身近な人からは、「何か優れてることがあるっていいじゃない」「得意なことがあるのは素晴らしい」みたいな風に言われることもある
だけどそれは、たいていのことが普通にこなせるから出てくる言葉だ
ほとんどの事が出来ないなら、突出したもので得することなんてほとんどない
実際気が狂ってたわけだし
才能が要らないっていうのは言い過ぎた 長所はあればあるほどいい
けど、あまりに短所がひどすぎるって話をしてる
その才能がないために夢をあきらめた人もいるかもしれない
でも僕だって自分がめちゃくちゃになってる ぼやくぐらい許してほしい
こんなことを実際に言ったら自慢だぜいたくな悩みだなんて言われるんだろ
同じような境遇の人間が居ないから 相談できる人もいないし
実際幼いときから障害が分かってれば もっと人生生きやすかったんだろうか
密閉するものだから重いけど、その重みに安心を感じてしまう
無意識にネックレスを触る癖があったから、触る度にも安心する
とてもきれいなネックレスを買ったばかりだったから、武骨なこれを付けるのはもったいないようにも思う。だけどどれだけきれいなペンダントトップより、僕を救うのはこれなんだろう
「君ほどやさしい人は居なかった」と初めて言われた
他人にとって優しい人になれて安心した
大切な友達に優しくできていたなら嬉しい
「胸糞悪い」「人として信じられない」
というツイートだらけだ
本当にそうならどれだけいいだろう
「実際障害者と共に何かをする時に 大抵の奴は差別するんだろう」
という斜に構えたツイートに
「しません。大抵の人は差別ではなく配慮をします」
と言ったこのリプ
これが今回の悲劇のすべてだよ
差別と配慮っていうのは本当に紙一重だ
例えば腕の無い人を見たとき、顔つきの違う人を見たとき
「じろじろ見てはいけない」という配慮から「不自然に顔をそむける」という行為が出る それは確かに思いやりだよ でもやられた方からすれば苦しい
結局目が潰されでもしない限り 顔つきや身体の違いに対する条件反射は出る
耳が潰されない限り 叫び声は届いてしまう
だからって差別していいわけじゃない
広げていくしかない 当たり前になるまで
当たり前じゃないから行き過ぎた配慮が差別になる
もしかしたら今回の自治体の人間だって「配慮のつもり」だったかもしれない
田舎のコミュニティはうざったいし面倒なところがある
特別扱いをすると不満を言う人は確かにいるんだよ
都会の人にはわからないかもしれないが みんなで「せーの」でやめられたらいいのにね
自分の配慮が差別になっていないかも考えてほしい
前に看護師が
「俺はこういう職業だから、普通だけど」
って言ってたのを聞いたことがある 自分の排泄物を処理できない人の話のときだ
僕も看護師も共同生活をしてるから普通にできた
けどそれを健常者が見れば、顔をしかめるのは当然なんだよ
そこで笑顔で受け入れられると、そういう過度な自信を抱かないでほしい
それは仕方のないことだ 知らない、普段みない世界の話だし
だから広げていかないといけない 確かにそこにある世界の話にしないといけない
歌詞スレにびーびーさんと南雲さんが書き込んでくれたのめちゃめちゃ嬉しいな
あのスレは人の好きな歌詞も知りたかったので…みんなぜひどんどん…
死んだ方がマシだとかそういうわけじゃない
生きるというそのもの自体が辛いという前提だから、生きる理由自体がないと生きようと思わない
病院で「発作の症状」を見つけることが出来て、その症状が出ると調子が悪くなってるなあってわかるんだけど、わかったところで別に治したくもないしそのまま衝動に任せてる
前は笑い声を聞くとイライラが抑えられなくなることがあったんだけど、それは笑い声を聞くととにかく傷ついてたから
今は大人になったので、イライラするのは自分が悪いからだとわかる
だから笑い声にひたすら殴られるがままになる 偉いから