本当、そうだと思う。実現するのは難しいけどね。
私は小学生のころラジオで英語を勉強した。誰にも「やれ」なんて言われてないのに。
それは小学生になって広い世界の存在を知って、そこでの共通語が英語だと知って、英語を話せるようになれば世界中に友達を作れる!…という楽しみだった。
それをきっかけに英語が得意教科になったから大学入試でも役立ったけど、それは合格するためだけの英語に変わっていた。だから、合格したあとは興味を失ってしまって、コミュニケーション手段という原点にも帰れなくなった。
世界史が大好きだったのも、はっきり言って世界史が趣味だったから。やってることは受験勉強だったけど、受験の合格というのは世界史を勉強する目標であっても、楽しいから勉強してたんだよね。だからその後も歴史の知識は仕入れ続けた。
もしも教師が生徒に、知識を得ることの楽しさを教えられたら、生徒はほっといても自分から勉強する。楽しんで勉強するのはストレスにならないだけでなく、吸収もすごく早くなる。
難しいのは、どうすれば楽しさを教えられるか…。その「思想」をどうやって実践するかだなあ。
私は、やってることは教員と似ていて内実は教員と目的の異なる仕事をしてた(分かりづらい表現で悪い)ことがあるけど、そこでの「教育」は勉強よりも人生の教育だった。私なりの強い考えを持ってるんだけど言葉にしにくい。学校教育じゃない「おしえ育てる」こと。
それを深く語ればかなり私の個人情報に触れてしまうから公表できないんだけどね。