https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200629-00185551/
藤井君はマジで羽生さんを超える天才なのでは
https://www.cnn.co.jp/fringe/35156083.html
今度はインフルがくるか
衛生環境が悪すぎてウイルスが変異しやすいのでしょうな
同じ不衛生な状態と言えばアフリカもそう
まあアフリカなんて何かしらのウイルスが流行っているのは日常茶飯事ではあるが・・・
ただ、エボラみたいに殺傷能力が高いウイルスであれば、感染が広がる前に罹患者がどんどん死んでいくからパンデミックは起こりにくい
それとアフリカは交通の便が悪いから広がりにくいってのも大きい
そういうのもあってアフリカでは限定的な流行で収まることが多いんだけど、中国は交通も発達していて人口も多いから、一度広がると一気に広がる可能性がある
H1N1型はスペイン風邪と同じ類型のウイルスで、こいつは定期的に変異してパンデミックを起こしちゃうことが分かっているから、まあ仕方ない話ではある
こいつの変異の周期は数十年単位と言われているから、前回の2009年から11年というのは少し短い気もする
アビガンはコロナに対しては何ら医学的エビデンスがないですけどね
新型インフルに関しても、変異株は基本的に既存薬への耐性を持っているので、今ある薬は基本的に効かないと考えた方がいいです(というかもしも効くのであればそれは新型ではない)
なのでもしダブルパンチになったらかなりやばいです
コロナとインフルでまず病床を分けなければいけなくなり、それだけでも倍の医療資源が必要になりますし、インフルはコロナよりも基本的に殺傷力が高いウイルスなのでより脅威になると
夏と冬どっちが流行しやすいかってよく騒がれていますけど、ウイルスの性質だけで見れば正直あまり関係がないと思います
ただ冬は純粋に粘膜が乾燥しやすくて、自然免疫が落ちやすいんですよね
だから個人的には冬の方が感染が広がりやすくより注意する必要があると思ってます
コロナも確かにやばいんだけど、やはり東日本大震災のときのほうがこの世の終わり感はあった
遠く離れた関西からですらそう感じたぐらいだから、南海トラフが起きたらどうなることやら・・・
そういえばちっぱ君当事者か
何というか毎日の危機感と非日常感がすごかった
今のコロナはあれに比べれば空騒ぎ感すらするレベル
確かにコロナはなあ外でなきゃいいだけだし
あのときは何より電気使えないのがきつかった
うちはガス水道使えたからマシだったけど
ただ買い物するとき水、パン、コメ、カップ麺に販売制限かかってるのはガチでやばいんだなって感じた
普段300円するような弁当を足元見て2000円で売ってるやつもいたらしいし
食べ物がないって状況はかなり不安になった覚えがあるけどマスクはなくなっても別になあって感じ
販売制限とか食べ物がないってマジで世紀末やな・・・
コロナはウイルスとしての脅威より未知への脅威という人災的側面が強すぎ
2009年のインフルは結局、新型インフルと言いつつ既存薬のタミフルが効いたから、今度もそれに期待。アビガンは本来未知の新型インフル治療薬だから、これもコロナよりインフルに期待できるかと。
RNAは不安定だから次々と変異するかわりに複製を阻害されると弱いみたいな弱点があってほしい。
東日本大震災はNHKの中継ヘリ映像でリアルタイムに津波を見てたけど信じられない光景だった…そして何度も言うけど福島第一原発の1号機の建屋が爆発した瞬間の映像も、炉心が爆発したと思って日本滅亡したと思った怖かった。
南海トラフは日本の人口密集地帯を直撃するから東日本レベルの被害じゃ済まない…しかもコロナとか新型インフルと重なったらどうなるの。
持ちこたえろ南海トラフ。がんばれ南海ホークス(←古い)
先代のパソコンのデータを整理していたら、2012年ごろのHPのデータが出てきた
ついでに当時のいろんな画像たちも
ジェイソンは何度でも生き返る
でも何度でも生き返るということはそれだけ何度も死んでるということでもあるな
『百万回生きたジェイソン』
ジェイソンはとうとうリア充になり幸せな死に方をしました
ジェイソンはもう生き返りませんでした
(猫と同じ結末)
フランス革命における医療制度改革の論争を見てると、現代にも普通に通じる議論が出ていて、面白い
特に面白いのは、極左ゴリゴリの革命政府が当初理想としていたのは公的扶助ではなくて、在宅福祉だっていうこと
在宅医療を推進すれば、国家による公助は必要最低限で済むという思想で、これってまさに今日本政府が進めようとしている共助じゃないかっていう
国家による公助は必要最低限で済むって、ゴリゴリの極左が「小さな政府」を志向してたわけ?
そのへんのフランスって政府が何度もひっくり返ってばかりだったから複雑
>>97
そうなんすよ
革命初期の最も急進的な政府(山岳派)ですね
かなり過激なこと実行していて、病院や施療院などの施設をすべて政府が接収して廃止してしまうんですよね
これらの施設は当時教会と併設されていることが多かったので、特権階級による搾取だと見なされたのです
そして病院で医療を施す者、つまり医師も特権階級とみなされ、医科大学や医師団体、学会などもすべて廃止してしまいます
これらの団体がなくなったことで、医師は他の職業と同じ自由業になってしまいました
現代風にいうと「規制改革」によって、医業への新規参入が簡単になったというわけですね
やっていることはネオリベに近いんですが、背景にある思想は少し違います
彼らが言うには、病院や医師は患者を搾取しているというわけですね
病院に閉じ込めるより、自宅で自由な環境でいたほうが、健康だと
これは一つの真実でもあります
というのもやはり革命前の病院や医科大学が酷かったというのは事実です
大学教授による賄賂は横行し、治療と称して独房のような施療施設に閉じ込めていたりもした
フランス革命の根本にあるのは特権からの解放であり、「自由」に対する神話ですね
すべての特権を廃止して自由になれば、幸せになれるだろうという発想
そしてもう一つは市民の力を絶対視していたということだと思います。
フランス革命はやはり市民の力によって成り立っていたので、弱い立場の患者ではなく、健康で強い市民というものへの幻想があったのだと思います。
一方で公的扶助というシステム自体が始まるのもフランス革命だったりします
革命前の王政府の福祉策というのは、各宗教施設の良心に一任されていて、公助なんてそもそもなかったわけですからね
まあ実際のところは、山岳派の政策は大失敗に終わって社会に大混乱を招くことになるのですが・・・
貧民と藪医者があふれ返り、病院に行けなくなった患者が次々と野垂れ死んでいったわけです
(当時の記録では医科大学に行っていない無知な藪医者が大真面目に治療薬と称してヒ素を使っていたりした)
その後山岳派失脚以降に公助システムが徐々に整えられていき、医師には試験による「免許制度」というのが初めてできるのです
このあたりの医療制度改革の変遷はとてもとても面白い
ちなみに革命前の医師というのは、医科大学を卒業し、医師会に任命されることで初めて医師活動ができていました
だから医師会から嫌われたら医師としてやっていけない
まったく医師の自由というのはなかった
ポイントは国家は一切関知していないということです
革命後期の政府は医療制度に対して国家による統制を組み込んだ
それが試験制度と免許制度であった
つまり医科大学や医師会に任せるのではなく、国家が責任を持って医師の権限を監督するということ
これにより医師は保護された自由業、つまり免許があればあとは自由に活動ができるようになる、というわけです
この制度ができるまでには医科大学との政争やら何やらを繰り返したりして、長い道のりではあるのですけどね
単純に言うと民間資格→資格廃止→国家資格という流れか
日本の江戸時代はすすんでいたな~ごく一部とはいえ公助の療養所があったんだから
そういえば江戸時代の医者(てか薬師?)になる方法って何だったんだろう
先輩の医者に入門して剣術みたいに免許皆伝みたいなのがあったのかな?
それなら示現流とか新陰流とか一刀流みたいな感じで医者の流派ができそう
>>976
日本の場合はそういう資格はないですね
なろうと思えば誰でもなることはできた
だから江戸時代には藪医者もたくさんいたみたいです
真面目な人は有名な医者に弟子入りしてみたいなことはあったみたいだけど
他の職業と同じく丁稚奉公みたいな感じじゃないですかね
裏を返せば、わざわざ資格という形で制限を設けなくても秩序を担保できたということ
フランスは医師を自由業にした途端に大混乱だったわけだから
そもそも江戸時代の日本は、フランスと違って貧困層の割合が少ないっていうのも大きいのかも
貧困は病を生み出す最大の要素の一つですからねえ
ちなみに江戸時代の主流だった漢方医学の世界では流派はありますで
現代にも漢方医学には流派がいくつかあって、この流派同士の不毛な争いは、東洋医学が西洋医学と並び立つことがなかなかできない理由の一つになってますね
西洋医学にも大昔には、ヒポくラテス学派みたいな学派がいくつかありましたが、フランス革命前後での臨床医学の登場によって、これらの学派は吸収されていくことになります
今の西洋医学もこの臨床医学が大前提にある
しかし、、AIや統計の急速な発展によって、300年にわたって君臨し続けた臨床医学の覇権が揺らぎつつある・・・