[日記]ものを知らないなりに、適者生存と人権の二律背反についてかんがえようとする政治であれ存在論であれ、保存より変化を重んじるタイプの言説をするとそれを説いている奴自身が生物としての自己保存の本能にしたがってるじゃんか、という批判を免れないのでその点でニック・ランドとかメイヤスーとかは本当にそれを克服できてるのか? ってなるなレイ・ブラシエの「人類が絶滅した後、「私」の知らない世界が到来する」みたいな話も結局「私」ありきだしなー