>>77
喧嘩で勝つために議論を学んだ…それもありだと思います。
喧嘩のかなりの部分は理屈(屁理屈を含む)のぶつけ合いなので、議論に強くなれば喧嘩も強くなるでしょう。
一方で喧嘩は議論にはない要素がいろいろある。議論だけでは喧嘩に不十分なので喧嘩をしに行ったのが私です。
なぜかよそが過疎ったあともキャスフィ避難所の喧嘩板はそこそこ生き残ってますね。
よそで居場所がなくなった喧嘩師もけっこう入ってきたみたいで。
私も喧嘩が楽しかった時代は、言葉の格闘技というか、ゲームとして楽しんでました。
戦略を考えたり、煽られてイラッときたら「いやここは感情的になったら負けだ…」と冷静になってみたり、過去レスを辿って攻める箇所を考えたり。
戦ってる最中はもちろん勝ちにこだわります。でも終わった後はできるだけこだわらないようにしました。
ただ本当に疲れるんですよね。トシのせいもあって長期戦には弱かった。
「り」みたいな人造人間17号かよってくらいの永久エネルギー炉の持ち主が羨ましかった。
私は現役の頃も喧嘩師というか半分は判定師(?)みたいな感じだったから知ってても戦ってない相手が多いです。
ひとつ思い出を語れば、ロシュ限界vsアメリカ人の判定でロシュの勝ちとした喧嘩、あれが一番悩みました。
その後ずっとアメリカ人に不満を言われ続けたのもあるけど、私自身も正直「引き分け」だと思ってた。
でもどちらかを選ばなければいけない中で、どこを重点的に評価するか、私の個人的な価値観に頼ることになりました。見る人によって「アメリカ人の勝ち」であってもおかしいとは思いません。
それぞれに記憶に残る喧嘩があると思いますが、私は自分の喧嘩よりもあの判定が一番印象に残りました。
喧嘩界の復興、なかなか難しい問題ですね。新規が来てくれない限りはどうにもなりません。既存の喧嘩師は減る一方だし。
掲示板自体が衰退してるからSNSで…と言っても、SNSは発言に厳しくなっていく風潮で、こっちはお互いに合意のうえで暴言言い合ってるんだけど…も通用しなくなりそうです。