>>150の動画前半によると、当時の中国は遠くの直線距離も測れたと言ってる。そのへんが事実かどうか私は詳しくないので、へぇそうですかとしか言えない。
でも、中国人が帯方郡と邪馬台国の距離を、当時の最新技術で測量したとは思えない。邪馬台国に来たのは基本的に外交使節のはずで、技術者まで派遣したとは思えない。
だから私も、一万二千余里は直線距離ではなく、道のりの合計だと思う。だとすると、帯方郡から狗邪韓国までが七千余里、そこから対馬国までが千里、一支国までが千里、末廬国までが千里、伊都国までが五百里。7000+1000+1000+1000+500=10500で、九州の伊都国(おそらく福岡県糸島)から残り1500里でどうやって畿内まで行けるのかと。
この引き算も、九州説の人がよく使う方法。
でも今は畿内説のほうが圧倒的に優勢なんだよね。邪馬台国の遺跡として纒向遺跡がぴったりで、箸墓古墳を卑弥呼の墓とすれば話が合う。
中国製、日本製両方の説が飛び交う「三角縁神獣鏡」も、結局は畿内説有利に動いてるし。もともと「文献学的には九州説有利、考古学的には畿内説有利」と言われてきた中で、箸墓古墳の年代修正(古くは卑弥呼の時代より新しいと言われていたが、最近の研究で卑弥呼の時代と一致するようになった)と、纒向遺跡の発掘調査で今は俄然畿内説有利。九州説で読んでも畿内説で読んでもどこか無理をしなければならない『魏志倭人伝』の解釈論争よりも、そっちのほうが重視されている。
九州説(東遷説)の私とすれば悲しい。