今まで唯一の拠り所としていた宗教も、もはやもぬけの殻です。神さまだの救いだの、そんな根拠のない教えなんて戯言に過ぎません。これからは自分たちで物事を見て、聞いて感じて考えなければなりません。とはいえ、科学も技術もそんなに発達してない時代です。空の向こう側やミクロの世界を見たり聞いたりする術はありません。そこで彼らは、まず哲学することから始めました。正義って何だろう、愛って何だろう、人々は自らに問い、寝る間も惜しんでひたすらに考えました。しかし彼らは、触れてはいけない禁断のタブーに触れてしまいます。
”真に価値のあるものは何か”
ふん、そんなの決まってるね。神さまも魂もないんだから、そんなもんないね。しょせん生まれては死んで消えゆく存在だ。何の意味もn....あれ、それじゃあ身体を痛めながらも必死に働いているこの俺は一体何なのだろうか。人類の発展のため?家族のため?自分が幸せになるため?でも、そんなものにさえ意味がないのなら、この生そのものだってあってもなくてもいいようなもの。俺たちは一体何なんだ....。
このように価値観を見いだせなくなったひねくれた思想のことをニヒリズム(虚無主義)と言います。ニーチェは宗教という人間の拠り所を無くしたことで、ニヒリズム文化が広まってしまったことを皮肉って「神は死んだ」と言いました。
ニーチェはこの腐りきった世界を永劫回帰によって変えようとしたのです。
人生に価値がないのだとしたら、もしその人生が未来永劫、ずっと回帰し続けるとしたらどうだ。起きて、土を耕し、食べてはクタクタになって寝る。そんな無意味な行動を何日、何週間、何ヶ月、何年、何十年と過ごすどころか、その人生を無限に繰り返すことほど苦痛なことはない。ならば、また繰り返したいと思えるような「今」を過ごすべきだ。例えこの先に災厄が訪れよとも、病気で悶え死ぬことになろうとも、そんなことは関係ない。
「今」というこの瞬間をどう生きるかなのだ!