AWS(主にEC2)が流行ってる時勢で貸しサーバー屋が生き残ってるのは
たぶんアマプラがあるのにTSUTAYAが潰れてないのとおなじで惰性だとおもう
脳内の神経伝達物質のシグナル関連は分かっていないこと多すぎるんよね
何がよくわからないけど効いたっていう薬も結構多いし
ADHDはアドレナリン系の不足が原因のひとつとされているけど、それも果たして真実かは分からん
精神疾患に関する哲学的考察ならフーコー
の「狂気の歴史」がおすすめ
モノアミン仮説は所詮仮説に過ぎんからね
ちなみに医学じゃなくて直接処遇の視点からいけば
ADHDって本当にADHDなのか愛着障害なのか両睨みしながら対応しないといけない
たぶんADHDって愛着障害の二次障害を併発してるケースが多いと思うんよ
ここのところ医者も発達障害の診断するのがブームらしくて
同じような症状を呈する愛着障害が見逃されがちだから
いつだかやけになってハルシオン1st飲んだとき、かなり幸せな気分になれてうわっと思った
幸福ってマジで外在的な因果と関係なく、人為的に再現可能なんやなってなった
病名の鑑別がどこに落ち着こうが世間的にはただの厄介者だからどうでもいい
DSM5の妥当性とかの議論も専門家同士で勝手にやってくれって感じ
大陸哲学全般にただよってる、とっつきにくすぎて誰も批判したがらない雰囲気いいな
ぼくもそのぐらいふわっと生きたい
10年前の自分に「今、わいはド深夜にyoutubeで知らん女が餅食ってる音声を聴きながら大学のレポート書いてるよ」と教えてあげたい
[日記]
ものを知らないなりに、適者生存と人権の二律背反についてかんがえようとする
政治であれ存在論であれ、保存より変化を重んじるタイプの言説をすると
それを説いている奴自身が生物としての自己保存の本能にしたがってるじゃんか、という批判を免れないので
その点でニック・ランドとかメイヤスーとかは本当にそれを克服できてるのか? ってなるな
レイ・ブラシエの「人類が絶滅した後、「私」の知らない世界が到来する」みたいな話も結局「私」ありきだしなー
現代の「精神分析」って統合失調症とかASDの症状にかこつけて政治経済を語る、「それっぽさ」を追求した疑似社会理論であって臨床の場のものではないのに
書店にはセラピー的な扱いで心理学とかの棚に置いてあるの、わりとやばがち
あと心理学科のメンヘラはラカンに詳しがち
精神分析は現代でも臨床の場で生きてるよ。
どっちかというと治療よりも診断のほうがメインだけど。
あと精神分析も心理学の一領域だから心理学の棚にあるのが普通だと思う。
私の若い頃はオカルトの棚に置かれてあったりしてヒドイ扱いだった。
私の知ってる範囲だと普通、性別で分析方法変えたりしないけどな。
フロイトそのものの元祖精神分析だと性別で違ったりする部分もあったけど今は使わないと思うな。
精神分析と言っても元祖のフロイトだけを使うことはあんまりない。
たとえば現代ラカン派の理論とか使って、患者に「男の神経症は去勢不安、女の神経症はペニス羨望が原因です」とか説明したらフェミのひと激怒すると思うで……(精神分析における「ファルス」はあくまで欲望のたとえやろけど)
フロイトのリビドー論が発達心理学とかの研究と地続きなのはわかるけど、
「無意識」の言及が観念的すぎてオカルトとかスピリチュアリズムの思想に援用されまくってるから、わいはもうオカルト棚でええかな……っておもう
現代ラカン派はもう社会的な去勢が存在しない前提で享楽論とかやってるんだっけ?
どっちにしても、人の欲望の由来に性差があるって主張はフロイトから現代ラカン派まで一貫してるはず
去勢不安だとかペニス羨望だとか、フロイトの「性」へのこだわり的なものは使われないなぁ多分。
でも無意識とか抑圧とかを考慮しないと解離性障害とか多重人格はうまく理解できないと思う。
それは臨床心理で外せない。
精神分析的なものは、真実かどうかの保証はどこにもなくて、現象をどう解釈すれば有効な解決法が見つかるかって問題じゃん?
だから人によって解釈のやり方に差があると思う。
でも結局、有効な解決法さえ見出せれば、極論すれば解釈が正しくなくてもいいのが精神分析だからね。
ケアの現場でヒーリングとかスピリチュアリズムをつかって、それで当事者が楽になるのはいいことだけど
人によってやり方が異なるものを理論のように体系づけて心理学の棚に売ってたら、かえって当事者を困惑させる一方じゃないかとも思うんよな
「診断」って言ったのが正しい意味だったかどうか、要するにその人はどういう心理状態にあるかを解釈することをそう呼んだ。だから病名や障害名をつけるだけが目的じゃない。
「診断」という言葉は不適切だったかもね。「判定」と言ったほうがよかったか。
私としては、病名や障害名にこだわりたくない。なぜかというと、百人いたら百種類の心理状態があるのに、診断名という枠にはめてしまうと、その枠で相手を見てしまうリスクがあるから。
病名や障害名は、その人の状態を理解するためのものであって、うまく利用すべきツールみたいに私は思ってる。
それを言えば病原体も見つからないのに人間の心理診断になんの保証があるんでせう。
たとえて言えば検査方法の無かった時代のインフルエンザ診断と同じで、症状から診断してるだけのこと。急な高熱とか関節痛とかね。
漢方医学だって最近では徐々に解明されてきたけど、それ以前はツボがどうたらみたいな話は大した根拠を示せない経験則だったよね。
ただ精神分析は根拠の無さがちょっと際立ってるけど、現実にそれで治せる解釈や方法を経験で蓄積していってるものだから、オカルトじゃない。でなきゃ精神科の医者もオカルト使ってることになるよ。
ただしセラピストの最大の商売がたきは宗教と昔から言われていて、オカルトとの境界線が曖昧なのも否定できんけどね。
「精神分析が今後臨床で活用されるべきか否か」の話か
それは精神分析家を名乗る人たちで好きにやってもろて……って感じかな
でも近年、精神分析が何らかの影響力を伴う規模で精神疾患の緩和の役に立ってるってデータはみたことないで
斎藤環とか「精神分析は心理的な分析には使えない!」つってオープンダイアローグの研究に行っちゃったし
「精神分析の理論は臨床の場とは事情が異なる」だっけ
でも斎藤環の、サブカルチャーをラカンの理論で読解するみたいな本はおもろかった思い出がある
「使う」って、診断法としても療法としても使わないならどう「使っ」てるんや
臨床における「判定」が何を指してるのかわからん
だから、その人の心理がどういう状態にあるかを推測して、問題点を解決するための方針を立てるために使うんよ。それは別に病気や障害としての診断結果が「なし」でも、問題があればやる。
わいは心を単なる脳の創発現象だと思ってるから
非物質的な何か(言葉、態度、行動傾向とか)に還元するタイプの心理学はどっかで定義上の誤謬が起きてる気がするんよな
でもyoutubeに上がってるロリのささやき睡眠導入ASMRは心に効くから不思議よな
ねる
「心」というのは「現象」で、その発生源は脳とかなんとか物質的なものであっても現象そのものは非物質的なものやないの。
理論に未完成な部分があっても、実際に使えるなら、大学が学問として認めたり、厚労省が医療として認めたりしていい気がする。