意識高い系の人たちは個人が仕事の遂行能力を上げることを「成長」と呼んで
それを積極的に望んでいる成長志向な人たちを「有望な人材」って呼んで歓迎するけれども
もしノーリスクで脳の処理能力を上げる医学的措置が生まれて、個人が際限なく「成長」できる時代が来たとしたら
その「成長」には多少なりとも抵抗を感じるようになるんじゃないかなと思う
意識高い系が好きな「成長」という言葉の本質は、仕事効率の向上という結果そのもののことではなくて
努力の末に結果を手に入れるという過程、一連のドラマに陶酔感を味わうというプロセスである
さらに言えば、そうしたストーリーから周囲の人間に自分の価値を示し、評価されたい、褒めてもらいたいという強い自己愛が「成長」への欲求に繋がっている
その手の人たちが好きなのは他者の幸福でも豊かな生活でもより良い未来でもなく"自分自身"であり、
他者を貶めて相対的に自分の社会的地位を上げる「競争」という概念が三度の飯より好きなのだ
我々現代人は向上心と他者への蔑視が表裏一体であることになかなか気付かない
タブレットで経済新聞を読んでるやつら、臆面もなく「尊敬する人はスティーブ・ジョブズです」と言ってるやつらはしょーもない死に方しろ(直球)