悲しいことに私の周辺では教養がまったく重視されていない。
広範囲な知識を有機的に結びつけて自分なりに加工してアウトプットすることは、かつては重視されていたが、今ではあらゆる「判断」がマニュアル化、フローチャート化してしまった。
なぜかというと、たとえば医者の世界にたとえたら、知識と経験でより的確な診断ができたとしても、万に一つの間違いがある。その時、結果責任を問われる。なので、検査データをインプットしたら誰がやっても必ず同一のアウトプットができることが要求される。
人間の「判断」が介在すれば、最良の結果以外になったときに「なぜこうしなかったのか」と問われるので、判断が介在しないような流れになっている。マニュアルばかり分厚くなって個別に最適な判断が許されない風潮になってる。
そういうことを私は気の合う人といつも愚痴ってるんだけどね。