鎮静剤を打って死んでるか生きてるかわからないような日々
こんなものに果たしてどれだけの価値があるのか 次の瞬間にはパソコンを投げて本棚を倒して家を飛び出していきたい それをしないための頓服 命をつなぎ留めるための頓服 お守りなんて言うけどこれはただの呪いだ 先生を恨んでいる
先生に言われたこと それを守ってるから偉い 僕は偉い 僕は何故先生に従うのか あんなもの無視してしまえばただの妄言だ なのに僕は未だにあの人の言うことを聞いてる 結局逃れられないのだという諦観を持っている 諦めて過去の先生に従っている それは結局、本当に先生が真実だと理解しているからだ
先生は正しい。ぼくには理解できない理論を振りかざしてくるけど、それを敬う人間は多数いる。皆が引くような言葉を投げかけるけど、それに支えられる僕もいる。
最近やけに先生のことを思い出すし、ふとした瞬間に後ろで囁かれているように思う。呪いだろこれ、なんなんだ。あなたの幻聴みたいなもんですよ。
先生だのあの人だのと 意味の分からない内輪ネタばっかり言ってすみません
でも鉛筆を握ることも面倒だし twitterで言えるような話でもないし 誰かには口止めされていることでもあるし 結局ここでぐちゃぐちゃ言ってしまうんですよね
ごめんなさい。先生は僕の主治医です。
ぼくしかわからないんじゃ内輪ネタですらないか
僕は先生が言うようにろくな人間じゃない
崇高な理由で死ぬこともなく、やむを得ない理由で生きられないわけでもなく、ドラマみたいな悲劇があるわけでもない だから僕は
僕は本当に典型的な自閉で、知能検査でも優れている一点があった
それは明らかに飛びぬけているし、自分でもそれはわかってた
でも他は本当に全くダメ。普通の人よりすごく劣ってる。
僕はその一点を傘として、低い能力を様々なことから守ってた
身近な人からは、「何か優れてることがあるっていいじゃない」「得意なことがあるのは素晴らしい」みたいな風に言われることもある
だけどそれは、たいていのことが普通にこなせるから出てくる言葉だ
ほとんどの事が出来ないなら、突出したもので得することなんてほとんどない
実際気が狂ってたわけだし
才能が要らないっていうのは言い過ぎた 長所はあればあるほどいい
けど、あまりに短所がひどすぎるって話をしてる
その才能がないために夢をあきらめた人もいるかもしれない
でも僕だって自分がめちゃくちゃになってる ぼやくぐらい許してほしい
こんなことを実際に言ったら自慢だぜいたくな悩みだなんて言われるんだろ
同じような境遇の人間が居ないから 相談できる人もいないし
実際幼いときから障害が分かってれば もっと人生生きやすかったんだろうか
密閉するものだから重いけど、その重みに安心を感じてしまう
無意識にネックレスを触る癖があったから、触る度にも安心する
とてもきれいなネックレスを買ったばかりだったから、武骨なこれを付けるのはもったいないようにも思う。だけどどれだけきれいなペンダントトップより、僕を救うのはこれなんだろう
「君ほどやさしい人は居なかった」と初めて言われた
他人にとって優しい人になれて安心した
大切な友達に優しくできていたなら嬉しい
「胸糞悪い」「人として信じられない」
というツイートだらけだ
本当にそうならどれだけいいだろう
「実際障害者と共に何かをする時に 大抵の奴は差別するんだろう」
という斜に構えたツイートに
「しません。大抵の人は差別ではなく配慮をします」
と言ったこのリプ
これが今回の悲劇のすべてだよ
差別と配慮っていうのは本当に紙一重だ
例えば腕の無い人を見たとき、顔つきの違う人を見たとき
「じろじろ見てはいけない」という配慮から「不自然に顔をそむける」という行為が出る それは確かに思いやりだよ でもやられた方からすれば苦しい
結局目が潰されでもしない限り 顔つきや身体の違いに対する条件反射は出る
耳が潰されない限り 叫び声は届いてしまう
だからって差別していいわけじゃない
広げていくしかない 当たり前になるまで
当たり前じゃないから行き過ぎた配慮が差別になる
もしかしたら今回の自治体の人間だって「配慮のつもり」だったかもしれない
田舎のコミュニティはうざったいし面倒なところがある
特別扱いをすると不満を言う人は確かにいるんだよ
都会の人にはわからないかもしれないが みんなで「せーの」でやめられたらいいのにね
自分の配慮が差別になっていないかも考えてほしい