人間関係も耐えられない、人と話すのが苦手、うまく笑えない、受け答えがうまくない、病気持ち、
もういいよな
つらいんだ死なせてくれ
はじめまして。
なんだかかなり悩んでいらっしゃるようで、私でよければ話し相手になりますよ。
というのも、私も最近カウンセリングを受けたことがあって、それを活かして何かお役立てできればなと。
>>849
全然大丈夫ですよ(・∀・)
私も書き込んだあと誤字脱字など気になることって多々あるので。
私の話になるんですが、先月に2回ほどキャンパスカウンセリングを受けました。これは学校内に儲けられているカウンセリングサービスのことなんですが、私は家族によってストレスを感じることがあり、それでカウンセリングを受けました。
カウンセリングの内容は、ストレスの緩和法を見つけるというものでした。私としては、ストレッサー(ストレスの原因になるもの)である家族を変えて、心地よい環境を作ろうばかりしていたんですが、そのカウンセラーの方はまず自分の中のストレスを無くすことに専念しようと言いました。カウンセラーいわく、ストレッサーを無くすことも大事ですが、大抵の人間はそれに執着して、余計に身体に負担をかけてしまうそうです。
「あれが嫌だ」
「これを何とかしたい」
こんなことを考える前に、まず自分自身のことから始めてみませんか?
じゃあ具体的に何をすればいいのかという話なんですが、私はマインドフルネスをおすすめします。
マインドフルネスとはいわゆる瞑想のことなのです。瞑想と言っても、何か宗教じみた胡散臭いものじゃなくて、脳医学に基づいた、いわば脳のストレッチみたいなものです。
やり方はとても簡単で、それだけに書籍やサイトごとに違っていたりもするのですが、基本的にどれをやっていたいても結構です。その中で私が実践してる方法は、まず全く音も光もない部屋を作ります。そして身体の力を極限まで抜いて目を瞑ります。その状態から身体のありとあらゆる感覚に集中します。指先が少し冷えてるとか、お尻が体重で押さえつけられてるとか、額が髪に振れてる感触とか、とにかく全部です。このときこれ以外のことを考えてはいけません。体重ことだろうが悲しいことだろうが、関係ありません。これを数分程度(あくまで体内の感覚で)行います。
私はこれをしているととてもリラックスできます。集中といっても、何か頑張るというわけじゃなくて、一つのことだけを考えるだけなので、とてもリラクゼーションの効果が高いです。
ほおおお…、ご丁寧にありがとうございます…!!!なんかすみません……
こういうのなら寝る前の数分でもできそうです……!
早速今日寝る前に試してみます…!
返信の文章が短くなってしまって申し訳ないです…(/;_;)
長くなりましたが、あと1つだけ_(._.)_
ストレスを緩和する方法とセットで、嫌なことを考えない時間をなるべく多く作ってほしいです。ここに書き込むことで鬱憤を晴らしているようですが、鬱憤を晴らしたって嫌なことを考えていれば結局ストレッチって戻ってくるんですよね。
「今日あった悪い出来事を3つ挙げてください」って言われたら一瞬でできる思いますが、「今日あった良い出来事を3つ挙げてくだだい」って言われてもなかなかできないと思うんです。
悪い出来事はあってもいいから、良い出来事を毎日3つ言えるようにしてください。例えそれが「ご飯が美味しかった」とか些細なことでもいいです。むしろ些細なことを味わって生きる方がよっぽど幸せです。
できれば毎日3つの良い出来事を日記に書き留めてみてください。多分掲示板じゃ言いにくいこともあると思うので....。
いい出来事ですか………
難しそうですがやってみます………でもなんかできなさそうです……なんかそんなことしてたら周りから笑われそうで………
うぅ、なんだろ、なんていうか、自分が幸せって思うと他の人はいやなことがあったりするじゃないですか、だからそれで怒られるのが怖いです
どうして私がそんな考えになったかというと
「生きる価値」なんてことを考えてると、どうしても「誰かの役に立つ人が価値のある人間」という考え方にたどり着いていく。
でも、「生きる価値のない人間」の役に立ったら、それが自分の生きる価値になるのか?って考えると、価値のない人の役に立っても価値はないことになる。価値のある人の役に立ってこそ価値が生まれる。
じゃあその「価値のある人」の価値はどこから生まれるのか?これも誰かの役に立つから?でも価値のない人の役に立っても価値が生まれないことは変わらない。価値のある人の役に立ってこそ、その人の価値が生まれる。じゃあその「価値のある人」の価値って何?
…って無限に問いかけてると、結局、価値の源泉なんてどこにもなくて、「すべての人間が無価値」という答えにたどり着いたわけ。でもその結論はおかしくないか…すべての人間が無価値なら、なんかアニメのおかしな悪役みたいに人類全部滅びてしまえ的な方向に行っちゃうじゃん…。
結局、誰か1人にでも生きる価値があるとしたら、その価値は生きてること自体にしか源泉はなくて、そうだとしたら人間すべてに生きてる価値がある、ということになったわけです。
南雲の言ってることと少し被るけど、生きる意味なんて何もないと思ってるんだ。というか、そもそもがそんな問いかけ自体がナンセンスだと思ってる。
だってただの自然現象だから。
答えなんてないんだよ。
何で人間が存在してるのかも、何で世の中の物理的現象がこういう仕組みに定められているのかも分からないけど、そんなことどうだっていいじゃないか。人生楽しんだもん勝ちなんだよ。
ニーチェの永劫回帰をご存知でしょうか?
この世は始まりから終わりまでの1通りを無限にループしていて、あなたの人生は無限のうちのx回目だという理論です。これが提唱されたのは18世紀だったんですが、いくら幕末時代とはいえ、科学界が急激に成長し始めた時代にしては、なんともまぁぶっ飛んだ話ですよね。しかし、彼は何も本気でこの理論を唱えていたわけじゃありません。むしろ彼は誇大な妄想とさえ言った。
では彼は一体何がしたかったのか。それを知るためには当時の時代背景を知らなければなりません。
宗教とは元々、明日食べるパンがあるかどうかという時の唯一の拠り所が宗教でした。例え今は苦しくても、良い行いをすれば神のご加護によって救われる。元は道徳を肯定するいいものだったんです。しかし、この世には宗教の権力者にのし上がり、この世界を我がままにせんとする不届き者もいました。魂は善行ではなく、お金の寄付によって救われる。この街のどこかに悪しき魔女が潜んでいる。彼らは自分たちの都合の良いように、勝手に宗教のルールを書き換えてしまいました。そんな中、ついに民衆の怒りが爆発します。彼らは立ち上がり、手を取り合い、幾多の犠牲と引き替えに自由を勝ち取りました。
もう彼らの言いなりにはならない!
自分たちの生き方は自分で決めるんだ!
こうして宗教の時代は終わりを迎え、時代は論理と学によって真理を追求せんとする合理主義の時代は幕を開けました。
一通り目を通しました。
そうですよね、答えなんてないですよね(;_;)
なんていうか、月単位でこういうことを考えてしまうのでうめちゃん、南雲さん、ナチュラルさんの意見をゆっくり読んで、なるほどと思いながら今この文カキコしてるんですけど如何せん語彙力がなくて…、
でもありがとうございます