またTwitterのつぶやきに関すること。
歴史を勉強する意味は知識を蓄えることじゃなくて、過去の事例を未来に応用することにある。
私は「屈原は正しかった」と言ったけど、たぶん、探せば反対の事例もあるだろう。私が屈原の事例を現代の日本にあてはめるなら、その反論として、別の人は別の事例をあてはめるかもしれない。
歴史を学んで未来に応用することは、臨床医に似ていると思う。
治療法の確立されていない病気を治そうとするときは、過去の症例に照らす。そのとき、同じ病気であっても治療法Aが成功した例もあれば治療法Bが成功した例もある。そんなとき、目の前の患者にどちらの治療法を適用すべきか?
その困難な判断を的確にできるのが名医だ。決まった治療法をマニュアルどおりにやるだけなら別に名医でなくても出来る。しかしマニュアルの無い病気の治療法を的確に見出すことは名医にしかできない。まさに新型コロナがそんな状況かな。
私が今の日本の外交安保を、中国を秦、日本を楚、米国を斉に見立てて語ることが本当に適切なのかどうかは分からない。別の見立ても有り得る。でも別の故事を持ち出して議論することに大した意味はない。議論に勝ったほうが現実に正しい見立てをしている保証はないのだから。机上で論破したほうがより名医か、というと全然そんなことはない。
ただ私は、斉楚の連携を乱されたことが楚の致命傷になったことを、今の日米にあてはめる。そして、日米の同盟と連携の強化が必要だと主張する。日本が米国と密着しすぎたら日本が中国の標的になるから近づきすぎるな、という考えは、斉との同盟が楚の危険を招くから斉と離れて秦と融和しろという楚国内の親秦論、秦の連衡策にはまるものだと思う。
屈原の親斉論を採用しても楚が滅ぶなら、これはもうどうしようもなかったということだ。
…と言って、私はネットの反中強硬論者が言うように、日本が先頭に立って中国とやり合うことには大いに反対する。自らすすんで米国のための捨て石を名乗り出るのは愚の骨頂。米中との付き合い方は、あくまで米国と連携を強化しながら、一番真正面に立つ役目はやっぱり米国に任せるべきだ。米国は強いからそれができる。わざわざ米国のダメージを最小限にするために日本が突撃すべきじゃない。米国は、自分のダメージを減らすために日本を矢面に立たせようとする。そこは同盟国どうしでも駆け引きがある。
外交安保はバランス感覚が重要。