法律というのは、(実際そうなってるかどうかは別として)理念的には最大公約数的な幸福を守るためにあるわけ。で、じゃあ実際にその最大公約数的な幸福がその法律で守られているかどうか、というのは常日頃からよく考えるべきなんだよ。そして、守られていなければ、どうすべきかと言えば、法律を変えないといけない。法律を変えるには国会で変える必要があり、そのためには、変えようとする候補者を当選させなければならない。
回りくどいけど、それが「ルールを変えるルール」なんだ。
>それにそぐわないルールがあるなら、破ることだって必要になってくる時もあるはずなんだ。
ここで言う「それ」の内容
>要は何か目的があってルールが存在してるわけで、それが満たされてないのならルールとしておかしいものになる。ルールがあるから守るんじゃなくて、守ることによって得られる何かがあるから守ってるんだよ。
ナチュラルは、ルールには目的があり、目的が満たされていないルールはおかしいから、破ることだって必要になってくる…と主張してる。
問題は、目的が満たされているかどうかを「誰が判断するのか」なんだよ。一個人が勝手な判断を下して「これは目的にそぐわない法律だから破ってもいいや」がまかり通れば、法律なんて無いも同然になる。目的が満たされているか、法律の内容が妥当かどうかを判断するのは、民主国家では「国民の総意」なんだ。だからその国民の総意を知るために選挙をする。憲法の場合は国民投票もする。
一個人の勝手な判断で「この法律はムダだから破ることも必要」が通ったら、法律の目的よりも自分の考えにそぐわない法律が自由に破られてしまう。それはただの無法状態だ。
気に入らない法律でも、納得できない法律でも、守らないといけない。そうでなければ、みんなが勝手に法律を破ることになって、結局国民の利益が守れなくなる。国民の総意が正しく法律に反映されてるかどうかはまた別の問題として存在するけど、理念として間接民主制はそうなってる。
>俺は行為を行う人自身も含めて、社会全体への被害よりも社会全体への利益が上回るなら何をしても良いって思ってるよ。
これも、社会全体への被害と社会全体への利益の大きさを、「誰が比較するの?」という話なんだよ。個人個人が判断していいのなら、個人個人で判断が分かれて、結局ルールなんて存在しなくなるだろ。
ルールってのは、全員に適用されないとルールにならない。「俺はこのルールはおかしいと思うから破る」が許された瞬間、それはルールではなくなるんだ。
スポーツのルールでも、全員に適用されないと意味ないだろ。ルールがあって、審判がいて、審判が反則と言えば反則なんだよ。日大アメフトで関西学院の選手を反則タックルして、それが問題になったけど、「俺はあの程度のタックルがダメだというルールはアメフトとしておかしいと思う。だから退場しない」と選手が主張しだして、それが許可されたら、もうゲームが成立しないだろ。納得できなくてもルールはルール。審判が退場といえば退場。ルールが納得できなくても、その時は守らなければならなくて、ルールに問題があれば事後にちゃんと変更を提案しないといけない。
今回のワールドカップで、日本がセネガルを上回ったのは、「イエローカードやレッドカードが少ない」だった。日本の監督はその差で勝つことを選び、観客としては面白くない試合をやった。日本のやり方が汚いという批判もあるし、そもそも反則カード数で優劣を決めるルールがおかしいという議論も出ている。
いろんな意見があるけど、いくら今回の日本の勝ち方を批判する人も、ルールが悪いと言う人も、日本が決勝トーナメントに進出するチームに選ばれたことを否定する人はいない。それは、それが「ルールだから」だ。日本はフェアじゃないという人はいても、だから日本よりもセネガルを出せという人はいないんだよ。ルールだから。
>「違法だからダメ」は思考停止なんだよ。
いや、違法だからダメなんだよ。思考は、じゃあその法律はこれでいいのかって考えて、もしもこれじゃダメということなら、上に言った民主主義の方法で法律を変えないといけない。法律がそれでいいのかどうか常にチェックしてるんだから全然停止してない。
「納得できない、おかしい、じゃあ破ろう」のほうが、めちゃくちゃ短絡的で思考停止してるやん。
>自分が家のドア全開にして、そこに「どうぞご自由に空き巣してください」って看板立てて1週間家を空けたら、家のものが根こそぎ持って行かれて、警察に行ったら「お前バカか」ってなるでしょ。
それは所有者が所有権を放棄してるからじゃん。所有者は、所有者の権利として所有権を放棄したり、誰かに譲渡したりもできる。著作物も、著作権の所有者がその権利を放棄したり譲渡したり売却したりできるよ。所有権を放棄しておいて、後から警察に被害届を出せば「バカか」と言われて当然だろ。
>自分が学生らから授業を奪ってんだから、学生らはそれを奪い返そうとするのは当たり前でしょ。
教授が授業放棄したのは教授が悪い。それは、授業は教授の業務契約のひとつであって、放棄したというのは、教授が大学との間で結んだ契約に違反したことになる。契約違反だから教授が悪い。
そしてその結果、授業を受けたい学生が受けられなくなった。学生という被害者が出たんだ。じゃあ、どうやって被害を回復するのか。これも、民事訴訟にしたら被害を回復することになるだろう。被害の回復方法も法律に基づいて決められる。それが法治国家だろ。
「教授の契約違反という違法行為によって、学生に被害が発生したことを根拠に、学生の違法行為が合法化あるいは正当化されることはない」んだよ。
つまり、教授は責めを受けるだろうけど、学生も責めを受けるの。
被害者が被害を回復することも法律に基づいて行われるのであって、被害事実を根拠に違法行為に及んでもいいわけじゃない。被害を受けたからと言って、自らの判断で「加害者の権利を逆に侵害する権利」が生まれるわけじゃない。法律ってのは、被害者にも加害者にも国民全体に適用されてるんだから。
>「全体的に見て被害より利益を上回って違法行為をしている人」
これも同じ。個人個人に判断を委ねたら人によって意見が違ってメチャクチャになる。そのメチャクチャを防ぐために、全員に適用される法律(ルール)があるんだから。