に
書き物:https://rakuen.jeison.biz/novel/read/?487
サイト:http://bbbbbkip.genin.jp/
倫理的なもの、道徳的なものを諦めた先になにかあるかもしれない(道徳全廃主義)という思想の先行論文を探してるけどどこにもない
強いて言えば右派加速主義がその一例なのかも知れんけど
辛かったら学校やめてもいいよ、会社やめてもいいよみたいな競争より逃避を選ぶことを認める最近の寛容志向、数十年後には「辛かったら人生やめてもいいよ」って具合に一般人の安楽死の許容まで進んでたら面白いな
spotifyでhiphop聴くようになったけど、流行りの歌詞を年代ごとに追ってくと主訴が一致団結(少数派のアイデンティティの確立)からNo new friends(集団的な孤立化)に向かってる気がして面白い
就活という社会現象は要約すると「生産性のないやつは野垂れ死ね」なので
政府は生産性のある人間を増やすため学生1人につき1年分のアデロールを配りました
わりと本気で、国を経済的に豊かにしたいなら自己PRの書き方講座とかちんたらやってないで
中枢神経刺激薬を市販薬にスイッチして配りまくればいいと思う
「再認できる事象は実在する(なんども確認できる物事は、観測者の心の状態には影響されず、観測という行為から独立して状態を維持する能力を有する)」と仮定すると
正常な人が「柴犬をなんども見たことがあるので、柴犬は実在する」というときと
認知能力のおかしい人が「妖精をなんども見たことがあるので、妖精は実在する」というとき、
両者の論理的な道筋に違いはない、というのが実在論の危うさであり、面白さでもあると思う
先天的に脳の疾患を持つ人やヒッピー的な生活を送っている人がスピ系にはまりやすいのは、前掲の仮定があたかも自明のこととされているからだとも
ここでもっと現実的な問題を挙げるとすれば、「美的感性」や「倫理観」のようなものに対する不毛な議論がある
それらは主観的なものとして知られつつも、一方で観測者個人のなかで何度も変容することがめったにないので
各々が勝手な仕方で前記のような論理を用いて「モナリザの美しさは実在する/しない」とか「ポリコレ的な正義は実在する/しない」と言い合って、結論を導出しえない議論が起こること
「言い間違いは無意識にある思考の表出だ」という俗流フロイト心理学、人と口論するときの揚げ足取りに便利だけど、使うと人に嫌われるデメリットがある
私はこの先には行けない。千尋は元来た道を辿ればいいんだ。でも決して接触の悪いイヤホンで幼女囁きASMRを聴いちゃいけないよ。特に親の前ではね。
http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/kizawa/01.html
引用が鮮やかすぎて、ポストモダニズムに関するエッセイの中で一番面白い
去年現代思想の反出生主義の特集に寄稿してるのをみたけど、木澤佐登志ってなんなのか
政治経済で大学入ったけど、暗記しただけで実はいまだに分かっていないので
お金をいっぱい刷ればみんなしあわせになると思っている
かなしみのフルコースです前菜はへその緒からのはるかな自由 木下龍也
(『今日は誰にも愛されたかった』、ナナロク社、2019)
バカが主催する就活セミナー、労働に「自分を生かしてくれる社会に感謝しよう」という互恵性を求めてくるので笑える
誰が産んでくれっつったよ
人類がみんな「パパ、ママ、産んでくれてありがとう」って思いながら生活してるとでも思ってんのかな
あと大学を職業訓練所だと思ってるいい年した大人がけっこういるな
人文系は真面目に講義受けるほど就職に向かない人格になるぞ
マウスに「ボタンを押すと快楽が得られる装置」をある期間つけると、その装置を外してもボタンを押し続けるようになる
これは行動の動機付けが「報酬に対する反応」にとどまらず「報酬を得るための行動そのもの」にも伴っていることを示す実験であり、「依存」の研究で頻繁に引かれる逸話である
これを人の文芸鑑賞に当てはめて考えてみる
鑑賞者がアーティストの作品にある期間感動し続けると、たとえ晩年に以前のような質の作品を創出できなくなっても(極論、死後にすら)鑑賞者はアーティストを支持しつづける
これは鑑賞者が「作品を創出する能力に感動すること」ではなく、「アーティストの作品を鑑賞することそれ自体」を報酬として受けとるよう動機付けられてしまったからだと考えられる
このとき、鑑賞者が作者に「才能」や「権威」を覚える権威化、神聖化の仕組みは、実際には依存と同じなのではないか
ぷろぐらみんぐを数年やってきて、さっき静的型付けの言語は「整数/整数」の結果が勝手に小数点切り捨てされてることを知った
びーくんお久しぶり!!
最近、やいなちゃん、くまさん、ゆきのん、まりもん、そしてびーくんと最盛期の人たちがちょこちょこ顔を見せてくれる。