気まぐれつぶやき 其の拾弐

220南雲@お人好し
2021-05-30 19:37:25
ID:PBfamily

たしかに深く考えていくと難しい問題になっていくなあ。
図式的に言うと、目からインプットされた情報が脳で処理されて、絵としてアウトプットされることになる。
これまで、なんとなくこのアウトプットの能力を技術と言って、感性というのは情報処理の段階を指してきたと思う。で、私は最初、自己表現のような部分、情報処理の中でも内面的なものが付加される部分を感性と表現した。でもじぇいそんは感性をそれだけでなく、インプット情報をどのように二次元に落とすかというプロセスまでを感性に含めた。

それは確かにあると思う。絵の話ではないけど、私の領域でもそれはとっても納得できる話。ある人の行動を観察する。それは三次元であり動的であり長い時間軸まで加わった膨大な情報で、同じものを見ても何に着眼し、どう意味づけ関連付けるかという「感性」を必要とする。そのうえで相手の心理的状態やら社会的背景などの視覚的に見えないものを想像していって、相手が必要とするこちらのアクションは何かを導き出し、行動する。こちらの働きかけに対する反応もまた新しい情報としてフィードバックして、考えを修正していく。
物理的に同じものを「見て」も、そこに「見える」ものは違う。そこまで感性なんだな。この感性がなければいくら勉強しても経験しても知識や小手先のワザしか身につかない。

じぇいそんと同じで私も、対象を手で再現できないというアウトプットの段階だけでなく、風景なり人物なり静物なりを見たときに何が「見えている」か…それは良い絵を描く人とはまったく別物で、私に見えるものは非常に貧弱なんだろうな。

一方で深く考えていくと感性と技術って分けて考えられないように思えてくる。何を見出すのかは、感性とも言えるし同時に技術でもあるんじゃないかと。着眼点というのは見る技術でもある。だからたぶん、訓練によって、感性が磨かれるところに至らなくても観察する技術である程度は補える。

つまらないことを言うようだけど、純粋な技術というのは本当に小手先の部分であって、純粋な感性というのは本当に内面的なものであって、大半のプロセスには感性と技術が複雑に絡み合っているんじゃないかな。

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