私は中国史が好きなのでそっちから例を引いてくることが多いんだけど。
中国では支配者が変わるたびに何度も前王朝の文化を破壊してきた。秦の始皇帝は滅ぼした六国の文化を「無かったもの」にして秦の文化だけを残した。また、隋が統一する前にも長い混乱期があったり、唐が滅んだあとや、モンゴル支配の時代にも、過去の文化が否定されてきた。
日本はその間、中国をずっと先進国と認めてきたから、中国からいろいろ学び続けた。そして日本は時代が変化してもそこまで体制が変わらなかったことで、学んだものをずっと蓄積してきた。
結果、中国では、中国の文化を知るためには日本に勉強に行け、という逆転現象がたびたび起きたわけだ。時の権力者によって葬り去られた仏典などの貴重な史料が日本に残っている、と。
近い話では毛沢東の文化大革命がある。社会主義こそ最高の文明で、古いものは無価値だという時代の要請によって、どれほどの文化財が破壊されてきたか。そのことを、今になって中国はひどく後悔してる。そして、中華人民共和国に戦争で敗れた中華民国が、莫大な文化財を台湾に避難させたことが救いとなっている。
一度失ったものは元に戻らない。一時の「時代が望んだ結果」で捨ててしまったものが、次の時代で必要とされ、後悔してきたことを中国は何度も繰り返してる。
これは中国に限らない。中央アジアでも、古い石仏などがイスラム教の過激派に次々と破壊されて問題になってる。破壊する側から見ると、「邪教の偶像」なんて、存在しても無価値どころか害悪でしかない。こうして、人類の至宝が失われてる。
何が残すべき伝統で、何が変えるべき遺物なのか、はっきり区別することは難しい。
相撲の女人禁制で、土俵の上でどこかの市長が挨拶の途中に倒れた時、居合わせた女性看護師が救急救命しようとしたところ、「女性は土俵にのぼらないように」とアナウンスされたことがあった。これには私も呆れたよ。人命がかかってる時に、救命よりも女人禁制の伝統を優先させるなんて馬鹿げてる。
ただ、それは有事のときの緊急処置。平時、土俵の女人禁制が「伝統」なのか「差別」なのかは、議論の余地があると思う。相撲はひとつの神事で、宗教的な背景があるからね。
残すべきものと変えるべきもの。それは、ゼロか100かで決められるものじゃない。ならそれが、20なのか、50なのか、80なのか…は、いろんな人の価値観があって、これも難題。「男系天皇」にどの程度こだわるかも、人それぞれに違う考えを持ってる。私などは非常に保守的な少数派になるだろう。
>時代がそれを望んだ結果なんだとしたら、滅ぶ時はとっとと滅べばいいんじゃないかな。
滅んだあと、それが次の時代で再び求められる例も少なくない。でも滅んだものは戻らない。何かを捨てる時は、一時の流行に惑わされてはいけない。昔の価値観と今の価値観が違うように、今の価値観と未来の価値観も違うんだよ。未来の価値観で現在を見て、「あれは一時の気の迷いだった」と気づくこともある。文化大革命なんてまさに、その時代に望まれて、一時の気の迷いで伝統を破壊し尽くして後悔した好例だと思うよ。