南雲7 平成から令和へ

150南雲@お人好し
2019-06-30 05:21:34
ID:PBfamily

邪馬台国徳島説の動画
https://www.youtube.com/watch?v=63bNv7RmHHc
めんどくさいから前半20分は見なくていい。

畿内説も九州説も『魏志倭人伝』の記述を都合良く読んでいるが、もっともらしく語っているこの徳島説も同じである(てかもっと無理がある)。以下、この動画の問題点を挙げる。

「中国人は方角、距離ともに正確に計測できていた」という前提(前半20分はその説明だからとばしていい)に立っていて、グーグルアースを使って説明している。ところが多々ある矛盾点。

①対馬国から一支国に行くとき、『魏志倭人伝』では方角を「南」と書いてあるが、動画ではこの「南」を無視している。
対馬から壱岐は実際には東南なのに「南」と書いてあって、『魏志倭人伝』の方角の記述がかなり大ざっぱであることの確証だが、徳島説はそもそも物凄く正確に方角を記述している前提のうえに成り立っており、矛盾する。だからこの「南」はあえて読まないのだろう。

②「女王国」から北にある30の小国をいちいち細かい地名にあてて根拠にしているのに、末廬(まつろ)国を宗像市、伊都(いと)国を京都(みやこ)町、奴国、不弥国という(この説では)重要な国の音をあてていない。

③そこから投馬国への道筋の読み方がデタラメ。
さすがに極めて重要なここの「南」は無視できなかったようだが、南回りという意味だと勝手に解釈して、結局は四国を半周以上ぐるっと回ってむしろやや北にある香川県三豊市に比定している。「距離、方角はすべて直線で測る」という最初の前提が思いっきり崩れている。

④あとで狗奴国を高知だと推定しているが、だとすれば、③の南回り航路はその高知沖(敵国の勢力圏のど真ん中)を通るという、あり得ない航路である。

⑤投馬国から邪馬台国への道筋がもっとあり得ない。
香川から徳島に行くのに、なんで愛媛県の西南端まで瀬戸内海を船で行って、そこからほとんど同じコースを陸路で戻ってくる必要があるのか。三豊市から徳島に行くなら淡路島の南を通ったほうがええやんけ。

⑥狗奴国を高知だとしているが、高知は面積こそ広いものの山岳地帯が多く、農業に適さない。この説でいう女王国(愛媛県、香川県、徳島県の合計)に経済力ではるかに及ばず、これでは狗奴国が邪馬台国のライバルなんて到底なれない。通説の狗奴国は、邪馬台国との戦に勝ったといわれるほどの強国だ。

⑦卑弥呼の墓を直径25.5mとしているが、『魏志倭人伝』の「大いに冢を作る」という記述からすると小さすぎる。殉葬者を百人以上も埋めたのにその本体の卑弥呼の墓が25mなんてショボすぎ。
ちなみに、現在卑弥呼の墓として最有力候補とされている箸墓古墳は直径150m。同時期の箸墓古墳が直径150m、この説で卑弥呼の墓と推定している宮谷古墳が直径25mなら、邪馬台国がめちゃくちゃ小国だったことになる。

⑧卑弥呼の後継者「台与」を連想させるものとして徳島県に伝わる歌を挙げている。たしかに歌詞は台与のことだと思われるが、いつ作詞されたかまるで不明の歌が古墳時代初頭の作だという解釈は無理ありすぎ。むしろ『魏志倭人伝』を読んだ後世の人が作ったと考えるほうがよっぽど自然。

私は邪馬台国にはうるさいんです。
劣勢の九州説支持者で、畿内説には苦戦中だが、さすがにこんなのまともに取り合ってられない。

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