美少女剣道ルナティック

2021/08/15 08:33:30

 森羅万象、万物は流転を繰り返す。
 その世界は多様にして一元。
 そして、一元の根源は神聖不可侵にして、何人足りとも理ことわりを犯すこと許されず。
 天地を喰らう大蛇オロチと対成す、その一元のアーティファクト。
 ――聖杯。
 聖杯はどんな願い事でも叶えられる力を持つ。
 この危険極まりない聖杯を守り続けることこそ、我が使命……。

1.袋小路に入りて

 ――東京都内、某所。
 空には月明りだけが目立つ、夜の繁華街。
 多種多様な人々の中をかき分けて、一人の男が息を切らせて駆けていた。

「はぁはぁはぁ、ちくしょう! まだ追ってきやがるっ」

 男は、薄い布袋につつまれたクリスタル製の杯をかかえたまま、路地裏へと逃げ込む。
 土地勘もないので、男は小さく入り組んだ道を右へ左へ、でたらめに駆け抜け続ける。

「――はぁはぁはぁはぁ。!? クソッ!」

 そして、男は悔しがって地団駄を踏んだ。
 袋小路……道が行き止まりになっていたためだ。

 男は来た道を戻ろうと後ろを振り向いた。
 ――と。
 その先を通せんぼするように、巨躯の僧侶が立ちはだかっていた。

「ひぃぃいいいいっ!!!!」
 男はその身長190cmはあろう僧侶を目にして、恐怖のあまり悲鳴をあげる。

「……さぁ、その聖杯を返して頂こうか。それは貴方の手には余るものだ」
 僧侶は対照的に、落ち着き払った冷静な口調で男を諭し、右手で聖杯を催促した。
 しかし、男は、後生大事に紫色の布袋に入っているクリスタル製の杯……聖杯を抱え込んでうずくまる。

「た、頼むっ! この聖杯を使わせてくれっ。俺には病気の母親が居るんだ。医者も治る見込みが無いと言っている。余命1ヵ月。この聖杯が必要なんだよっ」
 男はうずくまりながら、僧侶に懇願した。

「貴方の母が病気になるのは、必然。また、死ぬのも必然。必然の理を覆すことは許されません。さぁ、その聖杯をお返しなさい」
 僧侶は再び、男を諭す。

「嫌だ。俺は母親……おふくろを助けるんだっ! 今だっておふくろは寝たきりで苦しんでいるんだ。頼むっ、アンタ僧侶なんだろ!? 助けてくれよおっ!」
「――断る」

 僧侶は、無慈悲に答えた。
 そして、男に対して拳を振るうため構えた。熟達した拳闘家の構えであった。
 鍛え上げた僧侶の拳が、点いては消えを繰り返す街灯と月明りに照らされ、それに呼応するように大気が微かに震えだした。

「な、なんだ。アンタ!? 一体オレになにをするつもりだっ!? アンタ僧侶なんだろ!?」
 男は異様な雰囲気を察知して、闘気がほとばしっている僧侶に驚き仰ぎ見た。

「貴方には死んで頂こう。生きる価値が無いと私は判断した。――御免」

 そういって僧侶は、男の心臓に向け、突きを放った。
 尋常な速度ではない。常人の認知できる速度を遥かに凌駕りょうがしていた。
 僧侶の拳の衝撃は男の心臓まで達し、そのまま心臓を爆裂粉砕した。
 ひゅう、と微かに息をしてから男は地面に倒れ込む。そしてその口から大量の血がこぼれおちてきた。
 すかさず、僧侶は聖杯を布包みごと拾い上げ、回収する。

「ゴホッ、ゴホッ。……あ、あんた、僧侶なんだろ? ……こ、この……人殺し」
 男は、撤収しようとする僧侶の背中に向かって、苦悶の表情を浮かべつつ、精一杯の抵抗を試みた。
 僧侶は、振り向かず、ポツりと呟き返す。

「問題ない。私は……破戒僧だ」
 そのまま、繁華街の方へ向いて、男の元から立ち去っていく。

「……おふくろ、ごめん。ごめんよぉ……」
 男は最後に病床の母を想い、悔しくて、悲しくて、涙を流し……絶命した。
 そして、その亡骸を撫でるように、冷たい夜風だけが吹き抜けていった。

「世は無常」
 男の死を察知したのか、繁華街の中で、聖杯を抱えた破戒僧は言葉をこぼした。
 夜空の月は、ただ全てを見つめていた。

2.その美少女は剣道部員

「ただいま~」
 築40年以上はあろう、ボロアパートのドアを開け放ち、|三杉谷愛奈みすぎやあいなは帰宅した。
 部活動の後なので、体中は汗ばんでいるし、その汗にホコリがベタベタとくっつき、気持ち悪いったらありゃしない。
 愛奈は高校2年生。剣道部部員でエース的存在であった。

「おかえり。どうする? お風呂にする? ご飯にする?」
 愛奈の母親が玄関まできて、どちらがいいか尋ねる。
 愛奈の母親は愛奈同様、凛々しく美しい見た目で、まだ若々しく、愛奈の姉妹と言われても差し支えなく受け入れられそうな容姿だ。

「う~ん、晩ごはん何?」
 愛奈はぶっきらぼうに訊く。
 身内だからそうであるのではなくて、誰に対してもそういう態度を取るタイプであった。

「煮込みハンバーグよ。……今日は知り合いの人に頂いたパンケーキがあるから、食後にそれ食べましょうね」
「えっ!? パンケーキ!?」
 行儀悪く剣道の竹刀をベットに投げ、制服を脱ぎ捨てようとした愛奈が、仰天して飛びつく。

「パンケーキ! パンケーキ! 今食べる~! パンケーキ食べてからお風呂入るっ」

 そして、下着姿になった愛奈が、台所へ向かい冷蔵庫を開ける。

「ちょ、ちょっと行儀わるいわよっ!」
 母親がたしなめる。が。
「いいじゃん。ウチは女しか居ないんだから」
 愛奈はどこ吹く風で、冷蔵庫からパンケーキを取り出した。
 そして、皿にパンケーキを取り出し、フォークを手にして、早速一口パクり。

「う~ん。うんうんうんうんっ! サイコー! やっぱ部活上がりの甘いモノってサイコーだわっ♪」
 喜色満面で、愛奈は次々とパンケーキを口にし、あっという間に平らげてしまう。
 それから、冷蔵庫を再び開けて、パック入りの牛乳を手にして、そのままゴクゴクと一気飲み。
 牛乳パックも空にする。

「ういー。げぷげぷ。……じゃあ、シャワー浴びてくるねー」
 ゴミ箱の中にポンと牛乳パックを投げ込んだ愛奈は、シャワーを浴びに風呂場へと向かった。

「はぁ~。今どきの女の子って……。誰に似たのかしら……」
 母親は、風呂場へ向かう娘を見送りつつ、呆れたように呟いた。

 ――愛奈はシャワーの蛇口を捻る。
 ほどなくして、ちょうどいい温度の熱湯がでてきて、風呂場は湯気に包まれる。
 愛奈は、その美しく引き締まった肢体をシャワーで洗い流していく。
 段々と気持ちよくなってきて、ふんふんふ~ん♪ と鼻歌を歌いだす。

 愛奈の母親は台所で、夕食の準備をすすめていく。
 煮込みハンバーグのいい匂いが台所に充満して、添え物のキャベツを切り刻む音が鳴り響く。
 ――平和な日常の一時。
 貧しくはあったが、いつも通りの三杉谷家の様子であった。
 しかし。

「きゃあああああっ!!!」
 風呂場の方から、愛奈の叫び声が聞こえてくる。
 何事かと、母親は包丁を置いて、慌てて風呂場へと向かう。
 ――と。

「お母さぁん!」
 愛奈が、泣きじゃくって母親にすがりつく。
「どうしたのっ!?」
 母親は血相を変えて、愛奈の両肩を揺らす。

「体重が2キロも増えてるっ!! もう死にたいっ」

 はぁ、と母親はため息をついて、台所へと戻っていった。

「……へっくしょん」
 くしゃみをして下着姿の愛奈は風呂場へと戻っていった。

3.急転

 ――次の日。
 その日は休日だということで、愛奈は母親と一緒におでかけする約束をしていた。
 さぁ、今日はどの服を着て出かけよう? そんなことを夢うつつにも思いながらも、寝ぼけ眼で愛奈はフラフラとベットから起き上がった。

 そして、母親が居るであろう台所へと向かう。
 が、いつもなら朝食の準備をしている筈の母親の姿がそこにはなかった。

 どうしたのだろう?
 と、思いつつ、母親の部屋へと向かい、愛奈はドアを開ける。

 母親は、部屋の中で力なく座り込んでいた。
 顔を見ると、目は虚ろで、表情は暗く沈み込んでいた。

「どうしたの?」
 愛奈は少し怖かったが、母親に何があったのか確かめようと、声をかけた。
 愛奈の顔を見た、母親の目にみるみると涙がたまっていく。

「ごめん。愛奈。ごめん」
 母親はぽろぽろと泣きだした。
「どど、どうしたの? いったい何があったの? 話して!」

「お金、無くなっちゃった……」
「え?」
 いきなりなんだと思い、愛奈は困惑の表情を浮かべる。

「最近、知り合った人に、絶対成功するっていう投資の持ちかけられて、お金預けちゃったの」
「え?」

 ざわざわと、不快な感触が愛奈の上半身の皮膚に走っていく。

「さっき、電話があって、投資失敗しちゃったって。お金全部なくなっちゃった」
「……全部って………」

「愛奈のために用意してた学費も全部、なくなっちゃの。……どうしよう………今日、買い物に行くどころじゃない。ごめんなさい」
「それ、詐欺だよっ! きっと、イヤ、絶対詐欺だよっ! 私、確かめてくるっ!! その知り合いの人の居場所教えて!」

 頭にカーっと血が上り、顔を真っ赤にして愛奈は言い放った。

「ちょっと待って。でも、その知り合いの方の居場所がわからない。電話してみても、もう電話も繋がらないの……」
「ああ、もう! そいつの電話番号教えて!! ネットで検索かけてヒットするかどうか確かめてみるっ」

「桐谷鶴矢きりたにつるや、電話番号○○○ー△△△△ー□□□□」
「オッケー」

 愛奈は部屋に駆け戻り、スマホを手にし、名前と電話番号で素早く検索をかける。
 と。

「よっしゃ! 会社の住所が出てきた。都内の中心街じゃない! いいところに事務所構えてるじゃない。コンニャロめっ! 待ってろ!」
 言うやいなや、体育会系。部活仕込みの迅速な動作で着替えをはじめ、ジーンズを履いて、上にはシャツとパーカーを羽織り、外出の準備をテキパキと進める。

「母さん、ちょっと行ってくる! もしも、今日中に私が帰ってこなかったら警察に連絡して」
 そう言い残して、玄関を駆け出し、ボロアパートから最寄りの駅へ向かってダッシュしていく。

「……警察。警察って………」
 男勝りな愛奈の振る舞いに母親は目を丸くしながら、ただ茫然とするのみであった。

4.ボンバーガール

「経営コンサルティング業――桐谷相談事務所。……あったわ。このビルね」
 愛奈は、都内某所、オフィス中心街の件のビルに辿り着き、エレベーターに乗り込む。
 4Fのボタンを押して、しばし待つ。
 エレベーターはゆっくりと起動して上昇していく。

(くっそー。ウチみたいな貧乏母子家庭から詐欺するなんて許せない。絶対にとっちめてやる)
 愛奈は決意して、エレベーターから出て、ドスドスと足音を立てながら、事務所の入り口へと向かう。

 が。
 愛奈は意識を翻ひるがえす。
 事務所内から、なにやら言い争う声が漏れてきたからだ。
 一転して、愛奈は息をひそめて、耳を事務所のドアの隙間に当てて、こっそりと様子を伺う。

 ……言い争う声が、愛奈の耳にハッキリと聞こえてきた。

「ちょっと! 話が違うじゃないのよっ! 2000万払えば、その聖杯を貸してくれると約束したじゃない!?」
「たった2000万の金で、この聖杯を使わせる道理などない。その金額で、一目聖杯を見せてやるというだけの話だ」

(片方は、女? いや、この声間違いなく男。……なのに野太い女口調。たぶん、言い争っている2人の内片方はオカマだ。もう一人は、落ち着いた中年男性の声……)
 愛奈は更に聞き耳を立てる。

「この私を騙したのねっ! 酷い男! 僧侶のカッコしてる癖にそんなことして良いと思ってんのアンタ!?」
「騙される方が悪いが貴方の持論ではなかったのかな? それに私は破戒僧。戒律を尽く破るのが仕事」

「ふざけないでよっ!! この2000万搔き集めるのにアタシがどんだけ苦労したと思ってるのっ!? 貧乏人の母子家庭から金絞り取ったり……大変だったのよ!」
(……間違いない。このオカマ、詐欺師だ。お母さんは詐欺られたのだ)
 愛奈は事務所内に飛び込むタイミングを伺う。

「貴方には見どころがある。生きる価値があると拙僧は断じる。故に、金銭を接収するだけにして穏便に済まそうと思ったが……これ以上逆らうならば、死んで頂こう」
 僧侶の格好をしているらしき、男。破戒僧とか言っていた男は、オカマ詐欺師を殺すと言い出した。
 愛奈の血相が変わる。

「オカマ舐めんじゃないわよっ! こちとら極道にも幾らでも顔が利くのよっ!! ちょっと血ィ見てもらうわよぉおっ!!」
 慌てて愛奈が事務所のドアを開け放つと、ナイフを手にしたスーツ姿のオカマ――桐谷が、長身巨躯の破戒僧に襲い掛かるところであった。
 破戒僧を助けようと、愛奈は桐谷のナイフを手から叩き落そうとする……が、間に合いそうにない。

「あぶないっ!」
 愛奈がそう叫んだ瞬間――。

 ドンッ。
 と、腹の底まで響くような重低音……破戒僧の放った掌底の音が事務所内に鳴り響く。
 瞬間的に、勢いよく桐谷の身体が吹っ飛んで、高価そうな皿やらグラスやらの装飾品をブチ撒けつつ、派手に桐谷は壁に激突した。

「……あ、あああ、ちょっとコレ保険効かないわね……どうしてくれんの」
 口から血泡を吐きながらヨロヨロと立ち上がり、桐谷は強がりを言った。
 だが、かなりの重傷を負ったことは誰の目にも明らかだ。

「ちょっと、お坊さん!? 相手が刃物持ってるからってやり過ぎですよっ!!」
 何故か、愛奈は敵である筈の桐谷の味方をして、抗弁した。
 愛奈の言葉を受けて、破戒僧は値踏みするように、愛奈をジッと見つめて、少ししてから、ニヤリと笑った。

「これは血気盛んな雌羊だ。まだ若く美しい。その威勢、恋に燃やし尽くすことを拙僧はお薦めするが? 如何か?」
「褒めてもらってなんだけど、私はね、指図されんの嫌いなの。恋より何より、剣道に命かけてんのよっ!」
 破戒僧の薦めを断り、気迫爆裂で愛奈は破戒僧に対して身構えた。

「ほほう。私の隠していた殺気を読んだか。武道の心得があるか。面白い余興になる。少し相手をしてやろう」
 そう言って、破戒僧も武術の構えを取った。
 ソファーを挟んで両者は相対し、凄まじい気迫と殺気がぶつかり合い大気が震えていく。

「あんたら、一体何者? 明らかに並みの人間じゃないわ……」
 置いてけぼりにされた桐谷がツッコミを入れるが、両者の耳には届かない。完全に戦闘態勢に入っている。

「覇ッ!!!」
 先に動いたのは破戒僧。
 凄まじい速度でソファーを弾き飛ばして踏み込み、常人を遥かに凌駕する掌底を愛奈へ向けて繰り出す。

(これは、くるっ!? ……三連撃! まともに受ければ簡単に両腕をへし折られるっ!)
 武術家として天賦の才を持つ愛奈は、即座に破戒僧の攻撃を先読みした。

 己の鳩尾みぞおちに向かってきた凄まじい掌底に対し、愛奈は細くしなやかな腕を糸を巻くように、クルリと機械的に回転させる。
 掌底の側面に愛奈の手は直撃し、バチンッ! という音がして、掌底の軌道がそれて、掌底は空をきった。
 そのまま破戒僧は三連撃の続きを繰り出すが、同様にして、愛奈は残りの2発の掌底もさばききった。

「ほう、信じられん。両腕とアバラをへし折るつもりで放ったが、初見ですべてサバくとは……称賛に値する」
 そう言いながら、次の一撃を放とうと破戒僧は、再び構えを取る。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! 私は剣道が専門なのっ! 徒手空拳でやらせんじゃないわよっ!」
 激しく痛む手をこすりながら、慌てて、破戒僧に待ったをかけようとする。
 このまま戦っても勝ち目がないのは間違いない。愛奈は何か策を弄する時間が欲しかった。

「お嬢さん。これ使いなさいっ!」
 と、オカマ……桐谷が助け舟を出す。
 壁に飾ってあった木刀を取り出し、愛奈に向かって放り投げた。
 愛奈は、これだとばかりにガッチリと木刀をキャッチした。

「固い樫の木で出来た木刀よっ! 多少のことじゃ折れないから、思いっきりやっちゃいなさいよっ!」
「ありがとうっ!」
 短く応えた愛奈が、木刀を構える。
 その木刀を構えた様は雅やかにして、剛健。
 瑞々しい烈火の闘気が、愛奈の身体から立ち昇る。

「県立愛凛高等学校2年生。剣道部所属段位二段、三杉谷愛奈みすぎやあいな。いざ尋常に、勝負!」
 勇ましく正々堂々と愛奈は名乗りをあげた。

「フッ、剣道三倍段か……面白い」
 剣術に対して、素手の場合、相手の三倍の段位を持ってやっと互角だと云う。
 この時の破戒僧の武術の段位は、六段であった。

 刹那、両者が激しく打ち合う。
 木刀と拳とか激しくぶつかり合い。猛烈な速度、火花が散る勢いだ。

「あわわわわ、こりゃヘタな格闘ショーより見ものだわ……」
 あまりの常人離れした打ち合いに桐谷は目を奪われるが、そそくさと何かを探して地面を這いだした。

 ――ガガガガガガガガッ!!
 超高速で行われる剣撃と拳の打ち合いは、一層ヒートアップしていく。
 まったく完全の互角。いや、ほんのわずかにだが、破戒僧の方が押してきている。じょじょにじょじょにだが、愛奈の足元は後ずさりしつつある。
 このまま打ち続ければ、遠くない先に一気に均衡は破れて押し込まれしまう。
 愛奈の表情に焦りが浮かび、破戒僧はニヤリと勝ちを確信し、口元を歪めた。

 ――と。
「うぐっ」
 破戒僧は思わず目を両手に当てて、顔を覆った。
 桐谷の放った目つぶしが、破戒僧の目にキッチリとヒットしたのだ。

「どう? ガラスの破片の目つぶしの味は? ウフフ、形勢逆転という展開ね♪」
 キッチリと薄いクリスタル製の聖杯を確保しながら、桐谷は勝ち誇った。

「うっく。やってくれおるわ……」
 血の涙を流しつつも、破戒僧は戦闘態勢を取った。

「さぁ! なにボヤボヤしてるのお嬢ちゃん! さっさとコイツやっちゃって!!」
 茫然と事態を見つめているだけの愛奈に対して、桐谷は怒鳴った。
 目が潰れている状態の相手に打ち込むのは武道精神に反すると思ったが、確かに、今はそれどころではないかも知れない。
 加減して打ち込んで、破戒僧を気絶させて、早く警察に連絡しなければ……。
 そう思い直して、愛奈は木刀を構えた。
 

5.強欲

「ハッ!」
 愛奈は手加減して、破戒僧の頭蓋に向かって木刀を振り下ろした。

 ――が、なんなく破戒僧はスッと、それを避けた。
 そして、素早く反撃。唸りをあげる拳を寸でのところで愛奈は身を捻って躱かわした。

(どうして今のを避けられたのだろう? もう一度)
 意を取り直して、もう少し強く愛奈は木刀を振り下ろす。
 が、今度は拳で木刀をはね飛ばされ、剣筋の軌道を変えられてしまう。

(!? どうして!? 目が見えてないのに……どうして私の打ち込みをサバけるのだろう?)
 訝しんで攻撃の手が止まってしまう愛奈。しかし、破戒僧の方も目の痛みが気になるのか、自分からは仕掛けようとしない。
 ……膠着状態が訪れつつあった。

(よし、とりあえずアタシはフリーの身って訳ね。度数14度以上のアルコールをこの聖杯の中に入れて、飲み干せば願いが叶うんだったわね……これで大丈夫かしら?)
 桐谷は、自身の荒れ果てた事務所内で、運よく残っていたウイスキーのボトルを手にして、そそくさとウイスキーを聖杯に注ぎだした。
 トクトクトク……と小さな音を出しながら聖杯はみるみると満たされていく。

 その気配を察知したのか、破戒僧が叫び声をあげる。

「やめろっ! その聖杯は使っていい代物ではないのだっ!! 願い事を叶えてはならないっ!!」

(!? そうか! 音だ。この破戒僧は耳で音をキャッチして、それに対して反応している。だから、自分からはかかってこないのだ)
 愛奈は見事に謎を見抜いた。
 ガラスの欠片を拾いあげ、壁にそれを思いっきりぶつける。

 バリンッという大きな音が室内に響く。
 ハッと、音がした方に破戒僧が身構えると同時に、愛奈は木刀を打ち込む。
 ――見事にヒット。
 強かに頭を打ち込まれた破戒僧は、苦悶の表情を浮かべ意識が遠のきうずくまる。

「よしっ! ……はやく、警察に連絡しなきゃ」
 動けなくなった破戒僧をしり目に、愛奈は懐からスマホを取り出す。

 ――。
 と。
「聖杯よ。そうね……とりあえず、100億円分の金塊を出して頂戴!」
 桐谷が聖杯に注がれた酒を飲み干し、願いを言った。
 愛奈は、なんだ急に? と思って、スマホを操作する手を一旦止める。

 ポンッ、とまるで魔法がかかったように、唐突に金塊の山が事務所内に出現した。
 聖杯がどんな願い事でも叶えるという噂は本当だったのだ。
 桐谷は狂喜して、脳から快楽物質がドッと出てくるのを感じた。

「……や、めろ。その聖杯を使っては、ならない。絶対に使ってはならないのだ」
 痛みをこらえ、絞るように破戒僧が訴える。

「もう、遅いわよ。金塊は全部アタシのモンなんだからね♪」
 聞く耳もたず、金塊の山に桐谷は抱き付く。

 ……と、そこへ。
「動くな! 警察だっ!! この騒動は一体なんだっ!?」
 警棒を手にした警察官が2名。
 おそらく誰かが通報したのであろう、遅ればせながらこの場に駆けつけてきた。

「そこの少女! なぜ、木刀を持っている? キミがやったのか?」
 荒れ果てた室内と、傷だらけの桐谷と破戒僧を目にして、警棒を構えた警官が警戒しながら愛奈に詰問する。

「いや、私は通りすがりで……」
 めんどくさいことになりそうだと、愛奈が思った瞬間。

 ――ドカンッ!!!! ドゴォオオオオオオッ!! と、轟音が外で鳴り響いた。
 車が衝突した音。交通事故だ。
 愛奈が窓の外を見やると、ガスか何かを積んでいたと思しき大型車両が爆発炎上していた。

「大変だ。救急に連絡せよっ!」
 警棒を構えつつ、年配の方の警官が、若い警官に命令をする。
 慌てて、若い方の警官は救急の方に連絡をし始めた。

 外の交通事故含めて、現場が泡立ち、てんやわんやに錯綜する。
 そのさ中、ポツりと破戒僧が呟く。

「この交通事故、間違いなく聖杯の影響によるもの。――聖杯はあらゆる願いを叶える。されど、必ずその代償がなんらかの形で身近に現れるのだ。だから、聖杯は使ってはならないのだ」
 そして、やっとのこと、なんとか目からガラスの破片を取り除いた破戒僧は、立ち上がる。

「さぁ、聖杯を返しなさい。これは浮世の者達が使用してよい代物ではない」
 巨躯を揺らして、桐谷の方へと歩み寄っていく。

「冗談じゃないわよっ! 他人にどんな迷惑がかかろうが関係ないわ。オカマが生きてくの大変な時代なのよっ! 聖杯ちゃんには、もっと金塊を出してもらって、オカマみんな幸せに暮らせる王国をつくるのっ! ……って、なにその怖い顔!? 近付かないでよっ!! 近づかないでっ!! ……ヒィィィ」
 破戒僧は、桐谷を殺そうと接近していく。

「待て! 勝手に動くなと言った筈だっ!」
 殺気を感じ取ったのか、年配の方の警官が破戒僧を制止しようと割って入ろうとする。

「邪魔するな」
 が、破戒僧は警官に対して迷わず掌底を放ち、あっという間に警官は吹っ飛んでいって壁に激突する。

「こっ、公務執行妨害ッ!! は、は、は、発砲! 発砲許可を……あわわ」
 連絡を終えたばかりの若い方の警官が慌てて、年配の警官に指示を仰ぐ。

「馬鹿者! 緊急事態だ。早く拳銃を打てえっ!」
 年配の警官が必死に痛みを堪えながら、怒鳴る。


6.覚醒セシ者

 若い警官が、拳銃を震える手で拳銃を構え、破戒僧に向けて発砲した。
 が、なんと。
 その銃弾を木刀で、愛奈が防いだ。
 バチュン! という音を残して、木刀は折れてしまう。

(な、なんで私こんなとんでもないことしちゃったんだろう!? 大変だぁ!)
 慌てる愛奈をしり目に、若い警官はもっと慌てふためく。

「お、応援っ!! 応援要請しますっ!!」
 無線を手にして、大至急応援要請を打診していく。

 ――我が意を得たり。
 と、破戒僧は素早く動き、桐谷の手から聖杯をもぎ取る。
 そして、残りのウイスキー瓶からウイスキーを聖杯に注ぎ……一気に飲み干した。

「おいっ! 一体何をしているっ!? 動くな!」
 再び、若い警官は拳銃を構える。

 ――が、破戒僧はニヤリと嗤い、言った。
「聖杯よ。我を史上最強の存在にせよ。史上最強の力を持つ、貴き存在へと進化させよ」
 言いきったと同時に、メリメリメリと破戒僧の上半身が盛り上がり、膨張していく。
 僧侶の衣服を破り、破戒僧の筋肉が露わになる。
 そして、頭髪と眉毛、頭部分の毛のみならず、全身の毛という毛が抜け落ち、眼光が妖しい赤に染まっていく。

「ひっ!! 化け物だっ!!」
 若い警官は、恐怖のあまり拳銃を全弾発射した。

 破戒僧は、それらを全弾、拳で弾き返す。
 それは、今までの破戒僧の速度の比ではなかった。

 上半身むき出しになった破戒僧は、警官に襲いかかる。
 警官の身体は、豆腐のように容易く砕けて、血飛沫をあげて真っ二つに割れた。
 あまりの光景に愛奈は意識を失いそうになる。

「フハハハハ、素晴らしい。私は今、人類で最も優れた存在になったのだ」
 血に塗れた己の手を見て、破戒僧は高笑いした。

 ――と、グラグラとビルが……いやそれだけではない、この一帯の地面全部が揺れ始めた。
 揺れはどんどんと大きくなって、都心の人間全てに衝撃が走る。
 そう、聖杯で願いを叶えてしまった代償が起こったのだ。

 場面は移り変わり―――。
 東京大学地震研究所筑波地震観測所。

「きました。マグニチュード8.5! 推定震度7。首都直下型大地震ですっ!」 
 茨城県つくば市にある地震観測所の研究員達が慌てざわめきだす。
「ついにきたか……」
「データはちゃんと取れているか? 余震にも備えて」
「テレビつけて! 早く!」

 東京大学地震研究所筑波地震観測所、設立後最大の大地震であったが、この地震の原因が聖杯によるものだと気付く者は出なかった。

 ――場面は戻る。
 都内某所オフィス中心街。

 街は……壊滅していた。
 あらゆるビルの窓という窓は割れて、アスファルトの地面にはガラス片が飛び散り、道路はグニャグニャになって、あちこち地割れしている。
 沢山の車が事故を起こして、あちこちで煙があがっている。
 人々は余震に備えてうずくまるか、スマホを手にして家族や大切な人達へ連絡をしているが、ネット環境も機能不全に陥っている。
 きっと死人も大勢出てしまっている。
 瓦礫の下に埋まって助けが必要な人達も数えきれないほど居るだろう。
 火事もあちこちで発生していて、個人の力ではどうにもならない。

 大変なことになってしまった。
 ビルの階段を降りて、外へ出てしまったこの災害の元凶たる怪異……破戒僧の男を追って道路に出た愛奈。
 彼女は変わり果ててしまったオフィス街を見渡して焦燥していた。

「フハハハハ、見なさい。素晴らしい光景だ。これが聖杯の力。素晴らしい」
 聖杯を手にした破戒僧が恍惚の表情を浮かべる。

「どこがよっ! アンタ気が狂ってるのっ!? こんなことになってしまって、どう責任取るつもり?」
 愛奈は破戒僧に詰問する。しかし、こうなってしまった責任の一旦は自分にもあるのだ。
 内心では焦りまくっていた。

「責任? だと? 勘違いするなよ。いずれにせよ世界はこうなる運命なのだ。それが多少早まっただけのこと。むしろ、私は言いたい。……私を崇めよ、と」
「ふざけんじゃないわよっ! 大体さっき交通事故起こって、アンタ憤ってたじゃない? なんで、こんなことになって喜んじゃってるのよっ!?」

「ふんっ。私は、私以外の存在が世の中を壊し、人を殺すことが不愉快なだけだ。――それが許されるのは高尚な存在である私だけに与えられた特権だ」
「はぁ? 完全に頭イカれてるわねっ! 私は絶対に許さないから」

「ハハハハハ、一体ぜんたいどう許さないというのかね? 木刀も無い貴方はもう無力だ。いや、仮に木刀があったとて、進化した私にとっては赤子以下に等しい」
「……ック」

 愛奈は会話で時間を稼ぎながら、待っていた。
 先ほど、地震が起こる前の、交通事故が起こった直後の喧騒の最中に、母親からメールが届いていたのを確認していたのだ。
 メールの内容は――『大丈夫? これからそっちに行きましょうか?』。
 素早く、愛奈はメールを返信していた。――『緊急事態。急いでアレ持ってきて』。そして、直ぐに返信が――『わかった。すぐに持ってく』。
 そう、愛奈はアレが届くのを待っていた。

「先程、助けて貰った恩義というものがある。それに貴方は美しく、そして、強い女性だ。どうだね? これも出会いだと思って私と番いになっては? 世界最強の存在の妻になれるのだ。悪い話ではないだろう?」
「そうね……このまま殺されるよりはマシそうだし、ちょっと考えさせて」

 愛奈はスマホを取り出し、GPSで母親の所在を確認しようとした。
 しかし、GPSも今は機能してない。
 内心、焦りをつのらせつつなんとか時間を稼ごうと頭を巡らす。

 スマホをいじって誰かとやり取りしているフリをして、愛奈は時間を稼いでいく。

「……どうだね? 決心はついたかね? 私はあまり気が長い方ではない。心変わりしない内に色よい返事をした方が賢明だと思うが……」
「そうね。でも、結婚するんだったら、やっぱりハネムーンに行きたいわね。結婚するとしたら、どこに連れっててくれるのかしら?」
 ピクリ、と、破戒僧のかつてあった眉の部分が動く。

「キサマ、一体何を隠している? 時間稼ぎをしているな? ネットもこの状態だと使用できない筈だ」
 にわかに怒りの表情を浮かべて、破戒僧がこちらに歩み寄ってくる。
 まずい。下手に調子を合わせてしまったため、こちらの狙いが見抜かれてしまった。
 なんとか、なんとかして誤魔化さねば……愛奈は必死になって頭の中を巡らせる。

「あのー、そのー、私、実は処女なの! 初めての経験がアナタでいいのかって、迷ってて……」
 顔を真っ赤にしながら、愛奈はなんとか誤魔化そうと目論む。
 ……しかし、それが通用する相手ではなかった。
 破戒僧は意に介せずゆっくりとした歩調で歩み寄ってくる。

 どうする? どうする?
 ――と。
「愛奈―! 愛奈ー!!」
 遠くの方から、一人の女性が必死に呼びかけてくる声が聞こえた。
 その女性は瓦礫の山を避け、地割れを飛び越え、段々と近付いてくる。
 それは、愛奈の母親であった。

「お母さーん、こっちー! 早くー!」
 下手に動けば逆効果と思い、愛奈は立ち止まって母親の到着を待つ。

 やれやれ、一体どんな策があるのやら?
 余裕を取り戻した破戒僧は興味深く様子を見ることにした。

「はぁはぁはぁ、疲れたー。しかし、大変なことになったわね。誰も死んでなきゃいいけど」
 呑気なことをカマしつつ、母親が愛奈の元に到着した。
「んもー! 遅いよお母さん!」

「ゴメンゴメン、電車に乗ってたら急に地震が起こるんだもの。ほんとビックリしたわ。緊急停車した電車から降りて、ここまで来るの大変だったんだから」
「ちょっと、悠長に話してる場合じゃないの! 早く渡して」

「あ、そうみたいね。じゃあ、はいコレ。お爺ちゃんの形見の日本刀よ」
「うん、手入れバッチリ。これでイケるわ」
 形見だという日本刀の鞘を僅かに抜いて、キラめく刀身の輝きを確認して愛奈は言った。

 そして、静かに日本刀の鞘を抜き去り、刀を構えて、破戒僧に対して正対した。

「ハハハハハ! 真剣なら私に勝てるというのかね? これはとんだドンキホーテだ! 傑作だね! 君の精神構造をアートで表現して、ニューヨークの個展で披露したなら絶賛されるだろう。――嘲笑と共にね!」
 大げさにそう言って、破戒僧は愛奈に襲い掛かってきた。
 ――トン。

 流星が落ちるが如き猛烈な速度で愛奈は刀を振るった。
 キレイな切断面を残して、破戒僧の腕が切り落とされ、手に握っていた聖杯ごと地割れがある方へと転がり落ちていく。

「なっ!? バカな」
 信じられないといった表情で、破戒僧は己の切り落とされた腕を見た。

「バカはアンタよ。今までは周りに人が居たから、リミッターかけて戦ってたの。――三杉谷愛奈。真剣にて十段。吉川礼法流免許皆伝! いざ参る!」
「抜かせっ!!」

 激情した破戒僧と、全開状態になった愛奈とが激しく交錯する。
 一瞬の交錯の内に無数の斬撃と拳とか交わし合わされていく。

7.家庭の事情

「これは……!?」
 先ほどは、油断していたとは言え、腕を切り落としてきたのはマグレではなかった。
 この少女の剣筋。もはや人間の域に在らず。時代が時代なら、天下無双の剣豪として名を馳せたであろう。
 ――しかし。

 頭蓋をカチ割られ、脳天から血を流し、静かに愛奈は地面に崩れ落ちた。

「認めよう。貴方の武の域は、まぎれもなく天才であると。しかし、拙僧はもはやそれを遥かに超越した超人なのだ。何人足りとも私の敵ではない」

 その声は、もはや愛奈の耳には届かず、愛奈は死線を彷徨い……その意識は過去を走馬灯のように蘇らせていた。

 ――。
 十年前。愛奈6歳。
 当時はまだ、父親が家庭に居て生活を支えてくれていた。
 アパートも今住んでいるボロよりは立派なところで、ピカピカ真新しいキッチンが印象に残っている。

「はい、パパ、エビフライ! できたよ」
「ん~、モグモグモグ……これはとても美味しいね。愛奈エライエライ」

 そう言って、おままごとに付き合ってくれているお父さんは愛奈の頭を撫でてあげた。
 ――優しくて気さくな父。ずっと末永くこんな幸せが続いてく。当時は幼いながらも愛奈はそう思っていた。

 けれど。

 事業が失敗してからというもの……父は酒に溺れては、ロクに家にもお金を入れなくなり、日々どこかで飲み明かすようなダメ人間に堕ちていってしまった。

 そして、連絡も寄越さず、何ヵ月も家に帰ってこなかった父が、ある日フラッと家に帰ったきた。

「すまないが、好きな女性が出来た。離婚してくれ」
「……」

 黙ってシクシクと泣き出したお母さんに対して、お父さんは言った。
「大体ッ! オレの親父がよくないんだよ。学生時代にくだらない剣術なんか教え込まないで、ちゃんと勉強してれば、真っ当に進学できて、まっとうな会社に勤められていたんだっ! 剣術なんてやらなきゃよかった!」
「……」

「いいか。愛奈は中学にあがるまではいい。けど、中学生になったら剣術からは足を洗わせるんだ。やるとしても精々剣道の部活動までだよ。後は、勉強に専念させるんだ。オマエがしっかりしてくれ。オレはもう愛奈の面倒は見れない」
「……」

 ――もう愛奈の面倒は見れない。
 幼心にとてもショックな言葉だった。

「うう……」
 身体を揺り動かされる感触があって、愛奈は微かに目を覚ました。

「愛奈!? 大丈夫っ!?」
「うう、お母さん……」
 朦朧もうろうとする意識の中、今どういう状況になっているのか周囲を見渡す。

 すると、何発もの銃声が聞こえてくる。
 そちらを見やると、応援に駆け付けたと思しき複数の警官と、破戒僧が戦っていた。
 いや、戦いというよりは、一方的な殺戮と言った方が適切か。
 次々と破戒僧は武装している警官達を薙ぎ払っていく。
 この大災害の最中、警官は次々と応援をかけて、人員を補充しているようで、すでに周囲には激しく損傷した死体の山が広がっている。

 嗚呼、悔しい。
 ……けど、私の力ではもうどうすることも出来ない。
 重く鈍く響く頭痛がして、再び、愛奈は昏倒した。
「愛奈っ!? 愛奈っ!」
 母親の声が、遠ざかっていくように聞こえた。

 ――。
 十一年前。愛奈5歳の頃。
 その時は、真冬で、外には雪が降り積もっていた。

 愛奈がコタツでゴロゴロ寝てまどろんでいる。
 と、父親がなにやら神妙な顔をして愛奈の元へやってきた。
 手には、絶対に触れてはいけないと言われていた、お爺ちゃんの日本刀が手にあった。

「どうしたのパパ?」
 愛奈はキョトンとした顔で尋ねる。
「愛奈、これから、絶対にやっちゃいけないことを教える。いいか、絶対にやっちゃいけないんだぞ」

「うん?」
 なぜ、絶対にやっちゃいけないことを教えるのか、理解が及ばなかったが、父は刀の柄を両手で握って話始めた。

「いいかい。この刀は妖刀なんだ」
「ようとう?」
「うん、そう妖刀。危ない……悪い刀なんだ」
「へぇ、わるいんだ」

「うん、とても悪い。でね、この刀はひらけるんだよ。刀をひらいたときこの妖刀はその真価を発揮する」
「おお」

「いいかい? こうして、柄を両手で握って、上下離れていくように強く引っ張る。……すると」
 父親が言った通りに刀の柄に対して、引っ張っていくと、刀が……開いた。
 ちょうど、如意棒だか、釣り竿の如くに引っ張ると伸びていってカチっと音がしたのだった。
 そして、その伸びて露わになった部分には……髑髏どくろの意匠が施されていた。

「うわっ、グロい」
「うん。で、この髑髏は、この刀を握っている人間の命を吸い上げる。寿命が短くなっちゃうんだ。怖いだろ?」
「うん、こわい」

「よし。だから絶対やっちゃダメね。この妖刀を長時間ひらき続けると死んじゃうからね。……まぁでも、刀をひらいている間には、信じられない力がみなぎってきて、どんな敵でもスパスパとやっつけられるらしいんだけど……まぁ、愛奈には関係のない話だよね。ハハハ」
 そう言って、父はすぐに刀を元の状態に戻した。

 ……そうだった。今の今まですっかりと忘れていた。この刀はひらけるのだった。
 妖刀としての力を開放すれば、ヤツにも勝てるかも知れないっ!

 ハッとなって、愛奈は目を覚ます。
 だが、手にある筈の日本刀が、ない!

 慌てて周囲を見ると……母親が戦っていた。
 遠目にも分かる……母親は刀、妖刀をひらいた状態で戦っていた。

「やめて、お母さんっ!!」
 母親には剣術の心得はない。見た目にも素人の動きで刀を振り回している。
 命を吸い上げるという妖刀の効果と、猛烈な速度に身体の筋肉がついていかずということを鑑みて、おそらくすぐにでも壊れてしまうだろう。
 命の危機を感じた愛奈は、朦朧とする意識を振り払い、母親の元へと駆け寄っていく。
 ズキズキと激しく頭が痛むが、そんなことは言ってる場合じゃない!

「なんだ。女、その動きは? まるで素人。だが、尋常ならざる強靭な太刀筋。……しかし、わかるぞ。うん、わかる」
 そう言って、破戒僧は母親の足元を狙って、拾った石を素早く投げつけた。
 石は母親の足にヒットして、母親はうずくまる。そして、それきりまるで動けなくなった。

「フフフ、やはりな。もう既に疲労困憊。限界をとっくに超えて、身体中の筋肉はズタズタだし、骨も何か所も粉砕骨折している。もう動けまい」
 警官隊は壊滅したようで、上空には自衛隊と思しきヘリが何機も飛び交っているが、震災の人命救助を優先させているようだ。
 こちらに向かってくる気配はない。

「さて、大事な聖杯を回収するとするか。割れてなければいいが」
 もはや敵なしと、ゆっくりとした足取りで破戒僧は聖杯が転がっていった地割れの方へと向かっていく。

 今だ!
 愛奈は隙を伺って、母親の元へと駆け寄っていく。

8.聖杯へ賭ける願い

「お母さんっ!! 大丈夫!?」
 愛奈は、母の元にたどり着く。
 ――酷い状態だった。破戒僧の言った通り、身体中の筋肉はズタボロだし、骨も何か所かわからないほど沢山折れていた。
 顔色もすこぶる悪く、青白い。
「お母さんっ。お母さんっ! 死なないで」

 愛奈は手当てする術もないので、とりあえず声をかけていく。
「……愛奈。ぅ……」
 力なく、微かにではあるが、母親は愛奈の呼びかけに応えた。

「……ごめん、ね。いいとこ見せたかったんだけど、お母さんじゃダメだったみたい」
「そんなことないよ。すごくよくやったよ! 痛いでしょ!? 寝てて」
 そう励ましつつ、愛奈は母親の手からこぼれ落ちていた妖刀を閉じた状態に戻した。
 とりあえず、母の安否は確認できて、妖刀はこの手に取り戻した。
 愛奈はキッ、と破戒僧の方を睨みつける。

「……ふむ、なんということだ。聖杯にヒビが入ってしまっている。とりあえず、聖杯に願ってこの切り落とされた腕を回復しようと思ったが……たぶん、あと1回しか願いは叶えられないだろう。そうなると何を願っていいのやら迷ってしまうな……。困ったことになった」
 地割れの際に落ちている聖杯をまじましと見つめながら、破戒僧はぶつぶつと独り言を呟いている。
 愛奈達には背を向けている格好だ。

 勝機チャンス。
 そう悟った愛奈は、迷わず妖刀をひらく。
 髑髏の意匠が露わになり、握っている柄越しにみるみると命を吸い込んでいく。
 冷たい感触が身体全体に広がって、愛奈は思わず刀を手放したくなる衝動に駆られる。
 が、逆に腹を決めてギュッと強く刀を握り絞める。

(……たとえ、ここで命を全て吸い取られてしまったとしても構わない。コイツは絶対に私が倒す)
 そう決意した。
 すると、今度は身体中がカーっと熱くなってきて、血液がドクドクと身体中に激しく巡るのを感じる。
 身体中の至る筋肉、爪先まで力があふれてきて、そう、確かにこれなら、どんな敵でもスパスパやっつけることが出来そうな気がしてきた。

「覚悟ッ!」
 そう言って、愛奈は猛然とダッシュして、ロケットのように加速しながら斬り込んでいく。
 凄まじいドドドッっという足音に気付いた破戒僧は、ニヤリと嗤って迎撃態勢を取る。

(刀ごと身体までヘシ折ってくれるわっ)
 刹那。
 刀の切っ先と、破戒僧の拳とが交錯する。
 破戒僧の思惑では、ポキリと刀は折れて、そのまま拳撃が愛奈の身体をも貫く公算。

 ――しかし、愛奈の命を吸い上げ続けている妖刀の硬度は、圧倒的に増していた。
 破戒僧の拳よりも、遥かに硬かったのだ。

 破戒僧の思惑に反して、妖刀は拳をパックリと斬り裂き、そのまま胴体をも両断した。
 これは……!?
 ――勝利した。愛奈が見事に勝利したのだ。

 破戒僧は驚愕の表情で固まったまま、地面へともんどり打って転がり、別かたれた下半身を目にしている。
「ふぅ……ヤバイ」
 顔面蒼白になって、命の危険を感じた愛奈はすぐに妖刀を閉じた。
 今の一撃で、何か所も筋肉や腱が断裂して、骨も何か所か折れてしまった。
 この一撃で決められていなかったら、かなり危なかった。
 ふぅ、と愛奈は再びため息をついて座り込んだ。

 ――と、その時、グラグラと地面が揺れ始めた。
 余震が起きたのだ。

 慌てて、身を低くする愛奈であったが、もっと慌てるべき事態が生じた。
 地割れの近くにあった聖杯が転がっていって、地割れへと吸い込まれていったのだ。
 この聖杯をほおっておく訳にはいかない。

 愛奈は、痛む身体に鞭打って、地割れの方へと近づいていく。
 と。
 よかった。
 ギリギリのところで聖杯は地割れの深いところへ落ちていなかったのだ。
 しかし、ちょっとした拍子ですぐにでも落ちそうである。
 急いで回収せねばならない。

 ――と。
「あらあら、やっと敵をやっつけてくれたと思ったら、酷い有様ね」
 声の主は……今まで何処に居たのであろうか? スーツ姿のオカマ、詐欺師の桐谷だった。

「あの聖杯ヒビが入ってるわね……。まだ使えるのかしら? これ持ってきたんだけど」
 そう言って、チャポチャポとウイスキーが入った瓶を軽妙に揺らす。

「貴女、試してみなさい……よっと!」
 そう言って、地割れの穴の際まで駆け下り、聖杯を丁重に拾い上げる。
 そして、立ち上がれず座り込んでいる愛奈の元へと戻ってくる。

 桐谷はポンと聖杯を地面に置いて、トクトクとウイスキーを継ぎ始めた。

「アルコール度数40度。……ちょっと、お子ちゃまが飲むにはキツ過ぎるけど、そんなこと言ってる場合じゃないわね。ホラ、見なさい」
 桐谷が指さす方を見ると、いつの間にか母親が間近まで接近していた。
 しかし、その顔面は蒼白で、今にも倒れそうだ。
 ヨロヨロと愛奈の隣まできた母親は、そのまま愛奈に添い遂げるように身体を横たえた。

「お母さん……ぁ」
 愛奈にはわかった。母の命が風前の灯であることを。
 とっくに妖刀は母の命、その寿命の全てを吸い取っていたのだ。
 最後の力を振り絞って、看取ってもらおうと、母親は愛奈の元までやってきたのだ。
 愛奈の表情が暗く沈み込むが、すぐにハッとなって目を輝かせる。

「そうだ! この聖杯で!! この聖杯が本当にどんな願いも叶えられるというならば……」
 希望の光が見えてきて、一転してパッと愛奈の表情が明るくなる。
 そして、おもむろに愛奈が聖杯に注がれたウイスキーを飲もうとした瞬間。

「フハハ……わかるぞ。雌羊の少女よ。オマエはその聖杯で母の命を救おうとしているな? だが、いいのか? その聖杯が使えるのは、せいぜい後1回きりだ」
 そう語りかけてきたのは、上半身のみになった破戒僧であった。
 まだ、生きていたのか!
 愛奈達に戦慄が走るが、どうやらもう破戒僧も長くないらしい。
 最後の命を振り絞って語りかけてきている様子だった。

「それにだ。聖杯を使えば、反動がくる。ヒト一人の命救うのにどれだけの反動がくるのか、覚悟しとくがいい。それにお前は見るところまだ、未成年だろう。酒を飲んでいい歳では……」
「そんなみみっちいこと今はどうでもいいでしょ!」
 どうにでも言いくるめて聖杯を使わせたくない破戒僧に対して、思わず桐谷がツッコミを入れる。

「あと、一回きり。……願いに応じた反動がくる」
 愛奈は、100億円分の金塊の願いを叶えることで起こった交通事故のことや、化け物になった破戒僧の代償として、この大地震が起きたことを思い起こした。

「どうするの? 貴女が願いを叶えたくないっていうなら、アタシが願い事叶えちゃうけど……ってジョーダン。貴女たち親子の姿勢を見てアタシ感動しちゃったわ。さっき確認してきたのだけど、この地震で近くに住んでたアタシの仲間達もみんな死んじゃったし、もうなにもかもどうでもいいわよ。……早く願い事叶えちゃいなさい」
 桐谷はそう言って、愛奈の背中をそっと押した。
 が。

「待って。……その聖杯とかいうやつで願いを叶えると、代償を支払ないといけないのでしょう。もし、愛奈の身に何かあったら嫌だわ。聖杯はそのままそっと地割れの中にでも投げ込んじゃいなさい」
 愛奈の身を案じた母親が、バッと起きて口を挟んできた。
「でも……」

 愛奈が何かを母親に言い返そうとする。
 しかし……。
 言い切った瞬間に母親の命はこと切れていた。
 愛奈の身体中に電撃のようなショックが走り、視界が激しくグニャリと曲がる。

「嗚呼、私もう耐えられないッ!! こんな現実耐えられないよッ!! 私のせいでお母さんも、警察の人達も、地震も起こって、みんな死んじゃった! アタシが余計な事しなければっ! 全部、私が悪いんだよっ!!」
 そう言い切ってから、愛奈は聖杯を手に取り、一気にウイスキーをグイっと飲み込んだ。

9.命の真価

 カァァ、と喉が熱く焼け付くような痛みが走る。
 が、そんな痛さに構っている場合ではない。
 愛奈は、決意を固めて口を開いた。

「私はもうどうなってもいい。聖杯よ、お母さんだけじゃなく、今日死んでしまった人、みんなの命を救って! 生き返らせて、全部元に戻してよっ!! お願いっ!!」
 愛奈は、途方もなく大きな願いを聖杯に託してしまった。
 聖杯は、ぱぁあっと明るく輝きを放ち、そのまま音もなく砕け散って消えた。

 パッと、なにか一瞬で、よくわからない衝撃波のようなものが消えた聖杯の中心から、爆発的に広がっていく。
 すると。

 母親が目を覚ました。
 身体中おかしくなっていた筈なのに、今は血色もよくピンピンとしている。
 死体の山になっていた警官達も、みんな甦り、キョトンとした表情で互い互いを見つめ合っている。

 良かった良かったと周囲の人達が、喜んでいる中。
 桐谷が何かを思い立ち、スマホでテレビニュースを映し出してみる。
 ――と。

「信じられません。たった今入ったニュースです! 自衛隊の手により仮設されていた遺体安置所の人々が次々と奇跡的に息を吹き返し……」
 テレビアナウンサーが興奮した声でニュースを読み上げていた。

「ふぅ、本当にみんな生き返っちゃったみたいね。……でも」
 そうだった。これからすぐになんらかの反動が来るのであった。
 もしかしたら、私はこれから即死して、一万年くらい地獄で責め苦に遭うのかも知れない……。
 そんな妄想が愛奈の脳裏に瞬発的に過る。

 ……しかし、しばらく待てども、何事も起こることがなかった。
 どういうことだろうか? ホッとする反面、愛奈が訝しんでいると……。

「拙僧が察するに、自らの欲念を捨て去り、他者のための願いならば、悪い反動は何も起きないようだ。聖杯と名付けられているだけのことはある」
 声の主は、破戒僧であった。
 もう膨張していた上半身も元に戻り、髪の毛も眉毛も元に戻っていたが、全ての元凶はコイツだ。
 なぜ、さっき聖杯に願い事をするとき、コイツのことを除外するように言わなかったのだろう?
 激しく痛む身体を気にしながら、自らの迂闊うかつさを愛奈は後悔した。

「警官達が迫ってきている。ここは一旦、身を引かねばならないが、聖杯を失い、これだけの辛苦を舐めさせられたのだ。タダで引き下がる訳にはいかぬ」
 そう言って、破戒僧は、拳撃の構えを取った。
 ――。
 標的は、愛奈の母親であった。

「オマエの命を奪っても面白くない。最愛の存在の命を奪うことで、償ってもらうぞ。――では、死ぬがよい」
「やめてーーーーーっ!!!!」

 もう聖杯は存在しない。
 愛奈は絶叫するが、身体中の損傷は激しくとてもじゃないが動けない。
 一巻の終わり。
 そんなフレーズが愛奈の頭を過る。

 すると、愛奈は自分でも意識しない内に不思議な動作に入っていた。
 そう、無意識にひらいていたのだ。この土壇場になって、祖父の形見であるという、妖刀を。
 妖刀の柄の髑髏が露わになり、愛奈の命を奪いつくす……。

 かに思われたが、反して愛奈の身体は力強く跳ね上がり、誰の目にも止まらない圧倒的な速度で、妖刀を破戒僧に対して振るった。

「吉川礼法流奥義、絶対殺月断ぜったいさつげつだん。――ただし、みねうちバージョン☆」
 刀の反対側で強かに打ち付けられた破戒僧は、猛烈な速度で吹っ飛んでいき、そのまま米粒のように小さくなっていった。
 うぉおおおおっと、威勢よく咆哮をあげて、何十人もの警官達が破戒僧の身柄を確保しようと殺到していく。

「やれやれ。やっと万事一件落着ってところね。よかったじゃないハッピーエンドで」
 スマホを懐に仕舞いつつ、緊張感から解放された桐谷が大きく身体を伸ばす。

「それより、愛奈。身体は大丈夫なの? 妖刀ひらきっぱなしだけど……」
「うん、不思議と……」
 母親が心配して尋ねるが、愛奈は要領を得ない調子で答えた。

(そう、不思議と2度目に妖刀をひらいた時には、命を奪われる感触はまったく無くて、逆に力を貸してくれたような……)
 妖刀の髑髏模様を見つめながら、愛奈は妖刀を閉じる。

「さて、これからどうするのよ? 街は全く戻ってなくて、酷い有様だけど……アタシってばパーティーでもしたい気分♪ どう、これから親睦を深めるためにパーっとやっちゃわない?」
「そんなことする訳にいかないでしょー!!」
 能天気なオカマ詐欺師、桐谷に対して愛奈は怒りの表情を向ける。

「そもそもアンタが、お母さんから詐欺をしなけりゃ、何も起こらなかったって話よっ! どうしてくれんのっ! 耳揃えてお金全部返して!」
「そんなこと言われたってサー。こんなスゴイ事があったんだから、些末なことくらい全部水に流してよぉ~」
 身体をクネクネとさせながら、桐谷が愛奈に身体をすり寄せる。

「あらあら、でもそういう訳にもいかないみたいよ」
 母親が指さす方向を見ると、3人の警察官が小走りでこちらに駆け寄ってきている。
 そうだった! こんな街中で日本刀を振り回せば、完全に銃刀法違反! (それに未成年飲酒)
 当然、お目こぼしされる筈もない。

「これはどう言いつくろっても誤魔化せそうにないわね……よぉし! 良いわね、2人共?」
 目線でサインを送って、それに対して、母親と桐谷の両者は即座に了解した。

 ひっし、と動けない愛奈は、母親と桐谷の肩を借りて、身体をあずける。
 そして、母親と桐谷は全速力で駆け出していく。

「逃げろ~!!!」

 陽光が輝く空の下、瓦礫でいっぱいのオフィス街を3人は駆け抜けていく。

「絶対捕まると思うけど~」
 母親が、ゴチる。
「大丈夫、アタシこの辺の地理詳しいから。いい抜け道知ってるのよっ♪」
 桐谷がそう言って、ウインクした。

「あはは! なんだか楽しくなってきちゃった!」
 快活に愛奈は笑い出した。

 愛奈達が駆け抜けていった足跡のすぐ近く……。
 割れているアスファルトの隙間から、ひょっこりと植物の芽が出ている。
 それは、まだ、青い若葉。

 陽光に照らされたその若葉は、そよ風に揺られ、生き生きとして見えた。

 ……美少女剣道ルナティック closed.