めっちゃ露悪的な表現になるけど
どうせならコミュニケーションが苦手な代わりに一芸に秀でてるみたいな、ステレオタイプの障害者になりたかった
フォレストガンプとかATARUとかZ武とか、障害者が人格なり能力なり、何事かに優れている者の表象としてメディアに扱われるのは
健常者が自分にかかる負担をカバーするだけの利益を障害者に見出したいからなんだろうなあ
あるいは24時間テレビのあれみたいに、存在そのものを感動エンタメという利益に還元して消費してしまう
シンプルに言えば、人権思想と功利主義を都合よく両立させるための幻想って感じやね
人間は損得勘定が大好きなんだけど、同じくらいヒューマンドラマも大好きで、この矛盾する二つを合理化した結果非実在の偶像をでっちあげる事で合理化に成功したというか、そのつもりでいる
でも事実として無能な障害者はいるんですよここに……
グローバル化で競争が激化するっつってんのに、薬代がかかるだけの非生産コミュ障を養おうという精神的猶予と経済的余力はあるのか
どうなる日本!(他人事)