画家になるとかイラストレーターになるとかではないけど、やっぱ絵とか今までやってきた創作を活かせる仕事には就きたいよなぁ
創作活動ってどんな職業でも生かそうと思えば生かせると思う!
例えば全然関係なさそうな医療でもメディカルイラストレーションっていう分野があったりするしw
確かにありますね!そんな詳しくないですけど
逆に美術解剖学ってのもありますから医学と美術って結構関わり合いが深いのかもしれないっすね〜
「絵が上手いに越したことはないけど、勉強すればするほど上手い下手に囚われて自由さを忘れてしまうことがある」みたいなことを先生に言われて、シンプルなことながら励まされてしまった。
絵が上手くなりたいって気持ちはあるけど、その気持ちが自由に絵を捉えるということと同時に存在できないのであれば絵から距離を取った方がいいなって思う。
行き詰まった時ほど初心に帰るのが大事だろうなって。
いやーほんとうにそうっすね
目の前のことに必死になっちゃうとついつい忘れがちだけど、何のためにそれをやっているのかを考えて、立ちどまることは結構大事だと思うわ
暴走して突っ走っている間に好きだったはずのことが好きじゃなくなっているなんてことは往々にしてある・・・そして最後は精神を病む
仕事とかお金とかが絡むと特に・・・
他人からの評価とか一切度外視して、自分が好きなことの聖域はちゃんと守っておくのってすごく大事だと思う
ボカロPデビューしたンゴという話。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38404856
完璧主義しんどくなってきた
っていうか自分がこんなにも完璧主義な人間だったなんで成人して初めて気付いた
絵の依頼が来るようになって自分も絵上手くなったのかなぁと思う半面
自分の絵の持ち味が何も分からんまま描いてるからずっと迷走してるなっていうのもある。
絵について考えるならそこは避けては通れない道のような気もする
最近、感性について考えてるんだけど、考えれば考えるほど難しい
自分の感性の貧困さには眼も当てられなくて、だからこそ気になってるんですけどね
感性って言葉で説明するのが難しいというか何かもやっとした形でしか理解できないもんな。
感性は理屈ではなく感性で説明すべき(意味不)
少なくとも言えることは、私は20代に比べて感性がガタ落ちしてる。
技術の問題でもあり感性の問題でもある気がする。
デッサンが拙くて決して上手いと言えない絵でも良いなと思える作品は良いと思えるし、技術的に高い作品でも万人に受けるわけでも無い。
写真みたいな絵ってあるじゃないですか。これ絵なの!?っていう。
それって技術的にはめちゃくちゃ高いと思うんですけど、絵として見たら「すげぇなぁ」で終わって、「写真みたいな絵だったら写真でよくない?」って意見もあるんですよ。
そのあたりは結局好みの問題なんですよね。
なるほど写真みたいな絵はすごいと思うけど、「絵」としての芸術性はないし、「写真」としての芸術性ならしょせんまがい物だし。
写真みたいな絵を描くなら、そこに絵だからこそ表現できる何かを入れないと芸術的な意味はない。その何かにどれほど感性が表現されているかどうかかな。
言い換えると、写真のようでありながら、本物の写真では撮れない何かを描きこむなら、そこに芸術の余地が生まれるかも。
これが難しい問題で、確かに作品としての客観的価値だけを見たら写真と遜色のない絵というのは「写真でいいじゃん」となる
ただ、これはあくまで鑑賞者の視点であって、作者からだと見え方変わるんじゃないかな?
つまり、写真と同じ絵を描くというデッサンを単純な技術の問題だけで片づけていいのかということ
僕の個人的な意見だけど、実際に事物を事細かに観察してそれを平面上に再現するというのはとてつもない鋭敏な観察力が必要な作業なのではと思う
その観察眼というのは技術というよりもむしろ感性に含まれるようなものだと思ってる
三次元のものを二次元に落とし込む段階で情報量は必然的に削られてしまう(写真ですら削られる)
豊かな感性と卓越した技術の持ち主であれば、写真以上にその事物に迫る絵すら描くことはできるんじゃないかと勝手に思ってる
感性というのは自己表現のような内面的な問題だけでなく、世界と自分との関係をどうとらえるかというところの問題でもあると思う
他者や世界に対するまなざしに欠けている人が、素直に自分を表現できるとは思えないんだよなあ
twitterにいがちな承認欲求こじらせ絵師と芸術家の最大の違いってそこかなあと思う
僕がもしデッサンしろって言われたら、間違いなくやばい絵が出来上がるんだよねw
それは確かに技術力の圧倒的不足もあるんだけど、多分絵がうまい人に”見えている”ものが素人には”見えていない”
見えていないものはどんなに頑張っても描けるはずがない
絵描く人と絵描かない人で絵の見方が違うってのは本当そう
絵を描き始めると、描いていないときには見えなかったものが見えてくる。
自分は高校の頃理系のコースで大学入って本格的に絵描き始めたからまだまだ日は浅いんだけど、それでもやっぱ実感はする。
あと、「絵」と一言で言っても、油絵、水彩画、アクリル画、デジタルイラストetcでも全然違うんよね。
絵苦手っていう人でも画材を変えたら実は絵を描くポテンシャルがあることが分かったっていうのもある。
たしかに深く考えていくと難しい問題になっていくなあ。
図式的に言うと、目からインプットされた情報が脳で処理されて、絵としてアウトプットされることになる。
これまで、なんとなくこのアウトプットの能力を技術と言って、感性というのは情報処理の段階を指してきたと思う。で、私は最初、自己表現のような部分、情報処理の中でも内面的なものが付加される部分を感性と表現した。でもじぇいそんは感性をそれだけでなく、インプット情報をどのように二次元に落とすかというプロセスまでを感性に含めた。
それは確かにあると思う。絵の話ではないけど、私の領域でもそれはとっても納得できる話。ある人の行動を観察する。それは三次元であり動的であり長い時間軸まで加わった膨大な情報で、同じものを見ても何に着眼し、どう意味づけ関連付けるかという「感性」を必要とする。そのうえで相手の心理的状態やら社会的背景などの視覚的に見えないものを想像していって、相手が必要とするこちらのアクションは何かを導き出し、行動する。こちらの働きかけに対する反応もまた新しい情報としてフィードバックして、考えを修正していく。
物理的に同じものを「見て」も、そこに「見える」ものは違う。そこまで感性なんだな。この感性がなければいくら勉強しても経験しても知識や小手先のワザしか身につかない。
じぇいそんと同じで私も、対象を手で再現できないというアウトプットの段階だけでなく、風景なり人物なり静物なりを見たときに何が「見えている」か…それは良い絵を描く人とはまったく別物で、私に見えるものは非常に貧弱なんだろうな。
一方で深く考えていくと感性と技術って分けて考えられないように思えてくる。何を見出すのかは、感性とも言えるし同時に技術でもあるんじゃないかと。着眼点というのは見る技術でもある。だからたぶん、訓練によって、感性が磨かれるところに至らなくても観察する技術である程度は補える。
つまらないことを言うようだけど、純粋な技術というのは本当に小手先の部分であって、純粋な感性というのは本当に内面的なものであって、大半のプロセスには感性と技術が複雑に絡み合っているんじゃないかな。
最近描いたイラスト。忙しくてあんまちゃんとしたの描けてない。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2501852.jpg
就活嫌すぎて吐きそう
なんかもうどういう会社選べば良いのかが分からんすぎるしこんなクソみたいな社不を雇ってくれる会社が存在するのか