南雲9 絶海の無人島

169南雲@お人好し
2025-03-28 01:48:53
ID:PBfamily

>>167
『三略』が劉秀の作だとして、どういうつもりだったのか想像するのも面白いね。

陳勝は成り行きで旗揚げしたこともあって、かなり行き当たりばったりだったよ。たとえば陳勝は自分のことを始皇帝に自決を命じられた長男の扶蘇だと名乗ったり、相棒の呉広は秦に滅ぼされた楚の名将・項燕を名乗ったり。反乱が一定成功して、陳を占領してから国号を「張楚」にしたけど六国復活はむしろ自然発生的な流れだったはず。張耳や陳余が趙を復活させたのも、陳勝の意志に反する独立だったわけだし。
単純な「反秦」から「六国復活」の大義名分になったのは范増が懐王を戴くように項梁にすすめたせいじゃないかな。

項羽の論功行賞は不公平だったけど、基本的な考え方は「より多くの人を王にして喜ばせること」と「細分化することで巨大勢力の出現を防ぐこと」だったと思う。その考え方自体には一理あるけど、やり方は周の封建制と変わりないんだよね。
劉邦は、というより張良が中心だったはずだけど、周や項羽のやった封建制と秦の郡県制の失敗を見て、両者を混ぜ合わせた。どういう体制が長続きするかを考えると、封建制では中央の権力が弱くなりすぎて、郡県制では地方の反乱に対応できなかった。だから強力な中央政権とそこそこの地方政権という形になった。策略はともかく政治力では、范増よりも張良が上だったってことだと思う。

韓信が老婆に恩返しした話だね。
韓信はそういう律儀さがあるのが魅力だし、律儀だから劉邦への恩義を大切にして破滅しちゃった。
最後は「あのとき蒯通の策を用いていたら…」とか後悔して余計なことを言ったせいで蒯通までつかまっちゃうという。
戦の天才であっても、戦以外では普通のマジメな人っていう感じがいいな。
蒯通は韓信を天下人にしようとしてたけど、天下人は前にオビディが言ってた李世民みたいに「やるときはやる」ような冷酷な決断力も必要だから、やっぱり韓信の天下では続かなかったと思う。いい人すぎて。

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