>>975
私の周りでは、「SNSが変わらないといけない」って主張してる人が結構いましたね。
高所作業員については、高所で作業してる時の安全管理は会社がきちんとするべきだと思います。
例えばロープが切れてしまうとか、悪天候の日に作業させるとか、そういったことはあってはならないです。
でも、例えば高所で作業してるときに風に揺られて、作業員がそれをトラウマとして感じたときに
そのトラウマが原因で高所を歩けなくなってしまった、とかそういうことは私は会社の安全管理には含まれないと思います。今回のテラスハウスでも、例えば撮影中に出演者が共演者に暴力を振るったり、撮影場所で火災が発生したらそれは番組側の責任だと考えます。でも、今回はそうではないので。それと、勿論高所での作業時に事故が起きれば会社も責任を負うべきですが、仕事の上でのリスクは仕事をする時点で考えておくべきだとは思います。
高所での仕事を選ぶなら、そういった可能性、危険性は考慮するべきだと思います。私は、もし家族が高所での作業をしていて事故で亡くなれば、会社側を100%恨めるかというと自信がありません。
弾とは言っても、この場合出演者を傷つけるだけではなかったと思います
例えるなら鉛玉じゃなくて金だとか銀の玉で、視線が向くということはその分認知度も上がったわけで
視線を浴びることと弾を受けることはほぼ同義だと思っています
誹謗中傷から守るということは、その分他人からの視線から隠すということだと考えますので
あとここまで書いて気づいたのですが、
意見を拝見して、この件で彼女を擁護する人と擁護しない人は本当に根から考え方が違うのだな・・・と思いました。。
私が当たり前に持っている考えからして、多分じぇいそん達とは全く違っていて
正直彼女は死にたかったなら死ねて良かったじゃんと思ってるから、こういった考えの相違が出てしまうんでしょうね。私は、それがどんな理由で生まれたものにしろ、死ぬほどつらい気持ちからは逃れられた方が良いと思ってますから。
彼女を守ろうと、守るべきだったと考える人、自殺は悪いことか正しいことかの話になってくるのかもしれません
番組制作側の道義的責任の話であれば、どの程度負ってるかなんて基本的には個人の価値観の問題だよね。
より倫理的であることを求めれば守るべきだけど、倫理を求め始めたら際限なく善意を求められ続けることになる。倫理的に最低レベルと最高レベルは連続的であって境界線がない。
それでも「違法でなければなんでもいいのか?」と社会では常に問われてるから、違法じゃなくても批判は浴びる。「こうすべきだった」と言われる。そういう番組を作っていて、大事件になったら逃げちゃった以上、制作側が批判を浴びるのも「制作側の自己責任」じゃないかな。なぐさん的には、リスキーな番組に出たのは本人の選択だって話だろうけど、リスキーな番組を作ったんだから制作側が批判を浴びるのも制作側の選択だろう。
誹謗中傷した人が悪いっていうのは当然なのでそこは置いといて、それ以外には「制作側も悪い」がじぇいそんで、「誰も悪くない」がなぐさんだと思う。たぶん一般常識に照らせばじぇいそん側の人が多いと思う。
ただ、>>976
>正直彼女は死にたかったなら死ねて良かったじゃんと思ってる
なぐさんのそういう感覚は、なぐさん自身の生き方じゃないかな。生命観と言ってもいいか。たぶん自分自身の経験から、死への親和性が高いんだと思う。そのせいで、社会に対しても諦めがあるのではないかと。
ほんとはせっかくだから記念に、残りのレス数でできる小説を半分ぐらい書いてた
けど描き着る前に書きこんじゃったので、残りのレス数と段落数が合わなくなって断念
みんな友達できて羨まし…くはない
友達はいらないな
連絡事項を伝えてくれる知り合いは欲しい
大学生なんて向いてない
高校生にもなれない人間には不向きだ
何もかもがつまらない
そう言って文句叩きつけるだけの糞野郎が僕だ