減ってましたが。
HOPEはまさに新規ユーザーを取り込める可能性を秘めているものだと思います。
喧嘩板文化を知らない人と新しく喧嘩板文化を再現しようとする企画でもありますしね。
なので、喧嘩板の歴史や当時の魅力的なコテハンの紹介なんかもいずれやっていけたらなと。
今のHOPEがあるのはこうした先人たちのおかげだと紹介する博物館みたいな感覚ですね。
ただ、喧嘩板というか、そもそも掲示板自体にニーズがあるかどうかっていうのもあるので、かなり難しい試みだと思います。
「どうやって掲示板を楽しんでもらおうかな」ってそればかり思案してます。
キャスフィ避難所の喧嘩板ってSiphonの提案だったんだ。
ぜんぜん知らなかった。
私がキャスフィに自力でたどり着いた時にはもう既に喧嘩板がありましたから。
ちょうどしゃもじ杯っていう喧嘩大会がやっててテキトーに参加してみたらなんか優勝したという。笑
他の面々は時期がズレてたのか名前だけ知ってた感じですが、ぷ闇とは喧嘩になったことがあります。
彼の喧嘩はかなりめんどくさくて途中から放置してました。
その数ヶ月後に別の人と喧嘩しようとしたらぷ闇がその放置した喧嘩のURLだけポンと出してきて、「こんなことするんだ……」って引いちゃって活動自体やめたことがあります。笑
名無し投稿を禁止しても、「あ」とかテキトーな名前つけて投稿する人が多かったですよね。
殺伐板と分かれた辺りのログを見てたので、苦労してるんだろうなっていうのはなんとなく察してました。
ちなみに私もSiphonとは冷やし猫鍋以来親しい関係でしたね。
喧嘩界の人で唯一仲良かった人かもしれない。
(ひよりはもなちゃと時代からの仲だったし、カナメさんも私にとってはもなちゃとの人って感覚でしたし)
ホントもうメールでやりとりするような仲だったんですが、彼女が受験生の時に親に携帯を取り上げられてから疎遠になってしまったんですよね。
ちょうどその頃、私も自分のパソコンが壊れてしまって、当時はガラケーだったこともあって掲示板なんて見れたものじゃなかったので、パソコンを買うまで喧嘩板は見てなかったんですよね。
で、数年後にパソコンを手に入れて、久しぶりに喧嘩板に行こうと思って検索してみたらたまたまキャスフィ避難所にたどり着いたという感じです。
そこから自由板でたまたまSiphonのスレを見つけて何度か投稿してみたんですが、私自身喧嘩板含め掲示板での活動が減ってたので、すれ違いすれ違いで今に至るって感じです。
悲しいかな、アレからほとんど話せず終わってるんですよね……。
2014年~2015年ごろに要と出会った時は議論したい人って感じじゃなかったなぁ
戦線を閉鎖してTwitterに居住地を移してきっとここで俺もついにネト落ちするのかなと思ってたら
何故かやたらと噛みついてきて
引退したいならそのまま垢消せよみたいな煽りをひたすらしてきてた記憶
>それもあってzawazawa喧嘩界ができた時はキャスフィは荒れに荒れていたんです。
荒れてたっけ?
雨降かロシュ限がお互いのサイトで反論しあうって訳わからない喧嘩してたのは覚えてるw
何時もみたいに名無しが対立煽ってた記憶だけちょっとあるなぁ
俺は喧嘩師とやらに憧れみたいなの感じた事ないから
あのセルシアが!って言われてもふーんって感じで興味なかったせいもあるかも
>>135
あれは彼のスタイルだったんだ・・・w
俺は彼とは間接的な知り合いだったんだよね
キトって名前だったかな?
赤村の関係者でそんな人とお互いに知り合いで
ある日キトのツイキャス視聴してたらコメント欄でまた要が噛みついてきて
言い換えしたらキャス主のキトもコメ欄の人達もこれは要の負けwってなって
そっから見てないわw
キトも今は何してるんだろう・・・
今にも死にそうな人だったけど生きてるかな
一応居るんだよね
もうほぼ活動してなかったけどね
今でもキャスフィ喧嘩板には呆れ返ってるけど
2019年もそれはそれでゴミ箱でしかなかったからw
むしろ今より酷かったんじゃないかな?
要って私は直接の接点はない(と思う)んだけど、いろんな側面があるみたいだな。
私は「要」のほうをよく見る一方で「カナメ」もちらほら見る。
これは時代の差で表記を変えたのか、キャラの使い分けをしてたのか。
>>130
HOPEが新規さん取り込みに効果があればいいと思うし、HOPEでスタートした人はあんまり荒らし行為に走らない文化を身につけてくれそうで期待が持てる。
もっともそれはうまくいけばの話で、今の時代は喧嘩掲示板を維持するだけで大変でしょうね。
ぷ闇はいつだったか「とっくに終わったと思ってた過去の喧嘩に後から急に反論してくる」みたいなこと言われてたっけ。けど、喧嘩板の削除人もやってたからじぇいそんには一定の信頼はもらってたはず…。
まあ削除人といえば那須があまりにも優秀だったんで他の人が霞んでしまうけどね。那須ほどではないかもだけどちっぱーも有能でよく頑張ってくれてた。
話がそれるけど那須ならじぇいそんが忙しい時のために削除だけでなく規制の権限も与えていいんじゃないかって思ってた。
喧嘩板はSiphonが何だったか忘れたけど別名使って提案したのが始まりだった。
>>132-133
Siphonは博識で頭脳明晰、地頭では飛び抜けてた感じがしたけど、簡単に個人情報漏らすような脇の甘さがあったのかな。喧嘩に関しては知識と論力で真正面から突破するタイプだからあまりテクニシャンのイメージはない。ちょっと正直すぎたのかなあ。
私は能力的には彼女に脱帽してたけど「日本が潰れたら外国で暮らせばいい」みたいに合理的すぎるところが思想的に合わなかった。私は日本人のアイデンティティが強いんで。だからベジータに共感する(何の話)。
たしかSiphonはセンター試験の成績まで報告してたと思う。だからホントに受験までキャスフィにいた。でも二次試験の結果は見てないから、そのあたりで退場したのかな。
(面倒だから語尾を常体にしました)
>>138
正直、jeison.bizドメインの契約更新ができてもじぇいそんが管理する余裕のない状態だったら、喧嘩板は閉鎖してもいいんじゃないかって思ってた。
喧嘩界としては貴重な生き残りだとしてもトラブルが生じやすい状態のを管理できないのならって。
でも管理できる以上、なくなるのはやっぱ惜しいから現状維持かな。
オビディのスレが意外にもカンフル剤になってたりw
むしろ雑談板のほうが長いこと正体不明化してる。なんであんなのが湧いたのかな。最初は一時的現象かと思ってたのに。
私のスレも完全にハルジオンに乗っ取られたw
そういやしばらく前に、縁もゆかりもほとんどない(全くないわけじゃないのが微妙)県の警察署から午前1時に電話がかかってきてびびった。
番号は調べてみても間違いなく警察署の代表電話。
わずかな縁で何事か起きたのか、所在県は無関係でネット詐欺的な被害にでもあったのか、あるいは発信者番号偽装の巧妙な詐欺電話か…と思って恐る恐る折り返し電話して確認したら「すみません間違い電話でした」と。
発信元が本物の警察署で内容が間違い電話ならよかった。
まあ警察官でも見間違いや押し間違いくらいする。午前1時というのも、何の用件か知らんけどご苦労なことです。
南雲さんがそうするなら私もタメ口にします。
というか日向とは今まで敬語で話してなかったのについ流れで敬語にしてしまった。笑
>>136
たぶんアレが彼のスタイルだったんだと思う。笑
私は彼のことはもともと一方的にもなちゃとで知ってただけだったな。
あの人はもなちゃとの喧嘩師界隈では、あの平成喧嘩塾でも活動してるレジェンド!みたいな扱いだったからね。
私的にはすげー人と絡めた!って感じだったよ。
キトさんはぜんぜん知らないな。
というか、そういえば赤村さんの界隈は赤村さんも含めてまったく知らない。
彼のことはツイッタラーとして有名なのは知ってるんだけど、正直他の有名古参と比べて接点が無さすぎる。
ログがあんま残ってないからかもしれない。
そうだったんだ。
ぜんぜん印象に残ってないや。
2019年は荒れに荒れてたと思う。
今は過疎で廃れた商店街みたいな荒れ方だけど、当時は人も多かったからね。
りおしとかもいたけど、りおしに名無しが粘着するっていう構図ができてたし。
カナメ氏がキャスフィの荒れをYouTubeのコメ欄って喩えてたのを覚えてます。
>>139
他の人はわかんないけど、私が彼のことをカナメさんって呼ぶのは、「つまりは」って意味の「要は」とか「〜の要だ」とかと紛らわしいからだよ。笑
特に深い意味はない。
HOPEはホント人が増えればいい感じになりそうなんだよね。
しかし、増やし方がマージでわからない。
私の感覚でも「話すのにわざわざ掲示板じゃなくてもいいよね」ってなるもん。
あと、誘った知り合いに「喧嘩って何?」って言われた時は、ジェネレーションギャップというか、文化の違いを感じてしまった。
私はリアル友人に初めてネット誘われた時から、もなちゃとの喧嘩師っていう文化を知ってたから、喧嘩を知らない人がいるってことにビックリしてしまったんだよ……。
そういえばいつしか喧嘩じゃなくてレスバって呼ぶようになったよね。
ぷ闇が削除人やってたのは知ってるけど、彼にいい印象がなかったから「まさか彼が?」って当時ずっと思ってた。
そういう私も冷やし猫鍋の削除人してたけど(なお仕事らしい仕事はしてない模様)
なんか削除人ってどういう仕事していいのかよくわからなかったんよね。
特に喧嘩板って多少荒れてても許されるところがあるじゃん?
荒らしなように見えて実は喧嘩売ってるんだよ!みたいなのもいたし。
まあ冷やし猫鍋に限れば、Siphonの管理能力がすごかったのか、削除しなければいけないほどの荒らしってほぼ来てなかったけど。
Siphonはちょっと抜けてる面白い子だったよ。
たぶん裏と表をしっかり使い分けてたんじゃないかな。
それを悪意のある人がバラしたって感じがする。
>>142-144
要のことは直接接点のない、キャスフィ喧嘩板の外には目を向けなかった私もその名を聞いてるのだから、レジェンドというか主要人物ではあるんだろうね。喧嘩界の歴史を書けば名を連ねるような。
キトって人は全然知らない。赤村は強いって話をかなり聞いてる。
雑談板の意味不明住民はどこから湧いたかも不思議だし、なんで居着くんだよってのも不思議。
おかげでまともな住民が寄りつかなくなったじゃないか。
本来、らくえんの住民と一番親和性が高そうで比較的クローズなここに比べてオープンな雑談板ってことで、ここの新規さんの供給源になってもおかしくなかったのに。
そういや要の表記はKANAMEってローマ字綴りもあるんだっけ。「要」だと人名としてピンとこない場面があるってのはなるほどそうかも。
いや普通に喧嘩って分からない人が多いと思うよ。本来の意味での「喧嘩」じゃなくて、言葉の格闘技みたいに必ずしも互いに嫌悪していない状態での喧嘩って、通じないんじゃないかな。喧嘩師と言っても、相手構わず場所構わず攻撃する迷惑系みたいなイメージじゃないかと。つまり荒らしとの区別がつかない人が多いんじゃないかな。
私はぷ闇の印象はニュートラルかな。良い印象も悪い印象もない。まあ削除人である以上、自分がめちゃくちゃするわけにはいかないだろうし、削除人としての仕事はあまりやってなかった気がするけど少しはやってたような。
オビディはSiphonの個人情報を聞かされるくらいだから信用されてたんだろうね。だから冷やしの削除人を任されたんだろうな。ちなみに私はSiphonと思想が合わないと言ったけど全体的にはポジティブイメージ。考え方は違っても性格は良さそうだったので嫌いじゃなかった。
そういやSiphonが健在な時代、冷やしが荒れてた記憶がない。あんまり深くは見てないけど。
ちょっと抜けてるってのは意外だったな。
幅広い知識と論理構成の切れの良さばかりに目が行ってて、そういう愛嬌のあるところを知らなかった。抜けたところがあるほうが人間としては面白いんだよなあ。そこまで知らなかったのは残念だ。
じぇいそんだって詳しくは言わないけど、めちゃくちゃ可愛いって思ったことが一度だけあった。普段スキのなさそうな人が見せるそういう場面って好感度上がるんだよなあ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90651dae5c95383b7115bcc6a01043d697cc5815
ローマ帝国と秦の共通点としてまず思い浮かぶことは、天下統一以前の長い歴史があること。
そして、大統一を果たしたのはローマ帝国ではアウグストゥス帝、秦では始皇帝だけど、その直前に統一の一歩手前までの準備を整えた人がいること。ローマ帝国ではカエサル、秦では昭襄王。
一番の違いは、ローマ帝国はその後長く繁栄したのに秦は始皇帝の死後あっという間に滅んだこと。ただし漢が長期政権を作ったのは秦の業績を引き継いだからできたことで、秦が長期政権のモトを作ったことは間違いない。
始皇帝が本当に昭襄王の曾孫で荘襄王の息子なのか、実は呂不韋の子じゃないのかというのは謎で面白い。なんか豊臣秀頼も「本当に秀吉の息子か?」みたいな話があったっけ。