極論すれば企業にとって欲しい人材は「金を稼いでくれる社員」だと思う。極論じゃなくてもそうか。
企業側も面接で志望動機とか聞いて、学生が正直に答えるとは思わないだろう。学生は「どう答えれば受かるか」を勉強して来てるだろうし。だとしたら企業も、使える社員を選ぶために、どんな答え方をするかを見極めるだろうと思う。教科書どおりに何のヒネリもなく答える学生は、採用したって何の工夫もアイデアも無いんじゃないかってことでアウトなんじゃないかなー。逆に奇をてらった答えも、浅はかな目立ちたがりと思われそうだよね。
ありふれた質問に、踏みはずしてはならない線を守りつつ、どう工夫してオリジナリティのある自己アピールをしてくるか…ってところじゃないかな。
ただ、どっちかというとそれは文系だと思う。理系で、研究開発なんかをさせようという場合は、どういう分野でどんな研究をしてきたか、学会での発表実績はどうかみたいな、より実績の面が大きいと思う。あと文系理系問わず大学のレベルもやっぱりあるだろう。トップレベルの大学に受かるには頭が必要で、いくら受験用の頭が全てではないと言っても、どんな仕事を任せるにしても頭の良し悪しは重要だから。
面接でどう答えるとかという問題以前に、いわゆるFラン大学と神大とではスタート地点がまるで違うと思うよ。
神大かどうかはともかく、評価の高い大学を出ることはそれだけで選択肢が広がることになる。
私は文系でも大学院進学を決めていたから、大学を出る時に就職活動はしなかった。なのに、どうやって住所を調べたのか知らんけど机の上に山積みするほど就職案内が次々と一方的に送られてきた。その当時はまだバブルがはじけてなかったから、企業は人集めに必死で、こっちから就活しなくてもよかったわけ。でも、バブルの絶頂期は過ぎていて、微妙にはじける兆しが出ていて悲観的な観測が出ていた。だから大学のブランド力の低いほうから確実に「氷河期」も始まっていた。大学名によって露骨な差別があったよ。評価の低い私大の学生のところには1通も案内が来なかったらしい。
そして私が大学院を出る2年後には完全に不景気に突入していて、大学名によらずみんな就職難にあえいでいた。その直前まで新人を集めすぎて、極度の人余り状態だったからね。
私の時代と今とでは違うにしても、就活にあたってブランド力はでかい。どんな職種を選ぶにせよ、評価の高い大学を目指すのは王道だと思うよ。
小学生のころの夢が大人になるまで続く人は少数だと思う。でも、小学生のころから「夢は何か?」と考えさせることによって、動機付けをしていく意味はあると思う。答えが出なくてもいいから、考えさせてみることは大事だと思う。
私の古いネト友さんは、小学生のころにある職種につきたいと思ってたけど、中学高校と進むうちに全く別の職業を目指すようになった。大学入試のときも、止める人も多かったけど強い信念を持ってその新しい夢を目指して進学先を選んだ。ところが、最終的にはめぐりめぐって、小学生のころの夢のほうを叶えてる。途中で回り道をしたことも含めて、本人は自分の選んできた道に納得してるし、頑張って働いてる。
私は彼を小学生からネットを通して見てきた。苦労もたくさんしてきたし不幸なこともあったが、何でも自分の意志で頑固に選んできて、良い生き方をしてるなあって思う。
現実問題として稼ぐことは必要だけど、難しく考えないで、興味あることが夢でいいんじゃないか。
私の夢なんて作家だったから、それこそ学歴なんかまるで無関係のものを目指しながら、同時に学歴のことも考えてた。で、現実的に、モノ書きで食うなんて不可能だったから結果的には普通に勉強したことのほうが活きたのかな。てか結局ブランド力は関係なくなってしまったような気がするけど、どこかで有利には働いただろう。
あのとき大学院に行かずに就職してたら…と考えなくもないが、それだと東京で就職してしまう形になるから、最初からUターンするつもりで東京に出て行った人生がまるで別方向に行っただろうな。バブルの勢いで就職してたら、直後にハデにバブルがはじけてリストラの時代に突入して、就職したとたんにリストラとかいう悲惨な目にあったかも。それくらいなら、はじけた後で就職して正解だったかもしれん。