Twitterでも言ったけど、ある親のつぶやきに、「自分の子どもと同じクラスの子に、授業中に先生の言うことを聞かずに勝手に動く子がいる。授業をちゃんと受けることを教えるのが先生の役目なんじゃ?」という感じの言葉があった。
それはそうなんだけど、何十人も受け持つ中では一人一人に対応しきれない。
昔なら、叱りつけるとか場合によっては体罰で集団行動をさせていた。でも今はそれができないし、授業を受けたくない子どもの気持ちも受け止めるべきということになって無理強いできない。逆に、「それはその子にとって授業が楽しくないからで、すすんで受けたくなる授業をやらない先生の責任」とさえ言われる。
授業中に立ったり歩いたり騒いだりする子がいると、ちょっと前までは「学級崩壊」と言われた。でも今はかえって、「授業中にみんな静かに座らせるという思想のほうが異様、まるで軍隊のようだ」という考え方も出てきてる。
私ははっきり言ってそういう考えには賛同できない。
子どもが興味を持ったことを自発的にやらせて、先生はそれを伸ばす。これは保育園の教育なんだ。やりたい遊びを自ら自由に探索する。結果、子どもは何かに興味をもつ。それをやらせて、子どもの探究心を育てる。…言葉は美しいけど、要は「嫌いなことはやらなくていい、それを認めるべき」ということになる。
保育園はそれでいいけど学校はそうはいかない。でも、じっと座って静かにした経験のない子どもは、小学校に入って急にそれはできない。大勢いるのに静かな空間というのに、かえって違和感を覚えて不安になる。それでじっとしていられなくて声を上げたり動いたりする。
今度は小学校に、じっと授業を受けることを無理強いするな、と言う。小学校が保育園化することを要求する。
最初に書いた親の疑問は、私は正しいと思う。ガチガチでなくとも、学校では一定の枠にはまることを教える必要がある。それができない子どもには個別対応が必要になるけど、そんな人員がないのが問題点。でも、発達障害などで枠にはめることが適切じゃない場合は個別対応が必要として、基本的には枠にはめないといけない。どんな社会にも枠があり、永久に子どもではいられないんだから。
先生が「面白い授業」をやるよう研鑽を積む必要があることは当然だとしても、子どもが授業に興味を持たないのは先生のせいなんて押しつけるから教員がブラック職業になる。
生まれてすぐ0歳から、朝から晩まで毎日毎日保育園に預けて、小学校に入ったら朝から小学校、放課後になると児童クラブ。中学生になると夕方遅くまで部活。親は何もしないから、「いい子に育たなければ保育園や学校の責任」…それはそうかもしれんね。親は最初から責任放棄してるんだもん。
そうしなきゃならない事情のある家庭もあるよ。それは仕方がない。でも、育児が嫌で親が自由を楽しみたいから保育園や学童に預けますってのは責任放棄。
でも、「それでいいから生んでください」と言わなきゃいけないくらい少子化が深刻なんだよね。結婚するかしないかは個人の自由。結婚しても子どもを作るかどうかは夫婦の自由。子どもを作らないのももちろん自由だから、どうにか「子どもを作るという選択」をしてもらわないと、少子化はどうにもならない。そこまではいいけど、結果、今では実質的に、「子どもを生んでも育てない自由」が進行しつつある。
子どもの権利ってなんだろうね。授業中に好き勝手をする権利はあって、自宅で親に育ててもらう権利は無いんだよ。本末転倒やん。子どもが自宅で休む権利より、親が自宅で休む権利が優先されてるんだよ。