大学では絵画専攻なんすけど、ゼミの先生(画家)に「絵は金にならないけど一生の教養は身につく」みたいなこと言われたなぁって。
まあ実際厳しいっすよね・・・
でもそれだけで生活ができないとしても、一つ自分のフィールドが増えるのはすごく良いことだなあと思う
ある程度なら練習したら割と描けるようになると思います。
絵の上達に必要なのは“気付き”だなぁと絵を勉強し始めてから思ったので。
絵描くの苦手って人にもレベルがありますよね。苦手なりにもどこまではできるのかっていう。
数学苦手って人が「微積ができない」のか「因数分解はできる」のか「算数からできない」のかっていうのと同じように。
小学生の頃の図工で、赤いペンキで塗られてる鉄柵を赤で塗ったら怒られた。
錆びて黒ずんでたから先生としては単純に赤く塗ったことを指摘したつもりかもしれないが、その時に「赤の絵の具は使ったらダメ」と言われたので、使ったらダメな絵の具がセットに入ってるワケないやん、とすごく不満だった。
当時は先生に反論する度胸が無かったから何も言えなかったけど。
小学生の図工でそこまで求められるのきついっすね…
その先生が伝えたい意図も分かるけど小学生に赤の色を使ってはいけない理由に気付いてもらう努力は先生の仕事っすよねぇ
小学生にもわかるように説明してください
でんたく先生
私の画力は小学生レベルのまま
選択的能力時間凍結処理状態ですので
画家になるとかイラストレーターになるとかではないけど、やっぱ絵とか今までやってきた創作を活かせる仕事には就きたいよなぁ
創作活動ってどんな職業でも生かそうと思えば生かせると思う!
例えば全然関係なさそうな医療でもメディカルイラストレーションっていう分野があったりするしw
確かにありますね!そんな詳しくないですけど
逆に美術解剖学ってのもありますから医学と美術って結構関わり合いが深いのかもしれないっすね〜
「絵が上手いに越したことはないけど、勉強すればするほど上手い下手に囚われて自由さを忘れてしまうことがある」みたいなことを先生に言われて、シンプルなことながら励まされてしまった。
絵が上手くなりたいって気持ちはあるけど、その気持ちが自由に絵を捉えるということと同時に存在できないのであれば絵から距離を取った方がいいなって思う。
行き詰まった時ほど初心に帰るのが大事だろうなって。
いやーほんとうにそうっすね
目の前のことに必死になっちゃうとついつい忘れがちだけど、何のためにそれをやっているのかを考えて、立ちどまることは結構大事だと思うわ
暴走して突っ走っている間に好きだったはずのことが好きじゃなくなっているなんてことは往々にしてある・・・そして最後は精神を病む
仕事とかお金とかが絡むと特に・・・
他人からの評価とか一切度外視して、自分が好きなことの聖域はちゃんと守っておくのってすごく大事だと思う
ボカロPデビューしたンゴという話。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38404856
完璧主義しんどくなってきた
っていうか自分がこんなにも完璧主義な人間だったなんで成人して初めて気付いた
絵の依頼が来るようになって自分も絵上手くなったのかなぁと思う半面
自分の絵の持ち味が何も分からんまま描いてるからずっと迷走してるなっていうのもある。
絵について考えるならそこは避けては通れない道のような気もする
最近、感性について考えてるんだけど、考えれば考えるほど難しい
自分の感性の貧困さには眼も当てられなくて、だからこそ気になってるんですけどね
感性って言葉で説明するのが難しいというか何かもやっとした形でしか理解できないもんな。
感性は理屈ではなく感性で説明すべき(意味不)
少なくとも言えることは、私は20代に比べて感性がガタ落ちしてる。
技術の問題でもあり感性の問題でもある気がする。
デッサンが拙くて決して上手いと言えない絵でも良いなと思える作品は良いと思えるし、技術的に高い作品でも万人に受けるわけでも無い。
写真みたいな絵ってあるじゃないですか。これ絵なの!?っていう。
それって技術的にはめちゃくちゃ高いと思うんですけど、絵として見たら「すげぇなぁ」で終わって、「写真みたいな絵だったら写真でよくない?」って意見もあるんですよ。
そのあたりは結局好みの問題なんですよね。
なるほど写真みたいな絵はすごいと思うけど、「絵」としての芸術性はないし、「写真」としての芸術性ならしょせんまがい物だし。
写真みたいな絵を描くなら、そこに絵だからこそ表現できる何かを入れないと芸術的な意味はない。その何かにどれほど感性が表現されているかどうかかな。
言い換えると、写真のようでありながら、本物の写真では撮れない何かを描きこむなら、そこに芸術の余地が生まれるかも。
これが難しい問題で、確かに作品としての客観的価値だけを見たら写真と遜色のない絵というのは「写真でいいじゃん」となる
ただ、これはあくまで鑑賞者の視点であって、作者からだと見え方変わるんじゃないかな?
つまり、写真と同じ絵を描くというデッサンを単純な技術の問題だけで片づけていいのかということ
僕の個人的な意見だけど、実際に事物を事細かに観察してそれを平面上に再現するというのはとてつもない鋭敏な観察力が必要な作業なのではと思う
その観察眼というのは技術というよりもむしろ感性に含まれるようなものだと思ってる
三次元のものを二次元に落とし込む段階で情報量は必然的に削られてしまう(写真ですら削られる)
豊かな感性と卓越した技術の持ち主であれば、写真以上にその事物に迫る絵すら描くことはできるんじゃないかと勝手に思ってる
感性というのは自己表現のような内面的な問題だけでなく、世界と自分との関係をどうとらえるかというところの問題でもあると思う
他者や世界に対するまなざしに欠けている人が、素直に自分を表現できるとは思えないんだよなあ
twitterにいがちな承認欲求こじらせ絵師と芸術家の最大の違いってそこかなあと思う
僕がもしデッサンしろって言われたら、間違いなくやばい絵が出来上がるんだよねw
それは確かに技術力の圧倒的不足もあるんだけど、多分絵がうまい人に”見えている”ものが素人には”見えていない”
見えていないものはどんなに頑張っても描けるはずがない