邪馬台国という国があって、その他にもたくさん国がある。その30か国ほどが、邪馬台国に服属している。邪馬台国を中心とした多くの国をまとめて「邪馬台国連合」とか呼んだりする。
規模では、邪馬台国(七万戸)と投馬国(五万戸)の2つが突出して大きい。
一方、邪馬台国に敵対しているのが狗奴国。中国の魏はあくまで邪馬台国の味方で、それについて書いてあるのが『魏志倭人伝』だから、狗奴国の規模とか詳しいことは書かれていない。ただ、邪馬台国と狗奴国が戦争して、邪馬台国が魏に助けを求めているので、狗奴国も同等の規模はあっただろうし、邪馬台国と同じように多くの小国を服属させていたかもしれない。一説では、狗奴国は中国の呉と同盟していたともいうが、たしかな証拠はない。
邪馬台国と狗奴国の戦争は、勝敗不明だけど、邪馬台国が負けたというのが主流の説。『魏志倭人伝』に、「卑弥呼以死」という記述があって、読み方には2通りの説がある。ひとつは、「卑弥呼もって死す」。狗奴国との戦争について書かれた部分の直後にあるので、「何をもって死んだのか」と考えると、戦争によって死んだ、と読める。もうひとつの読み方は「卑弥呼すでに死す」。この場合、戦争と卑弥呼の死に直接の関連性は書かれていないことになる。
ただ、どっちにしても卑弥呼は狗奴国との戦争の最中に死んでいることや、ちょうどその時期に二度にわたって日食(皆既日食に近い部分日食)が起きていることから、卑弥呼は戦乱の最中に何者かに殺された、というのがもっぱらの説。これは、畿内説も九州説も共通している。
邪馬台国の位置については、素直に文章を読んだら鹿児島の南の海上に突き抜けてしまう(だから沖縄説もある)。そこでどうやって読み解けばいいんだってことで、主に畿内説と九州説がある。そのほかにもいろいろあって、四国説もそのひとつ。ただ、今では纒向遺跡が邪馬台国で、箸墓古墳が卑弥呼の墓だという畿内説が優勢になっている。優勢だけど、確定はしていない。
もっとも、子どものころから九州論者(東遷説)の私は納得していないけど。東遷説っていうのは、九州にあった邪馬台国が畿内に移動して大和政権になったという説。