>>162
身近に感じるのはすごくわかるよ。
部下もその人間性を知ってるからズバズバ意見するんよね。
しかも戦時中はほぼ無敗で歴戦の将軍たちですら恐れるほどの武人だったのに、戦後は武力を捨てて徴兵制をなくして常備軍に農耕させるほどの徹底ぶり。
そこも痺れる。
ちなみに『三略』の作者は劉秀なんじゃないかっていう説もあるんだよね。
「柔の道」みたいに『三略』からの引用が目立つのと、『三略』が兵法書の中でも政治書の側面が強いことが大きい。
また、劉秀は兵法書を机上の空論として嫌ってるような描写もあって、「兵法などはただ書かれたものに過ぎず実際の役に立たない」って言ってたり、皇太子(後の明帝)に「兵法について教えてほしい」と言われた時、「お前には必要ない」と言ったエピソードもある。
まあこっちは「皇帝に兵法はいらない」っていうことでもありそうだけど。
『三略』の伝承としては『六韜』とともに太公望が書いたもので、黄石公っていう仙人が張良に渡した兵法書って言われてるんだけど
当時にはなかった騎馬戦のことや「将軍」という言葉、また韓信の言った「狡兎死して良狗烹らる」のところが登場したり、前漢末の書物がほぼ全て記されてる『漢書』文藝志にも載ってないっていう明らかに前漢以降に書かれたことがわかってる。
しかも劉秀の「柔や剛を上手く使う」やり方にバッチリハマってるんよ。
だから、皇太子に「これがお前の兵法書だ」とか言って渡したのが『三略』の可能性があるんだよね。
また他にも根拠があって、それは『三略』が『六韜』『貞観政要』『李衛公問対』なんかと違って問答形式じゃないこと。
これは皇帝に献上する時、臣下が自分の言葉で教えるのは失礼にあたるっていうのもあって、基本は太公望と武王とか、後の唐太宗と李靖のようないわゆる聖王と呼ばれる人たちが問答してるところから学ぶのが一般的だったそう。
それから外れる『三略』は、劉秀が皇太子にあげた書物だからという話。
劉秀なら「これがお前の読む兵法書だ」ってコレを渡す姿が見えるくらいわかるんだよね。
永楽帝の事件は、あれはそもそも父親が悪いんよ。
功臣みんな殺してしまうし。
皇族殺して皇帝につく例は隋煬帝や唐太宗もやってるし、多少悪逆非道でもやらなきゃいけない部分ではある。
私も事件が好きで永楽帝自体はあんまりだけど、いちばん嫌いなのは洪武帝朱元璋だね。笑
好きな皇帝は劉秀を除けば漢文帝、あと李世民かな。
ちょっとダーティーで煬帝と比べられるし彼自身も煬帝コンプレックスがあったと思うけど。
武将まで行くと韓信が好き。