>>364
だけど彼女はたまに連絡をすると(やはりむこうからはあまり来ない)誘ってほしいと言うし、実際にSNSですこし病んだツイートをすることもあるし、彼女が僕と遊びたい/誘われたいと思っているのは真実だと思う
つまり、彼女が社交辞令でそう言っているのではないと思う
共通の友人に話すと、「あいつは自分から誘うタイプじゃないからね」って言うけど「誘うタイプ」ってなんだ?
ポケモンみたいに生まれつき決まっているもの? そんなわけがないんだから、結局のところ面倒なだけなのだ
誘われるのを待っているだけの人って、僕はちょっとだけ嫌いだ
誘ってくれる人を誘いたいと思うし、大切にしたいと思う
家族みたいな友達だけど、いや家族みたいだからこそなのか、段々と疎遠になっていくばかりだ
僕酒飲むとすぐ他人とライン交換しちゃう癖があるんだけど、
ひと月前ぐらいに一回だけ会って酔って交換した人から「○日飲み出るけど来るー?」ってLINEがきて、
「おぼえてたんだ…!」と衝撃を受けてしまった
僕を誘うということは僕にたかられる覚悟があるということだろうか!?
この前マリブめちゃくちゃたかったし、たかってた分値段知らん
愛媛に来て数日経ちましたが、公園でタバコ吸ってるおばあさんや、バスの運転手がみんなタメ口なところ、飲食店でも普通に店員さんがピアスしているところなど、ここが好きになりました。
なんかお店ってチェーン店とかはすっごい厳しいけど個人店はめっちゃ自由な気がします、、、、私も飲食店だけど髪色ネイルピアス全部自由です、、、
西日本最高峰石槌山登ったよ〜
と同時に、最高峰で2000m超えてないって、どれだけ長野とか北海道が化け物揃いかよくわかる…
大学生のうちに47都道府県全部行きたいなあと思ってたんだけど、数えたらあと17だったので案外目の前に来てるんだなと驚き
山登ってて本当にキツいとき、なんでこんなところ来ちゃったんだろう、もう降りたい、二度と来ない、来ると決めた過去の自分をぶん殴りたいといつも思う
それなのに喉元過ぎれば熱さを忘れるのまま、頂上からの景色とか達成感とか、そういったものしか思い出せない
あ、あとリップメイベリンのステイマットインクもよく使ってる
保湿しないor塗る前にリップ拭ってから使うとほんっっとに落ちない クレンジングでも落ちない
色偏ってるし海外!って感じのどマットだけどめちゃかわいい
しゃねるい!い!な!
ラキちゃんもシャネルのハイライターずっと欲しくて買おうとしてるのに毎回買うの思い出した時金欠だから未だに買ってない
好きな監督のインスタ見てたら、中学で同じクラスだったヤツが何故かタグ付けまでされててハァ? って遡ったら普通に俳優になってて普通に売れてて普通に今までも目に入ってた
数年前からこいつ似てんなとは思ってたけど本人だとは思わなかった
今なら香川照之とかの暴露した人間の気持ちわかる
ここまで嫌いな人間が成功してるとほんとに「アイツはそんなやつじゃないんです!!! クズなんですよクズ!!!」って拡声器か選挙カーで練り歩きたくなる
こうした醜い人間の心がキャンセルカルチャーを引き起こす…
寂しい気持ちもあるけど、山奥でインターネットだけ繋いで自給自足しながらサブスクのみ見て暮らすような生活が僕にとっての桃源郷
「面白いね」って言われるのと同時に「目死んでるね」ってよく言われるんだけど、負のオーラ出てるんだろうか?
薬漬時代の写真見ると自分でもウワッてなるほど目が死んでるんだけど、他人から見ればあまり変わらない?
なんか世の中に起きてるほとんどのことに興味がなくて、財産も大きな家もブランド物も何もかもどうでも良い
6畳の部屋でひたすら本読んで、ひたすらサブスク見て、定期的に山登れれば他に何も望むものがない
山で自給自足して暮らしたい
漱石が「20世紀の人間はみんな探偵になる」って言っているけど、21世紀はその傾向が強すぎる
誰もが探偵になってしまって疑いの目を向けることになんの疑問も抱いていない
少しでも彼らの矮小な想像力の中から外れれば大罪人のように扱われる
社会って本当になんの意味もない
一回読んだものだって時が経てば全く違う顔が見えてくるから、何度だって読み直したくて仕方がないし
そうでなくともその中の一節を思い出せばふとまた会いに行きたくなるものであって
だけどいま刻一刻と作られているエンターテインメントがそれらに劣るか(今生きている私にとって)といえば、それは決してそうではない
遺らないかもしれないけど、遺るものだけが素晴らしいわけじゃない
今消えてしまう一つの風景でも、それを目にした人の一生の一助になることは往々にしてあると思う
みんな世界遺産とか海外の絶景が、本当に自分の半径50kmの範囲にあるものより素晴らしいと信じてるんだろうか?
どうして遠くを見ることは褒められるのに近くをじっと見ることは凡庸で無欲でつまらないと思われるんだろう
スマートフォンは望遠鏡の役目ばかり果たして虫眼鏡として認識する人なんてあまりいない
1を一生追いかけることがたくさんの100を見て回ることにどうして勝るんだろう
もう詳しい内容は忘れたけど私は10代のころ漱石の『行人』が好きだった。
特に終盤の一郎のセリフが大好きだった。「僕は明かに絶対の境地を認めている」というセリフ。
それに照らしてみると私自身が地理を調査する人で、山河を跋渉する人じゃない。ところが私は地理を調査しながら山河を跋渉する両方の仕事を選んだ。
幸いなことに私は一郎ほど理屈一辺倒じゃなかったし、理屈でいくら絶対の境地を解説できてもそこに到達するには不連続的な跳躍というのか、そんな何かが必要なんだなと思った。
そんな漱石をちょっとかじったうえで、学生時代に親鸞に詳しい人と知り合ったり、大学の授業で神秘主義のエックハルトの話を聞いたりしてると、なんか全部つながって見えた。
ただ、私は20代まではすごく成長したと思うんだけど、そのあと成長した気がしない。向上することよりも現状肯定する人生を指向してしまったもので。
哲学者なぐやな
最近社会に”役に立つ”ことばかりを勉強しているけど、昔より頭悪くなったなと感じる
何の疑いもなくそれが善いことだと信じている人たちが圧倒的多数派で、その中にどっぷり浸かっていると、中枢神経まで浸食されている感覚がある
そんな状態で、社会のためという名目で身を削っていると抵抗する思考力すら奪われていく
変に抵抗せずに社会の海に沈んだ方がよっぽど楽なんだろうけど、一度その海がゴミで濁っていると知ってしまった以上もう本能的にできないんだよね