というか地方住民の民意なんて、それが正当な日本国民によるものであっても、国政問題の場合は無視され続けてきた(沖縄が最も良い例)
住民投票による民意なんて中央政府からしたら羽虫の鳴き声
仮に百歩譲って住民投票で領土問題がテーマになったとしても、中央政府は余裕で無視するでしょう
そもそも外国人がいるかいないか以前に自治体の住民投票で本当に国政が動いたらそれこそやばい
>たかだが1地方自治体の住民投票で国土を失うというのもあまりに大げさ
大阪みたいに安全な大都市に住んでると危機感までマヒしてしまうのか?
過疎の国境離島の現状をどれだけ見てるの?
私は普段こんなに感情的な物言いはしない。それくらいじぇいそんは危機感が足りないんだよ。
国土を奪う側は住民投票を民意という錦の御旗にして国際世論に訴えかけることができる。あるいは軍事侵攻を正当化できる。そのときに国政なんて無力なものだよ。
住民投票を認めたら次は地方参政権の問題になる。地方参政権が認められたら「対馬を韓国領だと主張する市長」、「対馬を韓国領だとする議員が多数派の議会」が誕生する。
日本人は住みづらくなってますます本土に引っ越していく。
そうなったらもう対馬は国際的に日本領だと認められなくなる。
自民党の支持基盤がどうなろうと知ったこっちゃないが問題を矮小化しないでほしい。
これは正直なところ恐ろしい問題である。
じぇいそんですら危機を認知していないという社会状況が一番の危機なのかもしれない。
これは自治体と国政の問題じゃなくて、自治体を利用する外国と日本の問題なんだ。
武蔵野市がどうのじゃない。武蔵野市でまかり通ったことは、平等という誰にも逆らえない正義のもとに拡散されてしまう。武蔵野に外国が絡んでるとは言わないが確実にこれは「利用される案件」になる。
その原因が国内のつまらん政争であろうと、結果のもたらす重大性こそが大事なんだ。
既にもう外国籍でも住民投票できる自治体あるんですけどね・・・
なお住民投票結果が国政に影響を及ぼさなかった例はごまんとあります
そういえば長崎のどこかの自治体もありましたよ
よっぽど外国に近い長崎でも!
>確実にこれは「利用される案件」になる。
>住民投票を認めたら次は地方参政権の問題になる。
例えば豊中市では2009年から住民投票の対象が外国籍に拡張されましたが、一度も問題になったことなし
当然地方参政権の議論にもなっていない!
”確実に”と言えるほどの根拠が脳内シュミレーションだけではちょっと・・・
別に矮小化しているわけではなくて、既に結果が出ている問題を保守派がことさらに大きくしているだけなんですよね~
そんな想像が理屈になりえるなら、技能実習制度こそ将来の移民政策の拡散のきっかけになる
外国人労働者の増加は住民投票どころか外国人参政権にまで議論は広がっていくでしょう
既に技能実習生制度が国際社会から批判されており、現に人権問題の一つとして国際問題化されてしまっている
実態として外国人増えてしまっているのだから、そこをどう統制するかに費やすほうがよっぽど建設的でしょう
現に日常では外国人と共存をせざるを得ない日本人や奴隷みたいに働かされている外国人がいるわけで、ネットの議論は概念上の国民や国家を大事にしすぎるあまり個人の経験生活を無視しすぎ
保守派の威勢の良い議論もリベラルの綺麗ごとも本質はどちらも変わらない
こんなイデオロギーの対立に巻き込まれてしまって無関係な第三者からあーだこーだ言われかねない武蔵野市民が気の毒でならない
過疎の国境離島を本気で心配するなら(本気で心配して実際に行動している保守派なんてごくわずかでしょうが)、それに対してなーんも対策しない中央政府を批判すべきで武蔵野市にその責任を負わせてはいかんでしょう
国家と国民を守るのは地方自治体の責任ではなく中央政府の責任
この役割分担すら否定するなら、地方自治制度自体を否定するのと同じ
戦前みたいに地方自治を制限して、中央政府がすべて統括しろと言うならまだ理解しますけどね
権利と義務のアンバランスという問題は実際に起きている
これを放置する方が国家の分断を招き、むしろ国際社会に利用されかねない(既にされているが・・・)
外国人労働者という存在に対する危機感に比べたら、武蔵野市の住民投票なんか大したことない
むしろ住民投票でガス抜きできるならその方が良い
一部の都市部は人口比率的にもう外国人の街になってますからね
そういう実態に対する危機感があるからこそもっと現実的な議論を展開しないと、そこで生活している市民からは相手にされませんよ
対馬の話を持ち出したところで(理屈としては成立しますけど)、普通の武蔵野市民を説得できるわけないでしょう
>既にもう外国籍でも住民投票できる自治体あるんですけどね・・・
だからこそ、すでに危機が始まってるんだよ。始まった危機を後退させるのはその理屈が正義であるほど難しいが、危機を広げないことが重要。
>なお住民投票結果が国政に影響を及ぼさなかった例はごまんとあります
及ぼさなかった例がごまんとあることが、今後も及ばさない根拠には全くならない。
地方参政権の問題は住民投票とは別の場所であってもすでに議論がなされている。
>”確実に”と言えるほどの根拠が脳内シュミレーションだけではちょっと・・・
誰かの「それはあなたの感想でしょ?」みたいなことを言わないでほしい。
国家が自国の利益を拡張する目的を持って他国に働きかけるのは脳内シミュレーションでも何でも無い常識でしょう。それをやらない国があったらそれこそ自国に対して無責任きわまりない。
技能実習制度はたしかに問題だけど、「これよりもあれのほうがもっと問題」って論点をずらしてもそれこそ何も建設的ではない。
じぇいそんの言う通り、技能実習生の問題も含めて、日本人と外国人の間には差別がある。その差別が正義に反することは誰も反論できない。
ところが日本の産業構造は技能実習生を呼び、彼らに差別的待遇をするという状況に依存してしまっている。それは解決しなければいけない問題だけど産業構造がそうなっている以上、すぐに変えるのが困難になってしまってる。だからって座視していいわけじゃないけどね。
私は「武蔵野市に責任を負わせる」みたいな微視的な議論をしてるんじゃない。どうして視点を小さくするかな。
武蔵野市や、武蔵野市民が悪いんじゃなくて、今回はたまたまその問題が武蔵野市で表面化しただけの話。武蔵野市が悪いんなら市民でもない私が市民でもないじぇいそんにこんなこと言わないよ。
これは特定の自治体に限らない国民全体の問題なんだよ。中央政府だって、結局は民意に逆らえない。民意に逆らった議員は落選するから、民意が勝つ。民主主義はそうでなければいけないし、日本は幸いそうであると思う。
「外国人が不公平な待遇を受けている」というのは、目の前にある現実だ。
そして、「それは不条理だから是正すべきだ」という問題意識は、正しい認識だ。
しかしその正しさを安直に実行に移したらどういう結果を招くか?それを私は問題視してる。
「外国の民意を自国に有利なように誘導して利用する」という当たり前の外交戦略を、確実じゃないただの憶測だというほど外国の倫理と善意を信じられるわけじゃない。
私は中央政府にも言いたいけど中央政府を決めるのは有権者なんだから、日本の有権者全員に対して言いたい警鐘なんだよ。だから有権者の一人として、有権者の一人であるじぇいそんにも言ってる。自分たちで選んだ政府なのに不都合なことは国が悪いと言うほど私は無責任な有権者じゃない。
もしも私が武蔵野市(民)を批判してるように受け取ってしまったのなら、そこんとこを明確にしなかった私の言葉が足りなかった。
とにかく、外国人の地方参政権は絶対にアウトだということ。そして、法的拘束力のない住民投票であっても、それが不平等是正という正しい理念であるからこそ国民に浸透しやすい。そしてその国内的にも国際的にも正しい理念は、正しいからこそ、外国に利用されやすい。これは中国や韓国が悪いのではなく、自国の利益拡張に利用できるものを利用しないとしたらそのほうが何やってんねん、って話になる。
最後に抽象的な一般論になるけど、人間は間違ってると分かってることをやるのは自ずと自己抑制がかかるものだ。でも、正しいことをやる時にはブレーキを失う。「正しいこと」が、何よりも危険な間違いを犯す原因になるんだ。
まあ反論はあるだろうけど
私はこの話はもう下りる
結局私の言ってることは国益のために人道に目をつむれっていうことだから
主張しててあまり気分の良い話じゃない
政治の議論で多くの人はすぐに0-100の問題にしがちだけど、実際はそうではないでしょう
国益よりも人道をなんて言ってないですよ
外国人が不公平な待遇を受けていることは単なる国内的な差別是正の問題じゃなくて、国際社会も問題視しており、そっちの方がむしろ外国人参政権へとつながりかねないわけですよ~
日本人みたいに優しい連中じゃないですから、生ぬるいデモじゃなくて本物の暴動がいつかは起きますよ
人道と国益は別に相反するものではなくて、前者を考慮することが国益につながる場合だってある
日本で暴動が起きたら、中国みたいに軍隊出て止めれますか?できないでしょう
なし崩し的に街が乗っ取られるでしょうね
外国人参政権に慎重であることと想像上の国土防衛のために現に存在する問題を見ないことにするのは別
多くの有権者にとって、目の前の問題と想像上の問題の優先順位を考えれば当然前者がくる
目の前の問題を少しでも解決しつつ、想像上の問題のリスクを減らすことが政治の役割で、そのバランスが大事
特に政治に関心のある人ほど前者を軽く見がち
それに対して、有権者は何も分かっていない、危機感足りないと上から物を言ったところで、あいつらとは距離を置こうってなるだけ
現存する問題を少しでも解決するための案は何か
これを携えた上で天下国家を語ってくれないと
日本の有権者全員に対して本気で考えて欲しいなら、なおさらね
天下国家の議論は別に好きにしてくれていいのですが、それは仲間内にしか刺さらないんですよ
仲間内にしか刺さらない議論なんて無意味な空中戦です
日常の感覚からはずれているという自覚を保守もリベラルも持った方がいいですね
特にtwitterでハッシュタグつけまくって、政治運動した気になっている方々
日本で大規模暴動が起きるって言うのも、じぇいそんの言うところの脳内シミュレーションじゃないの。
私の「住民投票が拡散されると参政権問題につながる」が脳内シミュレーションなら、じぇいそんの「生ぬるいデモじゃなくて本物の暴動がいつかは起きますよ」も脳内シミュレーションじゃないですか。
だから「それはあなたの感想でしょ」的な論はブーメランになるんですよ。そう言う人の主張も同類だから。私は脳内シミュレーションに説得力がないとは思わない。
こういった外国人の権利を拡大するのは今、世界的な流れだから、日本のみが別世界に居ることはできない。そういう意味ではじぇいそんの言ってることも現実を乖離した単なる脳内シミュレーションや感想とかではなく、現実に起こりうる危機を評価してるものなんだよね。
ただ、欧米でも移民問題が深刻化しているから、揺り戻しの動きもある。日本を批判する欧米自身が、外国人に与える権利に対して国内的な反発が起きている状況なので、日本に外圧をかけることが彼ら自身の政権へのブーメランになりかねない。各国の国内情勢なんて移ろいやすいものなのに、諸国がこぞって日本に外国人参政権の外圧をかけ続けて日本が耐えられなくなるというほうが、目の前にある現在の情勢を過大評価しているよ。
相撲にたとえると横綱(激しい外圧)に押し出される危険よりも、その横綱はケガしてる(国内事情が揺らぐ)のだから、横綱の押し出しを恐れて自分から土俵際に逃げる(住民投票を広げる)ほうがよっぽど危険だってこと。自分から土俵際に逃げたら今は横綱の圧は受けないけどあと一押しで終わってしまう。自殺行為だよ。
暴動は必然じゃないし、動向を見ながらガス抜きもできる。少なくとも、日本ですぐに大規模暴動が起きる状況でもない。日本ほど「暴動のない国」は世界的にも稀有なのに軍隊でなければ抑えられない大規模暴動の心配をすることこそ早すぎる。じぇいそんも「いつかは起きる」と言ってるじゃないの。その「いつか」のために先手を打って後退戦略をとるのは非合理的。
というか、私の言う「住民投票が参政権につながっていく」よりも、「中国みたいに軍隊でないと抑えられない外国人の大規模暴動が起きてなし崩しに街が乗っ取られる」のほうがよっぽど飛躍してますよね。
いったん与えた権利を後から取り上げるのは不可能、もしくは不可能に近い至難の業。それこそ暴動の直接的な引き金になる。それだけに後戻りができないことを進めるのは慎重でなければならない。ひょっとしたらそのうち暴動が起きるかも知れないよというだけで、後戻りできない危機を選択するのは政治として全くの愚策です。
話が逆ですよ。
多くの有権者は目の前の生活で手一杯だからこそ、20年後、50年後の長期的な展望を持つことこそ国政の本当の役割。それを「上から目線」みたいなレッテルを貼って批判するけど、危機の警鐘を鳴らす人をそうやって潰していって何になるんでしょうかね。「上から目線」(←自分だけわかってるつもりの傲慢な奴)「刺さらない」(←言っても誰も聞かないよ)、みたいな今流行りのネガティブイメージを貼り付けても何も建設的な議論はできないよ。
山本太郎なんてまさに庶民目線で刺さることを言う人だよね。日常感覚の権化みたいじゃないっすか。そういう人が居てもいいけどそんな人ばかりなったら困る。
私は大勢の人を煽動する才能なんて無いから刺さることは言えないし、そんな私が何を主張しようと現実の政治は変わらない。でもね、政治が日常しか見なくなったら終わりじゃないの。「天下国家を語る」とか「国家百年の計」みたいに仰々しい大看板なんか要らないけど、未来を見通すのが政治の役割だし、それに向けた自分なりの意見を言ってるんです。
>仲間内にしか刺さらない議論なんて無意味な空中戦です
それを言えばここで政治的な議論をすること自体が無意味
無意味でもいいからやってるんです
私は政治家でもなければ運動家でもない
ただ、日本の未来を案じて愚痴ってるだけで、やってることは居酒屋で愚痴るおっさんと同じなんです
想像上の問題に対して、それがどこまで現実的かなんて結局その人の認識によって変わっちゃうんですよ
当然問題に対する危機感もそれぞれ
対馬の軍事侵攻と外国人労働者の暴動のどちらがより現実的に起こりえる問題かなんて話してもしゃーないでしょ?
だから脳内シュミレーションをいくら語っても空中戦にしかならんのです
暴動の話は空中戦をあえて実践したまで
数十年先のリスクの話は無限にできますから
住民投票反対の理由はよく分かりました
では、現実の問題に対する解決策は?
聞きたいのはそれだけなんですよね~
動向を見てガス抜きできるというなら、住民投票以外でガス抜きの方法とは具体的に何ですか、と
永住者限定にするとか在留期間で縛りをつけるとか工夫の余地すらないんですか、と
それを全部、国土の話に広げて、「お前は何も見えていない」みたいに語られたら議論として成立しませんよね
目の前の問題解決案すら提示できていないのに、未来の話をされても普通の人は着いていきませんよ
別に危機の警鐘を鳴らす人はバカだと言っているんじゃなくて、効果的な方法で伝えないと逆効果だと言っているんです
山本太郎が日常感覚の権化だとは思いませんけどね
あれは芸能人感覚、政治をショーか何かだと勘違いしているタイプ
リベラルはすぐ民主主義の危機って言うでしょ?あれと同じ
保守はすぐ国土の危機を叫ぶ
お互いがお互いを罵り合う不毛な空中戦を展開する
政治が政治を知っている人だけのものになってしまっているから政治的無関心が蔓延しちゃっているんですよ
別にポップにしろとか庶民受けが大事なんて言いませんが、いきつくところまでいったら果たしてどうなるんでしょうね
慎重な議論をと言い続けて早何十年
そのツケを払うころには、お偉い方々はみんな死んでますから気楽なもんです
何も変えなければ何も問題が起きていないように見せることができますからね
もう荒療治が必要なレベルまで来ていると思っているんですが、そのあたりの危機感も多分違う
ちなみに僕は休みに入ってエネルギーも体力も今のとこ無限なので、空中戦大歓迎!
まだまだ付き合いますぜ(^^)
誤解だけ正しておくけど、私は対馬については市長と議会を選挙で支配される危惧をしているのであって韓国が軍事侵攻してくるなんて思いません。
軍事侵攻は尖閣の話で、中国なら大いに可能性がある。
残念ながら私のほうに気力がありません。
こういうのは空しいと自覚してからがスタート
たった一人の相手を変えることすら無限の努力と工夫が必要なのです
『鎌倉殿の13人』
評価はまだできないけど来週も見てみようとは思う。
『平清盛』が好きだったので同時代を扱った今回も面白い…といいな。
主人公のキャラが軽いのはまあそんなもん、こういうドラマの主人公は若い頃は軽くて歳を取るにつれてどんどん重厚さを増していく変化がひとつの見所だし、義時も将来は政子と一緒に武士を引っ張る貫禄がつくんだろう。
でも時政のほうはもうちょっと重みが欲しかった。もういい歳なんだから。
あと不満はBGM。
平安末期の伊豆で「時代のうねり」を表現するのになんでドヴォルザークかな。
オリジナルBGMにしてほしかったよ、耳慣れてる音だけにラストシーン違和感MAXだった。
まあ土曜昼の再放送にでも!
義時が主人公ですね。兄の宗時など押しの強いキャラに流されて面倒な役を押しつけられるお人好しに描かれてました。
これが将来鎌倉武士をまとめて後鳥羽上皇を打ち破るリーダーになるんだからな。いやもしかしたらその時も政子に押されてるのかもしれんけど。
個人的にはかつて『秀吉』のキャストを『軍師官兵衛』に使ったように『平清盛』のキャストを使ってくれたらという願望もあった。特に清盛。松平健に不足などあろうはずもないけど『平清盛』を見てた身としては松山ケンイチでいってほしかったかも。
ドヴォルザークならアニメ『メジャー 5th Season』のこのシーンがめっちゃハマってて好き
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26083177
NHKプラスで見ましたわ!
なかなか面白かったっすね
いつもある子供時代がないというのがまず良かった
いきなりストーリーが展開していって見ごたえ抜群でした
今回の音楽担当はアメリカ人の作曲家らしいですよ
だから少し西欧風なんでしょうな
個人的には、長澤まさみのナレーションが微妙だったかなー
あのボソボソ声はそういう演出なんだろうけどストーリ展開と合ってないし、何より暗い
そういえばいきなり青年でしたね。
北条義時の子供時代とか作ってもまるまるフィクションになってしまうからかな。
あと麒麟(光秀)のとき若い時代が長すぎて重要なところ駆け足になりすぎた批判があったから今度は源平の戦い以降をじっくり描くつもりかも。
音楽担当が西洋人というのは光秀でもそうだったけど別に気にならなかった。クラシック使うにしてもあまりに有名すぎるのは違和感あるんで…。たとえばどんなシーンでも時代劇にベートーベンの「運命」がジャジャジャジャーン!ときたら絶対にシラケそう。
あのナレーションね。ネットでも言われてたけど聞き取りづらい。大河見る人には高齢者も多いだろうに高齢者にあの声はなかなか聞き取れないと思う。
でもドラマの内容自体は面白そうなんで来週も見てみよう。
https://youtu.be/sDLL9BmMRLQ
1分のショート動画にまとめてるから色々と省略されてたりするのは分かるけども、それにしたってこんなのに引っ掛かるってさぁw
「あなたのクレジットカードが不正利用されているようです、すぐに下記のURLにアクセスして確認してください」からのフィッシングを応用したようなやり方だな。
最初の警察役の犯人に教えられた電話番号じゃなくて電話帳に載ってる警察署の番号に電話すべきだったんだけど、それが「下記のURL」にアクセスするんじゃなくてググって正規のサイトにアクセスすべきっていう部分と似てる。
お年寄りは騙されやすいし、「自分は騙されない」と自信持ってる人のほうが騙されるとも言うね。
進学して思ったことだけど、「将来これをやりたい」っていう明確な目的があれば偏差値なんて5ミリくらいしか価値を感じない。
偏差値が低くてもその学校が特定の分野においては研究なり就職なりの実績がトップクラスだってことは普通にあるから、自分がどこに就職して何をしたいかの目的を達成するためには偏差値ではなくて、その大学ではどんな研究がされてて、どんなことが学べて、そこにいる教授は何を専門としているのかっていう大学ごとの特色で選ぶべきだと思うのね。
その学ぶ内容だったり環境だったりの良さが偏差値に依存してるんじゃないのかと言われたら、全くないとまでは言わないけど、でも俺はそこまで関係性はないと思ってる。だって結局は大学って自分で調べて勉強するところだから。高校と同じで座学も勿論あるけど、図書館に行って文献調査したり、学業とは関係ないところでもニュースや雑誌を見たりとか見聞を広めたりすることが求められるわけで、それを環境のせいにすると言い訳って言われる。
環境ったって、例えFラン大学でも図書館とか学食とか研究室とか、学びを得るために有効な施設や設備はちゃんとあるはずだし、そこで教員として働いてる人たちもちゃんと勉強なり何なりの努力をした末にその地位に就いてるわけだから、積極的に質問しに行くとかいくらでも環境は利用し放題だと思う。
極端な話だと例えば「マグロの養殖を研究したい!」と思うなら偏差値関係なく近畿大学がベストチョイスなわけで。そこまでピンポイントじゃなくても、その先の目的がはっきりしてたら、偏差値にこだわる必要はなくなるよね。やりたいことに適した大学があればそこがベスト。
学校の教員になりたければ地元国立大学の教育学部がベスト。どんなに高偏差値の大学も、地元大の有利さにはかなわない。
自分で勉強しようと思ったら設備や蔵書数になるかな。小さい大学はどうしても蔵書も少ないからなるべく大きなところがいいとか。
Fラン大の学生って勉強やる気ない人が多くて教員もモチベーション下がってそうだから、熱心に質問に来てくれる学生がいたら泣いて喜ぶかも。
一方で、大企業に就職したいと考えた場合はブランド力の高い大学、つまり偏差値の高い大学が有利になる。高偏差値のブランド力は、一点突破じゃなくて、幅広い有利さになると思う。
それと、いくら明確な目的でも、大学に入学した時にやりたかったことが途中で変わることもある。一点突破で大学を選んだら進路変更が難しくなるので、やっぱり「融通が利く」という面でブランド力の高い大学を選んで損はない。私だって途中で変わったもんね。実際にその世界を覗いてみたら高校3年のときに思ってたのと違う!ということも少なくないと思う。
「将来これをやりたい」が不変であれば5ミリかもしれないけど、それでも偏差値は「保険」にはなると思うよ。
大学という場を使って何かを本気でやりたいと思うなら一定以上の偏差値は必要
高ければ高いほど良いわけじゃないにしても、一定のラインはやはりある
近畿大学も普通に平均以上の偏差値で、そういう素養がある環境だったからこそ、近大マグロのような画期的なプロジェクトが生まれたのでしょう
さすがにFランとされている最底辺の大学でまともなことはできんよ
勉強のやる気ないとかいう次元じゃないからね
分数の計算を大学の講義でやるのがFラン大の環境
当然そこにいる教官も非常勤とか他大の定年退官後の天下り教官ばかりでまともな研究なんてしているところはほぼない(表向きはそれっぽい学部だが)
何となく大卒という肩書きが欲しいだけの人が行くのがFランなんですよ残念ながら
こういうウンチみたいな大学でも補助金入っているわけだし、さっさと潰したほうが良いと思う
高卒で社会に出ていたり、資格のために専門学校行ってる人のほうが百倍ちゃんと考えているでしょう