側室制度復活か…私もそこまでは考えなかった
確かにそれくらいやらないと皇位継承者が先細りしていくことは止められそうにない、けど側室制度復活は現実的に厳しいなあ…
他に安定的に維持する方法があるかと言えば難しいけれども
当面は旧宮家の復活、それとその範囲を広げてしのぐしかないだろう
「神武天皇からの万世一系」論でも、継体天皇が「応神天皇五世の孫」というのを一系として認めているので、ある天皇から五世代孫くらいまでなら後継者として許容される
最大でそこまで認めたら当面困らないんじゃないかな
イギリスも国家元首でありながら政治の実権はないわけで、それと同じような元首であってもいい
ただ、アメリカに押しつけられたとはいえ象徴天皇は日本に根づいているし、私はむしろ象徴のほうが似合っていると思う
すごく長い天皇の歴史のなかで天皇が本当に実権を握っていた期間は少なく、権力はないけど権威はある、というのが日本の天皇だったからね
政治の中心ではないけど日本という国の精神の中心であり続けたという意味で、象徴というのは相応しいし、現在象徴であるのをあえて元首に変更する必要はないと思う
国民の総意に基づく部分をなくして地位を担保しても、天皇の地位を規定した憲法そのものが国民の総意に基づくのでそこはどちらでもいいと思う
私が高校中退者なのは何度も話してることだけど
今でも高校の夢にうなされます…
すごい追いつめられた気持ちになって苦しんでて
たいていその最中に「あれ俺もう大学出てるじゃん、だったらもう高校行かなくてよくね?」
ということを思い出してホッとするストーリーです
ジェイソンさんもまだ生まれてなかった昔です…
本気で死ぬことばかり考えて過ごしてた期間はたった2ヶ月間でしたが
その2ヶ月間で私の性格ががらっと変わったくらいでしたからね
でも高校をやめるっていう、初めて自分自身で大きな決断をして親の反対も振り切って
決断力だけはついたというプラス面もありました…
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-2016111700827/
これはどうかと思う
私だってSNS上の中傷に賛成はしないけど、法律で禁止するってどういうこと
ひどい場合は名誉毀損で対応できるんじゃないの
そして非親告罪にするって…
じゃあネット上で特定の人に対してゴミとかクズとかいう発言があると
それで検挙まではしなかったとしても警察はプロバイダに発言者の個人情報提供を求められるってことじゃないの
あんまり簡単に警察が出てくると国民の反発を食らうことになるけど、出てこなくて情報収集するだけなら本人に知られないから反対も起きない
他人の悪口を言わないのは道徳であって、道徳は法律で強制するもんじゃないし、ましてや非親告罪なら警察の裁量で何でもできるってことか
この「非親告罪」というのはすごい問題だ
たとえば傷害罪は非親告罪だけど暴行罪は親告罪だったはず
ネットの悪口が、リアルでぶん殴るよりも重罪?リアルの悪口も罪にならないのにネットの悪口は罪?
私は著作権違反の非親告罪化もすごい反対している
なぜなら、著作権の所有者は、その著作物を「自由に使っていい」と積極的に宣言まではしなくても、使われた時に「黙認する権利」があると思うからだ
たとえば普通に誰かが自分の持ち物を盗まれた時だって、被害届を出すかどうかは所有者の自由意思で、盗まれたことを許す権利がある
著作権だって同じように、無断使用されて訴える権利と、訴えない権利が著作権の所有者に認められるべき
著作権法違反の非親告罪化は、自分の作ったものを自分で管理できず警察が管理することになるからだ
私は商業出版した本があるが、それを著作権フリーにする気は全く無い一方、コピーして配布された場合に咎める気もない(自分の作った物だと偽られない限り)
中傷だってそう、中傷された被害者に「見逃す権利」がなくなるというのが非親告罪
しかも最も中傷されやすい立場の人は政治家や有名人なんだよ
まあ簡単にそうはならないとしても、理論上、安倍の悪口を言ったらつかまる可能性があるわけか?
これはひどい言論統制になる危険がある
そもそも、人権人権っていうけど、民主主義の無いところでは人権も守られないんだよ
そして、言論の自由のないところに民主主義は成立しないんだよ
言葉で人を自由に傷つけていいなんて言うつもりは全くないが、基本的には国家権力で言論を統制することで人権を守るなんて矛盾なのだ
小説BBSの三国志、更新!
「第三十九話 孔明なき蜀」
孔明の遺言で蜀軍の退却をまかされた楊儀は、魏延に退却のしんがりを頼みますが、楊儀と仲の悪い魏延は言うことを聞こうとしません
怒った楊儀は魏延を戦場に置き去りにして退却、その混乱を見た仲達は孔明の死を悟って追いかけますが、孔明の残した計略で逃げ出し
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言われました
さらに蜀軍の主導権をめぐって反乱を起こした魏延も、孔明の残した計略で…
全四十話の三国志もとうとう三十九話です…
かつてやってた、らくえん用掲示板の再開準備中
約1年ぶりの再開になるな(って何を書くのかそれが問題だ)
どうして準備に時間がかかるのかというと、前は暗いグレー系だった色を変えているから
スタイルシートがよくわからん私はどこのコードをいじったらどこの色が変わるのか迷ったりするのね
あと、色合いのバランスとか、背景色と文字色、リンクの文字色、オンマウス時の文字色とかで見づらくならないようにとか考えると割と手間取ってる
でもこうやって色を整えてもパソコンから見た場合にしか反映されないのかなー
小説BBSの三国志、更新!
「第四十話(最終回) 晋帝国」
姜維は夏侯覇とともに出兵しましたが、天候に恵まれずに魏に敗れます
その後も姜維は何度も魏を攻めますが、勝負がつくことはなく、蜀の国力が消耗するばかりでした
蜀の力と政治の乱れをみた魏の司馬昭はついに蜀攻略を開始します
陽平関、漢中と奪われた姜維は、最後の砦として剣閣に兵力を集中し、魏軍を一歩も近寄らせませんが…
七ヶ月間にわたって連載を続けた『三国志(小説板Ver.)』、ついに完結です!
三国志の物語は、西暦184年(黄巾の乱)~285年(晋の天下統一)までの百年間を扱っています
そして、孔明の死が西暦234年ですから、実は孔明の死は三国志のちょうど中間地点なのです
私の場合、全40回のうち孔明の死が第三十八話なので、前半50年を38回でやって、後半50年はたったの2回というアンバランスさなのです
でも孔明が死んだあとは見せ場がなくなるので、たいていの物語は後半50年はさらっと終わらせてしまいます
横山光輝の漫画(全60巻)でも孔明の死は59巻で、蜀の滅亡(西暦263年)で完結してますしね
一番上のリストに掲載されてるスレが40から20に減ってから
下がるのがすごく早くなった感が半端ない
誰か300とってくだしゃ
ブログ更新しました!
http://southsky01.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
えっと、知ってる人は知ってる「うどん屋さん」ブログで途中までやってたまま放棄したシリーズ物がありました
『夢勝負』です
最初からになりますがこっちで再連載しようと思います
私の過去、実話ですので興味のある方はどうぞです
今回はまだ予告編ですけどね
大阪の陣、「真田幸村の奮戦」でも敗れたワケ 豊臣秀頼が「あの選択」さえしなければ…
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e3%81%ae%e9%99%a3%ef%bd%a4%ef%bd%a2%e7%9c%9f%e7%94%b0%e5%b9%b8%e6%9d%91%e3%81%ae%e5%a5%ae%e6%88%a6%ef%bd%a3%e3%81%a7%e3%82%82%e6%95%97%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%83%af%e3%82%b1-%e8%b1%8a%e8%87%a3%e7%a7%80%e9%a0%bc%e3%81%8c%ef%bd%a2%e3%81%82%e3%81%ae%e9%81%b8%e6%8a%9e%ef%bd%a3%e3%81%95%e3%81%88%e3%81%97%e3%81%aa%e3%81%91%e3%82%8c%e3%81%b0%e2%80%a6/ar-AAlGYuc#page=2
ありえない。
ここのQ7とQ8の回答はありえません。
・豊臣家の移封は甘い措置だったのか
>関ヶ原で徳川に歯向かった大名は「領地召し上げ」「取り潰し」になっています。「大和国、伊勢国への国替え」は、処遇としてはむしろかなり甘い措置ともいえ
関ヶ原の戦いの本質を完全に見誤っています。関ヶ原で徳川に逆らったのは石田三成・毛利輝元・宇喜多秀家らであり、豊臣秀頼は逆らっていません。それどころか、徳川家康は関ヶ原の戦いを「豊臣家の家臣として豊臣家を正す」という建前で戦っています。家康が逆らったわけでもなく、まして秀頼が家康に逆らったなどと家康は口が裂けても言えませんでした。
関ヶ原を「豊臣vs徳川」に位置づけたのは石田三成のほうであり、家康はあくまで「豊臣家の家臣どうしの勢力争い」という立場をとっていました。だからこそ、加藤清正や福島正則といった秀吉子飼いの豪傑が家康方についたのです。福島正則は関ヶ原の後、豊臣家が65万石に減封されたことを不当な扱いとして怒り心頭に発していましたが、家康に逆らえるわけもなく我慢しました。
・秀頼が大和や伊勢への移封を受け入れたら豊臣家は存続できたか
>豊臣家は存続し、豊臣の天下を再興する機会もあったかもしれません。
とんでもありません。徳川家から見ると、豊臣家は最も危険で恐ろしい存在なのです。勢力こそ衰えても権威は失われていません。徳川家の支配に不満を持つ者は、いつでも豊臣家に集まってくるのです。
確かに、家康の寿命を考えれば、秀頼が移封を受け入れていたら家康は豊臣家を滅ぼす前に死んだでしょう。しかし二代将軍秀忠が「江戸幕府で何をやったか」を考えれば、このまま豊臣家が放置される可能性は完全にゼロでした。秀忠は江戸幕府にとって危険と見なされた勢力を徹底的に排除する政策をとっています。それは、大手柄をあげた徳川家の重臣・本多正純すら叩き潰したほどの徹底ぶりです。
この、強権人物である徳川秀忠が、幕府最大の脅威である豊臣家をほったらかしておく可能性は完全にゼロで、1%もありません。
豊臣家が移封を受け入れて大和なり伊勢なりに移ったら、しばらくしてまた難癖をつけられて10万石程度の大名にもう一度移動させられて、無力化したところを滅ぼされるのは間違いありません。
豊臣秀頼はそれが分かっていたから、どうせ滅ぼされるならば大坂でという道を選んだのでしょう。
ブログ更新しました
http://southsky01.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
けっこう勝手なこと書いてます、特に辞書のところ
でも読点(、)の部分は参考になれば幸いです
最近らくえんよりもキャスフィ避難所へのレスが上回ってらくえん民の立場が怪しくなってる私←
避難所であれば本音は雑談民化したいんだよね…煽り叩きナシのほうがいい
でも自由板のほうが私にとっては入りやすいという現実